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5月30日(土)午後『神聖開発勉強会』の詳細な内容

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260530_日本語版_神聖開発勉強会.pdf
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260530-午後_勉強会

みなさま、こんにちは。5月30日土曜日の勉強会を始めます。はじめに3分半の統一を行いたいと思います。はい、統一の画面にします。

<世界平和の祈り>

ありがとうございます。まずはじめに、ホームページの説明を先にしておきたいと思います。画面を切り替えます。

これは、勉強会ホームページのホーム画面なんですが、ちょっと小さくしますね。小さくすると、1ヶ月のカレンダー全体の画面が見えます。これは、ホームページの最初に開いたページが、1ヶ月のカレンダーの状態になっているんですね。

勉強会HP-2

それで、今は5月なんで、5月のカレンダーが出ています。過ぎた日ですね、例えば5月2日は『勉強会』『神聖の眼で世界を見つめ合う日』が表示されています。

枠が小さくて全部文字が読めない場合には、この記号・マークで覚えてもらったら、二重丸は『勉強会』、ハートマークは『神聖で繋がり合う日』、菱形マークは『神聖の眼で世界を見つめ合う日』、星みたいなマークが『白光行事』っていう具合に覚えていただくと、例えば、17日は『SOPP』というふうに表示されているのがわかります。

で、2日には『勉強会』と『神聖の眼で世界を見つめる日』が表示されてます。で、23日は『勉強会』と『神聖で繋がり合う日』があったことが分かります。

で、今日が30日で、今この時間に勉強会があって、今クリックしてもズームの部屋を開いちゃってるから開かれないんですけど、未来の日付のところは、その日の『勉強会』という言葉をクリックすることで、ズームの部屋が自動的に開くようになっております。

で、過去の分については……、ちょっと23日を押してみます。そうすると、その日の内容がこのように表示されます。

で、特定の日を見終わったら、また一番上に戻ってタイトルをこうやって押せば、カレンダーのページに戻ります。

このカレンダーのページは、1カ月単位の表示と1年単位の表示に変えることができます。

年表示を押してみます。そうすると1月、2月、3月、4月、5月、6月、7月、8月、9月、10月、11月、12月というふうに、年間を通して表示されます。12月の内容については変更があるかも知れませんが、一応こうやって12月まで予定を作っています。

それでまた月表示に戻ってこの横向きの矢印を押すと、このように6月のカレンダーが出てくるんですね。6月7日は富士聖地で『神聖の扉を開く行事』ありますね。20日には、『勉強会』と『神聖で繋がり合う日』があります。来月の勉強会は、6月6日(土)の分を今日やるので1回だけになります。

こういう具合にカレンダーとして見ることができるようにしてあります。また、ここを押しても勉強会のズームに直接つながれるようになっています。ここ(サイドバーにあるリンク)でも同じですね。ここを押してもズームが開けるようになっています。

メールから入っていただいてもいいんですけど、メールから入らなくても、このカレンダーを見て「今日だね」ってここをポンと押すことでも、今私たちが集まっているこの場(ズームの部屋)に入ることができますので、一応そのことだけ覚えておいていただけるといいと思います。

さて、「今日は何のお話をするのかしら?」って、私も今の今まで思っていたんです。というのは、表の祈りの会、『神聖で繋がり合う日』とか『神聖の眼で世界を見つめる日』とかっていうのは、何人かのボランティアの方で担当を割り振ってやってますので、事前に台本を作って何をお話しするということも全部きっちり決めてやってるんです。

けれども、この勉強会に関してはフリーハンドっていうんですか、何も準備をしていない。時々は、「こういうのを用意しよう」って直前に思ったりするんですけれども、基本的には何の準備もない状態で始めております。

それで、今日のお話は、「次元上昇する人の条件はこういうものだ」とか、「アセンションした人に現れる体の変化」とか、何かそういうちょっと心が惹かれるような見出しで再生回数を増やそうとしているYouTube動画なんかが私のYouTubeの画面にも現れてきます。

今、携帯電話がそばに見当たらないんですけど、YouTubeっていうのは、その時々のルールで表示の仕方が変わってゆきますが、基本的にはその人が興味ありそうな内容が画面に並べられる仕組みになっているんですね。

基本的にはその人が過去に見たYouTube動画をもとに、「こういうのを見たんだったらあなたはこういうのも興味あるでしょ」っていう具合に自動的に画面に表示されるんです。「こんなの出てきても見ないしな」って思うことがあったら、縦に点が三つ並んでる詳細ボタンをして、「関心がない」っていうボタンを押すと表示されなくなります。

でも、タイトルにつられてついつい見てしまうことがありますね。「この画面が現れたあなたは選ばれた方です」とか、そういう人々の興味本位の想いを刺激するようなのがあるんですね。

「アセンションしたらどういうふうな変化が起こるんだろうか?」っていうのは、そういう方向に興味を持ってる人なら自然に思うことだとは思うんですけれども、あんまりそういうことには興味はお持ちにならない方がいいんじゃないのかなって思うんですね。

なんでかと申しますと、そういうふうに「アセンションしたらこうなるんだ」っていう知識を入れ込んでも、必ずしもその通りになるわけではないからです。アセンション、神聖復活のあり方がひとりひとり違うんです。

あと、「チャクラが開いてくる時に、そこの部分がちょっとなんか痛くなったり痒くなったりとかしたら、それはチャクラが開いてる証拠です」とかっていうのもあるんですけど、実際そうだとしても、そういうことには興味を持たない方がいいと思います。

私の話が嘘だと思う方は興味を持ち続けてみたらいいと思うんです。自分がどう変化するか、何か変化があるはずだ、何か変わってくるはずだとかっていう期待を抱いた心で生きていると、そういうことにばかり敏感に反応するようになります。

「ああ、なんか今頭頂がむずむずしてるから、頭頂のチャクラが開いてるんじゃないか」とか、そんなことばっかり気にしてると、興味本位の世界に入ってしまうんですね。

一番大切なことは意識進化なんです。体の変化っていうのは、意識が進化してゆくにつれて自動的に引っ張り上げられる。こっちが心・意識で、こっちが肉体だとしたら、意識がレベルアップしてゆくと、肉体も一緒に引き上がってゆくものです。

ですから、あまり肉体的にどういう変化があるとか、何が見えるとか、何が聞こえるとか、そういうふうなことに、興味を抱かないようにしておいた方が、脇道にそれずに本当の神聖復活の状態に知らない間に入っている、ということになります。

私は別にそういうものから学ぼうとは思わないんですけど、見ることがあるんですね。で、本当のことを言ってる部分もあるし、作り話をしているものもある。

で、これはですね……、今の神聖復活の時代に、あんまり言葉に表わして言いたくないことなんですけれども、まだ幽界の生物が全部浄まりきっていないんですね。

そうすると、幽界の生物が神や仏や宇宙人を語って地球人間にコンタクトを取ってきて、人間を操ろうとする。で、人間ってホンモノかどうか、裏を取ろうとしないんですね。「我はイエスキリストなり」なんて言って出てきたら、もう即信じてしまう人がほとんどなんです。

そうすると、幽界の生物たちの格好の餌食になるんです。本物っていうのはそういうふうに名乗りをあげないんです。で、そうやって人間を騙して、90何%は本当のことを教えながら、残りの数%、そこに嘘を織り込んで、その人間に発信させるんですね。

その残りの数%っていうのが根本的に大事な部分だったりするんで困ったものなのです。そこに騙されて本当のことを言ってるもんだと信じる人たちが出てくると、幽界の生物たちはそういう人間たちの姿を見ながらケラケラケラケラ笑ってるんです。

いわゆる踊らされている状態ですね。もう2020年代に入って、いよいよ本当に神聖復活するっていう時代に入ってるのに、未だにそういうことがあるのかしらと思うんですけど、あるんです。

なんでかっていうと、これからの神聖復活の時代が、本格的にこの世に展開してくる直前の段階では、波動――波動っていうのは例えば物質波動とか精神波動っていう意味での波動――というのが、精妙な波動圏に入ってきてるんですね。そうすると、その初期段階では、幽界の生物と感応しやすい段階があるんです。

瞑想とか統一行を通して、自分の神体に触れるという経験をされた方なら、私が今言ってる話がわかると思うんですけど、目を閉じスーッと鎮魂してゆき魂をいのちの奥へ鎮めてゆく、その最初の段階で幽界波動圏を通るんです。

鎮めるっていうのは、この世の言葉にすれば上がってゆくっていうことです。それを奥に鎮めるとも表現するんですね。奥に入れば入るほど意識は上がってくんですけど、その最初の段階で幽界の波動圏を通らなきゃいけないんですよ。

で、その時に、本人の潜在意識層、いわゆる幽体の心の部分に、把われの想いがいろいろ残っていると、よこしまな波がそこにはいっぱいあって、幽界の生物に感応するようなことが起こる。っていうのは、肉体と幽体までの自分の心の中に二元対立の想いがあって、幽界の生物と一致する想念をまだ手放せないでいるような場合には、幽界の生物に心と体を乗っ取られたり、いいように利用されたりするようなことがあるんです。

私たちは世界平和の祈りを祈り、守護霊・守護神への感謝も行っておりますので、守護霊・守護神の守護が他の人よりも強いから、比較的そういうことが起こりづらいんですけれども、肉体人間本人の意思が一番優先されますので、どんなに守護霊が護っても、「興味本位の世界に入りたい」「そっちの世界へ行きたい」「そっちを知りたい」とかっていう気持ちの強い人は、守護霊が護っても護っても、守護霊の護りが届かないで痛い目に合うんですね。

それもまた必要な、その人にとって必要な体験なんで、「そんなことしちゃダメよ」なんて、はたの人が余計なこと言わなくてもいいんです。人間って自分で経験して痛い目に合わないと分からないものなんですね。

だから、「あの人あんなことしなきゃいいのに」って、こっちが肉体の想いで思ってるうちは言わなくていいんです、何も。でも、その人の守護霊がこちらの守護霊にお願いしてきて、「ぜひこの言葉をうちの子に伝えてほしい」っていうやりとりが上であった時には、否応なく自分が声帯震わせてその人に注意をする場面もあったりします。

それは守護霊さまが使ってくださっている姿であって、肉体としての私たちが他人に干渉している姿ではないんですね。で、これは、肉体の自分が喋っているのか、それとも守護霊・守護神が動かしてくださっているのかっていう部分を何をもって判断すればいいかっていうと、相手に対して何か引っかかる想いがあるかないかで判断する。

何にも引っかからないで注意できるんだったら、それは守護霊・守護神が言わせているんです。でも、肉体の自分の感情がどこかで疼いて、引っかかりながらモヤモヤしているっていう時には、感情想念をぶつけている姿なんです。

その違いを見分けられるか見分けられないかっていうのは、普段から意識的に鎮魂して生きているかどうか、ということです。鎮魂っていうのは奥へ入れているかどうか、ですね。肉体的な面から言うと、臍下丹田に意識の中心を置いているかどうかっていうところです。

ちょっと話がそれましたね。いのちの奥へ奥へ、自分の神聖と繋がろうとした時に、幽界のところを通る。そこを通り抜けたら霊界の世界に入る。霊界の下の方はまだ幽界とそんな変わらない世界なんですけど、霊界の中間ぐらいまで奥へ入ると、だいぶこの世のことが客観的に観える意識になってくる。霊界の上位に行くとさらに客観的に観れるようになってくる。

この奥の世界を「みる」っていう時に使う漢字は、見学の「見」ではなく観察の「観」です。肉眼ではない眼を使って「みる」時は、観察の「観」の言霊で話しています。観察の「観」で観るのと、見学の「見」で「見る」のは根本的に違うんですね。

わかりやすく言えば、見学の「見」で見るっていうのは肉眼で見ているっていう状態で、観察の「観」で見てるっていうのは霊眼・心眼で見ている状態です。心眼、心の眼で見るっていうことを「観察の観で観る」というふうに言っております。

霊界の上の方のほうまで行きますと、あんまり他人のことを「いい」だの「悪い」だのって思う人はほとんどいないんです。けれども、残念なことに霊界の上の方の人たちであっても、自分自身のこだわり、プライドについては、「こうすることが正しいんであって、どういうふうにすることは間違いだ」って把われの想いがあって、それも二元対立の想いなんです。

だから霊界にいるかぎりはみんな、二元対立の世界に生きているんです。霊界の上まで行って神界には上がらない人もいる。なんで上がらないか。霊界と神界は全く別物って言っていいくらいに違う天地だからです。

今も言ったように、霊界に意識があるかぎりは、どんなに霊界の中でいい世界へ行っても二元対立の想いが心のどこかに残っている。人間としては随分と上等な人たちが生きている世界なんです。言ってみれば、霊界の上位っていうのは、心の中の問題だけを抱えた人たちがいる段階ですね。

そこも卒業して神界の扉を開いて奥へ、その上へ入ってゆくと、自分と他人っていうふうに分けて見てたことが本当に笑えてくるっていうんでしょうか、おかしくなってくるんです。それは、全てが一つというか、今まで「私たちは一つに溶け合い光の輪になった」とかってやってきたことが、「命の世界では本当に一つだったんだ」って分かる段階に入るからです。

私も初級段階までしか行ったことがないんで、それより上の世界は分からないんですけれども、教わるかぎりにおいては、奥へ行けば行くほど自由自在になってゆく、波動圏が広がってゆくということだそうです。

でも、神界にいても肉体界にいても、意識としては同じなんです。なぜ同じっていうかと言うと、もう私たちは肉体界で霊界の心、神界の心を顕わす練習をさんざんしてきているからです。

だから私たちが霊界の上の方なり神界なりへ行ったとしても、何にも違和感を感じない。今、肉体界に生きながら神聖を肉体に顕わしているんだったら、神界に行って感じる感覚と違和感がない。

もちろん、テレパシー能力とか瞬間移動の力とか、肉体にいた時にはなかったことができるようになったりすることもあるかもしれないですけれども、結局のところ、「今の意識が何を思っているか」がやっぱり一番大切なことなんだと思っております。

昨日の夜でしたかね、テレビでピーターパンの映画をやっていたんです。私、「ピーターパン」っていう言葉は聞いたことがあったんですけど、その映画を見たことがなかったんですね。

始まりの方をしばらく見てたんですけれども、ピーターパンが人間の女の子に空の飛び方を教えている場面があったんですね。

「ピーターパン、どうやったらあなたみたいにお空を飛べるようになれるの?」って聞いている。ピーターパンって長嶋茂雄さんみたいな人で、言葉で上手に説明ができないんです。

「そういえば考えたこともなかったな」って言って、しばらく考え込んで、「あのね、楽しいことをイメージしたらいいんだよ。ワクワクするようなことを思い浮かべたら空を飛べるよ」って言ったんですね。「僕はそうしてるよ」って。

それで飛ばそうとするんだけど、途中まで上がるけれどすぐ落ちちゃう。それでピーターパンはめんどくさくなっちゃったのか、ティンカーベルっていう妖精さん、小さな手のひらに乗るような妖精さんを捕まえて、妖精の光の粉を女の子とその弟たちたちにかけたら、一緒に空を飛べるようになったっていう話があったんです。

私は今まで「ピーターパン」の話に全然興味を持ってなかったというか、見たこともなかったんですけれども、「ああ、こういうのって、これからの時代のことを示唆してるな」と思いながら見ておりました。

神聖復活ができるかできないかっていうのは、神聖を本当に信じることができているかできていないかっていう、ただその一点なんです。

「どうしたら神聖復活ができるだろうか?」ということを思うんだったら、「自分は本当は何者なんだろう?」という生命の本質を深掘りする問いかけを自らに行い、その質問に対する答えを深掘りするような質問をし、またそれに答えたんだったら、そのまた答えた内容をさらに深掘りするような質問をし、ということを繰り返してゆくような『本源に届かせるような自己問答』を繰り返してゆくことです。

そうすると、神聖っていうものに対する見方とか感じ方っていうのが知らない間に鍛えられて、「神聖っていうのはこういうことなんですよ」って表現できる言語化能力が上がってきます。

知らないことは言語化できないんです。空想で適当に言うことはできても、適当に言ったものは本物ではないから、自分も納得しないし、周りの人にも底の浅い人だと思われる。

やっぱり自分の中の本物を極めてゆくっていう段階に今入ってきているんだと思うんです。だからこうやって、こんな土曜日の昼下がりに勉強会なんて出てきてくださる方々は、私は本物の方々だと思っております。

ただ、自分に対する自信とか確信とか、何を当然だと思っているかっていう部分については、様々な個人差があるんですけれども、根本的なところで「人類は宇宙を作った命の大元の光の分身なんだ」っていう思い方の点については一致していると思うんですね。

これは外に求めても見つからないんです。自分の中に入ってゆくしかない。命の奥に繋がってゆくしかない。でも、命の奥に入っていこうとした時に、潜在意識層がやっぱり最初に大きな壁になる。

これは、自分を掘り下げるという作業をなさったことのある方は経験済みのことと思います。自分のエゴですとか、神聖を離れた我の部分の想いの動きなどと向き合わざるを得なくなる。

そこで逃げた方もいるでしょうし、逃げないで真摯に向き合った方もいるでしょう。いろんな方がいると思うんですけれども、でも、あらゆる体験はすべて必要な体験なんです。

「私は向き合わなかったからダメだ」とか、そういうことじゃないんです。逃げるという経験をしたことのある人は、人間の心の弱さに寄り添うことができるんです。なぜなら、自分が経験したことだから寄り添いやすいんです。

もう遠い大昔にそういうことを卒業して、「人間が神聖なのは当たり前」って今の段階で思っている人は、なかなか当たり前と思えない人に寄り添えないことがあるんですね。「なんで出来ないのよ」って、ついつい上から目線になってしまう。

私たちがこの地上で肉体を持った神々として生きてゆくためには、そういう寄り添うやさしさや思いやり、愛の心っていうのが、ないよりはあった方がいい。じゃないと、なんかこっち側だけ突き抜けた存在になっちゃって、周りの人たちが声をかけづらい雰囲気の人になってしまうことがある。ですからやっぱり、五井先生の真似をするのが一番いいと思うんです。

肉体にいらっしゃったときの五井先生のなさったことを真似する。いのちの光の存在としての観点から観れば、五井先生は星々を統括する大神でありながら、肉体界にあっては、肉体人間ひとりひとりに対して、いち人間として平等に接してくださった。

その五井先生のお姿を今の私たちに顕わして生きる。真似をして生きるんです。そうすることで、世界中にいっぱいいる今困っている人々を救うことができる。神聖復活したいと思いながら、エゴのささやきに負けて、なかなか自分を変えられないというところで、どうしたらいいんだろうと思っている方もいっぱいいらっしゃるし、神聖の「し」の字も思い浮かばないところで苦しみに悩んでいらっしゃる方々もおられる。

私たちが試行錯誤しながら、いろいろと悩んだり苦しんだりしながら、神聖復活の道を切り開いているということは、これから神聖復活するたくさんの地球の人たちが通る道を作っていることになるんですね。

一つの大きな道ではありません。小さなたくさんの小道を作っているんです。「なんで小さなたくさんの小道なのか?大きい道作っちゃえばいいじゃないか?」って思う方がおられるかもしれないんですけど、地球人類を見てください。

あまり大きく範囲を広げるとボヤけてわからないかもしれないんで、家族なら、家族を見てください。家族っていっても、一つ屋根の下に暮らしていながら性格はみんなバラバラです。考えていることもそれぞれです。人間性がそれぞれ違う。性格が違う。人格が違う。

それは、それぞれの人間性に応じた道があるということです。私たちは全地球人類の代表として、今ここにいるんであって、ロボットのように画一的な人が揃っているわけじゃないんです。

ひとりひとりが――今日何人?今で57人ですね。57人のこの人たちは、57通りの道を作っている人たちなんです。それは私たちひとりひとりが、違う性格を持って生きているからです。

系統で分けることはできるんです。短気な系統、のんきな系統とか、病気がちな系統とかって、分けることはできるんですが、よく見るとひとりひとりの道が違う。

だから私たちは、「この人の真似をすればいいんだ」っていう詳細な見本がない状態で今生きてるんです。でも、我々は、自分一人で生きているわけではない。守護霊・守護神と一緒に生きている。

だから、消えてゆく姿で世界平和の祈りを、何十年もやり込んだ人は、今、この瞬間、自分が一人で頑張っているなんて思っている人はいないはずです。「守護霊さま・守護神さまのおかげで」って思っていらっしゃると思います。守護霊・守護神と一緒に、道なき道の道開き(開拓)をしながら進んでいる。開発している。私たちは開拓者なんです。

私たちは皆、開拓者として地球の未来を切り開いている存在ですので、ちょっとそのことを、今一度統一をしますので、その間に深めながら休憩に入りたいと思います。これでいいのかな。はい、行きます。

<世界平和の祈り>

ありがとうございます。時間ですね。これで一応皆さまのお顔が見えなくなっているとは思うんですけれども、ご心配な方はご自分のビデオをオフにして休憩に入ってください。2時10分から始めます。

<10分 休憩>

それでは2時10分を回りましたので、後半の部に入ります。今夜のプログラムの案内は、昨日の夜に送っていたと思います。5月30日夜の案内の最初の文章に、『本心と業想念の截然たる識別』という言葉を書きました。

確かですね、私の記憶が間違ってなければ、この「宇宙から届いたマニュアル」という瀨木庸介さんのご著書(本の背表紙を見せて)に書かれていた言葉だと思います。

この『本心と業想念の截然たる識別』というのが、私は五井先生につながる人たちが通る道の肝(きも)であり、要点であり、土台であると思っています。

本当は、新しく人が入ってきたら、白光本部が最初にこの『本心と業想念の截然たる識別』をお伝えしてくださればいいのにって思っているくらいなんですね。

どうしてそう思うかというと、『消えてゆく姿で世界平和の祈り』って、「こうすればいいんだよ」って表面的なやり方を教わっても、本心と業想念をちゃんと区分けして観る見方がわからないと、例えば「うちの娘のこういう部分が消えてゆく姿なんだよね」とか、「うちの旦那のこういうところが消えてゆく姿なんだよね」とかって、全然本質的な意味での消えてゆく姿じゃないところに焦点を合わせる勘違いをしてしまう。

大きな意味での消えてゆく姿と本質的な意味での消えてゆく姿をまぜこぜにしてしまって、本当に守護霊に消していただくべき消えてゆく姿をしっかりと掴めないでおられる方が、かなりの数いらっしゃるなっていうことを感じているからです。

「私は50年以上祈ってきました、60年以上祈ってきました、でも旦那のやることには腹が立つし、全然心が変わってない」っていう方もいらっしゃる。私にはそれは不思議なことだったんです。

「いや、60年も祈ったらさすがに悟りの世界に入るんじゃないかしら?どうして60年祈って悟りの世界に入れないんだろう?」そう思ったら、奥の方々がその種明かしをしてくださったんです。

その種明かしっていうのが、「本心と業想念の区別がついていないから」ってことだったんです。

だから、「消えてゆく姿で世界平和の祈りにつながって私はまだ2ヶ月です」っていう方でも、本心と業想念のしっかりとした区別をつけて、消えてゆく姿で世界平和の祈りを行えば、消えてゆく姿にすべきことが、しっかりと消えていって、その代わりに本当の自分、神聖の自分・神体・直霊・守護霊・守護神の自分がこの肉体に顕われてくる。

そういう神体・直霊・守護霊・守護神と一体化した心で生きていると、その人の肉体は、救世の大光明の神々や地球と縁の深い星々から地球界の救済のために来てくださっている宇宙人たちの方々にとっても、使いやすい器になるんです。

昔、私たちの活動は祈りによる世界平和運動と言っておりました。その時代の説明では、「神界の救世の大光明の神々と宇宙天使群と、肉体にありながら目覚めた人たちが三位一体になって行う、敵とか味方とかっていう考え方をしない本当の平和運動なんだよ」っていうご説明がありました。

ここに、「日々の祈り」という本があります。「大切な生き方」っていうページがあります。これは7月22日、カレンダーみたいに何月何日、何月何日って見開きの形で、これがこの日、これが何日みたいな感じで書かれています。文章が短いので、この「大切な生き方」というページを読みます。

現代の人は、真の人間(生命、霊)というものと肉体(想念)というものとを混合して考えて、相異なり、差異の烈しい想念行為の肉体の個々人を平等に扱わなければ、生命の平等性を犯していると考えているが、これは大なる誤りです。

今、赤子に生まれたその時、すでに貧富の差があり、体力、能力の差が内包されているということは、過去世において、それらの魂が、いかに生命を輝かに純粋に生きたか、生命の光を蔽って生きてきたか、いいかえれば、真の愛の想念行為に生きたか、愛を離れた生き方をしたかの差異が内包されているということなのであって、この理を知らずして、いたずらに人類の平等、個々人の平等を叫んでも、決して、人類も、個々人も平等になり得ないのです。

ということなんですけれども、本当の自分たち、いのちの光の存在としての自分たちと、それを忘れて地球界で輪廻転生を繰り返してきた自分たちというものをしっかりと区分けして見る必要があります。

個人で言えば、「本質である自分」と「本質を離れた自分」とを截然と識別して観ると、そこに至るために大切なことは、『本心と業想念の截然たる識別』という、瀬木さんのおっしゃったこの言葉に集約されて現われていると思います。

じゃあ、本心って一体どういう性質なんだ?業想念って一体どういう性質なんだ?というところですよね。

昨日送った今夜の「神聖の眼で世界を見つめる日」の最初の文章の中で、本心と業想念それぞれの本質的な違いとか、本心と業想念の感覚面における違いとかについて書いております。

けれども、こういう表現っていうのは本心全体のほんの一面に過ぎないんですね。また業想念全体のごく一部に過ぎないんです。

もっといろいろな表現の仕方があります。それをお一人お一人が自分の中から出てくる言葉で言語化して現わしていただきたいんです。

誰かが言った言葉を真似するんじゃなくて、自分の中から出てきた言葉として腑に落としていただきたいんです。

本心ってこういうことなんだな、業想念っていうのはこういうことだったんだなっていうことを、自分の奥・命の奥とつながってキャッチする。

キャッチするって言うことは、そんなに身構えて考えなくてもいい。なぜなら、常に常に守護霊さまがひらめきや直感を与えてくださっているからです。だからそれをキャッチできさえすれば、必要な時に必要に応じて必要なことがひらめきとして脳裏に現われてきます。

でも、それだけじゃ納得できない人もいらっしゃるんですね。そういう場合は、統一CDをかけてもかけなくてもどちらでもいいと思うんですけれども、統一をする、メディテーションをするっていうことをとおして、自分のいのちの奥の光と直接的につながって、「人間の本当の心っていうのはこういうことだったんだ」「本当の心を外れた業想念、カルマっていうのはこういうことだったんだ」って、自分の中から出てきた言葉で、こうポーンと膝を打つように腑に落としていただくと、もうそれ以上ないくらいに、自分自身を力づける行為になります。

今夜、『本心』の詩を久しぶりに司会の方に読んでいただくんですけれども、『本心』の詩と『人間と真実の生き方』っていうのは、全く同じことが書かれてるっていうわけではないんですけれども、同じような響きが違う立場で書かれているんですね。

『本心』の詩というのは、宇宙の星々を司る大神さまの立場で書かれている。『人間と真実の生き方』っていうのは、もっとグーッと人間の世界に近寄ったところで、人間たちひとりひとりが『自分たちのこと』として表現できるような言葉で書かれています。

『本心』の詩の冒頭っていうのは、「地球の未来を輝かすために人々が是非共識らなければならないことがある」という言葉で始まっていますけれども、その詩をとおして最初に教えてくださっているのは、「御身たちの真実が、御身たちの本心が肉体生活に纏わる欲望と恐怖と、そして悲哀と憎悪という黒い翼に覆われているということである」と、最初にこっちの方を言ってるんですね。

で、そのすぐ後に、「それよりも亦一層深く識らねばならないことは、御身たちの本心は、御身たちの真実は、宇宙を動かしている大いなる智慧、無比絶対なるエネルギーの源泉にその基を置いているということである、御身たちの本心は常に神とひとつであり、御身たちの真実は神から発する光であり、そして御身たちは、嘗ては本心そのものであったということである」というふうに、本当に自覚すべきことが書かれている。

『人間と真実の生き方』では、これが逆になってるんですね。「人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである」という言葉がバーンと書かれている。本質を先に書かれている。

で、その後に、「そうでありながらこの世の中で地球の人たちが感じてる全ての苦悩っていうのはこういうことなんだよ。だからこういうふうにすればいいんだよ」というふうに結ばれている。

どちらも私たちの生命の大元から、人間たちが本当の自分というものを思い出すためのメッセージとして書かれております。

「『本心』の詩をぜひ暗記して何も見ないで言えるようになってみてください」という話を昔の勉強会で話していたと思うんですけど、この間の5月のSOPPの時に私に「『本心』の詩を覚えましたよ」と報告してくださった方もいらっしゃいました。

あの『本心』の詩をいつでもどこでも唱えることができるっていうのは、もうこれほど便利なことはないんですね。

例えば、五井先生の言葉で言えば、「下手なお坊さんのお経よりも、迷っている人たちを成仏させる力がある詩なんだ」というお話もありました。それは私も実際に体験しております。何回か前の勉強会でその話をしておりましたね。

『本心』の詩は、人に聞かせるというよりは、基本的には「自分自身に言い聞かせる」っていう方がメインだとは思うんですけれども、例えばどっか外へ出歩いてて、重い空気の場所なんかに行った時に、周りに人がいなければ声に出して、周りに人がいたら声に出さないで、この『本心』の詩をその場で唱えると、場の波動が変わります。

本当に変わります。唱えなくても場の波動を変えるやり方はあるんですけれども、この『本心』の詩を唱えることは効果てきめんです。それぐらいに、ものすごい光を秘めた詩であると思っております。

この詩は、私たちひとりひとりの命の大元にいらっしゃる大神さまが直接に書かれた言葉であるからです。

それで、「消えてゆく姿で世界平和の祈りをすればいいんだよ」って、もうずっと我々何十年も教わって、やってきたつもりでいるんだけれどもまだ苦しみが消えない、まだ悲しみが消えないっていうような場合に、その中の一部の人は「なんてダメなんだろう」って自分を責めるんです。

また「神聖復活の印を組めば、消えてゆく姿が現れる前の段階でそれを消すことができるんですよ」って教わりながらも、どうして今日に至るまで苦しみや悲しみや悩みが続いているのか?これは、本心と業想念の截然たる識別をうやむやにしてきたところに、その原因があったんです。

で、うやむやにならないようにということで、いろいろなやり方を実は五井先生が私たちに教えてくださっているんですね。その一つが『光明思想徹底行』です。

一番最初は1993年でしたかね。その年の5月大行事に参加するための課題というかご神示として、『(印を使わない形での)光明思想徹底行』として始まりました。

それは神聖に外れた想いが出た瞬間に、無限なる愛とか無限なる赦しとかっていう言葉を声に出して唱え、打ち消す行でした。

それをその後もやっていらっしゃる方もいれば、あの時だけだったって方もいらっしゃるんですけれども、そもそもの光明思想徹底行の「実践的な始まり」はそこにありました。

で、最近、白光真宏会のホームページがリニューアルされたんですね。それで、光明思想徹底行のページを見ましたら、今夜の会でも司会の人がお話するんですけど、原点に返るような言葉が書かれていました。ちょっとここでは先取りして言いますね。こういうことが書いてありました。多分、由佳先生のお言葉ではないかと思うんですけど、こういうことが書いてありました。

私たちは、自らの語る言葉で、自分自身を明るくポジティブな人生に導いてゆくことが出来ます。

心に、暗く否定的な想いがよぎった時、「無限なる光」のような明るい言葉を口にします。不愉快なことに出くわした時、「大丈夫。これは消えてゆく姿、もう気にしない。無限なる平和。無限なる赦し。」などと自分に語ります。心が沈んでいる時、「無限なる喜び」、「無限なる幸せ」などという言葉を発して、本来の明るい意識に転換します。

私たちが、常にこのような光明の言葉を使うことにより、自らの心の中に潜んでいる否定的な想いが次第に消えてゆき、その奥にある神性が現われてゆきます。

また、「世界人類が平和でありますように、無限なる愛、無限なる調和、無限なる平和、無限なる光、無限なる力、無限なる英知、無限なるいのち」等の光明の言葉を7セットずつ唱え、心を光明の意識で満たす実践方法もあります。

これは、光明思想徹底行のページの頭の方に書いてある言葉です。

今時は『印による光明思想徹底行』ばかりが主流を占めていますが、今のお話のように、『光明思想徹底行』というのは、起きてる間中できることですので、ただ習慣的に印を組むだけではなく、一日中の意識の使い方を観察して、「ああ、神聖から外れちゃった」って思った瞬間に、「無限なる赦し」とか「無限なる愛」って声に出してなさることが、ご自分の神聖復活をより力強く後押ししてくれる行為になると思いますので、ぜひぜひやってみてください。

『地球世界感謝行』でも、例えば食べ物を食べる時に感謝のお祈りをしてから食べるっていう方は多いと思うんですけど、そこでちょっと引きの視点で俯瞰して、自分の行為を見直してみるんです。

ちょっと自分から離れて、斜め上から自分を見下ろすんです。「あなた、それ、ただ習慣で惰性的に感謝のお祈りやってない?」「本当に心底からありがたいなーって思ってやってる?」って自分に問いかけてみるんです。

我々の間では逆に、感謝のお祈りをしないで食べる人を探す方が難しいぐらい、みんな感謝のお祈りをしてから食べていらっしゃると思うんですけど、その時に行っている感謝が「ただの行になってしまってないか?」「心からの感謝の発露になっているのかどうか?」というところを、ちょっと視点を変えて自分を見つめるっていうことをやってみると、より自分自身を磨き上げることになります。

いつだったか、何ヶ月か前の動画による祈りの会で、そういう感謝の意識を広げてゆく取り組みがありました。一つの食材が私たちの目の前に現れるまでに、そこに関わった人数の膨大なこと、何千人、何万人という方が関わっているというお話がありました。(当日は、『動画による祈りの会』を開催するために関わっている人々の人数として話されました)それを真妃先生が掘り下げて言語化して見せてくださったんですね。

食材そのものに対する感謝と共に、その食材が自分の前に届けられるまでの間に、その食材に携わった人たちにも、私たちの感謝の祈り、感謝の光が行き渡ると、より世界の光明化という点で働きが深まってゆくと思います。

感謝の光というのは、いつも申しますように、『感謝の対象と一体化させる力を持った言葉(働き・エネルギー)』ですので、守護霊さまへの感謝だけでなく、空気への感謝、大地への感謝、水への感謝、天象への感謝、山や海への感謝、植物・動物・鉱物、太陽や月、いろいろ感謝の対象があります。

太陽がありがたい存在だということは誰しも思うところだと思うんですけれども、実は月もそれと同じぐらい、人間の生命の活動と密接に繋がり合っております。

こういうことは、我々男の人の体を持って生きている人たちよりも、女性の方々の方が実感されているところだと思います。月は、地球に近づいたり遠ざかったりしながら地球の周りを回っている。地球が太陽の周りを自転しながら公転しているのと同じように、月も地球の周りを回っている。

やがて月という衛星がどういうふうな経緯で生まれたのかということが、宇宙人の人たちが使っている科学が地球界で使われるようになった暁には、明らかになる時が来ると思います。

私の中にはイメージでこういうふうにできたんだよって入ってきているんですけど、地球の子供なんですね、月は。何らかの刺激、たぶん小惑星とかがバーンって地球に当たった衝撃か何かで、地球からボコンと生まれたのが月なんです。

それと同じように、太陽系の惑星も物質的な意味でいえば、太陽から生まれた太陽の子供たちです。そして、それぞれの惑星にはそれぞれの惑星を自分の体として働く神霊が存在している。

白光の人たちは地球大霊王さまというような大げさな名前で呼んでおりますけれども、地球の意識というのは私たちの命の大先輩なんです。

私たちもいずれどこかの惑星を担当する時が来るかもしれません。その前には、天象を司る神々、空気を司る神々、植物を司る神々、動物を司る神々、いろんな分野というか、たくさんのパートの神霊を担当する時が来ると思います。

そういうふうにして、私たちは今、太陽系銀河の中にいますけれども、太陽系銀河の中でたくさんの経験をした暁には親銀河へ移って、そこでまたたくさんの経験を積む。

親銀河が終われば親々銀河へ移って、親々銀河で活動する。そういうふうにして大宇宙の中心に近づいてゆく。そしていずれは、大宇宙の中心と一体になる。

これを何回繰り返せばいいのか今の私には分かりませんけれども、ありとあらゆる体験を重ねた暁には、今度は私たちが自分の宇宙を持つことになります。宇宙ののれん分けという言い方をしてもいいかもしれません。

こないだもどなたかに話していたんですけれど、オタマジャクシがカエルになるように、自分勝手な地球人たちが神になる。神のエネルギーの大元っていうのは、宇宙を生み出し運行しているすべてのエネルギーの源です。

私たちは、その源のエネルギーを分け与えられて、今ここに生きております。だから、大宇宙の根源にまで意識が届いていない今の段階でも、「自分自身の運命を、自分の意識でつくり出しています」。

「いや、そんなの嘘だよ、俺の人生はままならないことばかりだ」って思うかもしれないんですけど、でもよくよく冷静に落ち着いて考えてみれば、思惑通りになっていないように見えながら、実は思った通りにはなっているのが人生なんです。

人間は自分の心をあまりにも狭い目で見ているから、「いや、思い通りになってないんだから、自分が作ったなんて言えないはずだ」とかって、自分を守ろうとするような理屈っぽい言葉を発するんですけれども、自分の身に起こることで自分の責任じゃないことはないんですね。全ては自己責任です。自分が思ったからそうなっている。

今という時代は、そうやって過去を振り返って「ああすればよかった」「こうすればよかった」「なんであの時こうしなかったんだ」って、そんなことに時間を使ってる場合じゃないんです。地球の運命は、伸るか反るかの重大な局面に至っている場面なんです。

そうであるならば、また、自分が運命の創造者であるならば、自分自身が幸せになり周りの人たちも幸せになるような、そういう意識の使い方をし、言葉の使い方をし、行いや振る舞いを調整してゆく。

何か新しいことを始めるにあたって遅すぎるなんてことは絶対にないんです。

「いやいや斉藤くん、そんなこと言ったって私は人生の晩年だよ」って言う方がいらっしゃるかもしれませんけど、それは肉体界に限定した考え方をするから自分の人生はもうすぐ終わるとかほざいてるんです。

80歳を超えようが、90歳を超えようが、100歳を超えていようが、神さま(守護霊・守護神)の眼から見たら、人間はみんな赤ん坊です。赤ん坊が知ったような口を聞いてるんです。

だから守護霊さまの中に入って人間界を見つめ直すと、クスクスって笑えてくる時があるんです。「なんて自分たちって幼かったんだろうな」って思えてくるんです。

人間の心っていうのは7つの心で出来ているという話がありますね。肉体の心、幽体の心、霊体の心、直霊の心、守護霊の心、守護神の心、宇宙神の心ですね。この7つの心が渾然一体となって、今の私たちの心を形成しているんですね。

だから、肉体の表面意識だけが自分ではないっていうことを、これからの時代は、ますます自分の当たり前の捉え方にしてゆく必要があります。

自分の中には、こうやって肉体で生きて肉体の頭で考えてっていう自分もいれば、幽体レベルの自分もいれば、霊体レベルの自分もいれば、直霊の自分もある。守護霊意識としての自分もあれば、守護神意識としての自分もある。その一番命の奥には、宇宙神としての命の大元・源の意識もある。そこまで備わって、はじめて一人の人間として成立してるんです。

繰り返しますが、今この瞬間に、肉体の心以外に、幽体の心、霊体の心、直霊の心、守護霊の心、守護神の心、宇宙神の心まで同時存在してるんです。その同時存在してる意識をいっぺんに7つ感じるのは難しいですけれど、2つくらいだったら簡単に観じられます。

例えば肉体でこうやって生きてる私たちの心と、それを見つめている守護霊の心、これくらいだったら簡単に、同時に二つの意識を自覚することができますんで、統一行の中で、また神聖復活の印を組んでいる時に、「見ている自分」と「見られている自分」っていうのを感じながら過ごしていただくと、次の勉強会まで3週間くらいありますけれども、その間を楽しくお過ごしいただけると思います。

最後に神聖復活の印を1回だけ組んで終わりにしたいと思います。よろしゅうございましょうか。それでは始めます。はい。

<神聖復活の印を一回>

はい、ありがとうございます。

それでは本日の勉強会はこれで終わりにいたします。次回は6月20日になります。一番最初にお見せした勉強会のホームページにあるカレンダーでも確認できますのでご活用ください。

それでは本日はこれで終わりにいたします。皆さまのマイクをオンにします。

<Byebye タイム>

ありがとうございました。それでは本日の勉強会はこれで終わりにいたします。ありがとうございました。

以上