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260823_日本語版_神聖開発勉強会.pdf
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◆ 260823-午後_勉強会
皆さま、こんにちは。8月23日、日曜日の勉強会を始めます。西のほうでは暑い日が続いていると思いますが、東京、関東はじめ、北の方では確実に気温が下がってきて、ちょっとだけ過ごしやすい状況になってきていると思います。
そういう中にあって、大雨ですね。千葉県で大きな被害がありましたし、千葉の次は埼玉、東京、神奈川と猛烈な雨が降り、他の地域でも、集中豪雨、線状降水帯による水害というのが起こっています。
考えてみると、ここ10年か20年じゃないかなと思うんですね。昔は台風やハリケーンが来たときだけ気をつけようって感じだったんですけれども、日本でいえば、最近は台風が来なくても台風が来たような被害が出たりということがあります。
こういうことに想いを致すときに、雨が集中して同じ場所に降るという表面上の出来事だけではなく、水はけを悪くしてしまった地球人類の街づくり、都市開発とか、そういうやり方にも目を向けざるを得ないんですね。
具体的には、ダムをたくさん各地に作ってしまった。(日本全国で約2700箇所のダムがある)それから地表のかなりの部分をアスファルトやコンクリートやブロックなんかで覆ってしまって、雨水が地中へ自然に染み込んでゆくのを邪魔する状況を作ってしまった。
(山を崩して人間のいいように改変したり、木々を伐採して元々の山の植樹の在り方を変えてしまったという面もある)
それから川の流れをコントロールしようとして、川の縁・へりをコンクリートで固めてしまって、川が自由に伸び縮みすることができないようにしてしまったんですね。
都会で川が溢れるなんていうのは、もうほとんど、そういうコンクリートで固められたところを流れる川の水が想定よりも増えてしまったときに、そこから溢れ出るということですね。
それでもっと地方に行くと、海へつながる大きな川があるんですけれども、その大きな川の水流、水の強さ、流れの強さがものすごい濁流になってダーッと流れているときに、その大きな川に入ってこようとする支流、小さな川がありますね。
その小さな川の水が大きな川に入ってゆけないで、バックウォーター現象が起こる。小さな川が大きな川に流れることができないであふれてしまう、というようなことが起こったりしています。
そういう人類が今までやってきた街づくりであるとか、いわゆる開発のあり方というのを根底から見直さなきゃいけないときに、今来ているんだと思います。
また、電力の確保ということが今、世界中で表面化して問題視されてきております。これはAIというものが世界中で使われるようになって需要が拡大したというところで、電気が足りなくなってきて、どうやってその電力を確保しようかというところで、いろいろな方がいろいろな意見を出したりしています。
新しい発電の方法として、これはいいんじゃないのって思われているのは、バイオマス発電と言われるものですね。そういう動きを求める人たちもいるんですけれども、何をどう考えてみても、画期的に今の状況を打破するというところにまでは行っていません。
だから今、地球の人類というのは、既存の今までの発電方法の限界を直視して、現状打開の方法と向き合わざるを得ないところに来ています。
発電施設っていろんな発電の方法があるんですけれども、火力発電、水力発電、原子力発電、太陽光発電、風力発電、それからバイオマス発電。これはゴミや木くずを使うもので、二酸化炭素が出ないと言われております。けれども、その燃料を集めるのが難しいし、発電の規模を大きくもできないというところで、すべての発電方法に一長一短があります。
で、電力関係のお仕事をしている人、それから政府・自治体が今、世界中でですけれども、これが一番良い発電方法だろうと思っているのが原子力発電です。
確かに原子力発電というのは、他の発電方法に比べて少ない燃料でたくさん電気を作り出すことができるし、二酸化炭素、CO2の排出がないというところでいいんじゃないかと言われているんですね。価格もある程度安定して、上がったり下がったりしません。
だけれども、いざ何かの原因で事故が起きてしまったときに、対処する方法を地球人類は誰も知らないんですね。また、放射性廃棄物質を害のない状態で処分する方法が未だに発見されていない。
この放射性廃棄物質や漏れ出た放射性物質をどうするか。今の地球界では、土の中を地中何十メートル、何百メートルって掘って、そこをコンクリートで固めて、そこに必要なくなった放射性物質を流し込んで、コンクリートで蓋をして、また埋めるというやり方を世界中でやっているんです。(薄めて海に流す方法もやっているが、やりつづければ濃くなることは自明の理)
これは未来の世代に、「あとはあなたたちが何とかしてね」って丸投げしてるようなことなんですね。それが良くないということも心ある人ならわかるんです。けれども、代わりの発電方法、電力に代わるエネルギーのあり方がわからないという段階に、今、地球の人たちは生きております。
この状態を突破する鍵は、皆さまも心の中で思い浮かんでいると思いますが、『宇宙子波動生命物理学』ですね。金星をはじめとした「太陽系宇宙の他の星々」の宇宙人の方々から教わった科学の力ということになるんですけれども、この宇宙子科学が地球で使えるようになるためには条件があるんです。
それは私たち人類が、人間であることをやめることです。人間であることを卒業することです。神としての本来の自己を思い出すことです。神聖復活して生きることです。悟りを開いて生きることです。神我一体になって生きることです。そういう人が多くならないと、宇宙子科学は地球で使えないんです。
ものすごくわかりやすい例を一つあげます。他の星でも、月にある基地でも、食べ物を調理したときに出る生ゴミを、特定の波動を放射することで目に見えない元素に還元する方法があるんです。要は、ゴミが残らないということです。
これは下水道の処理にも応用が効きますね。人間は食べたら排泄をする。それを街の下水道の排水管に流し込んで、下水処理場で処理して、ということをやらなくてよくなるんです。もう各家庭、各建物の中で、その場で元素に還元してしまう。
だけど、この科学力を使うためには、やはり人類の心が神そのものの意識になっていないと、とてもじゃないけど、宇宙人の側からしたら、この力を地球の人たちに渡すことができないんです。
今の人類の意識レベルで、その科学力が地球に入ってきたことを想像してみてください。「あいつ気に入らないから消してしまえ」となります。今で言う動物虐待も、「あの動物は邪魔だから消してしまえ」になるんですね。人類の意識レベルがそういう段階にあるうちは、宇宙子科学は地球で使えません。
昌美先生もだいぶ以前に、宇宙子科学っていうのはもうほとんど完成してる、というお話をされていました。この地球に展開できる時期を待っている状態なんですね。
で、地球に宇宙子科学が展開できる状態というのは、地球に生きている人類の意識が、自分たちは神さまの子どもで、みんなが兄弟姉妹で、本質においては一つなんだということを、誰もが当たり前のように思っている、そういう状態です。そこへ行かないと、やっぱり他の星で使っているような科学の力を地球で展開することができないんですね。
なんか今日は統一もしないで、いきなりこういう話が出てきたんですが、統一を一回挟みたいと思います。
<世界平和の祈り>
言葉足らずだったんで補足しますけれども、宇宙子科学を自分の意志で自由に扱える人、責任の伴う使い方ができる人は、自らが神聖の存在として生きている人だけです。
その段階で神聖復活を果たせていない人は、宇宙子科学の恩恵のごく一部だけを享受することはできますが、能動的に扱うことは出来ません。例えば、暗くなってから街を歩くと街灯がついていますけれども、昔はその街灯は電力で灯りがついていたっていうのが、宇宙生命エネルギーで灯りがついているって形の恩恵を受けることはできます。
けれども、さっき言ったような責任の伴う使い方は、神聖を自分のものとして生きている人に限定されます。
その頃の時代には、お金というものが無くなっている。今は何でもお金を出して対価としていただくという世界です。けれども、貨幣経済の世界が崩壊した後にやってくる神聖文明の時代というのは、その人の人格、霊格、神格がすべてのすべてになります。
お金の代わりになるのが、個々人が持っている徳です。私たちは銀行口座にお金があるのと同じように、命の口座の中に徳をいっぱい持っているんです。
『世界人類が平和でありますように』って一回祈ったら、一回祈った分の徳が、その命の口座の中に振り込まれる。何回も何回も数知れず祈り続けている人は、それだけたくさんの徳を持っています。だけれども、その徳を自分が持っているってことを、多くの人が気づいていない。
今の世の中に当てはめて考えたらわかりやすいと思うんですけど、「お金ないわ、うちは貧乏だわ」って思って生きている人が、実は何兆円っていうお金をその口座に持っている。でも、その口座を持っているということを忘れてしまって、「自分はお金がないんだわ、貧乏なんだわ、来月の暮らしどうしようかしら」というふうに考えてしまっている状態なんですね。
それはいわゆる自己限定とか自己否定とかの想いの癖からくるものなんです。人間っていうのはこういうものなんだという枠の中で、至らないものなんだ、弱いものなんだ、脆い存在なんだ、誘惑にすぐ引っかかる存在なんだとか、前向きの反対ですね、後ろ向きな想い方の癖を持って、そうやって思っていることだけを考えてしまう。そういうことなんですね。

それでちょっと、画面共有をまた再びします。一番上に四文字熟語が出ております。『上虚下実(じょうきょかじつ)』と読みます。ちょっと説明をまとめましたので読みますね。
上虚下実っていうのは、上半身の力が抜けていて下半身が充実している状態。別な言葉で言えば、上半身が脱力して下半身にエネルギーが充実した状態。こういう状態であるということですね。下でしっかりと支え、上は緩める。力を入れる場所と抜く場所を間違えない。
そういう広い意味においては、各種の芸道、例えば舞踊、歌謡とかいろいろあると思うんですけれども、それから瞑想体系、瞑想のやり方にもいろんなメソッドがあります。それから身体教育メソッド。ピラティスっていうんですかね。なんか、そういうのがよく街を歩いていたら看板に出ていますね。そういうのです。
それからスポーツや武道などの様々な分野においても、それぞれの分野の表現で同様な内容が説かれています。
また、この状態というのは一般的に肉体の面に特化して考えられがちなんですけれども、正しい意識の用い方と、悠々とした呼吸が常態化した、当たり前になったという、そういう下地があってこそ可能な状態であるため、日常生活のあらゆる場面がそのまま練習の時間であると考えて、倦まず弛まず精進することが大切ですということですね。
一番最後に、反義語としては『上実下虚』というように、実と虚が入れ替わった言葉があるんですけれども、これはどんな分野でも、心と体を正しく使う上で好ましくない状態であると言われております。
今までの勉強会のお話で言えば、丹田に意識の中心を収めるのがいいですっていう話が、これに該当します。それはまさに、この意識の使い方と呼吸の合わせ技なんですね。
意識だけ動かそうと思っても動かないんです。呼吸だけでもちょっと足りないんですね。呼吸だけでできないわけじゃないんだけど、呼吸だけだと時間がかかるんです。
呼吸と意識の正しい用い方を合わせて行うことで、熟練してきた人はものの数秒、数十秒で、丹田にある自分として言動行為をすることができます。
それから『才気煥発(さいきかんぱつ)』。この言葉が、この1週間か2週間のうちに、私の中でなんか気になって気になってしょうがなかったんです。で、よくよくこの才気煥発っていう言葉を咀嚼してみると、これ、まさにディヴァイン・スパーク(Divine Spark)のことを言ってるんじゃないかというふうに思いました。
才気というのをディヴァインと解釈する。煥発っていうのは、火が燃え盛るように現れる。ディヴァインがスパークする。才気が煥発する。同じことなんですね。

で、じゃあ才気煥発ってどういうことなんだろうなって観てゆきますと、ここに書いてあるんですけれども、頭の回転が速く、すぐれた才能や機知など、無限なる叡智、智慧、創造力などが、火が燃え盛るように外に向かって輝き、現れているさま。頭がいいだけではなく、生命の本質である神聖が言動の端々にきらめいて見えている、そういう状態です。
上の説明でわかるとおり、才気煥発というのは、英語のディヴァイン・スパークが本当に示している状態を正しく日本語で表現した言葉だと言えます。
神聖復活の状態が進むにつれて、才気が煥発しだしますと、どんな人も、後ろ向きなネガティブな想いの癖が薄れてきて、代わりに、天命にかなったことならどんなことでもやれば必ずできるんだ、と自然に思えて、新しいことにチャレンジする気力が満ち、行動力につながってゆく。この一番下に書いてあることですね。すなわち、才気煥発とは、無限なる種々の力が自然に発動している状態です。
ここ何週間か、この『上虚下実』と『才気煥発』っていう言葉が私の中で表面に出て、いろいろ考えさせられることがあったんですけれども、この上虚下実が当たり前になる、上虚下実を極めてゆくと、才気煥発になるのではないかというふうに思いました。

3枚目のスライドですね。『上虚下実から才気煥発へ』。
まず①、意識が己の実体であり、肉体は意識の器であるという前提条件を持つ。これがベースにあって、②ですね。呼吸のコントロールにより、意識の重心を臍下丹田に収める。
この世の中で上虚下実って言われたときには、体の重心のコントロールのことを言っているんですけれども、私たちは体が自分ではないんですね。意識が実体なんですね。だから、意識の重心を臍下丹田に収める。意識の重心を丹田に収めたならば、肉体の重心っていうのも自動的に下へ降りる。意識が先で、肉体は後だということです。
③、心身、心と体を上虚下実の状態に保てば、自らの心身が地球と天を結ぶ中継センターと化す。
これは実際にそうなんですけれども、もしかしたら、この中にも自覚されている方がいらっしゃるかもしれないんですけれども、肉体って、宇宙と地球をつなぐ中継センターなんです。
自然界でその働きをしているものは、山、マウンテン、山です。山というのは、宇宙のエネルギーを受け取って、地球のいろんなところへ配る役割を果たしています。テレビ局の大きなテレビのアンテナが、さらに宇宙大の働きをしているような、そういうイメージです。
④、感謝の土台の上に無私の愛を育てれば、俯瞰の視座が連動して甦ってくる。
「俯瞰の視座になろう、神聖の視座になろう。よし、俯瞰の視座になろう。俯瞰の視座だ、俯瞰の視座だ」って、どんなに念力で頑張ったところで、俯瞰の視座にはならないんです。
常日頃から、どんなこともありがたいな、ありがたいな、本当にありがとうございます、ありがとうございますっていう毎日を続けながら、無私の愛を育てる。無私の愛っていうのは私心がない愛、いわゆる神聖の愛、神々さまと同じ愛を自分の心に持つということですね。
で、私たちにとって、無私の愛を自分に育てるって難しいことじゃないんです。とっても簡単な、シンプルな話なんです。『世界人類が平和でありますように』『May peace prevail on earth』と祈っております。この祈りの積み重ねが、自分の心の中に私心のない、無私の愛を育てていることになっております。
であれば、足りないのは感謝の土台を作ること、ということになります。感謝の土台を作る。本当にありがたい、ありがたいという気持ちをもって四六時中を過ごす練習をするんです。
そうすると、表面意識の奥から「ありがたくないんだけど」っていう想いが出てくるんです。出てくるけど、そういう想いが出てきたときに、「いいんだよ、本当にありがたいって思ってなくてもいいんだよ。私は今ね、ありがとうって思う練習をしてるの」って、そのエゴさんに話しかけてあげてください。そうすれば、そのエゴさん、おとなしくなります。
大抵の人はエゴに負けるんです。「そんなの続けたってしょうがないよ」とかっていう想いが出てくる。その「続けたってしょうがない」に引きずられて、感謝し続けることをやめるんです、大抵の人は。
だから、たまに感謝してますっていう人はいっぱいいるんですけど、今この時代、本当に神我一体になって地球を新しい時代へ導かなきゃいけないというこの時代に、そのような中途半端な感謝では、自分が神我一体になることができないんです。
一日中、朝起きてから夜寝るまで四六時中、いつでも、どこでも、ありがたい、ありがたい、ありがたい、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございますを思い続けに思い続けるんです。
それは、守護霊さま、ありがとうございますかもしれない。食べた食べ物に対するありがとうございますかもしれない。吸うことができる空気に対するありがとうございますかもしれない。歩くことができる大地に対するありがとうございますかもしれない。道端の植物に対するありがとうございますかもしれない。いろんなありがとうございますがあると思うんですけれども、どんなことにも感謝するんです。
だいたい人間というのは、自分の感情が面白くないと思うものに対して感謝はできない。だから、特にそういうものに対して重点的に感謝の想いが出てくるような練習を繰り返すんです。
例えば、嫌いな人がいる。私もやりましたけれども、「いや、あんな人に感謝なんかできないよね」と思ってしまうことがある。そういう人にこそ感謝をするんです。
そのときに、肉体人間のその人を見ていたらなかなか感謝できないので、とっかかりとしては、その人の守護霊さまに感謝する。その人の目を見ない。その人の頭の上の守護霊さまの顔を観る。「何々さんの守護霊さま、ありがとうございます」とやる。
これを続けていると、そのうち「何々さんの守護霊さま、ありがとうございます」と言ってた想いが、知らないうちに「何々さん、ありがとうございます」に変わってくるんです。本当に変わるんです。自分はそれができてないなって思う方はぜひやってみていただきたいんですけれども、本当に自分が変わります。
説明に戻ります。⑤、アファメーションを繰り返し、自己認識を神聖意識で完全に上書きする。
アファメーションって聞いたことある方もない方もいらっしゃると思うんです。簡単に日本語で説明すると、自分を励ますような、鼓舞するような、そういう言葉を発する、唱えるっていうことです。
だから、ものすごく皆さまに馴染みの深いアファメーションの言葉の代表は、『すべては完璧、欠けたるものなし。大成就!』。これを繰り返し唱えることは、アファメーションをやっているということですね。
この『すべては完璧、欠けたるものなし。大成就!』でも、四六時中、思い出してはやっていると、自分に対する認識、自己認識っていうのを神聖の意識に変えるように、完全に上書きされることへつながってゆくんです。
私はやりました。四六時中やりました。仕事中でもやりました。人としゃべっている時はできないんですけれども、人としゃべってない時間、いつもいつも、「すべては完璧、欠けたるものなし。大成就! 」「私は神聖なんだから、できないことはないんだ」「できないと思うからできないんだ。できると思えばできるんだよ」とか、いろんなことを思い続けに思い続けました。
そうしたら、何年経ったのかわからないですけど、本当に、後ろ向きな考えというのがいつの間にか薄くなっています。完全に無くなってはいないんです。まだ心の隅にネガティブな想いの癖が残っているんですけれども、かなり薄くなりました。
⑥、「なるほど、そうだったのか」といったアハ体験を当然の認識に昇格させる。
このアハ体験って言葉もなじみのない方いらっしゃるかもしれないですけど、膝をパーンと叩いて「あ、そっかー」って思うような、そういう状態のことです。
それは一つの壁を突破したという状態なんです。それが、この「なるほど、そうだったのか」です。そして、それをすぐに忘れちゃうんじゃなくて、そう思ったことを自分の当たり前の認識にすることが大事だということです。
だから「あ、そっかー」って体験をしたらメモしておくんです、忘れないように。そうすると、メモを読み返すたびに、膝を叩いて「あ、そっかー」って思ったときの記憶が甦って、それが意識にだんだん定着してきます。
⑦、自らを神聖の存在として当然視できれば、すべてに神聖を認め、自分自身も神聖の響きの中で生きることができる。
多くの人は、世界を神聖だって観よう、他人を神聖だって観ようって一生懸命やるんですけど、なかなか認められないでいます。「誰々さんを神聖と観よう」って思っても、「いやだけど、あんなことしてるあの人のことを神聖だなんて思えない」って思ってしまう。そこでぐるぐるぐるぐる堂々巡りをしている。
一番大切なことは、何よりもまず先に、何事にも先がけて、自分が自分を神聖の存在だと認めることなんです。当然視することなんです。その一番大事なことをないがしろにし、脇に置いて、人さまを神聖と観ようとか、世界を神聖と観ようというのは、ちょっと早いんです。まだその段階じゃないんです。まずは自分の神聖を認めるんです。それがはじめの一歩なんです。
そのためには、『人間と真実の生き方』の冒頭の宣言を繰り返し繰り返し口に出して唱え、何度も何度も書く、謹書する。できれば書くときには息を止めて書く。十分に酸素を吸って、息を止めて書いているとき、自分の命の大元と表面意識の繋がりが濃くなります。
そこで意識に刻み込んだ『人間は本来、神の分霊であって業生ではなく、常に守護霊、守護神によって守られているものである』という認識が、自分の心身に染み込んでくる。そうすることによって、宇宙神のエネルギー、命の源のエネルギーと表面意識が直結して、自分を本物の神聖の存在にしてくれるんです。本気でこれをやるだけでも、人は悟れるんです。
それと同じようなことは『本心』の詩の冒頭にも書かれています。それから『我即神也の宣言文』『人類即神也の宣言文』の冒頭にも書かれています。また、「宇宙神とひとつに結ばれている私、○○を犯すものは一切何もない」が書かれている『祈りの言霊』の冒頭にも書いてあります。
人間ってのは本来こういうものなんだよ、ということが、そういういろいろな宣言文の頭に書かれているんです。頭に書かれているというのは、それが前提条件だということなんです。
そういう認識を持たなかったら、生まれ変わることができない。今までの想念習慣の繰り返しなんですね。ぐるぐるぐるぐる同じところを繰り返す。同じ課題を繰り返し繰り返し学び直す。学び直させられても、学び直させられても、人間は学ばないんです。
同じ経験を何回も何回もしても学ばないというのは、やっぱり本当の人間のあり方からちょっと遠い状態だということなんですね。
2時を回りましたので、休憩に入ります。その前に神聖復活の印を一回、ご一緒に組ませていただきます。それでは始めます。
<神聖復活の印を一回>
はい、ありがとうございます。
それでは、2時4分から14分まで休憩にいたします。画面を共有します。これで画面共有状態になったと思うんですけれども、ご自分のビデオをオフにして休憩に入ってください。
<休憩>
それでは、14分を回りましたので再開します。人間は無限なる力を持っているのですが、その力を想念言動行為に現わすことが難しいって思われている方が多いと思うんですね。それでここからは、人間が持つ無限なる力が本当に自分の中にあるんだっていう体験をしていただく。そのための練習の時間を設けます。
私たち七ヶ国のお祈りでは、特に外国の人たちがリーダーをやってくれる日には、それぞれの縁のある国のことを、その国の言葉でお祈りをしてもらい、日本語でもやる。日本語がどうしても苦手っていう人は、その国の言葉だけでやるという形でお祈りをしてもらっているんですけれども、結構、難しい言葉がいろいろあるんですね。
その中でも、日本人にとってはなじみが薄く、これは難しい言葉だろうというところで、スウェーデン語の『スウェーデンの人々の神聖復活、大成就』という言葉を、はじめにGoogle翻訳の音声で聞いていただいて、どれだけ聞き取れるかっていうのを、実際にまず聞いて、ご自分で感じてみてください。
きっとほとんどの方は、ちんぷんかんぷん、何言ってるのかわからないっていうふうに受け止められると思います。でも大丈夫なんです。その後、単語単語で練習をします。で、その単語を組み合わせて、一つの文章として言います。
例えば、今はスウェーデン語だから関係ないんですけど、ポーランド語で『ポーランドの人々の神聖復活、大成就』っていうのは「Mieszkańcy Polski przebudzają swoją boskość. Dai-jouju.」っていうんですけれども、私も、これ、いろんな言葉を練習してゆくときに、最初はちんぷんかんぷんで何言ってるかわからなかったんですけど、練習をした後に聴くと、何言ってるかがわかるんです。本当に聞き取れるんです。
それをちょっと実感していただきたいなということで、まず画面共有します。Google翻訳のページを開きます。で、再生のボタンを押してみます。はい、もう一回流します。
聞き取れたって方いますか? 日本語を使って生活している私たちにはなじみのない言葉なんで、聞き取れないのは当たり前なんですけれども、これから練習をしてゆきます。

画面共有をもう一度します。
ここにカタカナが出てきました。『ディッsヴェンスカ フォルケッツ グッドムミリギェッt ハヴォッkナッt ティl リィヴィエン(Det svenska folkets gudomlighet har vaknat till liv igen.)』。
まず『ディッsヴェンスカ(Det svenska)』を、ちょっと繰り返します。ここからここまでですね。声に出して言ってみてください。誰にも聞こえないから、恥ずかしいことはないです。sの文字のところは、子音だけのsです。ウが付かないsの音です。
はい、次の塊に移ります。ここですね、『フォルケッツ(folkets)』。これは簡単ですね。
で次はここから、このgの文字から『グッドムミリギェッt (gudomlighet)』。最後がtの文字になってますけど、なんでカタカナで書かないかというと、これ「グッドムミリギェットォ」じゃないんです。「トォ」っていうのは「トォー」って、オー(o)っていう母音がつくんですね。tは子音一つだけの音です。で、だいたいの会話の中では、このtで終わる単語のときには省略されることが多いです。
で、次の塊はここからですね、『ハヴォッkナッt ティl (har vaknat till)』。
ここにはk、t、lと子音が入っています。このkの文字も「ハヴォックゥ」じゃないんですね。「ク」だと「ウ」という母音が漏れなくついている、いわゆる日本語的な音になります。だけど外国語には——アジアの外国語も同じなんですけど——子音だけの音がいっぱいあるんです。英語でもスペイン語でもありますね、子音だけの音が。
「ハー」っていうところも、つづりでは har と書いてあるんですけど、このrの音はほとんど聞こえないので、ここは日本語のカタカナに反映してません。だから、ものすごく厳密に言えば英語のRの発音のようにやってるんだけど、普通の日本人には難しいんで「ハヴォッkナッt」と書いています。
この最後のlも、日本語の「ル」ではないんですね。この音がどういう状態になっているかというと、日本語の「ル」をよく口の中で、舌がどう動いてるかを観察してみてください。自分で「ルルルル」って言いながら舌の動きを観察してみてください。
上の歯の後ろあたりに舌先が一瞬ついて、離れた瞬間に「ル」という音が出てることがわかりますね。
でも、このlで終わる音は母音がついてない。どうやって発音するかというと、上の歯の後ろに舌先をつけて止めた音だということです。
最後は簡単ですね。ここ、『リィヴィエン(liv igen)』。で、ちょっとずつ塊を増やしてゆきます。次は『ディッsヴェンスカ(Det svenska)』。同じように口に出して言ってみてください。
次は、始めから終わりまで言います。『ディッsヴェンスカ フォルケッツ グッドムミリギェッt ハヴォッkナッt ティl リィヴィエン(Det svenska folkets gudomlighet har vaknat till liv igen.)』。
今ちょっとゆっくりめです。……では、ちょっとスピードを速めます。
いつもいつも、そうした外国語を担当する日本の人に言っていることは、外国の歌だと思って、歌の一節を覚えるんだと思って練習してみてくださいということなんですね。例えば、ビートルズの『Yesterday』の一節を歌う。そこにはメロディーがあり、リズムがあるんですね。これ、外国語の祈りの言葉も全く同じなんです。これを歌だと解釈するんです。
『ディッsヴェンスカ』(歌いながら)みたいな感じですね。最後の「カ」はもっと低いですね。(電子ピアノで音を出しながら)実際の音とは違っていますけど、音程差をつけるっていう意味で解釈してください。
単語ごとのアクセントっていうものが、日本語以外のすべての言語にはハッキリとあるんです。これは韓国語でも中国語でも、他のアジアの言葉でも、西洋の言葉でも、アフリカの言葉でも、オセアニアの言葉でも変わりません。一つの単語の中に、ものすごくハッキリとした強く言う場所があるんです。
そこをつかめば、例えば『ディッsヴェンスカ(Det svenska)』は「ven」っていうところが一番強いってわかる。じゃあ、この『ディッsヴェンスカ(Det svenska)』っていうのは「ven」だけ強く言えばいいんだ、っていうふうに解釈する。
で、その次の塊、『フォルケッツ(folkets)』は「fo」が強いんですね。「lkets」っていうのは、おまけのようにボソボソっと言ってるだけなんです。これを音程差をつけて言うんです。
『グッドムミリギェッt (gudomlighet)』、これも簡単ですね。「do」がアクセントなんです。ものすごく強く言う「do」の音以外は、ボソボソボソって言ってるだけなんです。
で、その次の塊、『ハヴォッkナッt ティl(har vaknat till)』。こんな感じですね。これは日本語で童謡の『チューリップ』の歌を覚えるのと全く同じなんです。
『リィヴィエン(live igjen)』、これも簡単ですね。「li」だけがアクセント。「ve igjen」っていうのはボソボソと言うだけです。それを踏まえて通しでゆっくりめから始めます。
『ディッsヴェンスカ フォルケッツ グッドムミリギェッt ハヴォッkナッt ティl リィヴィエン(Det svenska folkets gudomlighet har vaknat till liv igen.)』。
しばらくやったところで、ちょっとこれでまた音を聞いてみます。もしかしたら全員が聞き取れないかもしれないですけど、結構多くの方が聞き取れるのではないかと思います。Google翻訳の音声です。
はい、いかがでしょうか?一番最初に聞いたときと全然聞こえ方が違うと思いませんか? ハッキリと聞き取れる、もしくは、なんて言ってるかなんとなく聞えるよという方は、手で丸のゼスチャーをしてください。はい、ありがとうございます。
これは、私たちの頭の中に脳細胞があるんですけれども、脳細胞を強化することによって、聞こえなかった音が聞き取れるようになるということなんですね。
脳細胞は英語でニューロンと言われてますけれども、ニューロンというのは、その細胞本体からたくさん手が出たものだと思ってください。タコだったら足が10本ありますけれども、人間の手がものすごくたくさん出ているような、そういうのをニューロンだと思ってください。
ニューロンが私たちの脳の中にいっぱいひしめいているんです。このニューロンというのは、他のニューロンと手を結ばなかったら使い物にならないんです。ただそこにあるだけ。何も考えられない。何も思い浮かばない。何も思えない。
だけど、ニューロンとニューロンが手を結ぶ、このつなぎ目のところのことをシナプスって言うんですけれども、このシナプスでニューロンとニューロン、脳細胞と脳細胞が繋がり合いを起こすことによって、今までわからなかったことがわかるようになる。できなかったことができるようになる。今だったら、聞き取れなかった音が聞き取れるようになるという、そういう現象が起こるんですね。
これはもちろん個人差がありますから、今の10分、20分の中でできたよっていう方もいれば、ちょっと10分、20分じゃ足りなくって、2、3日必要だよっていう方もいらっしゃるかもしれないんですけれども、諦めないで同じことをやれば、必ず同じように聞き取れるようになります。
私たちの意識をどう使うかっていうのは、脳の使い方とも連動しているんです。だけど、あんまり脳のことばっかり考えると「人間って物質なんだ」ってなっちゃうから、【脳っていうのは、人間の意識の働きの一部がこの頭の中で動いてるだけのものだ】って、そう思ってもらうにとどめた方がいいと思います。
私たちの本体は意識であって、体じゃないんです。この体は自分じゃないんです。自分の意識の乗り物、入れ物、器なんです。人間が生きているという状態は、この肉体に魂が食い込んで、一体になって生きている状態です。
でも私たちは、毎晩寝るときに魂ごと肉体から離れてるんです。寝るっていう行為(睡眠をとる)は、魂が霊線だけでつながって、あの世へ行っている状態です。その間、守護霊さまのもとで統一修行してるんです、私たちは。
その統一修行の中で、目を閉じて瞑想をしている中で、いろんな映像を見せてもらうんです。その一部が、私たちの肉体の脳髄に夢として映って現れてくる。
(ただし厳密にいえば、夢の中の統一中に見せていただいている映像と、脳髄に降りてきて夢として画き顕わされる映像は違う。夢の映像は戯画化してわけがわからない内容になっていることが多い)
でも本当のことを言えば、今こうやって生きているこの肉体の世界、五感で見聞きしているこの世界こそが夢の中の世界なんです。この体が自分だよって思って生きてる限りは、その人は起きてないんです。寝てるんです。
ってことは、夢遊病者のような状態で生きているということです。夢遊病者の状態から覚めて、本当に起きた意識で生きることが大切です。この肉体にあって起きた意識で生きるっていうことが、神聖を発揮して生きている状態なんですね。
昨日の『動画による祈りの会』の中で、大雨だとか大地震だとかが起こる中で、人間は不安恐怖、いろいろな想いを抱いてるけれども、守護霊・守護神にお任せを通して繋がり、感謝の響きの中で生きてゆけば、そういう大雨とか大地震とか、お浄めだと思えるようないろいろな状態が、実はありがたいことなんだなという認識の仕方ができるんですよ、ということを、ものすごく柔らかく、ものすごく優しくお話ししてくださいました。
それは娘さん方のキャラクターもあるんでしょうけれども、あれは本当のことをおっしゃっているんですね。だから、本当はどんなことがあってもありがたいって思えなきゃいけない。だけど、一足飛びにそういう心境にはなれない。だから、ひとりひとり自分のペースで前へ進んでゆく。
それは、人によっては守護霊、守護神に感謝するっていうことかもしれない。その感謝が自分に身についた意識を持って、今度は周囲と自分の一体性っていうのを感じる段階にある人がいらっしゃるかもしれない。
いろんな体験を皆さまそれぞれになさっていると思うんですけれども、遅かれ早かれ、どんな形であっても、誰もが自分の本質っていうのは宇宙神と一つのものであり、私たちは宇宙神の裔、神々の子ども、そして子どもである私たちは皆兄弟姉妹っていうことが当たり前の意識になってゆきます。
もしかして人によっては、もうそういう段階も卒業して、この間も言いましたけど、『すべては我が子なり』という段階の学びに入っている方もいらっしゃるかもしれません。
みんなと同じじゃなくていいんです。自分のペースでいいんです。誰かと自分を比べる必要はないんです。
でも、人間って比べたいんです。どうしても比べたくてしょうがなかったら、昨日の自分と今日の自分、今日の自分と明日の自分、というふうな比べ方に変えてみてください。
そうすると、自分を磨き、高め上げる毎日の一瞬一瞬が、とても意味のあるものになってゆきます。他人と自分を比べている限りにおいては、人間の心は成長しないんです。
なぜ成長しないか? 他人と自分を比べるということが、二元対立の世界の中で右に行ったり左に行ったりしてるだけだからなんですね。自分が二元対立の中にいながら、他人を批判、非難、評価するというのは、これはまさしく同じ穴の狢(むじな)なんです。
だから私たちは一日も早く二元対立の意識の持ち方から卒業した方がいいと思うんです。ついつい癖で思ってしまう。
だけど思ったときに、「あっ、これは本当の私じゃないな。こうやって本当の私じゃない想いを、守護霊さまが現わして消してくださってるんだな。ありがたいな。世界人類が平和でありますように。私たちの天命が完うされますように」ってお祈りの中に、そういう想いを入れてゆくと、だんだんだんだんと、本当の自分じゃない想いの癖っていうのが薄まってゆきます。
それを倦まず弛まずやり続けるのが、『消えてゆく姿で世界平和の祈り』ということです。
「あの人のああいうところが消えてゆく姿だ。守護霊、守護神さま、消してください。世界人類が平和でありますように」では、その人の世界が変わることはありません。
他人はどうでもいいんです。他人に映し出して感じている自分の中身を、消えてゆく姿にしてもらうんです。あくまで自分なんです。
この世界をどういう世界だと思っているか? ひとりひとり思い方が違うんです。なんで違うか? 自分の中身を世界に映し出してるからです。自分の中身を他人に映し出して観てるだけなんです。
だから、「あの人、あんなことしなきゃいいのに。なんであんなことするのかね」とかって思って見てるときには、その相手がいいとか悪いとかいうことが問題なんじゃないんです。そういうふうに相手を批判的に見てしまう種が、自分の中にあるということなんですね。そこをこそ観なければいけない。
よく「自分に向け直す」っていう言い方をするんですけれども、外に感じたものを自分の中に向け直す練習を、毎日毎日コツコツコツコツとやってゆくと、やがて五感に感じる世界に悪いものが何一つないというものの見え方がするように、自分の意識が変わってゆきます。
もうすでに、今ここでお澄ましして聞いてらっしゃる方の中に、そうやって生きてる方が何人もいるんです。一番の根本は、自分の神聖を当たり前のように認めることです。自分の心の中に0.1%でも神聖を疑う想いがあったら、本物の神人じゃないんです。
この勉強会で何ヶ月か前、しばらく言い続けていたのは、「自分は何者なんだろう?」という問いを毎日毎日、自分に向けてやってください、ということでした。
それをただ、「自分は何者?」「はい、神の分霊です」で終わらせるんじゃなくて、「じゃあ、神の分霊って何なんだ?」と深掘りする。深掘りしたことを、さらにまた深掘りする。
その具体的なやり方は、『天と地をつなぐもの』の中の、五井先生と守護神さまの問答の中に書かれています。あのように、自分の中で問答を繰り返すんです。そうすると、神聖に対する自己認識がより盤石なものに変わってゆきます。やってる人は、本当に変わってきてると思います。
多くの地球の人が、自分は何者かっていう一番大切なことを知ろうとしない。知らなくても生きていけたからです。だけど、これから地球人が直面する世界は、自分が何者かをはっきりとつかんでいなければ、その先へ行けない時代です。
「自分は何者?」っていう問いに対して、「私はこの肉体の存在で、死んだらすべてが無くなるもんだ」という考えの人もいるかもしれないですけど、死んだらすべてが無くなるって思っている人は、死んだ先の世界で開いた口が塞がらないという経験をするだけです。
だから私たちが、無理に「あなた、その考え方は違うわよ」なんて言わなくてもいいんですね。みんな、ひとりひとりが必要な学びをしているだけなんです。
「神も仏もあるもんか」って言っている人も、それも、そう思うことが一時的に通り道として必要だからやっている。必要じゃないことを人間は体験しないんです。
例えば、「職場の人間関係がどうこうで」って言って悩む方がいらっしゃいますけれど、それも必要だから体験しているだけで、必要がない悩みってないんですね。
だから、悩むのが嫌だって人間は思うかもしれないんですけど、それも必要だからやっている。その悩むことをとおして、自分をもっと立派にしてゆくことができる。
体のどこかが痛む、その痛みを感じる経験をとおして、意識がより進化してゆくところへ入ってゆく。
私、何年かに一遍ぎっくり腰をやるんです。立てなくなるんです。朝目が覚めて、さあ起きましょうっていうと起きられない。「どうしよう、仕事あるのに立てない」となる。
でも、ここ数回は、私の中に無限なる叡智が降りてきているんです。叡智が降りてくるようになってから、「立てない、どうしよう」って思ってるときに、まずは座った状態ですね、足の裏をつけてしゃがめって言われるんです。膝はついてもいい。
実際の角度をお見せするわけにはいかないんだけど、多分垂直な角度だと思うんですけど、この角度で上へ体を持ち上げろ、膝を立てる状態へ移動してゆけ、と言われる。
恐る恐る、そのとおりにするんです。完全にお尻のあたり、腰のあたりをまっすぐ伸ばす前に、そこで恐怖の想いが出てくるんです。「いや、これは立てないんじゃない?」って思っちゃう。
でも「大丈夫だ、上体を起こせ」と言われて起こすんです。「膝を伸ばせ」と言われて伸ばすんです。そうすると、さっきまで「立てない、どうしよう」と思ってたのに立ってるんです。
次は「歩け」って言うんです。「歩けるのかな」と恐る恐る足を踏み出すと歩けるんです。でも、上体のバランスを崩すと、しゃがみこんじゃうんです。で、またやり直すんです。
そういう体験を何度かして、私は学んだんです。「そっか。この2本の足で立つっていうのは、絶妙なバランスで立てているんだな」っていうことを。
このバランスが崩れたときに、人間は2本の足で立てないんです。それはもちろん、原因としては腰が痛いとか、膝が弱ったとか、いろいろあると思うんですけれども、そういう身体の各所の絶妙なバランスの観点が普通一般の人たちの中にはないんですね。絶妙なバランスで立って歩いている。
手が自然といろんな仕事をしてくれるっていうことも、脳細胞と手の細胞が神経でつながっていて、連動しているんですね。脳の中の手に関わる働きは、かなり大きな割合を占めているんだそうですけれども、バネ指だとかいろいろありますし、手が自由に動かないということもあるかも知らないですけど、普通は5本の指を自由に使って、お料理したり洗濯物を干したり、いろんなことができています。
で、もっと体の内部のことを観てゆくと、状況に応じて呼吸を速くしたり、呼吸を遅くしてみたり、状況に応じて深部体温と外部体温を入れ替えてみたりしています。深部体温というのは体の奥の体温のことです。外部体温というのは体の表面側の体温です。
一般的に深部体温というのは、起きてるときに温度が上がるんです。体温が上がるんです。で、外部体温がその代わり下がってるんです。で、夜、布団に入って眠りますっていう段階になったら、これが逆転するんです。内臓を休ませるために深部体温が下がるんです。逆に外部体温が上がるんです。
寝てるとき、体の表面があったかいなって自分で自覚した方もいらっしゃると思うんですけど、そういう仕組みで、寝てるときって体があったかいんですね。
で、さっき呼吸の速さを速くしたり遅くしたりって言いましたけれども、そのときに同時に体の中では、血管を伸ばしたり血管を縮めたり、臨機応変に血管の太さが変わってるんですね。
だけど、血管を痛めてしまった人は、この伸縮が自由にできなくなってくる。そうすると、動脈硬化だとか、血栓とかっていう血液の小さな塊ができて、それが運悪く脳の中に入っちゃったら、脳の病気になったりする。
本当は、人間の血管っていうのは伸び縮みが自在にできる状態にしておくことがいい。そのためには、血液を綺麗な状態に保つ方がいい。だけれども、いろいろな諸事情によって血液を綺麗に保てないという場合、体の節々に不調が現れてくるとか、いろいろなことが起こってきます。
これはもう一括りで言えないんですね。ひとりひとり違うし、状況によって千差万別ですので、それを簡単に、ここで全部説明することはできないんですけれども、ひとりひとりがご自分の細胞さんたちと向き合って、ゆっくりとした呼吸の中で目を閉じて、細胞さんたちと交流することです。
そうすると、そういうことが起きるときに、細胞さんたちが今何を感じているか、どうして欲しいって思っているか、そういうことが自分のひらめきとして、直感として入ってきます。
そうすると、意識が入り込んで使っているこの器を、上手に使えることにもつながってきますので、どうぞご自分の細胞との繋がりを感じながら過ごしていただけたらなと思います。
はい、それでは、もう3時9分ですね。神聖復活の印を組んで終わりにしたいと思います。
<神聖復活の印を一回>
はい、ありがとうございます。
それでは、本日の勉強会はこれで終わりにしたいと思うんですけれども、次回は9月5日の土曜日、神聖復活祭の前日になります。
はい、それでは本日も皆さま、たくさんのご参加、ありがとうございます。皆さまのマイクをオンにします。
<Byebye タイム>
ありがとうございました。ありがとうございました。本日の勉強会、これで終わりにいたします。皆さま、ありがとうございました。
以上