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260801_日本語版_神聖開発勉強会.pdf
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◆ 260801-午後_勉強会
皆さま、こんにちは。8月1日土曜日の勉強会を始めます。はじめに、世界平和のお祈りをいたします。画面共有します。
<世界平和の祈り>
第二次世界大戦終了後、五井先生はお勤めされていた日立製作所を辞めて、神と一つになる道に入られました。そして、昭和24年に神我一体を経験されたというふうにお話しされています。
昭和24年当時っていうのは、まだ白光真宏会もなく、五井先生ご自身も生長の家の一講師のお立場だったと思います。その頃から五井先生を慕って、五井先生のもとに集まってお話を聞きたいとか、もしくは個人相談、人生相談を受けたりというようなことがありました。
戦争が終わったばかりの当時、人々の悩み、苦しみというのは、経済の悩み、体の悩み、それから人間関係の悩みでした。大きく分けてこの3つの悩みが、五井先生のもとに集まって来られる方の大きな悩み事でした。
また、共産主義者か何かの集まりに五井先生が行かれた時に、「神さまは引っ込んでろ」と言われるような場で、「あんたはお祈りさえしてれば、ご飯が食べられるっていうのか、お金が入ってくるっていうのか」という問答があったそうです。
その時に「入ってくる」と五井先生は答えられました。「お金は入ってくるし、食べるものも手に入る。ただし、人の手を通してね」と五井先生はお答えになられました。
こないだの月曜日に、4ヶ月ぶりに電話メッセージがありましたけれども、その中でも、経済的に悩んでらっしゃる方へのお話が昌美先生からありました。
「絶対、食べるものに困ることはない」というふうにおっしゃられました。それは慰めの言葉ではなく、本当の話なんですね。
「お祈りしていれば」といっても、その心持ちの問題になってくるんですけれども、自分という意識を無くして、守護霊さま・守護神さまの響きの中に入り込んだ意識状態になる。
いわゆるお任せをして生きている状態。守護霊・守護神にお任せして、全託をして生きている状態になる。その時に私たちは「天命を信じて人事を尽くして生きている」状態にあります。
そういう精神状態の時には、何かがあったとしても、すべてうまく運ばれるという経験を私たちはします。もうすでに体験されている方も、いっぱいおられると思うんですね。
これは他力本願ではないんですね。深く観ないと、傍からちょっと見ただけだと、「なんだこの人、神さまにお祈りしてるだけじゃないか」と思われることがあるかもしれないんですけれども、私たちの祈りは「神さま、頼みます、お願いします」の祈りじゃないんですね。
私たちのお祈りっていうのは、自分を無くして、「守護霊さま・守護神さま、ありがとうございます。世界人類が平和でありますように」なんです。
この響きの中に、自分個人の願いっていうのはないんですね。(想いとしてはあるけれど、世界平和の祈りの大海原に融け込んで消え去っている状態にある)
だから逆な言い方をすると、「自分のことを望まなくなったら自分のことが上手くいくようになる」という言い方をすることもできると思います。
みんな、誰でも自分が大切なんですけれども、大切だと言いながら、実は自分を心の中で赦してなかったり、認めてなかったり、愛してなかったりということをやっているのも、また人間の特徴なんですね。
自分が大事だと言いながら、自分を足の裏で踏みつけて、踏みにじっているような生き方をしているのが肉体人間の生き方です。
もっと具体的に言いますと、神聖を認めていない、それがそもそも自分を踏みにじって生きていることなんです。
神聖を認められない、自分の命の本質、本心、本体、直霊、神聖を信じられない。そういう状態で生きていることが、自分を認めていないことであるし、自分を赦したり、自分を愛したりできない根本のところの原因になっています。
今、何人ですか?67人。この67人の中でも、いろいろな考え方で、いろいろな未来を観て、いろいろな生き方をしている。
ここにいる全員が唯一共通項として持っているのは、「地球をいい星にしたい、平和な地球にしたい」と望んでいる、この一点です。
この一点においてだけ、私たちは繋がり合っています。あとの部分は、みんなてんでバラバラな方向を見て、毎日の日常生活をそれぞれに生きておられます。
ある方は「幸せで幸せで、本当にこんな幸せでいいのかしらって思うくらい幸せなのよ」っていう方もいらっしゃれば、「誰が赦せない」「どこの組織が赦せない」とか、不平不満を募らせて生きていらっしゃる方もいらっしゃる。
旦那さんとかお子さんとの関係性の中で悩みを抱えながら過ごしていらっしゃる方もいれば、それが隣近所、親戚との関係性の場合もあるし、職場の人間関係の場合もありますね。
さっき、戦後すぐの頃に五井先生のもとに集まってきていた人たちの悩み、苦しみっていうのは、経済、肉体、人間関係、この3つだってお話をしたんですけど、あれから80年くらい経っているにもかかわらず、人間たちが悩んだり苦しんだりする内容は、相変わらず同じなんですね。
体のことで悩まれる。それは持病を持っておられるっていうこともあるでしょうし、年齢とともに衰えるという形での悩みがある方もいらっしゃるでしょうし、50歳前後くらいから更年期障害とかということで悩まれる方もいらっしゃる。
そうですね、男の人で言えば、例えばおしっこが出づらくなるとかっていうことがありますね。女性の方は逆に、ちょっと漏れてしまうっていうんで、尿漏れパッドを買って予防したりとかってこともあります。
みんな、それぞれにいろんな悩みを抱えながら生きている。でも、そうした悩みがあっても、それを大事につかみ続けてる人と、悩みが起こってもすぐに手放す人とに、またここで分かれてくるんですね。
一番いいのは、もうすべてを守護霊・守護神さまに任せてしまう。任せてしまえば、あとは自分の身に何が起ころうと、私たちは本当に任せたんだったら、それ以上悩む必要はないんですね。
でも、任せていながら悩む。任せていながら悩むというのは、実は、任せていないということなんですね。
さっきも言いましたけれども、結局、自分を無くすということが、この肉体を持って人間が生きていて、最上の幸せの段階に入るための一番の生き方だと思います。
もちろん、一番の生き方ですから、そんな簡単な話じゃありません。だけれども、土曜日の昼間に勉強会に参加しようなんて思われるような奇特な方々っていうのは、過去世の過去世の、そのまた過去世、ずっとずっとずっと前の昔の段階から、真理を求めに求めに求め続けてきた方々なんです。
みんな遅い早いはありますけれども、必ず自分の命の一番奥にある命の真実をつかんで生きることができます。もうすでにできている方もいらっしゃいます。
「今、私はまだできてないな」って思っても、もうすぐですから、全然心配しないでください。
心配しないでって言われても、心配する人は心配するし、しない人はしない。また、心配しないでって言われると、油断して努力しなくなる人と、努力を続ける人がいる。
もう全部が決まっている。ずっと上の方から観たら、人間たちが何をするかっていうのは一目瞭然でわかるんですけれども、でも、こうやって一堂に会するような場面では、ひとりひとりにあてた最適な話というような話し方ではなく、一律な話の仕方をしています。
本当に自分を無くすることが大切だということです。それは宗教的に言えば、空の心境になる。『色即是空』の段階を卒業して、『空即是色』の境涯で生きる。
遠い昔から、心ある人たちが道を求めに求めつづけて生きてきた。それと同じ道を今、私たちは歩んでおります。もう本当に、事ここに至っては、悟りを開けないわけがない。神我一体になれないわけがない。
なれるんです。誰でもできるんです。もう、すべての準備が整っているんです、今。それは、宇宙を題材に言うなら、惑星直列みたいな貴重な機会なんですね、今という時代は……。
地球の人たちが、もうみんな進化できるよっていう、そういう波動の世界に、この惑星、地球は今、来ています。ただ、ご自分がそれを望むか、望まないかの違いがある。
経済の悩み、体の悩み、人間関係の悩みがいろいろとあるなかで、守護霊・守護神の中に本当に入りきりに入りきって、自分の考えを一切合切、守護霊・守護神に預けて、天命を信じて人事を尽くすという生き方をしておりますと、どんなことも必ずうまく運ぶようになっております。
厳しい人間関係、きつい人間関係の中で生きていた人が、だんだん他人の言葉によって自分が傷つかなくなってきています。自分が傷つくというような段階を卒業してゆくと、その次に来るのは、周りの人が本当に変わるという状態です。
例えば、意地悪をされていた。意地悪をする人がいたという場合に、その人が意地悪をしてこなくなる。何か一目置くような、大事にされるような扱いをしてくるように変わったということがある。多分、これは何人もの人が経験してると思います。
これは奇跡が起こったわけでも何でもないんです。自分が変わったから周りが変わったという、ものすごくシンプルな法則みたいなものなんですね。
自分が変わろうとしない人、周りの人に「うちのあの人は」とか「誰々は何々で気に入らない」とか、そんなことばっかり思って過ごしてる人は、そういう人間関係がずっと続いてゆきます。
それは自分がそういう世界を創っているから、そういう人が自分の周りにいるということになるわけです。結局は、自分が変わるしかないんです。
その人がどうしても、どうしても嫌で嫌でしょうがないという場合に、時間とお金に余裕のある人は、実際に逃げてみたらいいと思います。その人が自分の目に触れないようなところに引っ越して生活するんです。
私は若い頃、そういうことばっかりやった時代があったんです。誰が嫌だからって逃げて生きてたんです。で、逃げた先で、最初はせいせいしてるんですけど、また嫌な人が出てくるんです。で、また逃げるんです。そしたら、またそこで嫌な人が出てくるんです。
さすがに40歳を超えたぐらいに気がつきました。自分が創ってたんだ。自分が嫌ってた人、苦手だなって思ってた人を創ってたのは自分だった。
勉強会で「すべての人にありがとうございますと言え」という2010年のお話を聞いた方もおられると思います。それを本当にやったら、嫌だなって思ってる相手、嫌いだと思ってる人、もしくは嫌いまでいかなくても苦手だなと思ってる人っていうのが、私の体感ではいなくなりました。
2010年の秋からそれを始めて、2013年に入ってすぐの頃に、そう思ってた人たちの私に対する態度が変わったんです。私はその時、しみじみ思ったのは、相手が悪いんじゃなかったんだなということです。
自分の中の不調和が、その相手に対する想いに映し出されて、あの人を嫌だって思ってただけだったんだっていうことに気付いたんです。本当にそれに気が付けたっていうのは、ありがたいことだなって思いました。
人に感じる不愉快なことは、全部自分の中に原因があるんです。どういう形で自分の中に原因があるか?
ざっくりとした言い方をすれば、自分に赦されてない側の自分と自分を赦してない側の自分、自分に愛されてない側の自分と自分を愛していない自分、自分を認めていない側の自分と自分に認められていない自分というような、被害者と加害者のような自分が心の中にいるんです。
両方の自分が、自分の心の中に存在しているということを観た時に――ここで難しいのは、今「観た」って言い方しましたけど、肉眼で見るように見たわけじゃないということです。
肉眼の領域の話じゃないことを、この世の言葉でしゃべるのはとても難しいんですけど、たとえば、明らかに思い当たる節がある。それは嘘や偽りなく、その通りだという状態を自分の中に感じるんです。
実際にないものをあるとは思えないですよ。でも、実際にあるものは、ないことにしようと思っても、あるものはあるんだからしょうがない。
そういう認識の仕方で、「自分を赦していない自分がいたということは、自分に赦されていない自分もいるのかな?」と、統一の中でジッと自分の心を観察していると、反対側の自分に赦されていない自分が浮かび上がってくる。
自分を赦していない自分と、自分に赦されていない自分がそうやって両方揃って観えた時に、それに関連する感情が成仏するんです。成仏するというのは、調和した状態になるということです。
それは本当に一瞬と言っても言い過ぎではないぐらいで、あっという間です。それが起こる状態というのは、ものすごく長く見積もっても、1分もかかっていません。
今、私が言ったようなやり方をしなくても、守護霊さまに全部お任せできるんだったら、ふつうに『消えてゆく姿で世界平和の祈り』をやっていればいいと思います。どっちでも同じことです。
守護霊さまに自分の運命を全部預けちゃったら、守護霊さまが一番いいように持って行ってくださるからです。だけど、私みたいに理屈っぽくて、なかなか守護霊さまの言うことを聞かないというような場合には、自分で自分の心の中を見つめてみてください。ただそれだけで調和するからです。
自分の中の不調和をなかったことにしようとしたり、もしくは気づこうともせず、観ようともしない場合は、心の奥の暗闇の領域には、たくさんの加害者とたくさんの被害者がずっと心の中にある状態になります。
そうすると、いつも悩んでいる。いつも苦しんでいるという精神状態になります。
大抵の人は、難しいことを考えなくても、60年、70年、80年、90年って生きてゆくうちに、悩みというのは知らない間に解けてゆき、知らない間に晴れていって、「ありがたいなぁ。幸せだなぁ」って思う境地になってゆく。それは、年齢が上になればなるほど、そうなってゆく確率が高くなってゆきます。
けれども、80歳を超えても、自分の子供の選択を尊重してあげられない方もいる。「なんで私の言う通りにしないんだ」っていうような思い方をして、一方的に悩んでいる親もいますけれども、子供は親の所有物じゃないですね。
「そんなの当たり前じゃないの、斉藤君」って、みんな今、突っ込んでるところだと思うんですけど、でも所有物だと思っている人も、ごく一部いるんです。
そういう場合、やっぱり80何歳になっても、90何歳になっても悩んでますね。でもしょうがない。それは本人の選択です。必要があって悩んでいるんです。その人は、そういう段階を通らないと、幸せな感謝一念の境地にたどり着けないんです。
だけど、80歳を超えたから遅いのか、90歳を超えたからもう遅いのかと言ったら、そんなことは全然ない。なぜならば、人間の70歳、80歳、90歳というのは、神々の世界から観たら赤ちゃんなんです。
この世でどんなに「私は長生きしてきたのよ」って堂々としてみたところで、あの世の人たちから観たら、ハイハイして歩いている赤ちゃんみたいな存在なんですね。
特に守護霊・守護神にとっては、人間はどんなに年をとっても、みんな赤ちゃんです。
赤ちゃんじゃないって言うんだったら、もうとっくに悟りを開いて、世のため、人のために働いてらっしゃるはずです。
自分っていうものを全部、守護霊さまの中に入れてしまい、守護霊さまに抱っこしてもらっている状態で生きる。それが、一番簡単な悟りの世界に入る方法です。
守護霊さまに頼らないで、自力で神聖の世界に入ろうとする生き方もあるにはあるのですけれども、それは、針の穴を通るよりも難しい生き方ですね。
守護霊・守護神さまに全面降伏するんです。守護霊・守護神にいいように使っていただく。いいように料理していただく。まな板の上の鯉になる。
一番簡単に神我一体の世界へ入る方法が、守護霊・守護神さまの中に入りきりに入りきって生きる、そういう生き方なんです。
では、どうやって守護霊・守護神さまの中に入り込むか。守護神さまというのは、もっとずっと奥の高いところにいらっしゃる。逆に、守護霊さまというのは、私たちの肉体のすぐそばにいらっしゃる。
だから、やっぱり守護霊さまの中にまず入り込むことが先決です。守護霊さまの懐に潜り込むというのが、最初にやることです。
もう年がら年中、守護霊さまと会話するように生きてみるんです。何事があってもなくても、「守護霊さま、ありがとうございます、ありがとうございます」って、思いつづけに思いつづけ、言いつづけに言いつづけて生きてみるんです。
その感謝は、何かをしてもらったから「ありがとう」っていうような意味の感謝ではありません。
何かをしてもらってなくても、逆に言えば、もう先に感謝してしまうぐらいな勢いでもう、「ありがとうございます、ありがとうございます。守護霊さま、ありがとうございます、ありがとうございます」って思いつづけに思いつづけて生きていると、心がだんだん、守護霊さまのなかに入ってゆく。守護霊さまの波動圏に入っている時間が、知らない間に長くなってゆくんです。
それがもっと上達してきて、もっと熟練の境地に達してくると、何気なく自分の語った言葉が実はそれは守護霊が語っている状態になる。何気なく自分の思ったことが守護霊が思わせてくれた状態になる。何気なく動いた自分のその行動が守護霊の意図した通りの行動になるというふうに、私たちの想念・言動行為が知らないうちに変わってくるんです。
それはもう、どんな人もそういうふうになってゆく。で、こういう守護霊・守護神みたいな見えない世界の存在の話をすると、「観えた方がいいな、声が聴けた方がいいな」って考える方も出てくるんですけれども、それは宇宙人が現れるような時代になったら、その言葉を聴く必要のある人は聴けるようになるだろうし、実際にこの肉体で会って話をする必要がある人は、それができるでしょうし、そういう時代が必ず来ます。
それまでの私たちの生き方っていうのは、守護霊・守護神さまの心を自分の心として生きることなのです。
『神と人間』を繰り返し繰り返し読んでる方は、もうご存知だと思いますけれども、守護霊といい、守護神というも自分なんです。自分の魂の一部なんです。魂を構成する一要素、それが守護霊であり、守護神なんです。
だから、本当に自分が神我一体になりたかったら、魂を構成する七つの要素を統合して、一つの光にする。
肉体の心、幽体の心、霊体の心、直霊の心。それから守護霊の心、守護神の心。そして宇宙神の心。肉体、幽体、霊体、直霊、守護霊、守護神、宇宙神の心。
この七つの心を、自分の心の中で分離したものではなく、一つに繋がり合ったものとして今この瞬間を生きる時、私たちはただの人間に見えますけれども、神と我とが一つになった本当の意味での神人になります。
そのように、宇宙人に会える時代、いろんな星々と交流して生きる時代の地球人というのは、みんな神界に生きる神霊のような精神状態なんです。
この太陽系宇宙に限って見れば、もう今の段階でこんな波動の粗い物質界で生きているのは地球だけです。他の星は全部、霊化した神聖文明の時代に入ってて、みんなが神霊として生きておられます。そういう神霊と交流するために、こちらも神霊である必要があるんです。
それを、今のうちに準備しておくということなんです。時が来てから準備しようとするのは、とても大変なことです。
地球は今そのような状況にありますけれども、熊本に住んでおられるある方に電話をしたら、その方は関西で入院をしておられて、大地震の被害に遭わなかった。ご自宅も他の方をとおして無事だということがわかったという話をされていました。
今の熊本みたいな状況も、日々の電気、ガス、水道とか、当たり前に使えるものが不自由するような、そういう状況の中で、人間、平常心で生きるというのは、並大抵のことじゃないと思います。
でも、お祈りのメンバーの方は、そういう状況の中にあっても、うろたえず、不安動揺せず、動じない生き方をしておられる。いわゆる不動心を発揮して、生きておられます。
日本はもう、北から南まで、大きな地震のないところはないんじゃないかというぐらい、大きな地震が忘れた頃にやってきますけれども、人類の心が自分たちの命の本質を思い出した状態で生きるようになった暁には、巨大地震なんてものは来なくなります。
東北の方とお話しした時に、十何年前の3.11の時、大変でしたねという話をした時に、トラウマのようになっておられることがありありと分かりました。
地震がないのに、揺れてもいないのに、「なんか今、揺れてるんじゃないか」と思っちゃう。私は3.11の時は横浜に住んでましたけど、やっぱり地震がないのに揺れてるんじゃないかっていうのが、何ヶ月も続きました。
そういうことが早く地球から無くなったらいいなって思うんですけど、「そのために私たちにできることは何なんだろうな?」って思った時に、やっぱりもう神我一体で生きること以外にないんですね。
世のため、人のためにお祈りすることはできます。「誰々さんの天命が完うされますように」とお祈りすることはできます。でも、どんなに人のために祈っても、その人が救われるか、救われないかは、本人が変わろうとするか、しないかのどちらかで本人次第です。
だったら、まず私たちにできることは、私たち自身が変わってみせること。もう完全に、神霊の側の人間になって生きることだと思います。それをやっていると、何か起こった時、とっさに違いが表われるようになります。
もう2時をまわっておりますので、神聖復活の印を一回組んで、休憩に入ります。
<神聖復活の印を一回>
ありがとうございます。それでは、画面共有にして休憩に入ります。15分まで休憩にします。それぞれビデオを切って休憩に入ってください。
<休憩>
それでは、15分をまわりましたので、後半に入ります。今、8月の頭なんですけれども、早い方はもうそろそろ、先にあちらの世界に還った方々のことに想いをはせておられる方もいらっしゃると思います。
今は神聖復活祭が、9月の最初の日曜日にありますけど、その日はあの世とこの世の境が1年に1回だけ外されて、みんなが交流し合うことができる日です。
皆さまも毎年毎年、いろいろな方を想い浮かべてみたましろを書いて送っておられると思います。すると、神聖復活祭が近づくと、あちらの世界にいらっしゃる知り合いとか、家族とか、友達とか、いろいろな方との交流が心の中で起こってきていると思います。
きっと皆さん、一様に感じておられると思うんですけど、私たち自身の縁者っていうのは、もう誰一人として迷ってはいない。みんな神界に入って、もっと言えば救世の大光明に入って、地球の完全平和、大調和のために働いておられます。
で、三界という言葉は仏教の言葉だったと思うんですけれども、肉体界、幽界、霊界あたりになるんでしょうか。もっと違う言葉で言っているのかも知れないですけれども、いわゆる、まだ悟りが開けてない人たちが住んでいる世界のことです。
地球が平和になるということは、この三界に住んでいる人たち全員が命の真実を思い出して、愛と誠の心で生きてゆけるようになる必要がある、というお話を聞いたことのある方もいらっしゃると思います。
地球を平和にしたい、地球が平和な星になったらいいな、そういう気持ちは誰でも抱いていると思うんですけれども、この世だけが平和になっても片手落ちなんですね。あちらも平和にならなきゃいけない。
だから、私たちが「世界人類が平和でありますように」と祈る時には、そのお祈りの光は肉体界の地球だけに行き渡るという問題ではなくて、幽界や、地獄界、無明界みたいな、そういう世界にも行き渡ります。もちろん、霊界にも行き渡ります。
肉体界、幽界、霊界、神界とかって言い方をしますけれども、これは単純に人間の意識レベルだと思って間違いないです。
普通、私たちがこの肉体が死ぬという形であの世に還ると、自分の意識レベルに応じた世界へ逝きます。それは霊界の真ん中あたりかもしれない。霊界の上の方かもしれない。もしかしたら神界に入ったすぐのところかもしれない。ひとりひとりの意識の平均点のある場所に還ります。
で、「世界人類が平和でありますように」と祈れる人の数というのは、この世の人口だけで言えば、今、地球には80何億人です。その中の数万人ぐらいしか祈っていない。
本当にたくさんの人を救う必要があります。救うなんて言葉を使うと身構える方いらっしゃるかも知れないんですけど、これは簡単に考えてもらっていいと思います。自分が変われば周りの方も救われるんだ、と。結局は、私たちひとりひとりがどう生きるかというところにかかっているんです。
家族の中で、親類縁者の中で、たった一人の人でも世界平和の祈りを祈ってる人がいる場合には、親類縁者は全員救われるという約束事になっておりますね。
昔の仏教の言葉で言えば、私たちが世界平和の祈りを祈ってるっていうのは、出家しているということとイコールなんですね。一人が出家すれば九族が救われる、という昔のお話があったと思うんですけれども、私たち次第で周りの人たちも救われることになるんです。
この間、何の話の流れからか忘れたんですけれども、弘法大師、空海さんのお話というか、言葉が私の中に入ってきました。『昇悟の機、仰がずんばあるべからず』。『昇悟の機、仰がずんばあるべからず』という言葉です。
一番最初の「昇悟」というのは、次元上昇の「昇」、のぼるという漢字ですね。それから「悟る」。昇り悟ると書いて昇悟です。「機」は、機会の「機」ですね。
この言葉は何なのかしらと思って、インターネットで調べましたところ、日本のいろんなお坊さんが、この言葉を解説しておられました。でも私、どれを読んでも納得できなかったんです。
お坊さんたちが解説している内容というのは、「悟りを開く機会というのは、常に心に願っていなければやってこない」という内容の説明でした。言葉はそれぞれ違えど、今と同じ意味のことを、たくさんのお坊さんが解説していたんです。
それは違うでしょう、って、私には思えたんです。
私たちの言葉で言えば、『昇悟の機』というのは、神聖の言葉、想念、行為を自らに現わし続ける練習をしてきた人たちに訪れるものだと思っております。
この『昇悟の機』というのは、今まさに私たち全員が遭遇している機会です。もうすでに遭遇し終わった方もいる。これから遭遇する方もいる。これから体験する方、もうすでに体験された方、いろいろだと思うんですけれども、みんなが『昇悟の機』というのを体験する時代が、今この時代です。
地球人みんなが悟りを開かないと、地球は平和になりません。でも、全員が同時に、全員が平等にそうなるかと言ったら、それは平等にはなりません。最初に道を開く人たちが必要ですね。それが私たちです。
で、私たちというのは有名人でも何でもありません。ただの一般人で、ただの大衆です。そんなただの大衆に力があるのかって思う方もいらっしゃるかも知れないんですけれども、人間の心の世界っていうのは繋がり合っているんです。
こうやって体を持って、各都道府県に、このように分かれ、各市区町村に分かれ、それぞれの町に分かれて暮らしていると、人間って一見バラバラな存在のように思えるんですけど、五感を外し、六感を超えて、七感の世界に入ったら、人間は心の世界では繋がり合っているんです、みんな。
別々の肉体を持って生きているものだから、「人間は本来一つなんですよ」って誰かに説明されたところで、わからない。「あんな憎たらしいあの人が一つであるわけがない」とかって、反発の想いを湧き立たせたりもする。
けれども本当は、人間はみんな命の源においては一つです。分かれ現れた存在としては、親子であったり、兄弟姉妹であったりっていう――命の世界の話です――この世の血縁関係の話をしてません。
霊の流れで、霊の系統で親子関係の人がいる。霊の系統で兄弟、みんな霊の系統で兄弟姉妹なんですね。そういうことを一番最初に言った人って誰なんだろうなと思って、私、調べてみたんです。
そうしたところ、西洋にもいらっしゃるかもしれないんだけど、やっぱり、それがさっきの空海さんのお話と繋がってくるんですけど、空海さんが書き残したお話の中で、人類は兄弟姉妹だっていうようなことを最初に言った人は、中国の孔子だって書いてありました。
その話は、さらに続くんです。『人類は皆、吾子である』。俳句なんかで使う言葉ですね、吾子。我が子。『人類は皆、我が子である』と言ったのは、お釈迦さまだと。「そういえば五井先生もそんなことをおっしゃってたな」って思い出しながら、そのお話を読んでいました。
まず、この命の源において、人間は皆一つなんだ。最初は観念でしかないものが、自分の意識レベルが上がり奥へ入ってゆくと――幽界、霊界、神界って上がってゆくと――一つなんだっていうことがわかってきます。もう絶対的というか、当然の感覚、当然の認識に変わってきます。
その次に、私たちひとりひとりが目指すところは、すべてを我が子とすることです。これは言うまでもなく、宇宙神の意識です。すべてを生み出し、育む力の源、源泉です。そこに私たちの意識を置き続ける練習をしてゆくという段階があります。
別な角度から言いますと、守護霊さまと一つになる段階があり、守護霊さまと一つになったその意識で守護神さまと一つになる段階があり、その奥で「宇宙の源と自分は一つなんだ」と自覚する段階がある。
一足飛びには行けません。まだ守護霊さまとも一体になれていないのに、宇宙神と一つになろうなんて、それは無謀な話です。でも、そうやって一つ一つ段階を追って昇ってゆく。
私も全然、宇宙神さまと一つなんて、まだ自覚もしていませんけれども、そういうふうに自分の心を磨き高め上げて、少しでも立派な人になってゆけたらいいなと思っております。
ここで、もう一回、統一を行いたいと思います。画面共有にします。
<世界平和の祈り>
ありがとうございます。前々回の動画による祈りの会の時に、里香先生のお話で、息子さんが顔半分麻痺して動かなくなるという状態になって、マッサージをしながらお祈りをしてたんだと思うんですけれども、その時に息子さんの体の中に入る体験をされた。
いわゆる細胞さんたちの働きを観るという体験をされたというお話をされていたのを、覚えている方もいらっしゃると思います。あの観点をみんなが共有できたら素晴らしいなぁと思っております。
私たち、自分の体の調子が悪くなったりすると、不安に思ったり、心配したり、あまり心配が過ぎる場合は、病院に行ってお医者さんに診てもらったり、お薬の力を借りたりとか、いろいろやってます。
お医者さんの力を借りたり、薬の力を借りたりすることは全然いいと思うんです。でも、それよりも大事なことは、私たちが自分たちの体をどう観て、どう認識して、どう認めているかっていうところをしっかりと直視して、神聖の見方にチューニングしてゆくことだと思うんです。
痛いのに我慢しろって言ったって、それは酷な話しですね。痛かったらお薬で散らしたっていいと思うんです。痛み止めの注射を打ってもらったっていいと思うんです。
でも、その時、体の中で何が起こっているのかを、里香先生と同じような神聖の視座から観た時に、私たちは自分たちの体の中で、表面は病気のような症状が現れていても、細胞さん自体はその時々の完璧な働きをしているっていうところを直視してあげることが大切だと思っております。
『働く細胞』っていうアニメを観た方、観たことない方、いらっしゃると思うんですけれども、何年か前には実写化されて映画にもなってますね。
その『働く細胞』というアニメはNHKで前にやってたんですけど、本当に体の中の細胞さんたちの働きっていうのを、とっても分かりやすく、勉強するような視点じゃなくて、子供と一緒に楽しむような視点で観ることができるアニメなんですね。
例えば、風邪の菌が鼻なり口なりをとおして喉に入ってこようとする時に、気管支あたりの細胞さんたちが一致団結して、それを外へ出そうとする働きをする。
目に見える形では、くしゃみをするとか、咳をするとかという形で出そうとする。もしくは見えないところでは、赤血球とか白血球とかが、いろいろ入ってきた菌に対して外へ出してゆくような働きをすることがあります。そうした時に私たちの喉は炎症を起こすことがあるんですね。
人間の心の側からすると、「喉が痛いなぁ、熱があるなあ、風邪かなぁ」というような、そう思うような状態の時も、細胞さんたちは一生懸命に働いているんですね。
その細胞さんたちの頑張りよりも、どうしても風邪の菌の勢力の方が強くなっちゃった場合には、私たちはこの世的に言う、風邪をひいたという症状になります。その風邪を引いている最中でさえも、やっぱり細胞さんたちは、そのときどきに為し得るベストを尽くして働いているんですね。
風邪の終わりの方になってくると、ちょっと色のついた痰や鼻水が出てくるような経験がおありだと思うんですけど、あれは細胞さんたちが頑張って働いてくれた結果なんですね。
細胞さんたちというのは、ああやって要らない要素を痰や鼻水、色の濃いおしっこのような形にして出すとか、もしくは熱が出る、寒気がする、痛みがあるとか――人間の感覚でいうと、そういう言い方しかできないんですけど――の形で要らない物を出して正常な状態に戻し、健常な状態を維持する働きをしています。
そういう時に細胞さんたちは、一生懸命もともとの調和した状態へ戻そう、戻そう、戻そうとして働いてくださっているんです。
例えば、喉の細胞が、菌が入ってきて弱っているんだったら、喉じゃないところの周りの細胞さんたちが喉に集まって応援をして、喉の細胞さんが正常に戻るように働いてくださる。
そういうようなことが、今、風邪の話で説明しましたけど、いろいろな症状、病気、体の中で起こるいろいろな現象が、そういう細胞さんたちの働きで説明がつくんですね。
例えば、人間は食べないで生きてる人はいないと思うんですけど、食べ物を食べて下から排出をしてるんですけど、便秘になっちゃったとか、下痢しちゃったとかっていうことが時折あると思うんです。
便秘の方に私が言うのは、左の手のひら、専門用語で言うと腸骨っていう骨、ここの出っ張ってる骨、そこに左の手のひらを当てる。指先を腸骨に当てて、手のひらをその上の大腸の部分にこうやって当てると、便秘の状態でも、大腸の蠕動(ぜんどう)運動が活発化して出やすくなりますよっていう話をすることがあります。これは余談なんですけどもね。
下痢をする時にも、やっぱり下痢をする理由があるんですね。体の中でこれこれこうで、こういうものは下痢の状態で出した方がいいという判断が守護霊チームの中であった時に、私たちはお腹を下してます。
まあ、神経質な人、人間との関わりが苦手な人が、精神的なストレスでお腹を壊させるっていう状況もあるんですけど、それでさえも守護霊さまがちゃんと調整をして、お腹を下させてくださっているんですね。
だから私は、下痢をしたら喜ぶ方なんです。「ああ、よかった。これで悪いものが、こうやって出してもらえて、よかった、ありがたいなー」って喜ぶタイプなんですけど、普通はお腹を下して喜ばないですものね。
でも、細胞さんたちの働きを思うと、本当に「お腹壊したから嫌だ」とか、そんな想い方はできなくなるんじゃないかしらって思うんです。
普通は、自分の頭で考えるっていうか、細胞さんと分離した心で、分離した想いで、いいとか悪いとか、好きだとか嫌いだとか、なんだとかかんだとかって人間は思ってるんです。
だからもっと細胞さんに寄り添って、細胞さんが今どういう状態にあるのかっていうのを感じてあげることが大切だと思います。やっぱりね、その時には眼を閉じた方がいいです。もう五感をシャットアウトして、体の中に意識を集中すると、人によっては細胞さんの声が聴こえるっていう人もいるんですね。残念ながら私には細胞さんの声は聴こえないんですけど、人によっては細胞さんの声が聴こえるという話も聞きます。
そういうふうに、細胞さんがどういうふうに働いているのかっていうのを、常々見つめて生きる。自分の何十兆と言われる細胞さんたちと、日々、感謝をとおして交流してゆくことで、私たちは自分たちの体を本当に自分の一部として感じながら生活をしてゆくことができるようになります。
また、人間、年齢を重ねてゆくごとに、できていたことができなくなってきたとか、なんとかって、いろいろ思われる方もいらっしゃるかもしれません。
逆に「そうじゃない」と、もう80を超えても、90を超えても「不可能はない」と思って生きていらっしゃる方もいらっしゃいますけれども、多くの方は年齢を重ねるごとに不自由さっていうのをいろいろ感じられると思うんです。で、やっぱり、その不自由に対する捉え方も、神聖の視座で観た捉え方と、人間感情で見た捉え方では全然違ってきます。
神聖の視座で捉えていらっしゃる時は、今よりももっと緩やかに、穏やかに老化してゆきます。それによって最終的には、死ぬ瞬間まで元気で生きられるというわけです。
衰えないわけではないです。衰えてゆくんだけども、その衰え方がものすごくゆっくりになる。それによって私たちは、人間たちの寿命を伸ばしてゆく。
進化した星では、みんな何百歳まで生きている。星によっては、500歳とか1000歳とか、何千歳のような年齢で生きている。これは宇宙の常識です。
100歳にもいかないであの世に還ってしまうのは、この太陽系宇宙では地球だけなんですね。その地球の状況を宇宙の状況に近づけてゆくんです。私たちには、地球人類の寿命を伸ばしてゆくという裏ミッションがあるんです。
「じゃあ、今自分は80を超えてるから無理か」とか思わないでくださいね。80歳を超えてたって、「自分は150歳、200歳まで生きるんだ」と思っている人は生きられるんです。
自分が何を信じているか。何を当たり前だと思っているかが大切です。「みんなが弱ってゆくんだから自分も弱ってゆくに決まってる」と思っている人は、その想いの通りに弱ってきます。
でも、「私の周りの方たちはみんな弱っていってらっしゃるけれど、なんか私は元気なんだよね」って思っている人は、死ぬ瞬間まで元気で生きていられます。全部自分次第です。決めるのは自分なんです。
あまりにも無意識に流されて、いろんな想いを垂れ流して生きてるから、自分が何を信じて生きてるのかさえ自覚してなかったのが、今までの地球人なんです。
自分の心を正直に見つめるんです。自分は何を当たり前だと思って生きているんだろう?って。そうすると、その自分の当たり前を神聖の当たり前に変え、チューニングしてゆくための智慧が守護霊・守護神から授かります。授かるっていうのは、「こういうふうにしてみよう」「こうやって考えてみよう」っていう想いとして現れます。
私たちは、もうすでに守護霊・守護神と一つの生き方をしている『地球上でも稀な人たち』なんです。
それを自覚していらっしゃる方もいらっしゃるし、自覚しないで守護霊・守護神と一つになって生きておられる方もいるんですけど、そういう稀な生き方をしてる人なんだって、自分のことをもっと褒めて差し上げてもらっていいんじゃないかしらと、私は思うんですね。
ということで、もう3時7分なんで終わります。喋ってたら、いつまでも喋りますので、このあたりで終わりにしたいと思います。最後に神聖復活の印をご一緒に一回組みます。
<神聖復活の印を一回>
ありがとうございます。次回なんですけれども、今朝のメールの中の日付は違ってましたね。
月曜日に送信したメールでは、8月22日の土曜日は動画による祈りの会とかぶるので、23日の日曜日にずらします、ということを書いていたと思うんですけれども、『次回は8月23日の日曜日』の方が正しいです。
ということで、本日の勉強会はこれで終わりにしたいと思います。皆さま、ありがとうございました。皆さまのマイクをオンにします。
<Byebye タイム>
ありがとうございました。ありがとうございました。
以上