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7月18日(土)午後『神聖開発勉強会』の詳細な内容

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260718-午後_勉強会

皆さま、こんにちは。7月18日土曜日の勉強会を始めます。はじめに、世界平和のお祈りを日本語と英語で行います。画面共有をします。

<世界平和の祈り>

ありがとうございます。皆さま、テレビのニュースをご覧になられて、何か心がもやもやしておられる方もいらっしゃるかもしれません。具体的には、皇室典範の改正ですね。

何人かの方が私に意見を求めてこられたんですけれども、「日本の未来はこれでいいのだろうか」と思われているんだと思います。

まず、この話に関して一番大切にして観なければいけないことは、結論を先に申し上げますと、『霊の系統』なんですね。

「血脈が大事だ」とか「血の繋がりが大事だ」とか、地球の人たちは言うんですけれども、血の繋がりというのは、霊系統の中のごく一部に過ぎないんです。

皇室が本当に一つの血筋で現在まで来ているかということを、冷静に事実だけで観てゆけば、すでに一つの血筋ではないんですね。

皆さまも、若い時に歴史の勉強をなさったと思います。学校で習う歴史というのは必ずしも正しい歴史ではありませんけれども、その正しくない歴史においても、皇室の中で権力争いが起こっていたり、皇室の周囲にいる人たちが皇室の人たちを動かして権力を握ろうとしたりということが、この2000年の間に何回もありました。

皆さまもご存知のように、女性の天皇が在位された時代も、確か8回ぐらいありました。

今の国会の動きを見て「こんなことでいいんだろうか」と思う気持ちも分かるんですけれども、国会がどういうふうに動いて何を取り決めようが、日本の皇室というのは、大きな宇宙の流れの中にありますので、一番良いように運ばれてゆくことになっています。それは、人間たちの頭では考えもつかないような形で、一番良いように運ばれてゆきます。

我々庶民は、現在の政治家の動き、宮内庁の動き、皇室の方々のお考え、いろいろと推し量ってみるんですけれども、大体がもって全部は分からないですよね。今の動きを推し進めている政治家の人たちの深謀遠慮の具合、それがどこまで深く考えられて行動に移されているのか、これはほとんど知られていません。

もちろん、皇室の方々には発言権はありません。そういう政治的なことに今は口出しができない状況にありますから、それぞれの皇室の方々の想いというのもあると思うんですけれども、少なくとも天皇ご一家の中には、不安も動揺もありません。

「これじゃ大変だ」とか思っているのは、周りの人だけなんですね。日本の天皇というのは、今の日本の国の制度の中では「国民の象徴」「象徴天皇」という、もどかしいお立場にありますけれども、本当は日本の中心なんです。

天皇のお心の中には、自分の都合とか、自分たち一家の幸せとか、そういうお考えはさらさらないんですね。常に考えることは、日本の国民の安寧、世界の平和。天皇陛下のお心の中には、それしかないんです。

私たちも、人によってお祈りしてきた期間は異なりますけれども、世界の平和、人類の神聖の目覚め(甦り)、これをずっと祈りつづけてきました。

その中にあって、私たちも陛下と同様に、自分の私心というものが薄れてしまって、朝起きてから夜寝るまで、想うこと、語ること、行い表わすことが、すべて人類の幸せ、人類の平和、人類の調和、すべては完璧、欠けたるものなし、大成就の考えになってきています。

なぜ今、人類、人類と言っているかというと、自然も大事ですし、生きとし生けるものも大事なんですけれども、人間が神聖を甦らせなかったら、自然も動物の世界も良くならないからです。なぜ世界平和の祈りの冒頭が、「世界が平和でありますように」ではなく、「世界人類が平和でありますように」になっているのかということです。

人類が立派になれば、自然界も調和するし、動物の世界も、今は弱肉強食の生態系で動いておりますけれども、すべての生き物が仲良く暮らしてゆける時代に変わります。これは、人間が変わるか変わらないか(人間次第)なんです。

人間が変われば、自然界は良くなる。動物の世界、生きとし生けるものの世界も良くなる。

だけれど、いつまで経っても地球に生きている人間たちが、自分の都合、自分のプライド、自分の考え、自分、自分、自分と生きていたら、なかなか自然は調和しませんし、生物たちの世界も乱されつづける状況がつづきます。

この間お話ししましたかね。クマさんが出てきて困っているという話です。この日本の国に限って言えば、100年以上前、明治政府が「狼をこの国から絶滅させよう」と言って、何十年かかけて狼を絶滅させました。それによって、ニホンオオカミとエゾオオカミ、2種類の狼がこの日本の国から姿を消しました。

その結果として鹿が大量繁殖した。イノシシさんとかもそうですけれども。そうして増えた鹿は、山や森で何をしたか?クマが食べる食料(木の実)まで食べるようになったんです。そうすると、クマは仕方なく食料を求めて人里に降りて来るようになった。

そうして、一生懸命食料を探して人里に降りてきたら、銃で撃たれて死んじゃった。これは人間の責任なんです。

地震が起こる原理もそうですね。人間の想念波動の浄め、人間の想念波動によって生じた歪みを正す動きです。昨夜、メキシコ南部でマグニチュード7.3の地震がありましたけれども、地震の数だけでいえば日本とかインドネシアが一番多いです。

早く地球が調和して、地震のトラウマでビクビクして生きる人がいなくなるようにしたいなと思うんです。

そのために、私たちひとりひとりに何ができるんだろうと考えたときに、私たちにできることは、自分が神聖を甦らせて、言葉、想念、行為にそれを表わして生きるというところに集約されてくると思います。

「どうやったらそういうふうにできるんですか?」という人がいて、いろいろな人がいろんな答え方をするんですけれども、例えば「愛深く生きればいいんだよ」と言う人もいれば、「神仏のように生きればいいんだよ」と言う人もいれば、「太陽のように生きればいいんだよ」と言う人もいる。

でも、今までそういう生き方を生まれてこのかたしたことのない人にとっては、それらの話は掴みどころがないお話なんです。

それで、どういう神聖の在り方を表現するにしても、それを実際に自分が行えるようになる土台には、「どんなことにも感謝ができるという感謝一念の心、全感謝の心という土台が必要なんだ」と思っております。

この土台のない人は、愛深く生きようとしても愛深くなれないんです。「愛してる」と言ったそばから、相手が自分の気に入らないことをしたら「大嫌い」と思ってしまうような、そんな底の浅い感情しか動かせない。

そういうのは愛でも何でもないんですね。ただの業想念のうごめきに過ぎない。好きの裏側に嫌いがある。正しいの向こう側に正しくないがある。何か反対があるようなのは、神聖の世界のものじゃないんです。神聖の世界の愛はひっくり返ることのない愛です。相手が自分の意に沿わないことをしたとしても、愛しつづけられるんです。

今のこの不完全な世の中で、その神聖の愛に一番近い愛って何なんだろうなと思い巡らしてみると、やっぱりそれは母親の愛、お母さんの愛だと思うんですね。

今の世の中全体を見渡しますと、イランとアメリカは相変わらずやり合っていますし、ロシアも振り上げた拳を下ろすことができないでいますし、中国は虎視眈々と台湾やフィリピンの一部の領土を狙っておりますし、他にもきな臭い動きはいろいろあります。

しかし、だからといって、私たちがそれを心配して神経をすり減らす必要はないんですね。途中でどんな状況が現れても、必ずすべてが調和して、みんなが仲良くなる時が来るんです。それは、人知を超えた動きの中から現れてきます。

今、いくつかの国の動きをお話ししましたけれども、それらはみんな男性性のマイナス面が偏って表面に現れたがための現象である、という見方ができるんです。

人間の精神性のなかには、男性性と女性性というものがあります。この男性性の中にも、女性性の中にも、プラスとマイナス、陰と陽がそれぞれにあります。

例えば、男性性のプラスの側面をちょっとかいつまんで言うと、開拓するような、何か新しいチャレンジをして広げてゆくような勇気凜々とした意識がある。もしくは、原始時代まで遡って考えると、外へ出て食べ物を調達して、奥さんと子どもが生きてゆけるように守って差し上げるというような部分ですね。

女性性というのは、やっぱり、産み育て守る働きです。よく地球のことを「母なる地球」という言い方をしますけれども、私たちは地球の子どもなんですね。宇宙神の子孫であると同時に、地球の子どもでもある。

だけど、私たちは親不孝な子どもだったんです、今までは。だから、親不孝だったということに気がついた今、地球さんに親孝行しなければいけない、そういう段階にあります。

男性性と女性性の話で言いますと、男性性の負の側面、マイナスの側面は、支配するとか、上から目線になるとか、相手のものを横取りするとか、いわゆる自己中心性が表面に現れた状態。(男性性の負の側面 ➡ 攻撃的な自己中心性)

女性性の産み育て守る働きにしても、その感情がねじくれて負の側面が表面に現われてしまうと、人を恨んでみたり、妬んでみたりなど、いわゆるネチネチした想いの動きが生じますね。(女性性の負の側面 ➡ 保守的な自己中心性)

今の世界情勢というのは、男性性のマイナス面が動かしている世界なんです。この男性性のマイナス面が動かしている世界を調和させ中和させるのは、女性性のプラスの面の働きです。

この女性性のプラスの面の働きというのは、男性の方々にも現れている人はいるんですけれど、ごく一部です。どちらかと言うと、女性性の良い面を表わしている人というのは、やっぱり女性の方が多いんですね。そういう意味で、これからはやっぱり、女性による女性性の時代になってくると思います。

「我が、我が」「俺が、俺が」と言っている人たちは、弾き出されてゆきます。でも、それはホントに弾き出されるんじゃなくて、本人たちの受け止め方です。実際は、弾き出されるんじゃなくて、女性性の愛によって包まれるんです。ただ、それだけのことです。

男たちは、みんな子どもなんです。女性の方はお分かりだと思います。どんなに立派そうに見えても、すべての男性は女性の子どもなんです。女性から生まれているんです。男性から生まれた男性はいないんです。

そこで、最初の皇室典範改正の話に戻りますけれども、「男系男子がどうのこうの」という言い方をしておりますけれども、遺伝子の中のどういう要素が男系男子でなければいけないんだとか何だとか言っているけれども、そもそも万世一系ではないんですね、すでに現時点で。

そのことを、「男系男子、男系男子」と言っている人たちは、都合が悪いものだから、目をつぶって見ないことにしている。

でも、こういう政治の動きも、神さまの手のひらの上の出来事なんですね。孫悟空がどんなに遠くへ行ったと思っても、お釈迦さまの手のひらの上で動いているだけという、そういう感じです。

今ああいう政治の動きがあって、決まったとおりに動いていって、未来、また困ることが起こる。その時にどうするか、というところにどうなってゆくかのヒントがあります。

皆さま、興味があるかもしれないですけど、あんまり政治の裏話とか、知ったところでしょうがないと思うんですね。結論的には、途中でどういう動きが起こっても、私は「愛子天皇の時代が来る」と思っております。そのことを全く疑っておりません。

テレビのニュース――テレビだけじゃないですね、新聞もそうだし、インターネットのニュースもそうですけれども――ニュースというのは、それを伝える側が、「こういうふうに見てもらいたい」「こういうふうに聞いてもらいたい」「こういうふうに受け取ってもらいたい」という意図があってのニュースなのです。

ただ単に事実だけを報道しているニュースは、もうこの世の中にないと言っても過言ではない。

だからニュースを見る時に、表面の世の中の動きと、表面の自分の感情の動きだけのレベルで、ああでもない、こうでもない、好きだ、嫌いだ、どうなるんだ、こうなるんだ、と思うのは、今まではしょうがなかったと思うんですけれども、もう今となっては、「このニュースはこういうふうに思わせたいんだね」と思いながら見ているといいと思うんですね。

そうすると、ニュースメディアが意図している見せ方の奥の事実を、いろいろなニュースを見ているうちに掴めるようになってきます。もちろんそれは、霊的な働きもあっての見え方なんですけれども……。

私たちはかなり今、神聖復活の状態が、ひとりひとり今最終最後の追い上げ段階で、皆さんはかどっているところだと思います。なので、「ご自分の守護霊・守護神と繋がった直観でニュースを見る」という練習をしていただくと、表面の動きに左右されないでいられる自分を養うことができます。

もう、人間であることを諦める時が今来ているんです。「なかなか諦められないのよね」という人もいらっしゃるんですけれども、そういう方は、もっとこの世の艱難辛苦を経験して、揉まれて磨かれてというところを経験し尽くしてから、また神聖復活の世界に入ってきたらいいと思うんですね。

どんなことも、中途半端にやるのが一番よろしくないと思うんです。何をやるにしても真剣にやる。「まだ遊び足りない」と言うんだったら、真剣に遊べばいいんです。「もうそういうのは結構。私は人生の最後、魂を磨き上げて、立派になってあっちの世界へ行くよ」と思っている人は、そういうふうにすればいい。

みんな、人によって生き方は違いますけれども、本当にひとりひとりが悩みながら、苦しみながら生きている。そこに、「人間はもともと神聖なんだ」という観点があるかないかで、そこから先の未来が変わってくるんです。

お母さま方の中にも、ごく一部いらっしゃいますけれども、特に男の人の間に、年を取ってから孤独を覚える方がいらっしゃるんですね。特に、何かの職業に就いていた時代に肩書きを持っていた人が、その肩書きがなくなった時に、周りの人が肩書きがあった時のように付き合ってくれなくなることがある。そういう時に、男の人たちは孤独を感じ取っておられます。女の人の中にもいます。

ちょっと余計なお世話なんですけれど、そういう方向けのスライドを出します。上に行くほど大事なことになるので、下から行きます。

7番目。武勇伝や昔の苦労話などをせずに、相手の今を聞き出す、お話ししてもらう。

6番目。話し上手じゃなくて、聞き出す、聞き上手になればいい。

<好かれる高齢者になる七ヶ条>

どんなことにも事ある毎に感謝の気持ちを発し伝えつづける

「おかげさまで」を口癖にし周囲を引き立てる

「でも」「いや」ではなく「なるほど」「確かに」から話し始める

相手にとっての北風ではなく太陽を心掛ける

正論や自慢話を語らずいつも温かく微笑んでいる

話し上手ではなく聞き上手を目指す

武勇伝や昔の苦労話をせずに相手の今を話していただく

5番目。正論や自慢話を語らずに、いつも温かく微笑んでいればいい。

4番目。相手にとっての北風になるのではなく、太陽になるように心がける。

3番目。話をし始める時に、「でも」とか「いや」とか、否定から入るのではなく、「なるほど」とか「確かに」とか、肯定の言葉から話し始める。ただこれだけで、かなり人間関係が変わります。

そして2番目。「おかげさまで」という言葉を口癖にして、いつも周りの人を引き立てる。

最後の1番目は、どんなことにも、事あるごとに感謝の気持ちを発し、伝えつづける。

この「どんなことにも」というのは、人間だけじゃないですよね。水でも、空気でも、大地でも、日々のお食事でも、感謝の対象はいっぱいあると思うんです。アスファルトの隙間から咲いている植物さんに「ありがとう」と言っている人もありますけれども、街中の植物さんたちにも感謝する。どんなことにも感謝するということを習慣にすると、すべてがうまくゆきます。

また7番で、武勇伝とか昔の苦労話とかって出てますけれども、男の人たちっていうのは、総じて自己顕示欲や承認欲求が強いんです。「すごい」と言ってもらいたい。認めてもらいたい。ようは子どもなんです。小さな男の子を思い出してください。ママに褒められたいんです。年を取ってもその精神性が変わらない。同じなんです。50何歳、60何歳、70何歳、80何歳になっても変わらない。

私も男性の体を持って生きておりますけれども、やっぱり、全然関係ないとは思わないんですね。「ああ、確かに。そういう側面があるな」と思うことがあります。

ただ、ありがたいことに、私の中には女性性もいっぱい入ってきていて、それで中和されている。それがありがたいなと思うんです。昔の不平不満時代は、もう男性性のマイナス面ばかりで生きておりました。けれども、うちの人に出会って――本当に彼女のおかげだと思っているんですけれど――心を調和させるという育てられ方をして変わりました。

もちろん、自分自身の意思としても、「今までみたいな生き方をしていてはいけない」と思ったところもあります。だから、今から20年前、15年前、10年前というのは、そういうふうに「本当に変わろう」「本気で変わろう」「もう変わらなきゃいられない」とお尻に火が付いていた時代だったんだと思うんです。

今はだいぶそこを抜け出したから、笑い話のようにできますけれども、当時は、多分どこのご家庭でもそうでしょうけど、ぶつかり合ったりしていた時期もありました。

けれども、幸いなことに、本当に私たち夫婦は、何十年経ってもお互いに対する気持ちが冷めていないというところで――いつもこれをお互いに話しするんですけれども――ありがたいなと思うんですね。

そうやって自分の内面を彼女に育てていただいたと――今日はご本人いないですけれども――それはもう、いつもいつも思っております。

だから、世の男の人たちも、女性性のパワーがもっと強くなって表面に現われてくれば、「我が、我が」と言っている男の人たちも大人しくなってくると思うんですね。

私は自分の体験でそうなった。これを実績と言っていいのか分かりませんけれども、女性性の力で変わったということを体験しております。なので、本当にもう、世界中の「我が、我が」と言っている男の人たちを調和した心の持ち主に育ててゆく必要があると思っております。

戦争したい人たちは、「やめろ」と言ったってやるんです。また、それがダメとも言い切れないんですね。必要があってやっている側面があるからです。ぶつかり合わなきゃ消えないことがある。

例えば、個人個人の人間関係でも、言いたいことがあるのに黙っている人――女の人に多いんですけれども――言いたいことがあるのに黙っているということを何十年もやりつづけると、病気になります。十中八九、病気になります。

自分がそういう性質を持っているなと思ったら、やり始めは、周りの人とぶつかってもいいから、自分の意見を言うようにしたらいいと思うんですね。「調和に反している」とか、そんな浅い理想論振りかざしてもしょうがないんです。必要な経験としてぶつかっているからです。

ぶつかることを恐れて、怖がって、言いたいことを言わないと、結局自分の心を殺してしまうことになるんです。

だから、今の世の中がガチャガチャしているということ自体が、人類が調和してゆくために、必要な消えてゆく姿の体験をお互いにし合っている世界である、という見方ができるんですね。

で、私たちはどう祈るか。「世界人類が平和でありますように。祖国が平和でありますように。私たちの天命が完うされますように」と祈ればいい。

「天命が完うされる」というのは、最近勉強会で言いますけれども、例えば「病気になって治ること」が必ずしも天命が完うされるわけではない。病気になってそのまま死ぬことによって天命を完うする人もいる。何が「天命の完う」に該当するのかは、守護霊・守護神しか分からないんです。人間たちが、自分たちの浅い頭で考えて分かるようなものじゃない。

「天命を信じて人事を尽くせ」という言葉がありますけれども、天命を信じたなら、私たちは人事を尽くすだけでいい。結果についてあれこれ詮索したり、頭を悩ませたりする必要もない。

「守護霊・守護神に任せて生きればいいんだよ」というお話がありますけれども、任せたんだったら、どういうふうになったからといっても文句を言わないことです。文句を言うというのは、任せていないということです。

「まな板の上の鯉になる」というお話をしたことがありますけれども、守護霊・守護神にどういうふうに料理してもらっても「有り難い」という気持ちになるように練習をするんです。

それは、自我を空にし、無くする練習です。私たちの肉体というのは、自我が薄くなればなるほど、たくさんの神々とか宇宙人の人たちが入ってきて使うことができる神々の器なんです。

本当は、向こうの人たちは、もっとそういう人が欲しいんだけれども、この地上には、そういう人が少ないんです。みんな、自分のことばっかり考えているから使いたくても使えない。

そういうふうに、自分のことを考える時間を少なくする。一日24時間、8時間寝るんだとして、起きている16時間のうち、どれだけ全体のことを考えているか?人類の平和、人類の幸せを考えて生きているか?その割合を増やしてゆくんです。

その鍵になるのが――感謝の心も大事なんだけれども、もっと根本的なところで――呼吸が一番重要な要素になります。これから印を組んでから休憩に入りますけれども、休憩の後は、呼吸のお話と呼吸の練習をしてまいりたいと思います。では、神聖復活の印を一回組みます。

<神聖復活の印を一回>

はい、ありがとうございます。それでは、2時13分まで休憩に入ります。ビデオをオフにして、休憩に入ってください。

<休憩>

はい、それでは後半に入ります。呼吸の話に入ります。普段、朝起きてやること、いろいろご自分のルーティンがあるかもしれないんですけれども、胸骨を柔らかくする。

このあばら骨の真ん中の縦の部分に、横の骨がついているんですね。この横の骨と縦の骨を繋ぐ部分、横の骨の付け根の部分が軟骨になっているんです。それは後ろ側、背中側も同じです。

寝ていると体の動きが少ないから、この胸骨の繋がった状態が固まりがちなんです。だから、朝起きた時に、こうやって撫でてあげるといいです。力を入れてグッグッと押す必要はありません。ただ、手で撫でてあげる。そうすると、柔らかくなります。

「なんで触れただけで柔らかくなるんだ」という人がいるかもしれないですけれども、私たち人間の手のひらというのは、眼球、目玉と同じくらい、命の光がものすごく出ている場所なんです。

だから、「痛いの痛いの飛んでけ」ってやるのも昔からやっていますし、「手当て」なんて言葉もあるくらい、この手はすごいんです。すでに、すごいと思っている人もいらっしゃるでしょうし、思っていなかった人もいらっしゃるかもしれないんですけど、人間の手には、ものすごい力が秘められております。

だから、指先で触れるだけで、胸骨の繋がりが柔らかくなって、呼吸をする時の伸び縮みを助けます。そして、ここを柔らかくしたら、次に、肺の中に残っている空気を出し切ります。

フーッとやって、もう出ないと思っても、もっとお腹に力を入れてフーッと出して、もう無理と思っても、まだ頑張ってフーッと出して、というのを何回かやると、肺の底に残っていた、一晩中外へ出なかった空気が外へ出ます。外へ出ると、新鮮な空気が肺の底まで入ります。

肺胞の図

そうすると――以前に図で示したことがあったと思うんですけど――肺の中には、肺胞というブドウの房みたいなところがあって、この肺胞は血管に繋がっているんですけれども、取り込んだ酸素を、この肺胞の中で血液中に入れて、血液として全身に酸素を流しています。

ですから、呼吸を無意識で浅くやっていると、酸素を取り込む力が弱くなって、結果として、体中に酸素が行き渡らないという状態が起こるんですね。これは、物質の肉体としての話です。

呼吸をゆっくりしないで浅くしていると、精神的な面にも、あまり良くない影響を及ぼすんですね。どういう影響かというと、呼吸の浅い人というのは――多分、周りの人を見ても、自分を見てもそうだと思うんですけれど――感情に流されやすい。心がブレやすい。また、落ち込みやすいとか、激昂しやすいとか、感情のコントロールがままならない、ということになります。

それを、呼吸をゆったりとしたリズムでいつも吸ったり吐いたりする練習をすると精神が安定してきます。

なぜ精神が安定してくるかというと、人間の想いというのは、本当は宇宙神から発しているんですけれども、宇宙神から来たこのエネルギーが、どんどんこの粗い波動の世界へ降りてきて、肉体の中に入ってくる時には、とても固い、とても不自由な想いの動きになってしまっているんですね。

それは、過去世から今日に至る誤てる想念によって、そういうふうになっている。そして、それはどこに蓄積されているかというと、幽体と肉体、特に幽体の中にあるものが、肉体に現れてくるということになります。

だから、病気になるような想いを出しつづけていると、最初は健康であるのに、幽体の中に病気の種になる想いがどんどん溜まってきて、それが、コップの水が溢れてくるように肉体に流れてきて、特に内臓を痛めます。血管を痛める人もいます。そうすると脳梗塞だとか、血管の中が詰まったりもする。

呼吸を常にゆっくりする練習をして生きていると、そういうことから縁がなくなってゆきます。

一日中、悠々と呼吸をしているということは、人間の呼吸を命の源の呼吸(宇宙神の呼吸)に近づける行為でもあるんですね。このゆっくりとした呼吸をつづけていることで、私たちの精神性は自然と宇宙神に近くなってゆく。精神性が宇宙神に近くなると、その人が宿っている肉体波動も霊化してゆくということになります。

私たちは今、何の努力もしなくても半分霊体みたいな体で生きているんですけど、まだ半分は肉体なので、この肉体の世界の法則に一部左右されて生きているところがあります。

人間の想いは目には見えないんですけれども、一番この世に近いところまで想いが来ると、大体の人の想いがみぞおちのあたりから目のあたりまでの間をフワフワと漂っているんです。

このフワフワ漂っている想いを、臍下丹田に降ろして収める。想いの中心を臍下丹田に収めることで、私たちは、命が本来持っている無限の力をこの肉体に表わして生きる状態に戻ります。今あえて「戻る」という言葉を使ったんですけど、もともとの人間はそういう存在だったんです。

しかし、この地球の開拓のために、一番波動の粗いこの肉体の世界へ降りてきて、そこで生まれ変わり死に変わり、輪廻転生をつづけてゆくうちに、ほとんどの地球人がそれを忘れてしまった。

でも、もう思い出していい時が来たということなんですね。思い出していいというか、私たちが人間の本当の姿を思い出さないと、地球がこれ以上持たないという段階に今入ってきているんですね。

だから、私たちだけじゃなくて世界中で、そういう生命の真実に目覚めた人たちが、いろんな国や地域で出てきているんです。人数は少ないかもしれないですけど、目覚めた人たちが今、世界中で出てきている。

私たちは私たちで、世界平和の祈りを中心にして人間が持つ本当の力、無限なる叡智、無限なる創造力、無限なる智慧、それらを発動して新しい時代を創ろうとしている。その一番根幹にあるのがゆったりとした呼吸なんです。

呼吸が浅いままでは神聖復活はできません。印を組んでいる時だけゆっくり呼吸したって、本当の意味での神聖復活、起きている間中の神我一体にはなりません。

なので、私は、「みんなでお祈りしている時間よりも、みんなで印を組んでいる時間よりも、日常の何気ない一瞬一瞬の方が大事です」という、逆説的な言い方をしているんですね。

もちろん、みんなで印を組んでいる時間も大事だし、お祈りしている時間も大事なんですけど、そういう時間は――皆さんも経験済みだと思うんですけど――誰もがちゃんとお祈りでき、しっかりと印を組めるんです。なぜならば、その集まった人たちの守護霊・守護神の力も同時に集まって、大いなる力で全員を見守っているからできるんです。

だけど、日常生活の中に入り、周りにお祈りの仲間がいないという中で自分を磨き高め上げる意識を保つということは、並大抵のことではないと思うんですね。

そのことに喜びを感じて、嬉しくて嬉しくてしょうがない、自分が立派になることが、自分を磨き高め上げることが、楽しくて嬉しくてしょうがないという方は、そんなにご苦労していないかもしれない。けれども多くの人にとっては、生活の中で神聖を表わすというのが一番難儀な部分だと思うんですね。

その鍵を握っているのが、ゆっくりとした呼吸なんです。

呼吸というのは、何を思っていても何も思わなくても、何をしていても何もしていなくても、絶えずつづいています。起きている間も寝ている間も呼吸をしています。

寝ている間の呼吸というのは、副守護霊さまと指導霊さま方がコントロールしてくださっています。寝ている間の私たちの意識は守護霊さまと一緒にあの世に行っている。その間に肉体を守ってくださっているのが副守護霊さまと指導霊さま方です。だから、寝ている間の心配はいらない。

問題は起きている間です。起きている間というのは、私たちの心と体をどう使うかの権限は、私たちに委ねられているんです。守護霊さま・守護神さまは私たちを見ていて、常日頃何かしら想うところがあっても、私たちを無理やり矯正させません。守護霊・守護神さまも、人間たちのやりたいようにさせているんです。

そういう中で、呼吸を整えるという一点に集中して生きてゆくと、守護霊さま・守護神さまと一つになる方向に、知らない間に近づいてゆくんです。「ただ呼吸をゆっくりするだけで」です。

なんでそういうことが起こるかというと、さっきフワフワ漂っている想いの塊を臍下丹田に収めるという話をしましたけれども、臍下丹田という場所があの世とこの世を繋ぐ出入り口、ポータルになっているからです。

臍下丹田の中に意識を置いていると、守護霊・守護神と繋がりやすい状態に知らない間になっている、ということなんですね。

その状態というのは――統一中に、私たちは時折経験していますけれども――脳波がアルファ波、もしくは、もっと細かいシータ波という波長になっているということです。統一をしなくても、呼吸をゆっくりとしているだけでそうなるんです。

そうなっている時に、私たちは宇宙と繋がっている。命の大元と繋がっている。神体・直霊と繋がっている。守護霊・守護神と繋がっているということになります。

呼吸を深くしないで生きていても、霊的に感じやすい人っているんですけれども、そういう人たちが感応する世界というのは幽界なんですね。幽界の世界と繋がると、いろいろ勘違いをした思い込みに把われやすくなります。

それは、幽界の生物の働きかけもあるし、自分の潜在意識に突き動かされている側面もあるんですけれども、呼吸が深くなったことをもって霊的に何かが分かるとか、そういうことではないんです。

私たちが、こうやって呼吸をゆっくりすることで守護霊・守護神と繋がると、見えないものが見えるようになるとか、聞こえない音が聞こえるようになるとか、そういう話ではないということも、もう皆さんご存知だと思います。

見えるとか聞こえるとかいうのは、時が来れば誰でもそうなる。だけど、その必要がない時はそうなっていないという、ただそれだけのことなんですね。

テレパシーの能力も必要な時には甦ってきます。人によっては瞬間移動、テレポーテーションの力が甦ってくる人もいるかもしれない。空中から何かものを取り出すことができるようになる人がいるかもしれない。

水の上を歩く人もいるかもしれないし、いろんなことが可能になってゆきますけれども、呼吸をゆっくりするというのは、それを目指してやるんではない。

究極の目的は神我一体です。神と我を一つに結び、神仏の世界の波動をこの肉体に表わして生きるということです。それは、霊的に何かができるということとは全く違うんですね。

普通の人間として生きていて、自然にやったことが神さまのみ心に適っている。自然とやったことが人を喜ばせている。自然と口にしたことが誰かを助けているとかいうような状態です。

頭の中で、「こうやって言ったら、あの人が喜ぶんじゃないか」のように、いろいろと頭脳(あたま)を働かせてやるんじゃないんです。命が直接に私たちの心と体を動かしている状態になるんです。そのために、呼吸をゆっくりとするんです。そうすると「自然法爾(じねんほうに)」という言葉があったと思うんですけれども、その状態になります。

さっきはまだ、実際のメソッド的なこととして二つしか言っていませんけれども、第一番に朝起きた時に、胸骨を柔らかくしてあげるということが一つ。

背中は、手が届く人はやったらいいと思うんですけど、無理にやらなくても、前側を柔らかくすれば、前側が動くことで後ろ側にも刺激がいって、後ろ側も柔らかくなるので、無理に背中を何とかしようと思う必要はありません。胸骨を柔らかくしてあげてください。

それが一つと、寝ている間に肺の底に溜まっていた、外に出ないで溜まっている空気を出してあげる。これは朝起きた時だけじゃなくて、一日何回かやることをお勧めします。

回数はお任せしますけれども、何時間かに一遍やると、「こんなに空気を肺に溜めてるんだ」と自分で自覚できるようになります。つい呼吸が浅くなって、スーハースーハーとやってしまう。そのスーハースーハーのリズムというのは、肺の底まで空気が行かないんですね。

肺の上側だけで、吸って出して吸って出してを繰り返している。肺の底に溜めた空気というのは、ずっと何時間、何十時間、何日と溜めてゆくと毒素になる。

小川がドブになる原理を想像してもらうと分かると思うんですけど、小川ってサラサラ流れているうちは綺麗なんですけど、堰き止められて水の逃げ道がない場合、そこはドブになるんですね。

それと同じようなことが肺の中で起こる。淀んだ空気、汚れた空気、これが肺胞をとおして血管の中に入り体中を駆け巡る。だから肺というのは、本当はフル活用する方がいい器官なんです。

もちろん、必要に迫られて走っているとか、激しい運動をしているとか、そういう時にゆっくり呼吸なんかしていられません。けれども、それ以外の普通の日常生活の中では、呼吸というのは自分で「ゆっくりしよう」と決めたらそのようにできるものだと思います。

そうは言っても、「やろうとするんだけど長つづきしないんだよね」という方のお話を時々聞きます。だからこその練習なんです。どんなことでも練習したなら――上達するのに速い遅いはあるかもしれないですけど――どんな人も上達するんです。どんなことでも練習をすれば上達する。呼吸も同じです。

「ゆったりとしたリズムで呼吸しよう」と自分で決めてやってみる。でも「つづかないな」と思う。それでもまた気を取り直してやり直す。それを一生懸命繰り返すんです。繰り返しているうちに、ゆっくり呼吸している時間が伸びてくるんですね。

知らないうちに、「あれ、今、無意識で呼吸してたけど、ゆっくり呼吸してるな」って気が付く時が来ます。それはゆったり呼吸が習慣になった状態です。そうなるとしめたものです。一生懸命、呼吸の練習をする必要がなくなるからです。

「鼻で吸って、鼻で出すんですか?」とか、「鼻で吸って、口で出すんですか?」とか、そういうところに興味を持つ方もいらっしゃるんですけれども、自分で一番いいと思うやり方をしたらいいと思うんですね。

ただ、一つだけハッキリ言えることは、肺の中の空気を吐き切るという観点でいえば、口から吐き出す方が肺の下の方の空気を出しやすいです。鼻から全部出そうとしたら、腹筋をさらにうまくコントロールしないといけないんです。

だから、鼻で吸って鼻で吐くというのをやろうとするんだったら、肺の底にいくらか空気が残ることは、もう織り込み済みでやる必要があります。

こだわらなくていいと思うんですね。鼻から吐くとか、口から吐くとかはケースバイケースで「今は鼻から吐こう」「今は口から吐こう」と自分で選べばいいと思うんです。状況に応じて臨機応変にやるのがいい。

例えば、スーパーへ買い物に行く途中で「ちょっと呼吸ゆっくりできるかしら」なんてやろうとすると、鼻呼吸はつらいです。だから鼻から吸って口から出す。

呼吸法的に、例えば5分なり10分なり、「ちょっとゆっくりとした呼吸を意識的にやってみよう」という場合には、例えば、「我即神也」で吸って、「成就」で止めて、「人類即神也」で吐くという『呼吸法の唱名』をやってもいいと思います。また、そのやり方をご自分でアレンジして、鼻から吸って息を止めて口から吐くというやり方をしてもいいと思うんですね。

今年のSOPPの時に、「守破離(しゅはり)」という言葉がありましたけど、最初は、基本的なことを守る段階、「守」。それを破る、「破」。そこから離れた取り組みをする段階、「離」。

その段階までいったら、もう自分独自のやり方、型が出来上がっている状態になる。お師匠さんの型を真似して始めながら、それを自分のものにして、自分のものとして取り組んでゆく中で、自分だけの型が出来上がる。それが『守・破・離』なんですけれども、これは呼吸においても同じなんですね。

最初は教わったとおりにやっていって、そのうちに自分が「これが一番いいな」という形を見つけてゆく。それはもう、ひとりひとり違うと思うんです。だから、みんながみんな、ロボットのように同じやり方をする必要はない。ご自分が一番いいと思うやり方を大切にしてください。

こうやってみんなで揃って、「ちょっと呼吸の練習をしましょう」という時は、例えば「5秒で吸って、1秒か2秒止めて、また5秒で吐きましょう」とか、時間に制限を設けたりしますけれども、そこを離れたなら、ご自分が一番いいと思うやり方をしたらいいと思うんです。

「いや、5秒じゃなくて、7秒がいいよ」と思う人もいるかもしれないですし、「私は15秒やってみよう」と思う人もいるかもしれないですしね。それは、ご自分の体に負担にならないようにやってください。

大切なことは、体に負担にならないようにやる、ということです。

私の体験談を話しますけれども、もっと若い時、20年近く前、呼吸法に凝っていた時代があるんですけれども、椅子に座っていろんな呼吸法を試していたんです。

例えば、「息をどれくらい長い時間吐けるだろうか?」とか、「息をたくさん吸って、どれくらい長い時間、息を止めていられるだろうか?」とかテーマを決めて、いろんな実験をしていた時代がありました。

その時はまだ若かったですし、無謀なことをやっていたんだと思うんですけど、何回か気を失っちゃったんですね。

やっている途中で、意識がスーッと落ちていって、椅子に座った状態で椅子ごと後ろにバターンと倒れて、ちょっとして目が覚めるとか、そんな危険なことをやっていた時代がありました。

やっぱり、お師匠さんもいないようなところでは、そういう危険な取り組みというのはあんまりしない方がいいと思うんですね。

これは本当に、ひとりひとり条件が違うから、一概に言えることではないんですけど、人によっては、過去世でヨーガの修行とかを散々やっている方もいらっしゃる。

そういう方は、傍から見て、「この人、無謀なことやってる」と思われても、本人は余裕があって無謀だと思っていない場合もあるし、傍が思ったとおり無謀な場合もあるし、なんとも言えないんですね。

だから、自分の体は自分で守るということで、ご自分で「私はけっして無理をしない」という約束ごとを自分に対して作ったらいいと思うんです。

だんだん、欲が出てくるんです。「もっともっと、もうちょっと長く」と、欲が出てきがちなんですけど、私は、普段の呼吸がゆっくりになるというのは、4、5秒ペースで吸ったり吐いたり出来ていたなら、もうそれで十分だと思っています。

要は、神聖復活の印を組んでいる時ぐらいの長さの呼吸が、一日中持続していれば、もう拍手を送ってもいい段階だと思います。多くの人が、そこまでいっていないんです。ふつうは2、3秒じゃないですかね。

これを5秒くらいまで持ってゆけたら、本当に、心にも体にもいいことばかりが起こってきますので、呼吸をゆっくりするという取り組みを、意識で「ありがとう、ありがとう」とやるのと組み合わせてやられたらいいのかなと思っております。

それでは、5秒で吸って、5秒で吐くの練習をします。途中で止めるのは、今はなしです。それで、何分かやってみたいと思います。ちょっとゆっくりと、息を吐いておいてください。行きます。

はい、吸う。吐く。吸う。吐く。吸う。吐く。――今ぐらいの感じが、5秒、5秒です。吸って、吐いて、吸って、吐いて、になります。

呼吸の仕方について、気をつけて練習するにあたって、一番基本的なこととして覚えておいていただきたいのは、吸う・吐くの順番じゃなくて、吐くがあって、吸う、吐くだということです。吐くから始めるんです。吐き出さないと、入らないからです。

最初の話で、「呼吸が浅いと肺の底の方に外へ出てゆかない空気が溜まる」という話をしましたけれども、吐き出して肺を空っぽにしてから始めると、たくさん息を吸い込めて、たくさん吐くことができる。

そうすると、自動的に呼吸が長くなるんですね。それをちょっと頭の片隅に入れておいていただいたら、普段の呼吸が変わると思います。

普段から、呼吸をゆっくりすることを心がけて、すでにそうしていらっしゃる方もいるんですけど、だいたい、過去世でヒマラヤの麓で修行していたような、そうそうたる方々だったりするんですね。

でも、これからの時代は、そんな特別な過去世があるとか、そういうことじゃなくても、誰でもがゆったり呼吸をしたら、命の大元に繋がって、神聖と呼ばれる人間の本質的な姿を、誰でもが表わしてゆくことができるんだという時代にしてゆきたいと思っておりますので、ちょっと練習に取り組んでみてください。

最後に、3回連続で神聖復活の印を組みます。言葉は、「人類の神聖復活、大成就」です。お体のつらい方は、座ったままで大丈夫です。みんなが立っているからといって立つことはありません。

<神聖復活の印を三回連続>

はい、ありがとうございます。それでは、本日の勉強会はこれで終わりにしたいと思うんですけれども、今夜もプログラムがありますよね。今夜は、『神聖で繋がり合う日』です。

今夜の内容は、もうすでにご案内で見られている方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、この間の『動画による祈りの会』の時の、里香先生の体験談のお話にインスパイアされて作ったプログラムになります。

この世に生じていることに、不完全とか不調和とかいうのは、本来どこにもないんだ。すべては完全なんだ。すべては完璧なんだ。

船井幸雄さんの言葉で言えば「必然・必要・パーフェクト」。2000年代に、そういう本が出ていますけれども、船井さんは、もうすでにあの頃から、「すべては完璧で、悪いことなんか何にもないんだ」ということをご存知の心境に入られていた。

2000年代の私の記憶をたぐると、「まあ、それは理想だけどね」と思っていたような気がします。でも、今、2020年代に入って、ようやっと物事を本質的に観るということがだんだんと上達してきて、「すべては完璧。欠けたるものなし。完全円満。大成就」というものの見方が、だんだん自分の意識の主流を占めるようになってきております。

たくさんの人が、この地球界の「一見して不調和に見える状況」を、「完璧なんだ。必然・必要・パーフェクトな状況を、ただ一瞬一瞬経験していて、それらが消えてゆく姿なんだ」というものの見方をする人が、一人でも、二人でも、三人でも増えてゆけば増えてゆくほど、この地球の進化を後押しする力になると思っております。

でも、これは、誰かに強制されてやることではありません。ひとりひとりがご自分の意思で選択して実行することです。ですから、それ以上のことは私は何も言いませんけれども、本当に今、地球さんの大変さというのを日々感じている今日この頃です。「地球さん、ごめんなさい。そして、ありがとうございます」という気持ちですね。

地球さんの地殻プレートのお祈り、我々、朝の部でやっておりますけれども、地殻プレートの奥には、マントル――マントルというのは、燃えたぎっているマグマの部分ですね――があって、その奥に、外側の核と書いて、「外核」という部分があります。

それは、マントルよりも硬いんだけれども、やっぱり燃えたぎっている。その外核の中では渦を巻いて回転している運動状態がある。もっと地球の奥、一番奥には、鉄の塊で、「内核」と呼ばれる部分がある。

これは、地震波の研究によって、「地球の一番奥は、こういうふうだろう」と言われているんですけれども、この内核も回転しているんですね。鉄の塊が地球の自転とは別に回転している。

外核も回転している。外核はもっと柔らかいですから、その中で渦を巻いている回転があるんですけど、そのバランスが崩れると、地球の外側に影響を及ぼすんですね。一番大きい影響は、地磁気が狂うということです。磁気の状態が狂う。

南極と北極が逆になるとかいうことが、過去に地球で何回かあったらしいんですけれども、今の時代は、人工衛星とか、自動車でもナビとか使っていますけれども、地磁気が狂うと、かなりいろいろ大変な影響が出てきます。そういうことが起こらないとも言えない状況にあります。

あと、地球はすべてが『循環』で成り立っているんですけれども、空気も循環、海も循環、マグマも循環、すべて循環で出来上がっているんですけれども、海の中の海流もおかしくなってきている。

今、いろいろなところで、人類に責任のあるところで、地球の動きがいろいろ崩れてきております。

「新しい素晴らしい時代が来るために、必要な経験をしている」という見方をすれば、それは問題ではないんですけれども、そういう変化によって、人類の心がうろたえたり、不安恐怖したりという、その部分がまた、さらに地球に悪い運命の影響を及ぼすというところで、それを浄める役割を、私たちが担っているというところであります。

地球のいろいろな面に、もっと興味を持っていただくといいと思います。ニュースなんかも、「見たら気持ちが暗くなるから見ないわ」という人がいるんですけど、ニュースを見ても心が揺れ動かない人になってください。

私たちが肉の眼をとおして観るということは、神々や宇宙人の人たちが地球界の現状を観るということなんです。

私たちの眼耳をとおして入ってくる地球の情報は、神々や宇宙人の人たちへ入って、「なるほど、今、地球界はこういう状況なんだね」と、より正確に現状を把握していただけるんですね。

そういう神々の器になる人が、たくさん求められている時代なので、我という意識、自分というものを無くして、空にして、悟りの世界、神我一体の世界に入って、神さまや宇宙人の人たちと一緒に、この地球を守る働きをしてゆけたらなと思っております。

それでは、本日の勉強会は、これで終わりにいたします。ありがとうございました。それでは、皆さまのマイクをオンにします。

<Byebye タイム>

ありがとうございました。ありがとうございました。次回は、8月1日土曜日の予定です。これで終わりにいたします。本日も、ありがとうございました。

以上