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7月4日(土)午後『神聖開発勉強会』の詳細な内容

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260704-午後_勉強会

皆さま、こんにちは。7月4日土曜日の勉強会を始めます。最初に、統一CDを使って世界平和のお祈りをいたします。はい、それでは始めます。

<世界平和の祈り>

ありがとうございます。前回の勉強会が6月20日土曜日だったんですけれども、そのとき私、勉強会が始まる前に、いつものように呑気に「今日はどんなお話が出てくるのかしら」と思っていたんです。

いつものように「守護霊さまクラスのお話が出てくるのかな」と思いながら、いざ始まってみたら、結構厳しい内容のお話が多かったんですね。それは、守護神さまクラスの方々のお話だったんです。

そういうお話をこの人の体がしているときに、私の肉体の意識は斜め後ろぐらいにあるんですけれども、「ずいぶん厳しい話をしてるな。こんな厳しい話をしていいんだろうか」と思いながら聞いていたんです。

それで、途中の休憩時間のときに、うちの人に話したんです。「今日、守護神さま、お出ましになってるね」って。そしたらば、勉強会で喋ってくださる方々がうちの人の体に入り込んで、彼女の体を使って私に教えたんです。でも、口調はいつもの彼女の口調でした。

なんて言ったかというと、そのままの言葉じゃないかもしれないですけれども、「マーちゃん」――マーちゃんって呼ばれてるんですね――「マーちゃん、勉強会に出ている人たちは、ここ数年の間で、守護霊さまと一つになりましょうって一生懸命に精進して生きてきたでしょ。今ではそれが実って、守護霊さまと一つになった私たちが、今度は守護霊さまと一体になった状態で、守護神さまと一つになる段階に入ったのよ」と言ったんですね。

私はそこまで見通せていなかったので、「そうなんだね」と言って、納得してその話は終わったんです。そういうことですので、今後のお話の中では、守護神さまと一つになるために必要なお話が折に触れて出てくると思います。

中には、まだ守護霊さまと一つということに自信を持てない方も一部いらっしゃいますので、そういう方々に向けた、守護霊さまと一つになるという基本的なお話も、今後もなくなることはないと思っております。

ちょっと内容が厳しくなると、感情想念を捨てきれない人、守護霊さまに預けきれない人は、お話を聞いていて、いたたまれなくなることがあるかもしれません。身の置きどころがなくなる場合も出てくるかもしれません。

でも、そういうことが起こるということ自体が、「自分の内側に見つめるべきものがあるのだ」と受け止め直していただいて、苦い薬を飲むような気持ちで聞いていただけたらなと思っております。

ちょっと画面共有をします。これは皆さまもご存知の『七つの言霊の宣言』です。ここに集まっておられる方々の中には、人が集まった場面などで、皆で一緒にこの言霊の宣言を唱えておられる方もいらっしゃるかもしれません。

<七つの言霊の宣言>

    1. 世界がいかに広くても、自分と同じ人間は他に存在しないのだ。
    2. ゆえに○○○○は、今を真剣に生きるのだ。
    3. そのためには、過去における自らの思い込みを捨てるのだ。そして、今を真剣に生きるのだ。今この瞬間が尊いのだ。
    4. 他人に振り回されるな。神聖なる自分は振り回されるわけがない。
    5. 毎日の人生を真剣に最後の日として過ごすのだ。
    6. そして自分の神聖なる道を、全人類の平和と幸せのために、まっすぐ進んでゆくのみ。
    7. やがて神命を終え、五井先生が地上にお迎えに来られ、輝かしい神界へと導かれ飛翔してゆくのみだ。

これに関連したお話なんですけれども、どんなにたくさんこれを読んでも、どんなにたくさんこれを唱えても、自分が変わることはできないということです。

大切なことは、ここに書いてあることを読んでいない時間、宣言していない時間、朝起きてから夜寝るまでに一日8時間寝るのだとしたら、16時間の起きている時間に、ここに書いてある内容を私たちの言葉、想念、行為に表わして生きる努力をすることです。

それが大事なのであって、これを宣言することが重要なわけではないんですね。

1番から見てゆきます。1番は当たり前のことなので省きます。『故に○○は、今を真剣に生きるのだ』。この後が重要なので、ちょっと飛ばします。

『そのためには、過去における自らの思い込みを捨てるのだ。そして、今を真剣に生きるのだ。今、この瞬間が尊いのだ』。続けて4番、『他人に振り回されるな。神聖なる自分は振り回されるわけがない』。

1番の言葉は、全世代に向けたお話ですね。2番、3番、4番も全世代に向けたお話です。5番、6番、7番は、多分これは70代以上の人へ向けたお話だと思います。

もちろん、「私は40何歳」「私は50何歳」という方も、例えば5番に書いてあるように『毎日の人生を真剣に最後の日として過ごすのだ』という意識を持って生きることは尊いことだと思うんですけれども、まだ50代、60代ぐらいまでは、全然「最後の日」という実感がないんですね。

でも、70を超え、後期高齢者になり、ということになってくると、「本当に私、いつ天国にお呼ばれするか分からないわよね」ということになってくると思うんです。

なので、実感を持って『毎日の人生を真剣に最後の日として過ごすのだ』ということができやすい方々になると思います。

今日は、この2番、3番、4番の全世代向けのお話を掘り下げて、観てゆきます。「過去における自らの思い込みを捨てる。そして、今を真剣に生きる」。これがなかなか自分の人生に実行できないなと思われている方が多い部分だと思います。

そして、勉強会にずっと出てこられた方は、「いつも勉強会で言ってる話だよね」ということが分かると思います。

過去における自らの思い込み。これを五井先生は、「把われの想い」「とらわれ」という4文字の言葉で表わしてお話しされていました。

この勉強会では、思い込み、こだわり、決めつけ、執着というように、もっと細かく分けて表現しておりますけれども、全部同じことです。神聖を外れた想いの癖なんです。想念習慣なんです。

これを手放すことができたらば、みんな今この瞬間に悟りの世界に入れるんです。だけど、想念習慣ですから、心のひだにこびりついて、なかなか離れないんです。捨てたと思っても、まだ心の中に残っている。守護霊さまに渡したと思っても、まだ心の中に残っている。

さっき、この『七つの言霊の宣言』をどれだけ一生懸命唱えても自分が変わることはないというお話をしましたけれども、それは、神聖復活の印を組めばこれが成就する、世界平和の祈りをすればこれが成就するという問題でもない、ということなんですね。じゃあ、何なのか。朝起きてから夜寝るまで、真剣に消えてゆく姿で世界平和の祈りをやるんです。

つい最近、AIが私に面白い問いかけをしてきました。それを画面に表示したんですね。どういう話かというと、「手放すということと、悟ったということは同じか否か」という問いかけだったんです。もう皆さん、すぐに、パッと心の中で答えが出たと思います。手放しただけじゃ足りないんです。

悟りの世界に入るというのは、手放した代わりに、神聖を自分の言葉、想念、行為にダウンロードして、インストールして、自分に表わして、初めて悟った人だということになるんですね。

手放すというのは、まだ想念のお遊戯の段階なんです。神聖を表わすことに意味があるんです。それも、一日中表わして意味があるんです。「私は一日3分、神聖を表わしてます」。それは、最初の段階ではしょうがない。最初はみんなそんな感じです。

3分どころか、30秒も神聖を表わせないで生きている。それが3分、10分、20分、30分、1時間、3時間、6時間と、だんだん長くなってゆく。

神聖の言葉、想念、行為を表わして生きている時間が3時間、6時間、12時間、そして起きている間中というように、段階を踏んで、私たちは神聖を100%表わして生きるところへ、今近づいていっているんですね。

これは、言葉でこうやってお話しするのは簡単なんですけど、実際にそれを一日に何時間も、神そのものの言葉、想念、行為を表わして生きるということが全くイメージできないという方もいらっしゃるかもしれません。

そのために、『光明思想徹底行』があり、『地球世界感謝行』があり、『消えてゆく姿で世界平和の祈り』があり、と、いろいろな神聖を表わすためのツールがあるわけですね。『我即神也の宣言文と印』『人類即神也の宣言文と印』も同様です。

『私が語る言葉は神そのものの言葉であり、私が発する想念は神そのものの想念であり、私が表わす行為は神そのものの行為である』。これは我即神也です。

『私が語ること、想うこと、表わすことは、すべて人類のことのみ。人類の幸せのみ。人類の平和のみ。人類が真理に目覚めることのみ。故に、私個に関する一切の言葉、想念、行為に私心なし、自我なし、対立なし。すべては宇宙そのもの、光そのもの、真理そのもの、神の存在そのものなり』。これは人類即神也です。

94年、96年にそれぞれ出た宣言文ですけれども、一番最初は違和感があったと思います。私も「そうなったらいいんだけどね。それは理想だよね、今の自分には」と思って、ものすごい違和感を感じていました。

今はこれを宣言していて、本当にこれらの宣言文と一つの自分を生きていると思えるんです。私の起きている16時間のうち、もうほとんどと言っていいぐらい、この人類即神也の宣言文の意識で一日の時間を過ごしております。

昔は人の悪口ばかり、人の不平不満ばかり思って生きていた人が、どうしてここまで、まるで別人のような変貌を遂げたんだろうな――自分のことなんですけれども――冷静に見ますと、その原因というのは今回の人生だけじゃなくて、もう何度も何度も生まれ変わり死に変わりとやってきた輪廻転生、その中に答えがありました。

「もう何が何でも、今回の地球最後の人生で私は悟りを開くのだ。神我一体になるのだ。そして地球の進化の一助となって生きるのだ」ということを、今回の人生で生まれてくる前に強く誓って生まれてきていたんですね。

だから、40何歳までフラフラしていた時間が「遠回りしちゃったな」と思わなくもないんですけれど、そういうことを思うときに、「全然遠回りなんかじゃないんだ。それはあなたにとって必要な体験だったんだ。あの無駄に思える体験があるからこそ、今のあなたがあるんだよ」というふうに、私の奥の人たちは教えてくださいました。

『七つの言霊の宣言』に戻りますが、4番『他人に振り回されるな。神聖なる自分は振り回されるわけがない』。これはですね、ものすごく不親切な言葉なんです。振り回されるなと言われたって、振り回されるんだからしょうがないんですよ。

「振り回されるな」と言われて、振り回されることをやめられる人がどれだけいるでしょう?その答えとなる話をします。

これは『祈りの言霊』の言葉ですね。この画面は、一番最初に出たときの、厳しい響きのときですね。『やがて迫りくる地球規模の大変革に際し、人類の意識を目覚めさすリーダーとして、真理の祈りと真の言霊を捧げ続けるのである』。

この次が、2012年の6月に出た、下から3行目が柔らかくなったものです。『やがて地上に降り来たる輝かしい地球平和の大変革に際し……』。

これは以前にもチラッとお話ししたことがありますけれども、会員の方で、「やがて迫りくる地球規模の大変革に際し」というのは光明思想に反してるんじゃないかというクレームを白光本部に入れた人がいたんだそうです。

実にくだらないクレームなんですけれども、でも、五井先生はおやさしいですから折れてくださって、この言葉に変わった。「これで満足かい?」「この表現で満足かい?」っていうことです。

でも実は、「やがて迫りくる地球規模の大変革」というのが、ただの事実なんです。もうこれから数年が本当の勝負なんです。そこまでに私たちは神我一体になり、心の世界の準備を整えておく。

「何が起こっても大丈夫」、そういう意識を持って生きる。そういう気持ちを、今ここにいる何十人の人だけでも持つことができたら、大きく地球を守る力になります。

祈りの言霊 2012.1~2012.6.2

『地球の安寧と世界人類の平和のために、祈れる私は、光そのもの、真理そのもの、神の器そのものなり。

故に いかなる時も、宇宙神の光に包まれている私、○○(自分の名前)を犯すものは一切何もない。

やがて迫りくる地球規模の大変革に際し、人類の意識を目覚めさすリーダーとして、真理の祈りと真の言霊を捧げ続けるのである。

すべては必ずよくなる。絶対大丈夫。大成就。』

*********************

祈りの言霊 2012.6.3~ 

『地球の安寧と世界人類の平和のために、祈れる私は、光そのもの、真理そのもの、神の器そのものなり。

故に いかなる時も、宇宙神の光に包まれている私、○○(自分の名前)を犯すものは一切何もない。

やがて地上に降り来る輝かしい地球平和の大変革に際し、人類の意識を目覚めさすリーダーとして、真理の祈りと真の言霊を捧げつづけるのである。

すべては完璧。欠けたるものなし。大成就。』

ちょっと読みます。『地球の安寧と世界人類の平和のために祈れる私は、光そのもの、真理そのもの、神の器そのものなり。故にいかなる時も宇宙神の光に包まれている私、○○を犯すものは一切何もない』。

これは『人間と真実の生き方』の冒頭、もしくは『我即神也・人類即神也の宣言文』の冒頭を思い出してください。みんな宣言文の頭に、「私たちはもともと本来こういうものなんだよ」ということが示されています。この祈りの言霊の中では、宇宙神の光に包まれている私を犯すものは一切何もないと記されている。

宇宙神と一体であるということを自覚できていたら、「自分を犯す外のものは一切ない」ということなんです。もしも自分を犯すものがあるとしたら、神聖を忘れていた自分の想念習慣だけなんです。

そういう大事な取り組みに関する内容であるからこそ、この「他人に振り回されない」「思い込みを捨てる」というのは、ずっとこの勉強会で扱ってきた話なんですね。

例えば、白光という組織の中で、誰かが良かれと思ってやったことを、「なんであの人、あんなことやってんの?あんなことやっていいの?」と批判的に見てしまったという場合がある。それを真理の立場から見れば、他人が何をやっていようが関係ないんです。

他人の言動行為を見て、自分が何を思ったかが重要なんです。ある人は、別に心が動かない。ある人は、「ああ、あの人、いいことやってる。私、賛成だわ」と思う。ある人は、その人の行動を苦々しい想いで見つめている。大きく分けて、3種類の反応がある。

そういうときに見るべきなのは――勉強会にずっと出てきた方は、私が今から何を言わんとしているのか、もう答えが出ていると思います――「相手に感じた想いを自分に向け直す」ということです。

その不調和の原因というのは、他人にはないんです。自分の中に不調和の種があるから、他人に面白くない感情を私たちは抱いてきたんです。

だったら、自分の中の不調和を調和させればいい。被害者と加害者の両方の自分を同時に見てあげて、成仏させてあげればいい。

これは、消えてゆく姿で世界平和の祈りの、ちょっと違う角度からの取り組み方で、やってることは同じなんですね。

人に感じる想いの原因というのは、すべて自分の中にあるんです。外の現象に原因があるわけではない。他人の言動行為に原因があるわけでもない。

だから、この宣言文の「他人に振り回されるな」というのは、本当のことを言えば、「自分に振り回されるな」ということなんです。表面上、他人に振り回されているように見えているだけなんです。

真理の世界から見れば、他人を振り回す人もいなければ、他人に振り回されている人もいないんです。地球人類全員が一人相撲を取ってるんです。

これは、「世界を平和にするにはどうしたらよいのだろうか」という人類共通の命題にも関わってくる話です。世界を平和にするためには、一体全体どうしたらいいのでしょうか?

「トランプさんやプーチンさんが、もうちょっと自制してくれたらいいんじゃないの」「原子力なんていう後始末もできないようなものは、使わなきゃいいじゃないの」「人間中心のものの考え方をやめればいいじゃないの」「空気を汚し、水を汚し、大地を汚し、そういう今までの文明を根底から改めればいいじゃないの」と思うかもしれません。

でも、それって「誰かがやってくれるだろう」なんですね。地球の人たちひとりひとりが「誰かがやってくれるだろう」な人ばかりだったら、世界は平和にならないんです。

自分の心の中の平和を達成した人たちが必要なんです。心の平和、それこそが一番大事なんだなと知って、自分の心を完全調和の方向に導き育てる生き方をしてゆけば、人によって速い遅いはあるかもしれないですけれども、必ず悟りの世界、神我一体の世界に入ります。

ここにおられる皆さまは時間の問題なんです。神我一体が目の前のところまで来ている。あとは、「人間を卒業することに対して腹をくくって、神の言葉、想念、行為を起きている間中実行できるか否か」という段階にあります。

今ここに参加されておられる方々のなかには、すでに腹をくくられて人間を卒業しておられる方々もおられます。私は、全員が人間を卒業した人たちになったらいいなと思っております。

「人間だからしょうがないよ」とか、そんな段階じゃないんです。人間だから愛が溢れて止まらないんです。人間だからすべてに対してありがたくてしょうがないんです。人間だからこそ、生きる喜び、生かされている喜びを感じられるんです。

私たちは、この人間世界の常識を変えるという裏のミッションも持っているんですね。「神の言葉、想念、行為が当たり前なのだ」という常識を創るんです。

そのためには、私たちが朝起きてから夜寝るまで、神そのもので生き続けていることが大事なことになってくるんです。私たちがそのように神聖の言葉、想念、行為を表現して生き続けていると、この世の中の常識を根底から揺さぶることになります。

本当に世界を変えるんです。世界を変える原動力というのは、心の世界にあるんですね。

物理的な力で抑えつけたところで、人間たちの欲望は止まらないんです。「北風と太陽」のお話じゃないですけれども、冷たい風でコートを脱がせようとしたら、旅人はますますコートをぐっと押さえて脱がない。

でも、太陽さんが「じゃあ、次は僕がやるね」と言って、旅人に燦々と光を注いだら、旅人は「もう辛抱たまらん」となってコートを脱ぐ。その太陽のような働きを、私たちひとりひとりがやるんです。

それは、何も街頭に立ってマイクを持って演説しなきゃいけないわけじゃない。何か本を書いて世間に問題提起しなきゃいけないわけでもない。当たり前の生活の中で、神の言葉、想念、行為を自分に表現しながら生きているだけでいいんです。

ただそれだけで、私たちはこの地球を破滅の淵から救い出して、人々の心に神聖の種を植え、その種を育て、芽が出るところまでお手伝いする。芽が出たら、あとは本人の努力ですね。

人間というのは、自分が「変わろう」と思わなかったら変わらないんです。どんなに周りの人に「変わりなさいよ」と言われたところで、自分で「よし、変わろう」と思わなかったら変われない。

でもそれは、逆を言えば、自分が変わりたいと思っている人は必ず変われるということなんです。ここで言う「変わる」というのは、良くなる、もっと素晴らしい人間になる、もっと立派な人間になる、神の姿を顕わした人間になるということです。

もう腹をくくる時です。この世というのは、ぬるま湯のような世界なんですね。ぬくぬくしていられるんです。だから、「人間卒業とか、そんな面倒くさいことをやるより、ここにずっといた方が楽だな」と感じてしまったりすることがある。

でも、守護霊さまも守護神さまも、神界の神々も宇宙人の人たちも、みんな私たちの神聖復活に注目していらっしゃるんです。ひとりひとりが心の奥の天から見られてるんです。注目されてるんです。本当に変わるんです。

数億年、もっとかな……、気が遠くなるような長いスパンのなかで、大きく進化する希有な場面、ものすごい貴重な機会を今私たちは生きてるんです。さなぎが蝶になるような劇的な変貌の時にあるんです、今。

でも、地球に生きてる80何億人の人たちは、どうやったら変われるかが分からない。分からない人がたくさんいるからこそ、見本になる人が必要なんです。

神々も宇宙人の人たちも、見本になる人たちを求めていらっしゃる。それも、一人や二人や三人じゃない。100人でも足りない。500人でも足りない。

最低限1000人以上、できれば1万人、10万人欲しい。なぜならば、それだけたくさんの人格とか性格を持った地球人がいるからです。

だから、私たちがまず変わって、見本となって、「神として生きるのはこうやって生きればいいんだな」という生き様を見せる。背中を見せる。求められればお伝えして差し上げる。

そういうたくさんの見本の一人になってくださったら、素晴らしいことだと思っております。

はい、59分ですので、神聖復活の印を組んで休憩に入ります。

<神聖復活の印を一回>

はい、ありがとうございます。それでは、ご自分のビデオをオフにして休憩に入ってください。

<休憩>

それでは、12分を回りましたので、後半の部に入ります。さっきの画面共有に戻します。まず、この4番『他人に振り回されるな。神聖なる自分は振り回されるわけがない』。これを実際にやっていらっしゃる方のお話を紹介したいと思います。

お名前は言いません。ただ、80歳以上の方であるということだけお伝えします。男性であるか女性であるかも申し上げません。

その方は――近しい方はどなたの話か分かるとは思うんですけれども――バイクに乗っていて事故をされたんだそうです。それで、体のどこかを骨折された。しばらく入院をしておられて退院をされた。

周りの方々からは、「あなた、もうバイクなんて危ないものは乗らないわよね」というようなお話を、何人か親しい方からいただいたのだそうです。でも、その方は退院してすぐに、新しいバイクを買ったんだそうです。

傍の人たちは常識的にものを考えて、「80歳を超えてバイクに乗るなんて危ないわよ」という考え方をした。でも、その人はそういう考え方をしていないんです。

「自分が乗れると思うから乗れるんだ。自分は神聖なんだから、できないことはないんだ。不可能はないんだ」ということがもう血肉になっていらっしゃる。だからまた骨折が良くなったら、バイクに乗られるんだと思います。

傍の人たちは常識を振りかざすんですね。その傍の人たちが振りかざす常識というのは、見方によっては凶器なんです。

この宣言文の4番、『他人に振り回されるな。神聖なる自分は振り回されるわけがない』。他人に振り回されている状態というのは、その他人が振りかざしてくる刃物のようなものをかわしたりする、そういうときに、人によっては心が乱れることがある。

だけど、神聖の世界の中に入ったら、この世の常識というのは、自分を犯す何ものでもなくなるんです。だから、周りの人たちが「そんなの無理よ」と言ったって、自分ができると思ってるんだからできるんです。

例えば、「60歳を超えて英語を覚えたいんだけど、無理かな」とか、いろんな考えが頭をよぎるんですけど、でも、ペラペラと英語を喋れなくても、結構単語の羅列で通じたりするんですね。

そういうところから始めていけば、英語を使ったコミュニケーションということもできると思います。

また例えば、商売なんかで、今まで取り組んだことのない、チャレンジしたことのない商売を始めようというときに、周りにブレーキをかけるようなことを言ってくる人がいるかもしれない。

だけど、自分の中に成功のイメージをありありと果因説で描けるのであれば、それはチャレンジしてみる価値はあると思います。神さまは、守護霊・守護神は、この世的な成功、失敗は問題にしていないんです。その人たちの一瞬一瞬の心の動きだけを見ておられる。

人間というのは、この五感に触れる世界のことが大事で、五感に触れる世界で「人に認められた」とか「成功した」「失敗した」とか、いろんな判定をするんですね。ジャッジをする。

だけど、人間界で人間たちが行っているジャッジというのは、神々の世界から見たら全くナンセンスな話なんですね。

ですから、振り回されないためには、やっぱり神聖の自分というものを、より確かなものとして自分の心の中に育てるしかない。

それを育てるためには、「世界平和の祈りをたくさんしましょう」とか「神聖復活の印をたくさん組みましょう」とか、そういうことをおっしゃる方もいらっしゃるかもしれないですけれども、私の体験上、印を組んでいない時間、お祈りをしていない時間に、自分が何を想い、何を語り、どういう行いをしているかの方が、よほど重要だと思っております。

それは、消えてゆく姿で世界平和の祈りを四六時中やっているということなんです。

自分を見つめなかったら、消えてゆく姿ってやれないんです。本当の消えてゆく姿、消していただくべき対象というのは、他人の言動行為でもなければ、世界の状況でもない。ただただ、自分の想いなんです。

この世で生きていて、心がいろいろ動く。例えば、山の中にこもっていると想像してください。一人で山にこもって生きている。そうしたら、心を煩わせるものというのはお天気ぐらいのものですね。人間関係で心が煩わされることはない。

だから、山にこもって一人で生きてるんだったら、私たちは穏やかな心でずっと生きていられる。

だけど、こうやって街の中でいろいろな人と関わって生きてゆくと、もうたちまち心は乱れて、面白くない想いを感じたり、悲しい想いに苛まれたり、いろいろな感情を味わう。

だけど、それこそが人間を立派にする材料なんです。周りの人がいるから、自分が立派になれる。

誰とも関わらない世界で生きてる人と、たくさんの人と関わりながら生きてる人では、意識の広がりが全く異なります。

他人というのは、皆さまももう重々ご承知でしょうけれども、自分の思い通りに動いてくれません。

自己中心的な昔ながらの頑固親父だったらば、「俺の言うこと聞いてりゃいいんだ」とやるのかもしれないんですけれども、そんなことをやって周りの人が従っているような素振りを見せたところで、心は繋がっていない。心は離れている。

だから、「亭主元気で留守がいい」なんていう言葉が出てくるんですね。「お金だけ運んできてくれればいいわよ」って。

これからの世界、すべての人間に神聖そのものの人格が備わってゆきます。でも、備わってゆくといっても、自然に備わってゆくわけじゃない。それは、ひとりひとりのご本人の努力精進によるものです。

ですから、一瞬一秒、自己を磨き高め上げるという生き方をしている人は、どんどん意識進化してゆく。「ちょっとぐらい手を抜いてもいいよね」とやってる人は、どんどん生きづらい世界になってゆく。意識こそが、本当は全ての全てなんです。

だから、体に現れる体調、病気だとか怪我をすることさえも、意識の世界で起こっていることが肉体の世界に現れているにすぎない。

心の調和ということを休憩前にお話ししましたけれども、心を調和させるためには、心の中を見つめなければいけない。だけど、心の世界というのは肉眼で見ることができない。そうすると、どうやって心の中を知るか?

一番簡単なのは、周りの人に感じた想いを自分に向け直せばいいんです。それは、他人のことをどうこう思って出てきた想いではなく、自分の中に種のあることが、他人という媒体、フィルターをとおして自分に返ってきていることだからです。

よく「他人というのは鏡だ」みたいな言い方をする人がいるんですけれども、その「他人は鏡である」という言葉は、正確には間違っております。

他人が鏡なんじゃなくて、その他人に何を思ったかという自分の想いが、自分の心の中を映し出しているということです。これを知って生きるのと知らないまま生きるのでは、意識進化の進捗がまるで異なってきます。

人間関係に悩まれる方のお話を聞くことが時折あるんですけれども、「他人から意地悪されてる」とか「相手にされない」「無視されてる」とか、いろんな他人の働きかけみたいなものがあるから、「周りの人が悪いんだ」とついつい私たちは思ってしまいがちなんですね。

でも、本当のことを言えば、大切なのは他人が何をしているかじゃないんです。他人の言動行為というのは、本来私たちを煩わせる何ものでもないんです。私たちの心が煩うことがあるとするならば、それは自分の中の不調和で煩ってるんです。

達人の人になってくると、意地悪な人が意地悪な言動行為をしてきても、何もそれに対して反応しない。何とも思わない。良いとも悪いとも思わない。もう波長が合わないんです。

だから、他人から意地悪されて面白くないと思うんだったら、それは同じ穴の狢(むじな)であるということなんです。

その「同じ穴の狢である」というところから、目を閉じて、その想いを心の中に向け直して、自分の中に存在していた被害者の自分と加害者の自分を、両方同時に、空の上から眺めるように見てあげるんです。

そうすると、一瞬でその被害者と加害者が仲良くなるんです。調和するんです。成仏するんです。

霊的な人は、外の世界の未成仏のものを成仏させなければいけないと思う人がいるみたいですけれども、本当に成仏させなきゃいけないのは、私たちの想いなんです。自らの想いが成仏していないから振り回されるんです。想いが成仏した人は、他人に振り回されないんです。

私自身の話をすれば、2020年までは他人に振り回される段階でした。2018年9月に中澤さんが『Zoom祈りの会』を立ち上げて、その翌月の10月から、私は裏でお手伝いをするようになって、表で祈りのリーダーになるのはその翌年なんですけれども、たくさんの人が、たくさんの意見を伝えてくる。

賛同するという意見を伝えてくださる人もいれば、やり方に関して指図するような意見を伝えてくる方もいれば、印のリーダーの発音に細かく文句をつけてくるような方もいれば、手の動きが間違ってるとかって、いちいち直させろと言ってくる人もいれば、まあまあ、いろんな人がいました。

私はその当時、まだそういうことに耐性ができてなかったんですね。だから、いちいち振り回されて、「どうしたらいいんだろう、どうしたらいいんだろう」と思っていました。

中澤さんは、もう2018年の段階から超越してらしたので、何か困ったことがあれば中澤さんに相談すれば、もう一発でビシッと答えをくださる。

ただ、その答えが、全体を考えたときにそのままでいいんだろうかという答えもありましたけれども、中澤さんの中には迷いはなかった。私が迷っていたんです。

2020年の1月から3月、4月にかけて、ものすごい厳しい人間関係のやり取りが集中的にあって、そのときに、昔から思っていた「他人に感じることは自分の中に原因があるんだ」ということを思い出して、本気でそう思って、自分の心を見つめたんですね。

それで、他人に対する面白くない想いとか、「なんでこの人、こんなこと言ってくるんだ」とか、迷いの想いというのが潮が引いてゆくように、さぁーっと引いていった。「ああ、そうだった」と思った瞬間に引いていって、他人に責任を帰するという習慣がなくなってしまいました。

そして、落とし所を見つけるという叡智を授かりました。すべての人を満足させるということは、やっぱりなかなか難しいことなんですね。まして、このピースレターに登録している人は1300人近くいるんです。

外国の人を入れたら1300人以上ですね。だから、本当にいろいろな考え方の人が関わっていらっしゃる。

そういう中で、昔はやっぱり人の言動行為を真に受けて振り回されるということをやっておりましたけれども、相手に感じていた嫌な想いというものの原因を自分の中にはっきりと見たときに、もう同じことを繰り返さなくなりました。

23年の9月に『勉強会』を始めたというのは、そのときの体験が原点になっております。

振り回されない生き方、これは他人を相手にしてどうこうする話ではないということですね。自分の問題として捉える。そして、自分の中の不調和の実態を見つける。本当に見つけたら、その見つけた瞬間に心が晴れます。

だから、極端なことを言えば、見つけるだけでいいということです。「守護霊さま、持っていってください」もいらないんです。自分の中にある、本当に不調和の原因になっているものを見た瞬間に、心が晴れ渡るんです。見つけられないから晴れ渡らない。

これは、地球界全体に対しても言える話になります。この世の中には、自分が見たくないことをやってる人たちがたくさん生きてるんです。私たちというのは、できればそういう方たちの言動行為には触れないで生きていきたい。

見たくないものは見ないで生きていきたい。見たいものだけを見て生きていきたいという――小さい我と書いて――小我の願いがあります。

でも、私たちがこれから悟りを開き、神我一体となって生きるにあたっては、見たくない人たちも見る必要があるんです。見て、何も思わない自分になるのです。見て、批判・非難・評価をしない。究極、人類即神也の宣言文の境地に行き着くんですね。

この世で起こっているいろんなことを挙げていって、それらはすべて人類即神也に至るプロセスであるから、批判・非難・評価せず、うんぬんと続きますよね。あれを実際にやる。

目を閉じて、耳を塞ぎながら、神聖復活はできないということです。神聖復活したいんだったら、耳を塞いでる手をよけて、この眼も開けて、今のありのままの地球を観る。

この場合の「観る」というのは、霊的な世界の観点から言えば、私たちが肉眼で見るイコール、抱きしめているということです。

神聖の私たちが肉眼で見るというのは、神さまが観たものを抱きしめてることなんです。私たちが存在を認識すれば、認識した人たちに光がより深く行き渡る。

会ったこともないけど、「こういう人がいるんだろうな」と漠然と思ってるだけでは、光の行き渡り方がやっぱり弱い。

でも、はっきりと、そういうタイプの人がこの地球界にいるんだということを、ちゃんと実在を認識してあげることで、そういう方々の心の奥に神聖の種が行き渡ります。届いてゆきます。

心穏やかに生きてゆくために、「変なことしてる人たちの話には触れたくない」という私たちの小さな願いもありますけれども、世界人類が今何をして生きてるか、どういう精神状態であるのか、いろんな世界人類の実態を認識してあげるだけで、宇宙神の光がより広く、より深く世界に行き渡ることになります。

そのときの私たちというのは、神々や宇宙人の人たちの器として働いている私たちなんです。自分が見ていると同時に、神々も見ている。宇宙人の人たちも見ている。

やがてきっと、数年以内に宇宙人の人たちが誰の目にも見える形で現れる時が来るとは思うんですけれども、そうなる何十年も前から、私たちは神々と宇宙人と一体になって働いている人たちなんです。

以前は「器を使っていただく」という立場でした。今はこの私たちの体、器を「共に使う」という形で、神々さまや宇宙人の方々と一緒に、地球を完成させるために私たちは働いております。

その自覚を深めるためには、朝起きてから夜寝るまで、真理のことばかり想い、人類の神聖の甦りばかりを想い、心の中の大調和ばかりを想い、自然界も生きとし生けるものも人類も、すべてが大調和して仲良く共に生きることができる世界を、まず私たちの心の中に創り出して、それをこの世に展開することになります。

心の中に宇宙があるんです。金星の機長婦人の言葉を覚えていらっしゃる方もいると思うんですけれども、「地球の友よ」と語りかけて、「金星の天地というのは、遠い空の彼方にある世界なんかではなく、あなた方ひとりひとりの心の中に展開する世界なんですよ」というお話がありました。

そこをまず掴むんです。「あ、そうか。夕方とか明け方に見える金星、あれは私たちの心の中にあるんだ」という認識の仕方を育てる。そうすると、私たちの心というのは、金星を含んだ宇宙大に広がるんですね。

金星を含んだ球体のような状態で自分の心が広がると、目を閉じて心の奥に意識を入れると、金星の世界に繋がることができる。

もっともっと、これから先、私たちが立派になってゆくと、太陽系銀河の外の他の銀河系とも繋がりを得る。ということは、自分の宇宙が広がるということです。それは、自分の意識が広がることでもある。

自分の宇宙が広がると、ずっと遠くにある星の世界のことが心の中に映じてくる、展開してくるということになる。今はまだ、私たちは全然そこまで行っていないんです。

けれども、そういう下地があって、例えば村田さんが円盤に乗ったときに、Mさんという村田さんの宇宙人のお友達の人が、「じゃあ、ちょっとあそこの星の様子を見てみましょう」と言って、壁の何もないところで何かを操作したら、壁が大きなスクリーンみたいに変わって、宇宙空間の遠くからその星がポツンと見えてる状態から、「じゃあ、どんどん近づいてみましょうね」と言って、どんどん近づいていって、もっと近くで見てみましょうとグーンと寄せたら、その星の世界の人たちの生活の様子というのが、まるでその星にテレビカメラを持って行って映しているのを見てるかのように見えてくる。

だけど、実際には、その遠く離れた星にテレビカメラを持ち込んで映してるわけではない。じゃあ、その映像はどこから出てきてるか。それは、その映像を見せようとした人の心の中の宇宙から、それを映像に展開している。

だから宇宙というのは、外の世界にある以前に、内側の世界にあるということを、私たちはこれから学んでゆく段階にあります。

地球人はなかなか五感の束縛から離れられないんです。人間はなまじっか、この目が見えているがために、見えたものに把われる。耳が聞こえてるがために、聞いた話に把われる。五感で見えてもいいんです。聞こえてもいいんです。把われなければいい。

掴まなければいい。思い込まなければいい。執着しなければいい。だから、把われの想いを守護霊・守護神に明け渡して、世界平和の祈りと守護の神霊への感謝、いわゆる消えてゆく姿で世界平和の祈り、これをもう本当に四六時中やるんです。

「いやー、斉藤さん、私は時々しかやってないんだけどね」って人がいるんです。申し訳ないんですけど、時々じゃ効果がないんです。ほぼないです。だって、やらない時間に業想念を山積みしてるんですから。全然消えないですよね。

本気で神聖復活したかったら、起きてる間中、消えてゆく姿で世界平和の祈り、守護の神霊への感謝。印を組むとか、何かの宣言をするとか、あってもいいと思うんですけれども、それが基本です。3週間本気でやったら、絶対に変わります。

でも、そう言っても、やる人とやらない人も決まってるんですけれども、3週間と言われて3ヶ月でやる人もいる。6ヶ月でやる人もいる。1年、2年でやる人もいる。

いろんなパターンがあるんですけど、それはお一人お一人の守護霊・守護神さまが、ご本人に一番いいように調整して導いてくださいます。

今、「守護霊・守護神さま」と言いましたが、「さま」ってつけてるから、他人のように感じるかもしれませんけれども、守護霊さまも守護神さまも、魂という括りの中で見れば、私たちの内部神聖になります。ハイヤーセルフって言うんですか。

自分と他人を離れたものだと人間は思って見てますけど、「私は私、あなたはあなた」と我々ついつい思ってしまうので、他人のように感じてしまうところですけれども、「でも本当は一つなんだよね」というところを本当に分かるための入り口が、守護霊さまと一つになって生きること。

その次には、守護霊さまと一つになった自分が、今度は守護神さまの中に入って、守護神さまと一体になって生きること。

こうやって生きてる私たちの体を使って、守護霊さまが働いてくださいます。守護神さまが働いてくださいます。声色が変わるわけでもない。何にも変わらない自然な自分として、守護霊・守護神さまが私たちの肉体をとおして働いてくださる。

大きな天命、ミッションのある方には、神界の神々や宇宙人の人たちが入って、私たちの体を使って働いてくださる。

よく由佳先生が、「私たちは神々と協働しているんです」という言い回しでお話をされます。協働というのは、協力の「協」に「働く」ですね。

共に働いている、共同創造しているということですけれども、霊的な次元で一緒に働いてるのは、もう当たり前中の当たり前で、この肉体を共に使って働いている。私たちの肉体は、神々さまの器なんです。宇宙天使の方々の器なんです。

「我が我が」「自分が自分が」という想いが薄まれば薄まるほど、使いやすい。世界を本当に平和に導くために生きている人たち、それが私たちです。

それは、肉体の頭では想像もできないぐらいに、大きな大きな命のお仕事をしている状態なんですね。死んでから改めて振り返らされて、「はっ、こんなに偉大なお仕事を受け持たせていただいていたんだ」と感涙にむせぶ方もいらっしゃるかもしれない。

もしくは、この肉体を持って生きている間に、この偉大なるミッションを自覚して、ひっそり涙する人もいるかもしれない。でも、遅かれ早かれ、みんなが気がつきます。

今この瞬間を境に、もう人間としての生き方は諦めて、神々の一員として、肉体を持った神として生きるんだと腹をくくって生きれば、もう守護霊・守護神さまだけではない、神界の神々さまや、たくさんの宇宙人の方々も、私たちが意識進化するための大いなる応援の、命の光のシャワーを注ぎ込んでくださるんですね、私たちの意識の中に。

そうすると、本当に変わります。劇的な変化を感じる方もいらっしゃるかもしれないし、知らない間に変わっていたねと感じる方もいらっしゃるかもしれないですけれども、変わることは確定です。変わろうとしているならば、ですが。

そういうことですので、具体的に何年後という言い方はできませんけれども、今年その大きな変化が来るかもしれない。来年かもしれない。再来年かもしれない。刻一刻と、地球の大いなる変化の時が近づいております。

地球がどれぐらい大変なのかということが分かったら、私たちは油断して生きてなどいられなくなります。

想像してみてください。私たちの体が地球の体であると。その地球の体の上を、無数のウジ虫が這って歩いてるんです。人間たちの想念です。

だから、天の大神さまに地球さんは、「私の体の上の厄介者たちを振るい落としてもよかろうか」と相談されたんです。それを食い止めておられるのが、五井の大神です。だけど、地球の我慢の限界というのは、もうとっくに超えてるんです。

いつ何が起こるか分からないという、もう薄い氷の上を歩いてるような段階なんです、今。

もちろん、私たちは死んだらいいところに行くから、それはそれでいいんですけど、これまで40何億年かけて、この星を完成させようと思って、無数の神々が関わってやってきたことが無になってしまう。

それは、奥の世界の神々も望んでいらっしゃらないんですね。だから、地球人類の中で、本当にごく一部の人たちではあるけれども、世界平和を祈れる人を育て、この神聖復活の印という究極の切り札を与え、地球人類の意識の進化を見守ってくださっています。

私たち自身が変わるんです。神々さまが変えてくださるわけじゃないんです。宇宙人の方々が変えてくださるわけでもない。ただ、背中は押してくださる。応援はしてくださる。歩みを進めるのは、私たちひとりひとり。

もうすぐ、本当に「今まで一生懸命やってきてよかった」と思える時が来ます。どういう形で来るかは申し上げませんけれども、「自分にこんなに魂の力がついていたのか」とびっくりする時が来ます。その時を楽しみに過ごしてゆきたいと思います。

はい、それでは本日の勉強会はこれで終わりにして、神聖復活の印を、また皆さまと一緒に一回組んで終わりにいたします。それでは始めます。

<神聖復活の印を一回>

はい、ありがとうございます。次回は7月18日の土曜日、2週間後になります。

この間もお伝えしたんですけれども、勉強会のホームページの一番トップのページが、ちょっと仕様が変わってカレンダーになっていて、そのカレンダーの中に「勉強会」とか「神聖で繋がり合う日」とか、言葉が出てますので、その言葉を押すと、過去のものは内容を動画なり文字なりで確認できるようになっておりますので、ご活用ください。

それでは、皆さまのマイクをオンにします。

<Byebye タイム>

ありがとうございます。ありがとうございました。それでは、本日の勉強会をこれで終わりにいたします。皆さま、ありがとうございました。お疲れさまでした。

以上