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当日のお話
皆さん、こんにちは。3月21日、土曜日の勉強会を始めます。いつものように、世界平和の祈りの統一から始めたいと思います。
<世界平和の祈りの統一>
ありがとうございます。
ニュースを見ておりますと、原油が来なくなったらどうするんだ、あれもダメになるじゃないか、それも供給できなくなるじゃないか、何もかもダメになるんじゃないか、というような論調が眼に入ってきます。
もちろん、私たちもいろいろな新聞、テレビ、インターネットのニュースなど、いろんなニュースに触れるときに、肉体に意識を置いてそのニュースを見ておりますと、「一体どうなるんだろう?」って思ってしまうのは普通の反応だと思います。
で、この1週間くらい、そういうふうに肉体に意識を置いてニュースを見ているときに、「肉体の意識だけじゃないんだよ」という事がしきりに思われて、奥へ意識を向けてみると、この肉体で見る地球界だけではない見え方がいくつもあるんだ、ということを再確認しておりました。
例えば、一人の人をみんなが同時に見るという場合。ちょっと古賀さん、ごめんなさいね、名前出させていただきますね。
みんなで古賀さんを見るとします。そうすると、古賀さんに対するいろいろな想いを、みなさんそれぞれに抱かれていると思います。
近しく交流されている方は、古賀さんの人間性の部分に「こういうところが素晴らしいんだよね」って思って見られる方もいらっしゃるでしょうし、「私、古賀さんのお顔を見たことはあるけど、お話ししたことはないわ」という方は「お肌がつやつやしてるわね」とか、いろいろな感じ方をすると思うんです。
今、一人の人物ということで話をしたんですけれど、もうちょっと大きく見ていきたいと思います。

ちょうどいい画像が見つかったので、今見せてるんですけれども、ここに地球があります。太陽系の中で、地球に一番近い星というのは、火星と金星なんですね。お隣同士という感じになります。
もっと視野を広げて、地球という星を太陽から見る、木星から見る、土星から見る、海王星から、天王星から見る、金星から、火星から、水星からというように、いろんな太陽系の星から見る、もしくは太陽系の外から地球を見るということをしてみると、地球に対する見え方にもいろいろな見え方があることがわかります。
地球との関係性で、親しみを感じて地球を見ている星もあれば、太陽系外の星の中にはものすごく冷静に地球という星を見ていて、「地球はもうやり直したらいいんじゃないの」と見られている星の人達もおられます。
ちなみに、この小惑星帯というのは、2月11日のキュリアンの時にお話ししたマルデクという星のあった場所ですね。その星が今ここにはなくて、火星と木星の間が不自然に空いていて、そこにこの星屑が無数に散らばってるという状態です。
それは余談ですが、そういうふうに「一つの地球界」というものを、いろんな角度から見ることができるわけです。
またガラリと角度を変えて心の奥に入ってゆくと、人間の体というのは、肉体の奥に幽体があって、幽体の奥に霊体があって、霊体の奥に神体がある、というふうに大まかに言われておりますけれども、これを意識の面から見ると、幽体の自分の心、霊体の自分の心、神体の自分の心ということになります。
本当はもっと無数の段階があるんですけど、そういう細かいことを言っていたら切りがないのでざっくりと言ってるんですけれども、幽界は肉体界とそんな変わりはないですね。
で、もっと奥の霊体の自分になって今の地球界を見ると、不安とか恐怖とかっていうのは薄れてくるんですね。
それで、あの人はこういう立場でこういうことをやってる、あの人はこういう立場でこういうことをやっているということを、結構客観的に見ている自分がそこにいます。
呼吸をさらに深くして、奥へ奥へと入っていって「神体の自分の意識」というのを肉体の意識に顕わして地球界を見ますと、誰がいいとか悪いとかではないということがわかる。
肉体の地球界では、トランプさんのやってることに賛同している人は「いいぞ、トランプ、やれやれ」って思ってるかもしれないですけれども、多くの理性的な地球人の人たちは「トランプさん、何をやってるんだろうな」っていうふうに見ると思うんです。
それで、神界からドナルドトランプという人を見ると、これは新しい時代の幕を開くための重要な役割を担っている人だということがわかります。
旧い世界を終わらせる役割……、旧い文明の世界の終わりを促進する大切な役割をして下さっているんですね。
昔、富士聖地で「食べるものがなくったって人間は生きていけるんですよ」っていう話があったことを、皆さん、覚えていらっしゃるでしょうか。
あの時のお話では、「水さえあれば、2-3週間は生きられる」というお話でした。でも、世界は広くて、この地球界には何も飲み食いしなくても、ずーっと何十年も生きている人も現実にいらっしゃるんですね。
いわゆる仙人のような状態、霞(かすみ)を食って生きているというような状態、私たちに分かりやすい言葉で言えば、宇宙子を補給して生きている状態になっている方も、白光じゃない人でいるんです、現実に。だから、食べ物がなくなったからもう終わりだとか、ということはないんです。
ビジネスの世界にリスクマネジメントって言葉があるんですけれども、私はその考え方で、地球界にとても不幸な出来事が起こった時に、自分はどういうふうに生きていくんだろうな、ということをイメージしたことがありました。
例えば、みんながみんな住む家がなくなった状態になった場合、私は生きていけるんだろうかと思った。答えは「イエス、生きていける」でした。ダンボールでも木のかけらでも、何でもかんでも集めて、仮の家を作ってでも生きていくだろうという想像ができました。
屋根のないところでは生きていけないという固定観念を捨てられない人は、そういう時、どんどん弱っていくんだと思うんですけど、諦めない人はどういう状況の中でも活路を見出していけるものなんですね。
これから地球はどうなってゆくのか?今、普通の人なら誰でも心配するような世界に足を踏み入れているんですけれども、例えば原油が来なくて、あれが作れない、これが作れない。作れないがゆえに供給できない。消費者は買うことができないっていう世の中に仮に足を踏み入れたとしても、なんだかんだ言いながら、私たちは生きていくんだと思います。
そのたくましさっていうのは、命に備わっている生きる力なんです。そういう時が来ないと、自分にそういう生きる力が備わっているということを認められない方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、「私にはそういう力があるんだ、今はわからないけれど」って思っておられたらいいと思います。
逆に、希望的なことばっかり思って生きてる人は、そういう未来を、そういう現実を、眼の前に作り出して、幸せに満たされた人生を自分で創りながら生きてゆくことができます。
何かを見た時に、その何かのどの側面を見るかなんです。
ニュースっていうのは、表面の部分しか見えないんですね。例えばテレビを見る時に注意しなければいけないのは、テレビ局というのは、こういうふうに思わせたい、こういうふうに見せたいという意図を持って映像を編集し放送しているということです。
インターネット上では、例えば政治家がどこかで話した内容の一部だけを切り取って「こんなことを言うのはけしからん」とかって言って、インターネット上で拡散するっていう人が結構いるんですね。
そういう政治家の話の切り取りの問題についても、話の前後を通して聞けば、その話の流れの中でそういう言葉を使っただけのことで、何の問題もないじゃないかということがわかるんですけど、そう言うことをする人は、その言葉だけ眼に入れ耳に入れて、「けしからん」って言ってるんですね。
もっと全体を見なければいけない。全体から捉える必要があるんです。例えばここに携帯電話があるんですけど、ガラスの面がありますね、表の面もあれば、裏の面もある。右側の面もあれば、左側の面もある。上の狭いところもあれば下の狭いところもある。こうやって画面の電源を入れれば、この中に展開しているものがある。これを分解すれば、中に電子基盤がいっぱい入っているということになるんですけど、一面だけを見て、それがそのものすべてだっていう見方をするのは、やっぱりちょっと心が浅いと言わざるを得ない。
物質ばかりで申し訳ないんだけど、ここにパソコンのマウスがあります。上から見たらクリクリクリって回す部分があって、左クリックするボタンがあって、右クリックするボタンがあって、上から見た面だけじゃなくて裏面もある。
そのように、人間を見るのでも、いろんな角度や次元の奥行きを通して観るような見方をしていくと、人様に対しての一方的な評価っていうのも薄れてくると思うんですね。
人間というのは、自分の感情で他人をジャッジする傾向があります。自分の感情が気に入らなかったら、その人は自分にとっては良くない人。場合によっては敵みたいに思う人もいらっしゃるかもしれない。
結局のところ地球人は、いい人とか悪い人とか、自分に近しい人とか遠い人とかっていうのを、感情だけで振り分けてしまってるんです。
感情だけで人を見たら、その人の全貌を見ることができないですね。「人間を見ないで、守護霊様を見なさい」っていう話を聞いたことのある方もいらっしゃると思うんですけど、どうしても嫌で嫌でしょうがない、声も聞きたくない、顔も合わせたくないっていうような人と一緒に何かをしなければいけないっていう場面があった時に、その肉体人間を見るんじゃなくて、その人の守護霊様を見るんだよって教わった方もいらっしゃるんじゃないかしらと思うんですけれども、それも一つのやり方ですね。
私は実際にそれをやってみて、このやり方はいいけれど、ピンとこない人もいるのかなと思いました。
人が意識進化していくプロセスっていうのにも、いろいろな進化の道のりがあって、例えばある人は「守護霊様、ありがとうございます」の一本槍で神我一体になる人もいる。
だからといって、すべての人がそのやり方をすればいいかといったら、そういうものじゃないんですね。周りの人たちを見たらわかると思います。必ずしも、私のやり方、考え方に賛同する人ばかりではないですよね。
みんな生まれながらに自分の歩む道が決まってるし、人が100人いれば、100通りの生き方、100通りの神聖復活に至る道のりがあるということなんですけれども、それさえも俯瞰した視座から見なかったらわからない話なんですね。
この体こそが自分だというところから他人と自分の関係を見ている間は、「なんであの人、あんなこと言うのよ」とかいうようなことを、自分の思い通りになったら言わないけど、思い通りにならなかったら文句を言うような状態が、今現在の地球界の99.9%以上の地球人の実際の心の状態、意識の状態です。
私たちは、その地球人の内のごくわずかな割合の0.000001%の人たちで、今実際に神聖を生きている人もいれば、そこを目指している人もいるという状態になります。
それは、宇宙の人たちと、もしくは神界の神々と共に働いている人たちであるということになります。
必ずしも神様と全く同じ意識レベルにはないかもしれない。でも神々様のお役に立つ存在であるように、自身を磨き高め上げて生きていこうと思い、そのための実践をして生きている方々っていうのは、今この地球界ではとっても貴重な存在になります。
私たちの存在というのは、太平洋に行ってダイヤモンドの塊を海の中で探すような、それをやってもなかなか見つからないぐらい貴重な人たちが私たちなんです。だから五井先生は、一人でも多くの人を肉体界に置いておこうとされている。
もちろん、五井先生がそうしたところで、自分が早くあの世に帰りたいって思ってる人もいる。思うというのは、表面意識だけじゃないですよ。潜在意識で思ってる人もいるんです。だから、「長生きしたい」って言ってたような人がコロッと天国へ帰っちゃうことがあるかもしれない。
それはもう「守護霊・守護神のみぞ知る」っていう世界の話で、私たち一人一人がいつまで生きるかなんてことは、本当の意味での神我一体の中級編以上にならないと分かんないんだと思います。
でも守護霊・守護神と一つになって、守護霊・守護神の意識を自分の顕在意識に顕わして生きようって努力して生きていれば、私たちは守護霊・守護神の眼で肉体の自分たちを見つめられるように、それが当たり前になるように変わっていけるんだと思っております。
そして、変わることが当たり前の時代に今、私たちはもう足を踏み入れているんですね。五井先生がイエスや仏陀クラスの人たちを作りたいんだっておっしゃった「その人たち」が今を生きている私たちなんです。
あちらの世界に帰った人たちは、サポーターに過ぎないんですね。だから、我々は主役なんです。地球を良い星にする、平和な星にする、調和した星にする、宇宙の星々と交流できるほどの意識レベルの人たちが揃った星にするということが、私たちの役割です。
テレビで、塾の先生だった人で有名になった人で、林修先生っていう方がいて「今でしょ」ってやる人がいるんですけれども、その「今でしょ」っていうのが、本当にこの時代のことで、「もう神我一体になるのは今でしょ」っていう話になるんですね。
今日は用事があって出られてないんですけど、今朝、ある男性の方とお話をしたんですけど、もう本当に変わる時だっていう話を意気投合して、しておりました。
「今変わらないでいつ変わるときがあるの?」っていう話なんです。このまま放っておいたら、地球界は確実に滅亡の道を歩みます。でも新しい世界を作るんですから、その終わらせ方の問題なんですね。今までの時代の終わらせ方。
終わりと同時に始まりが来る、新しい時代の始まりが来る。朝方の空模様をちょっと思い浮かべてみてください。早起きしない人はちょっとイメージしづらいかもしれないですけど、太陽の明かりが東の空に出てくる前は真っ暗闇なんですね。空は真っ暗。
でも、どんどん太陽が昇る時間が近づいてくると、紫のような、赤紫のような、ピンク色のような、なんとも言えない幻想的な色に東の空が変わっていくんですね。
だんだんそれが、昼間の色が入ってくると、星が消えて見えなくなって、どんどんどんどん昼間の明るさが東から西の方に広がっていく。
それは、夜の終わりと朝の始まりが共存した時間ですよね。今、私たちが生きてる世界も、今までの旧い文明の終わりと新しい文明の始まりが共存している時代に入っているんです。
こういう言い方をすると、「今の世界を見渡して、どこに神聖文明が始まっているんだよ」という人がいるんですけど、それは浅い見方なんですね。
神聖文明はどこから始まるんでしょう?パッとすぐ答えが出てきた人は素晴らしいです。私たち一人一人の心の中から始まるんです。心の中に神聖文明を築く人が少なければ、それは地球の終わり方がとっても悲惨な終わり方になる、ということを意味します。
逆に、新しい神聖文明を自分の心の中で確実なものにする人が、一人でも二人でも三人でも、その人数が多ければ多いほど、旧い時代の終わり方がソフトランディング、軟着陸の状態で、あんまり激しい損傷も損失もなかったね、という状態になります。
神界の神々や宇宙天使の方々が思われているのは、一人でも多くの人を新しい世界にお連れしたいということなんですね。でも、神聖を甦らせる気もさらさらない人は連れていけない。本当にいろんな意識レベルの人がこの世の中に生きているから、一概にこうだとは言えないんです。
でも、そんなに悲観的に考えることもない。大変なのは、道のないところに道を作っている私たちなんですね。
本当は意識の奥では、すでに今やろうとしていることは他の星で経験していることなんです。
人間の誕生を思い出していただきたいんですけど、赤ちゃんが生まれてきていきなり口を聞いたという話は、たぶんないんじゃないかと思います。
「おぎゃあ」って生まれてきて、「お父さん、お母さん、こんにちは」って言った赤ちゃんの話を私は聞いたことがありません。どうして何もわからない状態で生まれてくるのか?これは考えると、とても深い神々の配慮というのを感じられることなんですけど、神様のやってることを人間が擬似体験するプロセスなんですね。
何にもできない赤ちゃんとして生まれた人が、親や周りの人たちに育てられて大人になり、その大人になった人たちが子を産み、自分も子育てをする。そしてその子たちがまた大人になってそれを繰り返す。
例えば人間から守護霊になり、守護霊から守護神になり、守護神から自然のいろいろなパートをつかさどる神々を経験し、惑星意識を経験し、恒星意識を経験し、いわゆる地球大霊王とかいうのは地球意識、私たちの命の大先輩ですね。
私たちはみんな、親のような役割をしたり、子供のような役割をしたりを繰り返しながら、宇宙の中心へ帰っていく道のりを歩んでおります。
今は肉体人間として地球に調和した世界を創るという目的のために、地球界で最後の人生を生きております。この最後の人生、いわゆる地球界で何百回か何千回かわからない輪廻転生を繰り返してきたその総仕上げの時に、今私たちはどういうふうに生きていけばいいのか?そのために自分をどのように導いて育てていけばいいのか?
命からの答えとしては、「あなたは今のままでいいよ」って言われるかもしれない。「もうちょっとここの部分をこういうふうにしたらいいね」って言われるかもしれない。
自分の命に訊いて返ってくる答えというのは、一人一人違うとは思いますけれども、もっと一人一人の姿を俯瞰の眼で見たときには、同じ宇宙の中心へ向かって進化創造してゆく道を歩んでいる姿を目撃することになると思います。
その目撃するのは、肉体の眼で目撃するんじゃないですよ。心の奥の眼で目撃するんです。「人間っていう存在はどういう存在なんだろうな?」っていう疑問をつきつめて考えてゆくと、最終最後の答えは「宇宙神と一つのもの」とか「宇宙神から生まれたもの」とかっていう答えにたどりつくと思うんですけれども、そこへ行くまでの間の自分自身の状態っていうのが、今こうやって肉体を持って生きていると、「肉体の体が自分だ」って普通は思いがちなんですけど、幽体意識の自分もあれば、霊体意識の自分もあれば、神体意識の自分も同時に生きてるんですね。
宇宙の始まりには、宇宙空間も惑星も恒星も何もなかったんです。宇宙神の意識だけだった。その時に宇宙神は、ご自分を分けて現わしてそれを見たいって思われたから、私たち一人一人に分かれたんですね。
だから私たち一人一人は神の分霊って言われていますけれども、宇宙神の光のひとしずくを分け持って存在している生命体であるということになります。
宇宙神の子供であるということは、私たちも宇宙神そっくりに作られているんです。自分の心の中に、見る側の自分と見られる側の自分がいるんです。
だから……、例えばそうですね、怒りっぽい人がいるとして、すぐプリプリプリ怒っちゃうという場合に、自分がプリプリしているときに、ちょっと斜め上から「私、プリプリしてるな」って見てる自分を思い出すということをやってみてください。
そうすると、プリプリしてることがバカバカしくなります。これは、見てる自分と見られている自分を自分の心の中に同時に意識したときに起こる現象です。
1時57分を回っておりますので、神聖復活の印を1回組んで休憩に入ります。
<神聖復活の印を一回>
ありがとうございます。11分まで休憩にしたいと思います。
<休憩>
2時11分を回りましたので、後半に入りたいと思います。全ての地球人が、「自分は、本当は何者なのか」という命の命題と向き合わざるをえなくなる時が来ます。
私たちはそれに先がけて、「自分って何者なんだろう?」という問いを自分の心の奥に向けて、守護霊・守護神からの答えをキャッチするという練習をしておりますけれども、真理の「し」の字も考えたことのないような人も、同じことをしなければいけない時が来るんです。
そういう時に向けて、自分の命というものがどういうものなのか、自分という存在がいかなる存在なのかということを、知識で知ってるだけじゃなく、体あたりで、体ごと、心ごと、魂ごと、全部で知っているという状態に、私たちがまず先になる必要があります。
それはどういうことかと申しますと、そのような生命の本質をわかっている命の先輩の数が少ないと、地球人類全員をカバーするのはとても大変になるからなんですね。
「自分って何者なんだろう?」という自己問答の話は、ずっと半年か一年の間、勉強会で言ってきました。「Who am I?」「自分って何者なんだろう?」「われとは何ぞや?」っていう問いを自分に向けて、何らかの答えを出して、その答えに対してさらにそれを深堀りする質問を自分に投げかけて、それに対してまた自分が答えて、その答えたことに対してさらにまた深堀りする質問をして……ということを、何回も何回も何回も何回もやっておりますと、「自分は何者か?」ということを、だんだん言葉で自由に表現できるようになってゆきます。
最近よく思っているのは、本当に神聖復活してゆく今のプロセスの中で、私たちが行うべきことの一つは、「神聖の言語化」であるということです。
「神聖って何なのか」ということを、いろいろな角度から言葉で表現できる状態になる。それは、知識で理論武装するだけじゃあ、やっぱり足りないんですね。皆さんも、知識だけで喋ってる人の話を聞いたことがあると思います。
底が知れてますよね、そういう人の話は聞いてて退屈です。この人は魂から喋ってないなぁ。誰がどう言った、誰がこう書いていたって、それ、ただの知識じゃないかって思うと思います。
そうならないためには、自分の命の根源と本気で向き合うんです。命の大元に、自分の顕在意識、表面意識を還元してゆくというそのプロセスこそが、「自分って何者なんだろうな」っていう問いを深掘りしてゆくことです。
完全に、というところまでいかなくても、ある程度深いところまで自分の命というものを深掘り出来てきている方は、今現時点で「神聖復活というのはこういうことなのよ」とか、「人間というのは本当はこういう存在なのよ」ということを、自分の言葉で表現できていらっしゃると思います。
命の世界っていうのは、ゴールはないんじゃないかと思うぐらい奥行きが深いんですね。だから私たちは、宇宙神と一体であると口で言ってみたところで、本当に宇宙神と一体になるためには、どれだけ自分が立派にならなければいけないか、っていう話なんですね。
いつか、五井先生について昌美先生が仰ってたことがありました。ご帰神された直後の頃に仰ってたのは、「神界のコンダクターだ」と仰ってましたね。その何十年後には、「宇宙神の片腕」っていう言い方をされていた時もあったと記憶しております。
「五井先生」という名前で現れた神霊は、今宇宙的な働きをしているということが、ただそれだけのことからわかります。ひとことに「宇宙的な働き」って言っても、私たちが簡単に辿りつけるようなものではないんですね。
その前に、守護霊のような経験をし、守護神のような経験をし、自然を司る神々やいろんなパートの神霊を経験し、惑星意識を経験し、恒星意識を経験し、親銀河の惑星へ行って、また同じことを一から繰り返し、親銀河も卒業したら、親親銀河へ行って同じことをまた一から繰り返しって、それを何段階やったら、現在の五井先生のところに辿りつくことか。
ちょっともう、想像を絶するような話になってくるんですけれども、いつか五井先生が仰ってたのは、「私の世界は地球だけじゃないんだよ」という言い方をされていた。その話を覚えてらっしゃる方もいらっしゃるかもしれないですけれども、星々を管轄している神霊なんですね。
そういう、星々を管轄しているような、超、超、超って、超が何個ついたらいいか分からないぐらいの、超高級神霊から「あなた方は五井昌久の化身だ」っていうお言葉をいただいている身として、私たち一人一人は今、自分自身をどのように磨き育て高め上げていったらいいんだろうなって――考えたことある方もいらっしゃるでしょうし、思ったこともなかったという方もいらっしゃるかもしれません――そういう内側に対する生命の根源へ向けた探求というのは、今の何事もないような時代のうちに、たくさんやっておいたほうが、後から急激な変化が起こった時に迷わなくて済むので、今なさることをお勧めします。
これは誰も代わりにやってくれないことなんです。一番近しい守護霊様だって代わってあげたいけど、代わってあげられないんです。私たちが自分で自分の命の実体を見つけてゆく、思い出してゆくっていう、そういう旅路なんですね。
命の大元へ向けたこの旅路っていうのは、今こうやって肉体に生きている間だけじゃなく、あの世へ行っても継続的に続く旅です。私たちがいつか、あの世へ帰った暁には、五井先生がお迎えに来てくれるでしょう。そして、守護神様が「あなたがこれから住むところはここだよ」って、新しい天地を案内してくれる。
そこでの生活が終わったら、今度は地球とは違う他の惑星なり恒星なり――行く先は人によって様々だと思いますけど――違う星の開拓に向かう、進化創造の一員になる、またある人は自然を司る神々の世界に入るかもしれない。他の星で、守護霊になるかもしれない。他の星で、また人間として生まれるという経験をするかもしれない。
いろいろな経験を積んで、私たちは宇宙の中心・根源・命の源・全てを生み出した大元へ帰る道の途中に今生きているんですね。
大きな大きな眼で俯瞰して見れば、それは地球人だけではない。あらゆる星のあらゆる人類が、同じ生命の根源へ向かって帰る旅をしているんですね。
そういう様々な経験をして宇宙の中心へ中心へ、宇宙神の源へ源へと入ってゆく。一体になってゆく、戻ってゆく。それが私たちの人生です。
これからの時代は、死んだ先の世界とこの肉体界の垣根というものが薄れてくると思います。宇宙人と交流するような時代になってきますと、例えば、家族が亡くなったという場合に、今までだったら、お写真飾って線香を灯して手を合わせてという事で交流してたと思うんですけれども、これからの時代というのは、扉を一つ開けた先、襖(ふすま)を一枚開けた先にその人がいるということになります。
他の星の世界に行ったら、そんな簡単には行かないんですけれども、同じ惑星の霊界・神界だと垣根がとっても薄くなっていきます。
例えば、そうですね……、他の星に行った人と今の自分の距離ということで言えば、歩いて30分か1時間かけて会えるくらいな距離感になります。
これからは、「永遠の別れ」という考え方(発想)が「化石のような考え方」になるんですね。だから、生きている間に「あの人の顔だけは見たくないわ」とかって思う人をいないような状態にしておくことをお勧めします。
嫌いな人が死んでもお付き合いは続くんです。嫌いだって思ってるその心が嫌いな人を作り出しているのです。
人を嫌う気持ちがどこから発生しているのかということをつき詰めて研究していかないと、いつまでも「嫌いな人は嫌い」という状態のままで先へ行くしかなくなるんですね。
そうすると、そういう人生というのは針のむしろみたいなもので、心が落ち着かないんですね。もちろん、ここにいらっしゃる方の中には、もうそういう世界はとっくに卒業された方もいっぱいいらっしゃいます。
でも、お祈りしてるって言っても、「あの人は嫌い」と言ってる人はいっぱいいますね。人を嫌う気持ちの本当の原因って何なんでしょう?
「いやー、あの人が悪口言うから」とか、「いじわるするから」とか、「冷たくするから」「無視するから」とか、いろいろ言い分はあるんでしょうけれども、他人のせいにしている限りは、本当の原因は見つからないんですね。
ここまで言えば、勘の良い方はもう既に気づいていらっしゃると思うんですけど、誰かを嫌いだと思うその原因は、自分の心の中にあるということです。
もっと具体的に言うと、私はよく「自分人類」って言い方するんですけど、自分の心の中にいろんな自分がいるんです。こんな自分もいる、こんな自分もいる、あっ面白い、こんな自分もいたってなるんですね。
そういう自分の心の中の「自分人類」が、被害者と加害者のような関係性になって、バチバチやり合っているパターンがあるんですね。
よく、勉強会で言ってきたのは、自分を赦してない自分と自分に赦されていない自分。自分を認めていない自分と自分に認められていない自分。自分を愛していない自分と自分に愛されていない自分っていうような、ざっくりとしたくくりでお伝えしてきましたけれども、そういう自分がいたんだって発見してあげることが大事なんです。
見つけてあげるだけでいいんです。それを改善しようとか思う必要もないんです。見つけた瞬間に調和するからです。見ただけで直るんです。
じゃあ、今までは何だったの?っていえば、認めようとしないから直らなかったんです。見ようともしない。守護霊は、ヒントをいっぱい与えてくださっているんだけど、眼を閉じ、耳をふさぎっていう状態で、自分と向き合うことから逃げていたという状態ですね。
そうであったからこそ人は、「いつまで経っても人のせいにする」っていう状態をつづけていたんです、今までは。
この地球界から、自分に原因のあることを他人のせいにする人が一人でも二人でも三人でも減っていけば、それだけ地球界が調和する時期が早まります。
旧い文明の終わりが、軟着陸、ソフトランディング状態で、そんな大きな被害もなく宇宙人と相まみえ、他の進化した星の助けを借りて、この地球世界を新しい世界にしてゆくということが簡単にできるようになってゆきます。
逆を言えば、いつまでも地球の人たちが、「自分は悪くない、悪いのはあの人だ、会社だ、お店だ、都道府県だ、国が悪いんだ、世界が悪いんだ」というように文句ばかり言う人だらけだったら、やっぱり平和な世界というのは遠いですね。
休憩前にもお伝えしたと思うんですけど、心の平和が全ての始まりなんです。振り返れば、我々は心の平和を築くということを何十年にも渡ってやってきたはずです。
その時に当たって、やっぱりみんなが行き当たることっていうのは、消えてゆく姿のやり方だと思うんですね。
例えば白光真宏会の二代目の時代は、富士聖地でみんなが集まった時に野外会場で大音量で音楽を流して、消えてゆく姿の想いをできるだけ大きな声で叫びなさいって言って、みんなで、「わわわわわ」ってやった場面がありましたね。
三代目の時代になると、『Webによる祈りの会』という集まりでZoomを使って、5人か10人か何人かのグループごとに部屋を分けて、そのグループの中で自分の消えてゆく姿の想いをみんなの前で告白するような形で発表して、それに対して周りの人たちで祈り合うという取り組みをされております。
私はそういう二代目、三代目の取り組みの仕方っていうのは一つのやり方だと思うんですけど、その方法に馴染まない人にとってはみんなの前で消えてゆく姿を言うっていうことを躊躇する気持ちが出てきて本当のことを言えないということがあると思っています。
例えば『Webによる祈りの会』で発表するという場面で、まあ発表しても差し障りのない、当たり障りのないことしか発表しないとかっていうことになって、本当に深いところのことは人には言わないみたいなことがあります。
同様に、今話しているような私のようなやり方もまた一つのやり方に過ぎないんです。本当は人の数だけ消えてゆく姿のやり方がある。今ここに参加者の数字見たら72って出てますけれども、72人いたら、72通りの消えてゆく姿のやり方があるはずなんですね。
私は、そういう皆さん一人一人の消えてゆく姿を「実際にこうやったらできました」という体験をみんなが発表する場があったらいいなって思っているんですね。
どういうことかというと、お互いの消えてゆく姿への取り組み方をみんなで共有しようとすることによって、私たち一人一人が、これから世界人類と向き合うに当たっての「お伝えの引き出し」が増えるということです。
大体、人間というのは、自分が体験してないことはピンとこないんですね。でも、体験談として共有していただくことで、疑似体験をすることができるんです。
疑似体験というのは、自分が直接的に体験をしたわけではないけれども、体験をしたのと同様、もしくはそれに近いことになるということです。
例えば、昔、昭和30年代、40年代、よく言われてましたね。「映画でも読書でも音楽でも絵画を観に行くでも、そういう文芸とか芸術とかになるべくたくさん触れなさいよ」って。
それは、例えば映画を見て「あんなことを人にしちゃいけないじゃないの」っていうのをその映画の中で見たとしたら、「それは自分が疑似体験したことなんだよ」っていうお話がありました。
映画っていろんな映画ありますしね、残酷なシーンは見たくないとか言う方もいますけど、そういう残酷なシーンを見たら「やっちゃいけないな」っていうことで学びになる。「そんなのよくわかってる」っていう気持ちもその脇から出てくるんですけど、でもホントのことから眼を背けながら「わかってる」っていうのは違うんですね。
見ても心が動かないっていうのが本物なんです。そういう意味では、私もまだまだなんですね。なるべくかわいそうなとか残酷なとかそういう場面には触れたくないなって思ってる自分がいるんです。ですから、見ても心が動揺しないっていうふうになりたいなと思っております。
今の世界の中で、地球上で何カ所も戦争や紛争状態の場所があって、片足をなくしました、片腕をなくしましたとか、両脚切断しましたとか、いう方が地球上にいっぱいいるんですね。
本当に気の毒だと思うんですけど、一人一人の守護神様の側に立つと、「本人の学びのためにそういう経験をしてるんだ」っていう答えをいただくんです。でもやっぱり、人間感情としては痛ましいとか気の毒とかかわいそうにとかっていう気持ちが出てくる。
それは本当のことを言えば、かわいそうとか思う必要はないんですけど、なかなか肉体が自分だっていう気持ちが消えない限りにおいては、何を見ても聞いても心が揺れ動くという状態を、私たちはいつまでもいつまでも続けているんですね。
なので、もうそろそろここらで、そういう繰り返しの渦の中から抜け出すための取り組みをして、人と接するときには、例えば気の毒な話を誰かが話しかけてきたら、「そうね」って話を合わせていいと思うんです。
「いや、かわいそうじゃない」なんて主張しなくていいんです。話してくれた人に合わせて、「そうね、気の毒ね、かわいそうにね」って口では言っておいて、心のなかでは「大丈夫、みんなこれから神聖復活するんだから、何の問題もない!」って思ってる意識を同時存在させるっていう練習をしてゆくことがいいんじゃないかしらって思います。
それはさっき言った、見ている自分と見られている自分を同時存在させるっていう練習なんですね。
自分がプリプリプリプリ怒っていたら、「私プリプリしてるわね」って、それを斜め上から見てる自分。その自分を実感してみる。
片方で客観的に自分を「この人怒ってるね」って見てるんだけど、片方でプリプリプリしてるっていう、この同時存在している自分を味わって楽しんでみてください。
「面白い、こんなふうになってるんだ、人の心って」と楽しくなってきます。「自分という意識は肉体の自分の意識しかないんだ」なんていうのは大間違いです。
自分の中には守護霊意識があります。霊体の意識もある。神体の意識もある。守護神意識もある。直霊意識もある。もっと私たちが立派になったら、もっと宇宙神に近いところの意識も顕在化してくると思うんですけれども、今の地球界の現在の段階では、それくらいの自分があるということは確実なところですので、そういう奥の自分が同時存在しているんだということを、実際の生活の場面で肉体の自分が何かを思ったときに、それを客観的に見ている意識を表面に出すという形で練習するんです。
「私、悲しみにくれているから、これを客観的に見てみよう」とか、「今、私は怒ってるから、怒ってる自分を客観的に見てみよう」とか、というような形で自分が自分を見つめるんです。
これは意識的にやることなので、精神分裂症状ではないので、ご安心ください。これ無意識でやったら精神分裂になっちゃうんですね。
自分が何者なのかということを極めてゆくプロセスで、奥の神聖な自分を顕在化させるということが、本当に重要な取り組みになります。
奥の自分を顕在化させるというのをもっと具体的に言えば、それを言語化できるということです。言葉で「こういうことだ」って言えるようになることです。
わからないことは言語化できないんですね。でも本当にわかってるんだったら、それを言葉で表現することができます。よく学者さんの話で、難しい専門用語を使ってとても論理的に喋っているんだけど何言ってるかわからないというようなお話をする人もいますし、一方で我々みたいな素人にも専門的な世界の話をわかりやすい言葉でお伝えしてくださる方もいます。
それと同じように、私たちは神聖の世界の内容をわかりやすい言葉で、お話しできるようになれたらいいなって思っているんです。難しい話を難しく言うのは簡単なんです。でも、難しい話を簡単に言うことは、本当にわかってないとできないんです。
そういうことは、一般的な話としては女性の方が得意なんですね。理屈の脳みそが感性とか感覚より表面に出てない。感性・感覚の方が表面化してるので、本当に本質にスッと繋がりやすい。
私みたいな男の体に生まれてきている人は、どうしても理屈が先に立って、本質の周りをぐるぐる回って本質の中に入っていかないということがあるんですけれども、もし仮にそういう理論的なタイプの方がいらっしゃったとしても、理論を極めれば本質に入ります。
理論を極めて本質に入った人は、ただ感覚だけで本質と繋がっている方よりもさらに深い世界に繋がっていくことができますので、もしご自分のタイプが「感性・感覚があんまり表面に出てないな」って思われても、全然心配することもなければガッカリすることもないと思います。
どういう性格の人でも、どういうタイプの人でも必ず神聖復活していく道はあるんです。
私は、皆様方お一人お一人がそれを、ご自分の体当たりで命の奥へ向かって突き進んで、道なき道を開拓して、周りの人たちにそれをお伝えしてくださるようになったらいいなと思っております。
ということで本日の話はこれで終わりにしたいと思います。次回は4月4日、第一土曜日ですね。ありがとうございます。
最後に、神聖復活の印を3回組んで終わりにしたいと思います。
<神聖復活の印を三回>
ありがとうございます。
それでは本日の勉強会を終わりにいたします。次回は4月4日の土曜日になります。
<バイバイタイム>
皆様、ご参加くださり、ありがとうございました。
以上