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◆ 2605023-午後_勉強会
皆さま、こんにちは。今日の勉強会は、本当は5月16日にやる予定だったんですけれど、富士聖地の行事があるために1週間ずらして今日、23日土曜日の勉強会になります。はじめに世界平和のお祈りを、8分44秒の統一CDを使って行います。それでは始めます。
<世界平和の祈り>
ありがとうございます。歌手の松山千春さんって北海道出身の歌手の方がいます。私も北海道生まれで、松山千春さんは北海道帯広の近く足寄町という町の出身だったんですね。彼がデビューした当時、私はその足寄町の隣町の津別町という小さな町、当時は人口が1万5,000人以上いたんですけど、今はもう1万人切っている過疎化の地域です。そこに住んでて、隣町出身の人なんで注目して見ていたんですけど、最近YouTubeを見てたら、千春さんがいいことを言っている動画が出てたんで紹介します。
「もしもあなたに夢だとか、憧れだとかがあるなら、努力と自信とわずかな勇気を持ってください。やっぱり努力しなきゃ始まらないし、自信がなくては前へ進めないだろう?あと、勇気だよな。努力と自信とわずかな勇気。それを持ってね、悔いのない毎日をこれからも過ごしてもらいたいと思います。」
という話でした。この話を聞いた後に私、自分のことでちょっと振り返っていたんです。そうしたところ、よく「2010年に守護神さまが響きとして出てきて『すべての人にありがとうございますと言え。もう一つ。起きている間中の呼吸をゆったりとしたものにしろ』というふうに言われて、それをやり始めたら3年過ぎた頃には嫌いな人も苦手な人もいなくなった」という話をこの勉強会で何回かしているんですけれど、私、あんまり深くその前後関係を見てなかったなっていうことに最近気がついたんです。
「それは守護神から言われたからやった、その結果自分が変わった」って思ってたんです。でもその前段階があったことを、私すっかり忘れていたんですね。
それは何かというと、「変わりたい」って思ってたんです。10代の頃から「このままではいけない」「もっと立派な人にならなきゃ」「なりたい」「人格者になろう」っていうことを10代の頃から思い始めて、ずっと思ってたんですけど、40何歳の時まで流されて生きて来たんですね。習慣の想いに流されていて本当に変わるための行動を起こさないでいたんです。
だけどそのもう一方で、「変わりたい」「変わりたい」って思ってたんです。何かものすごく矛盾するようなんですけど、変わりたいんだったら変わればいいのに、「変わりたい」って思いながら変わらないようなことをずっとやっていたんですね。
で、ちょっと余談になるんですけど。20歳ぐらいの時の話だと思うんですけど、職場の中間管理職の上司の人と、私はお酒を飲めないんですけど、どっかへお酒を飲みに行ったんです。その時に「君は将来、どんなふうになりたいんだ?」って聞かれたんです。その人はきっと、「お金を貯めて一軒家買って」とか、「いい車に乗って」とか、そういうたわいもない答えを期待して、私にそういう質問を投げかけたと思うんです。
でもその当時の私は、そういう空気を読むような力がなくてこう答えたんです。「人格者になりたいです」――そしたらその人何も言わなくなっちゃったんです。お酒の席でどうでもいいような話をするような場面で、「人格者になりたいです」だなんて重たい話を持ち出されたら、その人はもうついていけないって思ったんだと思うんですけど、それ以上何も突っ込んできませんでした。
当時、私は人格者だったかって言ったら全然人格者でも何でもなく、雲の上の何かをつかむような遠い話だったんです。でも二十歳ぐらいの私は、心のどこかで何の根拠もないんですけど、「自分は人格者になれる」って思ってたんです。で、「自分は大器晩成な人間なんだ」とも思っていたんです。
そういうことがあったことはすっかり忘れてたんですけど、さっき話した千春さんのお話をきっかけにその当時の記憶が蘇りました。前にも勉強会でお話ししていますけれども、私は親に対する逆恨みがものすごく激しい人だったんで20代・30代と40代の途中までは、糸の切れたタコのような生き方をしてたんですね。
それは、高校を卒業するまでは早く親元から離れたい、早く親から離れたい、早く北海道を出て行きたい、そういうことを目標に生きてたんで、高校を卒業した時点で目標が達成されてしまって、親から離れて生活するようになった時点で糸の切れたタコのようになってしまったんです。
でも同時に五井先生の本は時々買って読んでたんです。会員になったのは20歳の時でしたけど、世界平和の祈りは北海道にいた15歳の頃からお祈りをしておりました。でもそうやって20代・30代をフラフラしながら過ごして、2004年、39歳の時に、それまでずっと人のせいにして「誰が悪い」「彼が悪い」とやってたことに対して、「自分?自分だったの?自分に原因があったの?自分が悪かったの?」っていうふうに強く思えた瞬間があったんです。
その時から私は、自分が変わるプロセスをブログに書き留めようと思って一番最初のブログを書き始めたんですね。それは確か『内なる宇宙から』ってタイトルのブログだったと思うんですけど、今はインターネット上にありませんけれども、そのブログを書くことを通して自分を見つめるという作業をずっとやっておりました。
でもそれで全てが良くなるわけではなく、相変わらず他人のせいにするということをずっとやっておりました。それで、2007年の新年の指針で「業想念が多すぎる。一生をかけて逆転せよ。」という指針をいただいたんです。これは守護霊・守護神がいつまでもうだうだしている私に奮起させようと思って与えていただいた指針だったんですけれど、当時の私にはそんなことはわからずに、なんかふてくされちゃったんですね。
だから2007年から2010年の間ずっとうじうじしてたんです。で、守護霊さまが守護神さまにお願いしたんだと思うんですけど、直接介入してこられて、もう絶体絶命でそれをやらなければいられない状態に持っていかれたんですね。
『全ての人にありがとうございますと言う行為』と『起きている間中の呼吸をゆったりとしたものにする行為』とをやらずにはいられない状況に置かれたんです。
でもそれはホントは、一方的にそういうふうにされたというよりは、私がもう一方の心で何十年もずっと望んでいたことだったんです。2010年から本気で変わるための取り組みを始めて2013年くらいに対人関係が変わりました。
で白光の中でも、私、前にも話したかもしれないんですけど、2000年代に富士聖地へ行くバスの中で、お姉さま・お母さま会員の方々からよく言われていたのは、「あなた、昭和の頃からお祈りしていて、どうして講師にならないの?」っていうことをずっと言われてたんです。
でも、2000年代はじめの私はひねくれていたんで、減らず口ばっかり叩いてたんです。前にも言ったかもしれないですけれど、「何を言ってんですか。講師の人たちを見てくださいよ。ろくな人たちがいないじゃないですか。あんなのになるぐらいだったら講師になんかならなくていいですよ」って、天に唾を吐くような言葉を吐き出していたんです。その吐いた唾は全部自分の頭の上に落ちたんですけど……。
そういうプロセスを経て、2015年ぐらいには「そろそろ講師になってもいいかな」と思いはじめました。実際に講師養成を受けたのは2017年だったんです。2017年7月2日に――当時は神聖復活目覚めの印という名前でしたけれども――神聖復活の印が降ろされた年だったんですね。12月の講師養成コースの卒業式の時に昌美先生が出てこられて、「あなた方、よーく覚えておきなさいよ。あなた方は神聖復活した講師の第一号なんですからね」というお言葉をいただきました。
それでそのとき、一人一人の頭の上にずいぶん長い時間手を当ててくださって、光を入れてくださいました。昌美先生ご自身が回り終わった後に壇上に戻っておっしゃったのは「皆さんのエネルギーをたくさん吸い取りました」っていう言い方をされたんですけど、私はそれを聞きながら「逆じゃない、それは。昌美先生がたくさん光を入れてくださったんじゃない」って思いながら聞いていたんですけれども、そういうことがありました。
そして、2018年の9月に中澤さんがZoom緊急祈りの会っていう名目でZoomを使った祈りの会を始められました。北海道で大地震があったり、関西で大きな台風があったりで大変な被害があった時です。Zoomのお祈りが始まった当初は一時的なものなのかと思ったらずっと続くような形になりました。
私は最初Zoomでやるってピースレターで来た時に、「出よう、出なきゃいけない」って思って出たんですけど、画面はオフにして参加していたんです。恥ずかしかったからです。あまりにも画面をオフにして参加する人が多かったからだと思うんですけど。その当時、中澤さんが画面上でおっしゃったのは「画面をオフにして参加されている方はどうぞ画面をオンにして参加してください」というお話を何度もされていました。
私、そのときに「どうしようかな?」って考えたんです。うちの人にも相談しました。「どうする?中澤さん、あんなこと言ってるけど」って。それで、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで画面をオンにして参加したことを覚えております。その時は自分がお手伝いするなんてことは全く夢にも思ってませんでした。
でも中澤さんがZoomでの祈りの会を始めた当初、毎回毎回同じところで操作に戸惑っていらっしゃる場面がありました。私は「こういうふうにしたらいいのにな」と思いながら見てたんですけど。それがあまりにも毎回毎回続くんで、メールで中澤さんに「こういうふうにしたらできるようになります」ということをお伝えしたことがありました。中澤さんとのご縁はそこから始まりました。
18年の10月に入ってから、当時中澤さんはご自分でホームページを持ってらしたんです。それはヤフーの無料ホームページサービスで作っていたんです。それが、ヤフーが12月いっぱいでその無料ホームページのサービスを終わりにするというアナウンスがあって私は中澤さんに「私はレンタルサーバー借りてるんで、そちらの方にホームページ移したらどうでしょうか」というお話をしました。2018年中はずっと『白富士のホームページ』という中澤さんのホームページを作るお手伝いをやっていたんです。今はもう削除しましたけど。
何回か聞いたことのある方もいらっしゃるかもしれないんですけど。この頃、2018年の12月から19年の1月にかけて中澤さんは1ヶ月以上咳が止まらない状態で一人で朝と夜の印のリーダーをなさっていました。その頃には電話で密にやり取りする状態になっていたので、私電話で中澤さんに言ったんです。「どなたか研究員の方で週に2回か3回か休ませてくださるような、代わりにやってくださるような方いらっしゃらないんですか?」って。
そしたら「ちょっと自分の方から聞いてみる」ということで誰かいらっしゃればいいけどなって思ってたら、中澤さん、律儀に1回1回私にメールでお知らせくださったんです。「断られました」「断られました」「また断られました」「また断られました」と。私、そのメールを受け取り続けている間に「これは私の方に話が来るかもしれない」って心のどっかで覚悟を固めていたんです。
そうしたら19年の1月の終わり頃だったと思うんですけど、私の昼間の仕事のお昼休みにZoomを使ってテレビ電話みたいにして喋った時に「もう斉藤さんしかいないからよろしくお願いします」って明るい声で言われて、「はい、分かりました」って答えるやり取りがありました。後からうちの人には散々言われたんですけど、いろいろ言われても私は感情的にはなりませんでした。当時あまりにも中澤さんが大変そうだったから、週に1回でも2回でも休んでいただけるんだったらそれがいいだろうと思っていたんです。
で19年の2月ぐらいからですかね、私が中澤さんに代わって週に2回ぐらいリーダーをやるようになったのは。で、その19年の夏に中澤さん、1週間ぐらいお休みになった時があって、その時に今の7カ国のお祈りの原型になるプログラムを考えて、中澤さんが休んでる間は、私と頭士さんで乗り切ったんです。頭士さんに朝の部をお願いし、夜を私が担当しという形だったと思います。
私、その中澤さんが最初にお休みになった時に直感していたことがあって、「こんな1週間、2週間じゃない、もっと長期離脱をされるかもしれない」と思っていて、初期のボランティアのメンバーの方々に連絡をして、もしもの時のご協力をお願いしておりました。
そうしたらその19年のお盆の頃に「検査入院します」という連絡が中澤さんからあり、「こういうことだったんだ」って分かりました。そのときには、事前に段取りをしてあったので、何も慌てることはなく、今の7カ国の祈りの形が始まり、中澤さんがその後、3週間くらいで復帰されたんだと思うんですけど、中澤さんが戻って以降は、回数を逆転させて、週に2回、中澤さんの日があるという形で何年かずっと進めていました。それで、中澤さんが天国へお帰りになったのが23年でした。
そうして今に至るんですけれども、一番最初の松山千春さんのお話、「努力と自信とわずかな勇気」――努力をしなければ何事も変わらない。自信がなく不安ばかりだとその努力は続かない。さらには勇気というものがないと、困難に突き当たった時に、簡単に挫折してしまう。
変わりたい、変わりたい、変わりたい、変わりたいって思っていれば変われるかっていったら、やっぱりそんな簡単なものじゃないことは皆さまもご存知の通りだと思います。
変わるためにはどうしたらいいのかっていう話をいろんな人が本に書いたり、お話しして歩いたりしています。けれども、本当に変わる人っていうのは、変わるための行動を実行に移した人だけなんですね。自分が立派になるということは、宝くじが当たって他動的にお金持ちになるような、そんな簡単な話ではないんですね。
もう日常生活の本当に何気ない一瞬一瞬の積み重ねでそうなってゆく。私は2010年から呼吸をゆっくりするっていう取り組みをするようになってしみじみ思ったのは、なんでも習慣を変えるっていうのは、やっぱり一瞬一瞬を――例えばゆったりとした呼吸をし続けようと思うんだったら、ずっと呼吸に注意を払って、ちょっと無意識に流されたと思ったらまたゆったり呼吸に戻してとかいうことを日常生活の中で取り組んでゆく。流されたら流されっぱなしっていうんだと、これは継続にはならないんですよね。
最初に夢とか希望とかいう形で「こうなりたい」「こうありたい」っていうことがあっていいと思うんですけど、実際にそのような自分になるためには、そうなる練習が実際に行われている必要があります。
呼吸をゆっくりとした生き方をしようと思うんだったら、すぐに無意識に流される呼吸を無意識に流されたときに「あ、流されちゃった。またゆっくりに戻そう」って引き戻す意識の使い方をする。例えば、守護霊さまへの感謝を続けようって思うんだったら、その途中で全然関係のないことが頭に浮かんで守護霊さまへの感謝がもうどこかすっとんでしまうようなことがあると思うんですけど、それに気がついて「流されちゃったな。でもこうやって流されたっていうことも守護霊さまが現わして消してくださってるんだから、守護霊さま、ありがとうございます」って守護霊さまへの感謝へ向けることで、いろんな想いが出てきて感謝を続けられないということが何度起こったとしても、守護霊さまへの感謝へ向ければ自分を責めなくて済む。自分を責めなくていいんです。
「やろうと思ってるんだけど、できないんだよな。自分はダメだな」なんて思う必要はないんです。自分の身に現れていることは、全て守護霊さまが段取りして表してくださっていることなんです。統一中に雑念に流されることさえも、守護霊さまが現わして消してくださっている姿なんです。
他人にはやさしく、愛深く振る舞おうって思って、でも自分の感情に流されて「カチンときちゃった」っていう時でも、その想いを守護霊さまへの感謝へ向け直せば、「やっちゃった」ってがっかりする必要もないし、自分を責める必要もないんですね。
やさしく振る舞おうって思いながら怒っちゃったとしても、それは守護霊さまが消すために現わしてくださったことなんです。だから、私たちはそれに対する感謝を伝える。でもその感謝というのは、「何かをしてくれたからありがとう」じゃないんです。なんにもしてくれてないうちに……、【何ごとがあっても無くても有り難いという意味での「ありがとう」】というのが本当の感謝なんです。
感謝っていうのは【英語の「Thank you very much.」に表現されているような他人に向けた言葉】ではないんですね。【「ありがとうございます」っていう言葉は感謝の対象と一つになるための言葉】なんです。
一つになるためには、「何かがあったから感謝する」とか、そういう感謝の仕方(意識の使い方)じゃなくて、何があっても何がなくても「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます」ってやり続けることで、本当の世界(生命の本源)に入ってゆく。
「感謝の言葉が完うされる」って言ったら変な表現ですけれども、あまりにも今までの世界っていうのは、人間たちが言葉の本当のエネルギーを履き違えて、なんか違うふうに受け取られてしまっていることがいっぱいあるんですね。
それは感謝だけじゃないですよね。「愛」という言葉一つを取ってみても、「自らが行ない表わしている愛」に対する自己認識を分解して調査してゆくと、「自己満足のための行動」であるケースが見受けられる。自己満足のために人にやさしくする。見返りを求める気持ちを隠して行なっている。
そういう場合、それは、表面上は愛の行ないのように見えているんですけど、それは本当の愛ではないですから、自分に都合の悪いことが表面化すると、手のひらを返したような態度を取ってしまうんですね。
愛っていう言葉だとちょっと分かりづらいんで、「あなたのことが大好きです」とかいうときの「好き」って言葉にレベルを落として見てみましょう。「好き」という言葉を口から発するときに、その「好き」の背中(裏側)に「嫌い」がくっ付いてるんだったら、それは本当の「好き」じゃないんです。
「神聖の好き」っていうのは、何があっても好きなんです。人間の世界は、自分に都合が悪くなったら嫌いに転じるんです。神聖の世界には、そういう二元性がないんですね。
だから「無限なる愛」という言葉がありますけれども、私たちの中にある「無限なる愛」という性質は、そんな簡単に人を好きになったり嫌いになったりするような、やわなものではないんですね。
何があっても愛する。どんなに自分に背くようなことをされても愛する行為をやめない。だから、他人の言動行為に反応して「嫌だな」と思ってしまうのであれば、それは人間感情なんです。神の心ではないんです。神の心には、「嫌だ」とか「嫌いだ」とかいう発想がそもそも元からないんです。
神聖復活を志している私たちは、本当に裏表のない神の愛、神の感謝を顕わして生きてゆけたら素晴らしいなと思っております。57分になりますので、神聖復活の印を1回組んで休憩に入りたいと思います。
<神聖復活の印を一回>
それでは、2時10分まで休憩時間にしたいと思います。皆さまのお姿は映らなくなっているとは思うんですけど。気になる方はご自分のビデオをオフにして休憩に入ってください。
<10分休憩>
はい、ごめんなさい。時間過ぎましたね。それでは、後半に入ります。今夜のプログラムの案内メールの始めの文章で、『丁寧な所作』ということについて書いております。これはこの何週間、私ずっと思って気を付けているところなんです。
例えば統一をするときに、皆さん正座したり、もしくは椅子に座ったり、場合によっては立って統一している方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、大体はお座りになってやっていると思うんです。
その場合に、例えば椅子に座る場合は、お尻と両足の3点で大地と繋がる。立っているときは2本の足の裏で繋がる。そして、頭頂は天と繋がっている。
ちょっと、横を向きますね。(横を向く。後頭部を指しながら)現代人はですね、なんか、ここがですね、前のめりになっている方が多いんです。リラックスしている時に頭が垂れている。
それはスマートフォンという機器をみんなが使うようになって10年以上経ったっていう意味では現代病のような状態でもあると思うんです。スマートフォンを見るときに、こうやってスマートフォンに目を近づけるために、頭を下げてしまうんですね。そしたらそれが習い性になっちゃって、首がその形を形状記憶するんです。
「スマホ首」とかいう言葉があるんですけど、首から上の頭が下がっていると、頭頂が天と繋がりづらいんです。なので、スマートフォンを見るときは、スマートフォンを顔の側に近づけ上げる。首が下がらないように見るということがいいと思っております。
スマートフォンを見るときだけじゃなくて、日常生活どんな瞬間も、首がちゃんとまっすぐ立って、頭頂が真上と繋がっている状態を作るんです。今、首から上だけの話をしていましたけど、背筋も同じです。背筋もまっすぐ伸ばす。
そして足の裏。今いる場所の床が、畳の方もいれば、カーペットやフローリングの方もいらっしゃると思うんですけれど、頭頂を真上と繋がるようにして立っているんだったら、足の裏、足指で、お家の中の床を掴む。
足の指で地面、床をつかむ。椅子に座っている時には、そこにお尻が加わって、両足とお尻の3点で大地と繋がって、背筋を伸ばして首から上もピッとまっすぐに上げて、頭頂が真上と繋がって、この頭頂から背骨を通って、この尾底骨までピッとまっすぐになっている状態を作る。
そうすると、地球のエネルギーとも交流し、天のエネルギーとも交流する姿勢になります。天とも繋がり、地とも繋がる状態を維持することができます。
これは、姿勢の話なんですけれども。メールの文章のどこかに書いてたと思うんですけど、私たち子供の頃、手が小さいから何か物を持とうとするときに、両手で持つことが多かったと思うんです。
でもだんだんと大人の真似事をするようになって、両手で持ってたものを片手で持つようになった。それと同時に、大切なものを忘れてきたんだと思います。
わかりやすい例で言えば、お客さんにお茶を出すような場面で、片手でお茶を「ホイ」って出すよりも、両手で出した方が丁寧だということからも分かりますよね。これは、お茶出しの場面だけじゃなく、いろんな場面に応用の効く話だと思うんです。
手って、命のエネルギーが人間の体の中では、目と同じくらい、たくさん出ている場所なんですね。目と手のひらは、命のエネルギーがとってもたくさん出ている場所なんです。
目はこうやって並んで付いていますから――例えば、右目痛めちゃったっていう方は、左目しか使ってないとかって方もいらっしゃるかもしれないんですけれども――両目で見ることでいのちのエネルギーがバランスよく放射されている。
それと同じように、手に関しても、片手で何かを行なうより、両手を使ってやったほうがいいんです。なんでいいかというと、右手から出るエネルギーと左手から出るエネルギーが、陰と陽、プラスとマイナスのエネルギー、陰陽の働きで右手と左手に分かれ現われているからなんですね。
私は、左手は陽のエネルギー、右手は陰のエネルギーだと思ってるんですけれども、違うことを言う人がいらっしゃるかもしれません。どっちの解釈でも構いません。たいした問題ではありません。要は、両手を使い行なうことで、その行為に陰陽のエネルギーが入るということです。
なので、片手でできることでも、あえて両手を使ってやってみるとかっていうことを、日常生活に取り入れてみると、気持ちの持ち方っていうんですかね、心が変わります。
私は自分でその実験を自分の体を使ってやって、「なんで変わるんだろうな。なんで動作を変えることで、心が変わるんだろうな」っていう疑問が湧いたんですけれども、『それは陰陽のエネルギーが、両手を使うことでバランスよく出るからだよ』っていう回答でした。
なので、手を使って何かをするというときに――まあ書き物を両手でやるとかっていうのは極端で、それは違うと思うんですけれども――片手でもできるようなことを、そういうふうにあえて両手を使ってやってみると、今までとは違ったものの見え方、捉え方、考え方というのが意識の中に湧いてきますので試してみてください。
歩く時にも、この2本の足で私たちは歩くんですけれど――足を痛めてる方は杖ついて歩いてらっしゃる方、もしくは松葉杖をついて歩く方とかいらっしゃるかも知れないんですけれども――普通に2本足で歩ける前提でお話をします。
歩いている時に私たちどうやって足の裏を使っているかって、普段考えないで歩いていると思うんです。(手のひらを横に向けて)これが足の裏だとして、ここ(手首のそばの盛り上がっている部位)がかかと、ここ(人差し指から小指の指先)がつま先だとします。
そうしたら、まずかかとから地面に付いて、次につま先が付き、地面を蹴り上げるような形で次の足に進んでゆくと思います。このとき、足指が地面についたときに、意識的にですね、足の5本指で大地を、地面を――靴を履いていても家の中にいても――地面を掴んで離すような感じで歩くと、歩きながら大地との交流ができます。
歩かないで立って止まっているときだったら、なおさら地球との交流を自覚しやすいですね。立ちながら、足指で地面をつかむんです。
例えば、ちょっとまた統一の話に戻るんですけれども、「はい、統一をしましょう」っていう段階で、お腹の前で如来印を組んで、背筋を伸ばして「世界人類が・・・」ってやるんですけれども、そのやり始める前に、ほんの少し前後に体をちょっと揺らしてみるんです。一番安定するポイントがあると思います。ここっていうポイントが見つかったら、止めます。
次に、左右に少し揺らしてみるんです。そんな大げさに揺らす必要はないです。そうすると、やっぱりまたピッタリくるようなポイントがあるので、そこで止めます。
その状態というのは、前後左右の中心の地点です。一番、天地と交流しやすい地点なんですね。人間って、心と体のバランスが崩れていると、まっすぐになってないで、前に傾いたり後ろに傾いたり、右に傾いたり左に傾いたり、微妙にズレているケースが多いんです。
なので、それを自覚して直すために、前後左右にちょっと微妙に振って修正を加える。そうすると肉体を正しく、天地と繋がった肉体として使うことができるようになりますので、どうぞお試しください。
この話は、今夜のプログラムの中にも書いているので、また似たようなお話を司会の方がされると思うんですけれども。心だけ神聖復活するとか、体だけ神聖復活するとかいうことはなくて、神聖復活するっていう時には、本当は心も体も両方とも神聖復活するんですね。
するんだけれど、やっぱりそれをリードするのは意識、心なんです。だけど心をその方向にうまく持ってゆけない場合は、体の動きを先に正すことで意識を正すことができます。
すべてを意識でコントロールできる人は、そんなふうに肉体のコントロールなんてしなくても、自然と正しい肉体の使い方ができると思うんですけど、そういう方はかぎりなく少ない。
だから、私たち普通の一般の人たちってのは、体の面から心を調整したり心の面から体を調整してみたり、両側からやることで神聖の波動にチューニングするっていうことを、生活の中で、朝起きてから夜寝るまでの中で、神聖の波動にチューニングし続けるという取り組みをすることがいいのではないかと思っております。ここまでが、夜のプログラム関連のお話です。
それで、人と付き合わないで一人でずっと生きていけるんだったら、人間の心って、そうそう乱れないんです。いろんな人と関わって生きると、思い通りにならないことが多くて、人は気を病むことが多いんです。
その一方で今、たくさんの人が体験し始めているんですけれども、本当のことを言えば、他人が自分に対して何をしてきても、何を言ってきても、それは良いでも悪いでもないんです。「相手のせいだ」って私たちは思いたいんです。だけど、人のせいなんてものはないんですね。
これは本当に厳しい真理で、エゴさんを飼いならせる人って、なかなかいないんですね。人との関係性の中で、「なんで、この人、こんな意地の悪いことするんだろうな」「なんで、こんな嫌味なこと言ってくるんだろうな」とかって、私たちはついつい思ったりするんです。
けれど、自分がそう思っているその想いを心の奥に向け直して、じーっと味わってゆくと、その原因が相手にあるんじゃなくて、そう思った自分自身にあることが分かってくるんです。
この勉強会では、この手の話を相当たくさんしてきたと思います。ものすごい癖のある人たちと一緒に仕事をしていて、最初は振り回されていたんだけれど、全然周りの人の言動行為に気を止むことがなくなったという方もいらっしゃいます。
私自身もそういう体験をしたんですけど。私以外にもそういう体験を、今この瞬間、リアルタイムで経験されている方もいます。「人のせいじゃなかった。全部自分のなかのアンバランスに原因があったんだ」っていうことが分かり始める段階に、今入ってきているんだと思います。
人のせいにすることは本当に簡単です。だけど、「人のせいじゃないんだったら、何なんだ」とかって思っちゃって、自分を正直に見つめるっていうところまで、なかなか入れない方も多いのも、また事実です。
そういう方で、「自分に向け直せないからダメだ」って自分を責め苛むというか、そういうふうに自分をジャッジしてしまう自分にがっかりするとか、「自分はダメなんだ」って思うとかっていうのも聞いております。
全部そういうことも含めて、誰もが必要な体験をしているんですね。「人のせいなんてないんですよ。全部自分の責任なんですよ」って聞いて、全然その話が心に入ってこない方もいるんです。でも、それも必要な段階を生きている状態なんです。
誰もがいつかは本当の真理を手にする時が来ます。でも、それはいろんな体験をし尽くした先の話です。体験の所要体積(必要な所要量)が足りない方は、まだまだこれからも悩み苦しむ必要があるんです。
だけど、「もうこれ以上、悩まなくてもいいよね」っていう段階に入った方は、自分の心を正直に見つめるプロセスに入り、自己研鑽を通して人のせいにしない生き方を学ぶようになってゆきます。最終的には、笑うしかなくなるんです。全部、自分(自作自演)だったんですから……。
「あの人がいい」とか「誰が悪い」とか、「好きだ」とか「嫌いだ」とか思ってたその原因が、「相手がどうだから嫌いだ」「相手がどうだからあの人が悪いんだ」って今までずっと思ってたことが、実は全く相手のせいでも何でもなくて、自分の中にあるものを相手に映し出してて、「この人がこうだから嫌なんだ」って思ってたことが、『実は自分が自分にしていたことだった』っていう気づきを得るところへゆきます。
心の奥には、たくさんの「自分人類」がいるんです。被害者側の自分もいれば、加害者側の自分もいる。光り輝いた自分もいれば、どす黒く汚れた自分もいる。でも、だからといって、こっちはいいけどこっちは嫌だって思うのは、それは神の意識ではないんです。神の意識は、どちらも自分だと自覚してるんです。そしてエネルギーを片方に集中して注がないんです。両方を平等に見てるんです。
両方を平等に見れるようになったら、二元対立の出来事で悩むようなことがなくなってくるんです。それは全部、心の中の話なんです。この世の五感に感じた出来事――あの人に嫌なこと言われたとか、テレビニュースで嫌なニュース見たとか――五感で感じて感情想念がアップダウンするような状況っていうのは、全部自分の中身を映し出してそうなってるんです。
同じニュースを見ても、心をざわつかせない人もいるんです。同じことを言われても、心がイライラしない人もいるんです。逆にイライラする人もいる。なぜ、そういう違いが起こるか?
「外側で――五感に感じる世界で――起こっている出来事を通して、自分の中を見ているから」なんです。これが分かってしまえば、「自分が運命の創造主である」ことが、もうはっきりとわかるんです。
世界全体の運命というのは、そういう一人一人の意識レベルの集合で出来上がるんです。だから、世界を本当に平和にしたいと思うんだったら、平和にしたいと思っているその人自身が、平和な人になる必要があるんです。
自分の心の中を不調和な状態のままにほったらかしといて、それでいて「世界が平和になったらいいな」というのは、ありえない話なんですね。世界を平和にしたいんだったら、自分の心を平和にする。そういう人が増えてゆくことで、本当に平和な世界というのが、五感に感じるこの世界に現われてきます。
この世界っていうのは、その星のその天地に住んでる人たちの意識の集合で出来上がっているんです。だから一人一人が変われば地球は良くなります。今、そうなるように私たち一人一人の守護霊・守護神さま方が、本当に一生懸命働いてくださっているんです。
そういう中で、ちょっと骨折しちゃったとか、ちょっと病気で入院しなきゃいけないんだとかっていう方もいらっしゃいます。それは、全部守護霊さま・守護神さまが、必要な波動調整として経験させてくださっていることなんです。
私、その手の話をよく聞くんですけど、中には「この方、ご自分の大きな消えてゆく姿なんてないのに、なんで入院しなきゃいけないんだろうな?」って思えるような方がいらっしゃる。それでその奥を観たら、菩薩行のために入院している方もいるんですね。
その病院の関係者の守護霊・守護神方から呼ばれて、その病院に関わっている魂の救済のために入院しているという方もいらっしゃるんです。だから、自分が病気になったり、何か怪我したりしたからって、がっかりすることはないんです。そういう菩薩行のために、そうなる方もいらっしゃるんで、全然そういう出来事をもっていいとか悪いとか思わないでください。
私、そういうことをされている方々ってすごいなって思ってるんです。本当の世界、神聖の世界が現われてしまえば、今まで感じていたような不幸とか苦しみとか辛さとか悲しみとか、そんなものが一切ない世界になるんですけど、その世界に入る前に、外れた骨を元に戻すときに「痛い」ってなるような痛みを味合わなきゃならない瞬間があるんですね。
それは、数週間から長くても数ヶ月で終わると思いますけれども、その時が一番、地球人が大変な時なんです。その時こそが私たちの最大の働き時なんです。そういう時に、私たちは「大丈夫よ、大丈夫よ」って光を振りまいて歩くような、そういう存在でありたいと思っています。
もしかしたら、私たちの仲間の中から、イエス・キリストがやったように、空中から食べ物を取り出して分け与えるような人たちも出てくるかもしれません。神々さまや宇宙天使の方々、いわゆる五井の大神さまを中心として働かれている神霊の方々は、「何が何でも、全ての地球人類を救う」という意志を持たれています。
でも、そのご意志がこの世に展開するかしないかは、「救世の大光明や宇宙天使群と一緒になって働いている私たちの意識の目覚め」にかかっています。
いつも言いますけど、特別な人にならなくていいんです。今まで通りの普通の人でいいんです。私たちは、普通に生きていながら見えないところで大きな働きをしているからです。救世の大光明とか宇宙天使の方々が、私たちの肉体を使って働いてくださっているんです。
私たちは「そういう神々や天使群の方々の使いやすい器」であるように「あらゆる自我を守護霊・守護神に返して、神々さまの器としてただ生きている」――それだけで、大きな大きな働きをしていることになります。ですから、「寝たきりの方でも、ものすごい働きをしているんですよ」という話が出てくるんですね。
地球が本当に宇宙の星々と交流して、いろんな進化した星の文明・文化・科学・芸術など、いろんなものを学んでこの星に導入して、地球界をより進化した高次元の世界へ運んでゆくために、私たちは今回のこの地球での最後の人生を選んで生まれてきておりますので、「まだそうは思えないな」という方がいらっしゃっても、ベールの向こう側の方々は「ご心配なく」って言ってます。
心配なさらないでください。大丈夫です。ちゃんと『神々の器』として動けるようになります。でも、ちゃんと動けるようになるためには、朝起きてから夜寝るまでの1秒1秒、一瞬一瞬をどう使うか、です。
それは、こちら側――肉体のこちら側――の責任になります。そういう一瞬一瞬の積み重ねで、私たちは今でもすでに、昔から比べたら大いに変貌していると思うんですけど、もっと変貌します。もっと立派になります。
なぜならば、五井の大神さまは、私たち一人一人を聖者に仕立てあげようとしているんです。一人や二人の聖者が地球を救うんじゃなく、何千人・何万人という聖者が現われて、地球を引っ張り上げる。その最先端の魂のお仕事をしているのが私たちです。
そんななかで伸び悩みっていうか、「なかなか上手くいかないな」とかいろいろ思うことはあると思うんですけど、そういう想いが現われてもいいんで、現われたネガティブな想いを全部守護霊さまにお渡しして、「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」という響きを――そのままの言葉じゃなくてもいいです。その言葉が意味する言霊ですね――その言霊をご自分の当たり前の意識にして過ごしていただけると、もうあっと驚くことがご自分の身の上に起こると思います。
劇的な体験される方もいらっしゃるでしょうし、気が付いたら変わってたって方もいらっしゃるでしょう。「本当は、劇的な体験したかったんだけど」って思う方もいらっしゃるかもしれないですけれど、そこはもう守護霊・守護神さまにお任せする。
みんながみんな立派になることは確定しておりますので、そのことを100%信じて、私たち自身の神聖を体の面にも心の面にも現わして、ご一緒に進んでまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。最後に、神聖復活の印を一回組んで終わりにしたいと思います。
<神聖復活の印を一回>
ありがとうございました。これで終わりにしたいと思うんですけど。SOPPの話をご所望されている方がいらっしゃいますので、ちょっとSOPPの話をいたします。
「宇宙人、現われなかったね」って話をした人がいたんです。当日参加された方は、ご存知だったと思うんですけれども、5月にしては富士聖地がとっても暑かったんですね。私でも行事の最中に「もし具合悪くなったら日陰に行こう」って思ってたぐらいな状況だったんです。
もともと宇宙人の話は、公式に出している話ではなく、私も以前から言っている通り、実験的な取り組みだと思っておりましたので、そういう会場の状況を総合的に判断して、「今回はやめておきましょう」ということで、私たちの見えないところで、どれだけ肉体人間の目に見えるところまで降りてこれるかっていう、裏の実験だけで終わったっていうところなんだと思います。
もし、表に現われてくるようなことがあれば、由佳先生なり昌美先生なりが紹介してくださると思いますんで、来年のSOPPに期待をしたいと思います。でも、それを実際に現実のものにするっていうのは、本当に私たち一人一人の意識が大事なんです。
祈りのメンバーが興味本位の想念状態でいるのは、論外なんです。だから「宇宙人が現われるのは当たり前だよね。なぜならば、私たちは毎日いつも交流しながら、お祈りしているものね」っていう気持ちを、当たり前の気持ちとして持ち続けていることが大切なことだと思っております。
ちょっと話のレベルは違うんですけど、アメリカ政府が未確認飛行物体、UFOに関するアメリカ政府(国防総省)が持っている情報を公開しました。PDFデータと動画データで、170点ぐらいでしたかね。私も国防総省のホームページを開いて見たんですけど、全然大した情報は出ておりませんでした。
私は、あんまりこの世の人たちが言ってる宇宙人には興味がないんです。レプティリアンだとかグレイだとかいって、宇宙人の種類を分けて言う人たちがいるんです。昆虫みたいな宇宙人がいるとか、背が低くて目玉がギョロンとしてる宇宙人がいるだとか、全く人間と同じ姿形してるとかというように、3種類か4種類か分けて解説してる方々がいらっしゃるのですけれども、私はそういうことには全然関心がないんです。
そういう宇宙人がいても不思議じゃないけれど、それは私たちが交流している宇宙人じゃないんです。私たちが交流している宇宙人は、地球の神々よりも立派な人たちなんです。神々の中の超高級神霊なんですね。他の星に所属する超高級神霊を、私たちは宇宙人と言っております。宇宙天使と呼んでおります。
なので、そういう波動圏ではないところから来た宇宙人がいたとしても、全く感知しておりませんので、ご承知おきください。
意識レベルに応じたところに人は引き寄せられていくものですので、そういう話が好きな人は興味を持っていただいてもかまいませんが、地球の人たちがいろんな意識レベルの段階を体験をしながら、誰もが私たちが交流しているような『命の大元の超高級神霊』と交流する段階に全ての人類を導いてゆけたらなと思っております。
それでは、皆さまのマイクをオンにします。次の勉強会は、ちょっと慌ただしいんですけれども、来週の土曜日になります。その次の週が、また富士聖地ですので、前倒しというんで1週間早めて5月の終わりの30日に行ないますので、よろしくお願いします。
<バイバイタイム>
それでは、本日の勉強会をこれで終わりにいたします。ありがとうございました。
以上