220212-動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生・里香先生
【由佳先生・真妃先生・里香先生】
皆さまおはようございます。 本日2月12日土曜日、本日も皆さまご参加いただきましてありがとうございます。この一時間から一時間半の間、皆さま方と深いあの魂の交流、祈りを通しての交流を行って参りたいと思います。
流れとしましては、五井先生の統一、そして昌美先生の「愛の力を自分で引き出す」というところの第一章を朗読させていただき、それについて、少しあの問いかけであったり、対話をしていきながら、我即神也、人類即神也の宣言文と印を組み、その後、神聖復活の印を皆さまと共に組んでまいりたいと思っておりますので、本日もどうぞよろしくお願いいたします。
では、まず五井先生の世界平和の祈りの統一から始めて参りたいと思います。よろしくお願いいたします。
では皆さま、よろしくお願い致します。
<世界平和の祈り>
【里香先生】
ありがとうございました。
それでは先ほどお伝えした通り、昌美先生の「愛の力を自分で引き出す」という、この本ではないんですけれども冊子のようなもの、すごくこれシンプルでやさしく書かれています。で、優しくシンプルでありながらも、とても内容は深いものとなって、日常生活で生かせるようなものになっているなと思って、あのこれを選んだんですけれども、第一章ずつ、毎回この動画の祈りで読んで参りたいと思います。
その後、それぞれ感じたことを述べて、皆さま方にも、ね、あのう感じてます、いろいろここから深めて考えていただきたいなって思っておりますので、どうぞお聴きください。
「愛の力を自分で引き出す」
人類は全て一人残らず自らが愛を表現するために生まれてきています。私たちが人生における本質的でないもの、または一時的なものを全て切り捨てその根本を突き詰めて見るとき、残るものは愛であるということに気づかされます。
ただ一つの真実、変わらずにあるもの、愛こそがすべてなのです。いま私達に必要なことは、自分を愛し、人を愛し、自分を赦し、人を赦す「愛と真と赦しの言行」なのです。そうすることで、それ以外のこれまで自分が必要としていたものは、どんどん取り去られていきます。 瞬々刻々、私たちは意識して自らを観察し、 次のような質問を問いかける必要があります。
「愛の力を自分で引き出す」
人類は全て、一人残らず。 自らが愛を表現するために生まれてきています。私たちが人生における本質的でないもの、または一時的なものを全て切り捨てその根本を突き詰めて見るとき、残るものは愛であるということに気づかされます。
ただ一つの真実、変わらずにあるもの、愛こそがすべてなのです。いま私達に必要なことは、自分を愛し、人を愛し、自分を赦し、人を赦す「愛と真と赦しの言行」なのです。そうすることで、それ以外のこれまで自分が必要としていたものは、どんどん取り去られていきます。 瞬々刻々、私たちは意識して自らを観察し、 次のような質問を問いかける必要があります。
あなたは今、愛を表現していますか?
愛で満たされていますか?
自分自身に、家族に、友人知人に、社会に、人類に、あなたは愛を示していますか?
動物に、昆虫に、植物に、そして水に、空気に、太陽に、大地に、山に、海に、どれだけ自らの中に無限に内蔵されている愛のエネルギーを外に放出していますか?
愛は幾ら表現し続けても決して減るものでもなければ、心身ともに疲れ果てるものでもありません。表現すればするほど無尽蔵に内より溢れ出てきます。愛は甦る生命エネルギーなのです。私たちが、いま、ここに存在しているのは自らの愛を自分の子ども達のために、両親のために、夫や妻や配偶者のために、そして多くの人びとの為に、精一杯表現するためです。
私たちは自分を含め、周りの誰もが幸せになってゆくために生まれてきているのです。何故なら愛はそれ自体は生命エネルギーであり、愛を巧く表現できない人は、人生を上手に歩んでいけないことを意味するのです。それは私たちの生命力も活発ではないということになります。
愛の表現は決して難しいことではありません。自分を心から愛そう。そして人々を心から愛したいと思うことが、私たちに必要な全てなのです。
唯、そう思うだけで愛は湧きあがります。また心から愛を表現し続けていけるならば、あなたを侵す人もいなければ、自分が失う何ものもないのです。たとえ貧困、戦争、病気の真っ只中にいようとも、愛を表現し続けていくならば私たちの内なる尊厳性は決して揺るいでしまうものではありません。
誰も愛、外部からは得られない力を表現することをできません。それは心の中でこんこんと湧きあがるパワーだからです。愛を表現するパワーは自らの生命エネルギーを引き出し現す力なのです。・・・
はい、今日はここまでにしておきます。
有り難うございました。
昌美先生が愛という言葉で今日は表現して下さいましたけれども、この文章を聞いた時にお二人はどう思われたか、どの部分に惹かれたか?もし、そういう部分があったら一人ずつお話いただきたいですけれど、どうですか?
【真妃先生】
なんかほんとうにあのね、やっぱり朗読に耳をゆっくり傾ける時間って、あのなかなかないのかこうやって昌美先生の書かれた真理に耳を傾ける時間をいただけたことを、すごく、まず有り難いなって思ったのと、やっぱり、その私の中ですごく心に残ったのはやはり人類は全て、一人残らず自らが愛を表現するために生まれて生きているっていうこの一節です。
だから、あの、もしどんな人も自らが愛を表現するために生まれてきている、というふうに理解するのであれば、ほんとうにその日常生活の中で自分自身がこうどう愛を表現しているのかっていうことを、だけではなくて周りの様々な人が多様な愛の形を表現しているその姿を通じて、なんかさまざまな愛についての理解が深められるなあっていうふうに思いました。それで、でも何か私自身もそうだけども、敢えてこう優しいもの、温かいものを心地いいものっていうふうに理解、そういうふうにこう認知してしまう、理解すると愛ってもっと多分大きくて深いものなんだけども、違う形で表現している愛を見えなくなってしまうなと思いました。なんか言い回しで、“良薬、口に苦し“っていう日本の言葉で言い回しとかがあるけども、ほんとうにこういい薬が苦く感じることもある中で、苦いから嫌だよって言って飲むことを拒絶し続けてたら、その薬の効果って得られないことがあるなと思った時に、愛もすごく似ているものがあるなって、時に愛は怒りとか悲しみとかを自分の中から引き出すかもしれない。でも、そのなんか引き出されたものだけを見ているのではなくて、その引き出されたものの奥に存在する愛とか神聖をちょっと見てみようっていう、その薬、苦い薬を試してみようっていうその探究心とか、その小さな一歩が愛の多様な表現への理解を深めてくれるのかなと思っていて、でそのなんかヒントの一つがこの文書の中にもある瞬々刻々私たちは意識して自らを観察し、次のような質問を問いかける必要がありますっていうところにつながるなあと思ったんですよね。
なんかこう、あの流れていく日々を流れていくまま過ごすのもいいけれども、少しこう時間をとって今の瞬間おきた愛の表現ってどんなものだろうとか。うーん、自分の感覚としては愛ではないと思うことの奥にどんな愛があるんだろうっていうところに意識を向けていくことによって、その昌美先生がこの最後に書いてあるような、あのうたとえ貧困、戦争、病気の真っ只中にいようとも、その現状ではなくて、その奥に存在する愛を見つけられるのかなっていうふうに思いました。
なんかあの私も今日はそうなんだけど、今日という一日、これから始まる一日の中で、ちょっとでも時間をとって新しい愛の形の表現に気づける時間を今日一日取れたらいいなと思ったし、これを今日ご覧になって下さる皆さまも、皆さまの日常の中で新しい皆さんの愛の表現とか、周りの人たちの愛の表現というところに意識を向けていくことで、すごくなんかそれを積み重ねていくことで、愛に対するこうこれが愛だっていう認知みたいな認知っていうのかな、理解が少しずつとれていくのかなって。 でそれがとれていくことによってすべて起こった私たちの周りに起こっていることが愛であり、どんなことにも感謝できる自分っていうものを、こう創り出していくことができるのかなっていう風に思いました。
ありがとうございます。そして、由佳先生、ありがとうございます。訳して下さって有り難うございます。
【由佳先生】
ありがとうございました。はい、え-と、私はですね、あなたはいま愛を表現していますか?愛に満たされていますか?っていうところに胸が苦しむ方もいらっしゃるんじゃないかなと思っていて、で、そういう方々は一生懸命日々生きていて自分に対してすごく厳しくって、こうあるべきだっていうことをすごく持ってるんじゃないかなと思ってて、で昌美先生がおっしゃるように、みんな愛のエネルギーは自分自身の中に溢れてるんだけど、私が思うにそれをまず受け止めるコップ、器が、一人一人の中にあって、でそのコップが自分自身の愛のエネルギーで満たされた時に初めて溢れ出ていって、それが外へと出て行くと思うんだけど、そのコップがね愛のエネルギーで枯渇していくから、それでいて人の為にとか、愛に満たされてますかっていったら苦しくて仕方がない。
でも何が起きてるかっていうと、私が思うにそのコップは穴が開いててヒビが割れてて愛が漏電しちゃってるだけ。愛は自分の中に溢れてるんだけど、それをキャッチできない器になってて、じゃあ何がそうさせてしまうのっていったら日々が忙しかったり、できなかったりすると、欠けら、ヒビが割れてくるし、それ以上に自分を批判・非難・評価、自分はダメなんだ、できてないんだっていう自分を批判・非難・評価するために器に穴が開いていくと思うのね。その穴は自分で作っていて、ダメなんだ、駄目なんだって自分を批判すればするほど、コップは漏電してって自分の中に愛は満たされてなくて、それでいて利他愛だったりとか、人の為とか愛に満たされてますかっていったらもう泣きそうになると思うんですよね。
じゃあどうすればいいのっていったら、もう自分の中に愛は溢れているから、それをキャッチしてあげる心を自分の中に持つ。それは批判・非難・評価をまず止めてあげる。今のままの自分を、只々愛おしいと思うこと、自分のこの存在の自分の奥に溢れている愛に感謝。まず、そこが自分のコップを大事、だから、自分をまず許してあげて、自分をまず愛してあげて、自分が自分に厳しかったらほんとう愛も何もなくって、でも自分が自分の響きをきちんと受け止める器になってあげたいなと思うんですよね。
で、だから、もしも自分が満たされてないとか、愛なんていま表現できないって思ってるんだったら、それは自分に厳しすぎるんだ。自分を批判して責めて、だから、そんな自分にご免ねって言ってほしい。そんな自分に大丈夫、ありがとう。そのままで、ほんとうはいいんだよねって。それが自分の愛のエネルギーを満たすし、それを只々ひたすらやり続けていると、いつか、ああ辛い人を見た時に、ああ分かるよその気持ちってなっていくし、あなたもそのままで愛なんだよっていう風になっていくかなっていうその文章に、ちょっと私はあの気になりました。はい。うん。はい。
(未チェック)
【真妃先生】
なんかいまの由佳先生の話聞いて、ほんとうになんか、やっぱ愛とは誰かに優しくすることとか、なにか行為をしてあげることとかっていう、なんか愛に対する、誰かから受けなければいけないという、そうそうそうそう、そういうふうが愛だみたいな感覚で私たちは理解してるなということを改めて感じて、だからなんか、あの存在しているだけで、ほんとうにここに書いてあるように愛を表現するために生まれてきたということは別に言わなくても行動しなくても、ほんとうにその自分の生まれてきているその存在で、そこにいてくれるだけで愛なんだっていうところが、もっともっと理解できれば、あのそれこそ由佳先生が言ったみたいにジャッジするとか、自分を批判するっていうのも、こうしなきゃいけない、てかできないからそうなっちゃうけど、別にしなくてはいけないことはないんだっていうところに、もうちょっと思いをすると自分も楽になるし、周りの人も存在しているだけで愛なんだっていうふうに見えたときに、その世の中の見え方は変わっていくなって改めて思ったなあと、 ありがとうございます。
【里香先生】
ねえ、なんか二人のお話を聞いて、もうここの場がすごい愛に溢れているのをすごいエネルギーで感じるというか、やっぱりその愛の視点が、ただ優しくする偽善的な愛ではなくて、やっぱり存在の命ここにも書いてあるんですけれども、私たちが人生における本質的でないもの、消えていく姿ですよね、本質的でないもの、または一時的なものを全て切り捨て、そういうなんか自分の人生のドラマであったり、こうであらなければいけない、ああであらなければいけない。人に優しくしなければいけないって外から教えられた知識ができないことに自分を責めるのではなく、ほんとうに由佳先生がよく言う太陽のね無尽蔵に、もうどんな日でもそこに照らしてくれている、そこは溢れているっていうものが自分自身の中にほんとうに内在しているっていうことを、ただ自覚するだけで、あー、私の命ほんとうにありがたいって感謝。ほんとうにうちから感謝する気持ちが出て行く。その存在がやっぱり何をする?良いことをしなければいけないっていうものを超えて、存在として真妃先生が言ってくれた存在としてお互いを活かすって、生かせるような世界が生まれてくるのかなと思った時に、やはり何か、あっ人生、いろんなことがあるけど、全て完璧なんだって、峻厳なる愛、苦しい時もある。でもそこに、そこにだって愛があるっていうことを、なんかまだ見れなくてもいい、まだ見れなくてもいいけれども、そういうことを感じて生きていければ、やはり感謝とかがもっと沸き上がってくるなんて思いました。
なんか凄く良い場になった気がして、私はすごく気持ちが愛に溢れています。で、こんな愛に溢れた。自分たちはそれを胸に秘めながら、あっ、持ちながら今度は我即神也の宣言文を改めて一つ一つ噛みしめて読んで、印を組んでいきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。皆さま、我即神也の印を組みたいと思います。
<我即神也の宣言と印>
【由佳先生】
<人類即神也の宣言と印>
【由佳先生】
<神聖復活の印について>
【真妃先生】
それでは神聖復活の印について、あの白光のホームページに載っているあの「神聖復活の印について」という文章をまず、皆さまに読ませていただいてから神聖復活の印を七回組みたいと思います。
はい、すみません。では、よろしくお願いします。 神聖復活目覚めの印から目覚めという言葉が取れ、神聖復活の印と呼ぶことになりました。
神聖復活の印とは、人類に人間は本来、無限なる愛、無限なる叡智、無限なる能力に満ちた神聖なる存在であることの目覚めを促し、 人類を神聖復活に導くものです。
この印は呼吸と腕、手の動作、そして神聖に向けた意識を持って組まれます。印の一つ一つの動作を通して神聖が降りてきたことを表現し、その降りてきた神聖を自分と一つにさせ、自分は神聖であると宣言し、その真理とエネルギーを人類に放っていきます。
この印を組むことによって、自らが神聖を思い出し、自己変革が起こります。自己が神聖に満たされ、無限なる愛、無限なる叡智、無限なる能力、無限なる直感力、無限なる健康、無限なる自然治癒力が発揮され、自分でいかなる苦難も苦しみも悩みも解決できるようになります。
そしてこの印を組み続け、また多くの方にこの印をお伝えし、多くの方がこの印を組むことにより、人類が本来、有する神聖を思い出し、人類の神聖復活が果たされます。
人間は本来常に神聖と繋がり、宇宙神の力とつながっていました。 しかし、やがてみんなそれを忘れ、他者への依存や物質偏重の世界へ入り込み、自分に内在する無限なる力や神聖を信じなくなってきました。その神聖を失った物質主義から生まれてきた思考と強欲が環境汚染を招き、天変地変を招き、戦争や闘争や紛争や病気や虐待など、あらゆる苦しみが作り出されたのでした。
神聖とは外ではなく、自らの中に感じるものであり、自らの中に深く入れば入るほど、自らの心の奥にある神聖が存在する所へ行き着きます。この印を組み続けることで、聖者賢者しかできないと思われていた神聖なる意識が誰にでももたらされ、やがて人類に神聖意識が蘇り、神聖に満ちた平和世界が実現していることでしょう。
はい、このようなあの昌美先生のご説明にある通り、私たちこの神聖復活の印が降りたのは、あの我即神也の宣言文と印を何度も、何度も、私たちが組んで唱えて、私たちの中は神そのものだっていうことが当たり前になって、そして人類即神也の宣言を何度も、何度も、何度も読んで、人類即神也の印を組んで世界に起こるすべての、世界に存在するすべての人は神なんだっていうところが落とし込まれた故に降りてきた神聖復活の印だということです。
なので神聖復活の印には、自分も周りもすべての人が神そのものだっていうその現れが この表現一つ一つの動作を通じて表現されていて、でこの動作を通じて、その真理とエネルギーを言葉ではなく、印を通して発していくっていう、すごくあのパワフルな神聖復活の印が降りたということです。
多くの方が我即神也の印、人類即神也の印、神聖復活の印、どの印を組めばいいのですかという質問を投げかけられて、多くの方から投げかけられてくるのですが、それぞれの印にはそれぞれの意味があって、ご自身の中で私の中に神聖がほんとうにあるのだろうかっていうそこに対する気持ちが沸き起こった時には是非、我即神也の宣言を読んでくださり我即神也の印を組むことで、そこに対する確信を高めていただきたいと思います。で人類周りの人たちがほんとうに神なんだろうかっていう気持ちになった時には、是非人類即神也の宣言と印を組んでいただいて、そこへの確信を深めていただきたいと思います。
そして最終的には、この説明の中にあるように、この印を組む時に全ての存在が神聖なんだって、全ての人類が保有する神聖が神聖を思い出しながら組む。そこにやっぱり確信を持って組んでいく。その確信が深ければ、深く、深いほど、強ければ強いほど、この神聖復活の印が放出するエネルギーは、多くの人たちの神聖に光を当てていくものになるということなので、改めてこのそれぞれの印の役割、そして神聖復活の印の役割っていうものを皆さまの中で、あのご理解を深めていただいて今日は7回神聖復活の印を組んでまいりたいと思います。
この、そうですね。静かな時間をまずちょっと持っていただいてから心を整えて神聖復活の印を7回、組んで参りたいと思います。
よろしくお願い致します。
<神聖復活の印(7回)>
【真妃先生】
私たちは愛そのものであり、神聖そのものである。 そしてその愛を表現するために、私たちはあの存在しているんだっていうことですよね。そこに対して深い意識と想いを向けて、この印を組んでまいりたいと思います。
それでは7回、組みます。よろしくお願いします。はい。
有り難うございました。
<終わりに>
【由佳先生・真妃先生・里香先生】
今日も皆さん、ありがとうございました。 ほんとうに、あのね、コロナでいろいろ、今また日本全国、色々あの何て言うかな?報道とか見ているとあの大変な状況がね、世界のウクライナの情勢とか、色々一つ一つのことを見ると、まだまだほんとうに色々な課題を私たちは向き合っているなという事を思うんですけども、ほんとうに昌美先生のこの朗読の中に、自らが愛を表現するために生まれてきてるんだって、ここに立ち戻ると、どんな状況の中に自分が置かれても愛を表現するという自分の天命を妨げるもの、妨げられるものは何もないと思うんですね。
そのなんか状況が、自分の愛の表現の度合いとか方法を制限するのではなくて、私たちはどんな状況にあっても自由な存在であり、 愛を受け取ることもできる。そして、愛を表現することも出来る。そこにどんどんどんどん自分が生きている意味とか、目的を見い出していくと、どんな状況の中でも自分を自分のそこのその天命を生きるために、様々な人がそこを引き出してその部分を引き出してくれるように手助けしてくれることが見えてくると思うんですよね。
そうすると、やっぱりほんと出てくるのは感謝、こういうような守護霊さま、守護神さまに導かれて、五井先生に導かれて、こういう日常を送れることに対する、ただただ深い感謝が溢れてくるかなっていうことを感じた、今日の動画の会でした。
【里香先生】
なんかほんとうに「消えていく姿」っていうのも、ほんとうに愛そのものなんだなって、すごく今日感じました。なんか、苦しみとか現れている現象は、目の前でね、肉体の姿でどっぷり入っていくとすごく苦しく思うんだけれども、 やっぱりそういうものをとおして、私たちは常に宇宙と共に進化し続けている存在なんだって思えると安心に包まれて、じゅうぶんほんと安心しながら少し遠いところで自分のほんとうの姿っていうのを見つめることができたらすごくいいなと思います。
【由佳先生】
はい、あのう私たち一人一人が、私たち自身の中にも溢れている愛を感じられますようにっていう気持ちで、今いっぱいです。あのついつい、私たちの思考や感情が、それを憚るっていうかそれをストップさせちゃうけど、そこをちょっと静かにさせてあげると自分自身に溢れるアイテムは絶対感じられるから、あとやっぱりこういう真理に出会っているっていうことは、もう魂が、もう例え思考が私はまだまだとか出来てないとか、なんか言ってたとしても、もうこの真理に触れているということこそが、愛の響きを発していて、それゆえに引き寄せ、今、目の前にいるっていうことを思い出すこと、何もする必要はなくて、今ここにこうやって一緒に世界を祈っているっていう事実が、もう愛に溢れている存在で、魂がそれをほんとうに表現したくて今いるんだっていうふうになんか思えたらいいなって思います。はい。
はい。 本日も、ということで、はい。
次回は2月の26日の土曜日になります。また、引き続き、この冊子の中の第二章を読んでいきたいと思いますので、どうぞご参加お願い致します。本日もありがとうございました。
以上