世界人類が平和でありますように

神聖で繋がり合う人々

2026年7月25日(土) 動画による祈りの会の詳細な内容

260725-動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生

【由佳先生】

皆さま、おはようございます。7月25日土曜日の「動画による祈りの会」にご参加くださいまして、まことにありがとうございます。もう暑くて暑くて大変ですが、真妃先生、いかがですか?

【真妃先生】

本当に、今年の7月の初めは結構朝晩が涼しくて、クーラーなしでも過ごせて心地いい夏だなと思ったら、この1週間でググッと温度が上がって、テレビでも「酷暑」という言葉をよく目にするし、「冷房を切らないで夜寝てください」というお話も耳にするので、本当に確実に地球は変化しているというか、温度とか天候とか気候が変化しているなというのは、実感として感じていますが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

【由佳先生】

寝苦しいのとかね、嫌ですよね。最近、寝苦しいとか、夜寝にくいというお話もよく聞きますけど、みんなそれぞれにぜひ工夫していただいてね。睡眠も大事なので、ということで、本日もよろしくお願いします。

真妃先生から、何か今日のプログラムについて一言ありますか?本当に今日は久しぶりじゃないですか。2週間ぶりの動画のお祈りになりますね。前回、真妃先生、参加できなかったんですよね。

【真妃先生】

そうなんですよ。「動画による祈りの会」は、静かに毎月積み上げていく流れの中で、どこに向かっていくのかというところに、自分たちの中ですごく軸を持ちながらプログラムを作っています。

本当に皆さま方が、こうやって2週間に1回ご参加くださるからこそ、どんなふうに積み上げていったら、どんな人も神聖に向かって生きていくことができるんだろうと考えています。

私たちが知っている祈りや、さまざまな印とかマンダラとか呼吸法とか、どういうものをどのように組み合わせていくことで、本当に私たち一人一人が神聖であるということを自覚できてるか。

またどうすれば、現れては消えてゆく現象は、私たちの神聖がより引き出されるために起きていて、引き出すことを支えてくれている現象であって、世の中で起きる全てのこと、自分の人生で起きる全てのことは、本当に『神と人間』に書いてある神の世界を、この人間の世界に現わしていくためのものなんだということを体感できるか。

私たちは、五井先生の素晴らしい真理、昌美先生の素晴らしい真理を、頭では十分理解している。それをどう、日常の自分が置かれている場で体感していくか、そしてこのプログラムの中でも体感していただけるかということを、いつも考えています。

こういう考える機会を与えてくださっているのも、ご参加くださる皆さまの存在、あと、今日参加できなくてもご視聴くださる皆さま方の存在が、いかに支えてくださっているか。この白光の教えを、より多くの人たちが理解できるためのものが、積み重ねる中で構築されているというのは、すごく日々感じています。

なので、どんなご著書を読ませていただこうかと考えることができるのもすごく喜びですし、こういう機会を与えてくださることがすごくありがたいと、いつも思いながら作らせていただいています。

「個人人類同時成道」と五井先生はおっしゃるけれども、本当にそこには分け隔てるものがなくて、一緒に祈ってくださる皆さまがいて、ともに神聖の階段を昇らせていただいているなということを、すごく感じています。

なので、ご参加くださっている方々も、この動画の祈りというのは、「神聖復活、大成就」、私たちの神聖、『神と人間』にある神そのものの姿が、どう自分の肉体を通して、自分の日常を通して顕わしてゆくのか、その階段を昇るためのプログラム、積み重ねていくためのプログラムなんだというところを感じていただきたいと思います。

そして、ともに階段を昇りながら、その昇っている皆さんとともに祈る時間を作ること。それによってその祈りが、本当にエネルギーとして、愛として多くの世界に響き渡っていく。そしてそこに触れた人たちがまた、自分たちの中の神聖に気づいていく。

そういう大きな循環を2週間に1回感じたり、ともに作る場なんだということを感じていただきながら、ご参加いただけたらうれしいなと思っています。はい、ありがとうございます。それでは世界平和のお祈りを、由佳先生、お願いいたします。

【由佳先生】

お願いいたします。

<世界平和の祈り>

ありがとうございました。

【真妃先生】

それではここで、今日のテーマですね。白光誌2026年6月10日号の特集の中の『国境がなくなる世界』というところ、20ページにあるんですけれども、昌美先生が常日頃から「国境線のない世界」と教えてくださっていますが、そこに意識を向けた時間を、今日は皆さまと特別プログラムで過ごしてまいりたいと思います。

まず最初に、五井先生の「天命をその立場において生かせ」というご法話がございます。こちら、2026年6月10日号のご法話です。そちらの方を読ませていただきます。その後に簡単に私がコメントさせていただいて、その後、またお祈りに入ってまいりたいと思います。そのような流れで進めてまいりますので、よろしくお願いいたします。

(続いて英語で、今日のプログラムのスライドは、白光真宏会ウェブサイトの「ニュース&トピックス」から「今日のプログラム」をクリックするとご覧いただける旨をご案内)

【真妃先生】

ありがとうございます。本当に今、海外の方々も視聴してくださるようになっていて、すごくうれしい限りなので、できる限り多くの方々に参加していただきたいので、日本の方々がご負担にならない形で、英語でも進めてまいりたいと思います。

今日は、20ページの「天命をその立場において生かせ」を、お時間の都合で、本当は全部お読みしたいんですけれども、抜粋した形で読ませていただきます。お時間がある方は、ぜひこの2026年6月10日号の白光誌20ページを、ゆっくりお読みいただければと思います。では、読ませていただきますので、心静かに耳を傾けていただければと思います。

(※以下のご法話は抜粋ではなく、全文を表記しています)

<五井先生のご法話の朗読>

白光誌2026年6月10日号 特集「国境線のない世界」より

「天命をその立場において生かせ」(全文)

五井 昌久

人間はどこに立っているか

この世のあらゆる人々、あらゆる存在には、それぞれの立場というものが必ずあるものですが、この立場に把われすぎますと、他の立場の人との交流ができませんし、自他の立場を生かし合うことができなくなります。

といって、自己の立場を逸脱致しますと、自己の存在も危くなりますし、他の立場をも危くすることになります。自分の分(ぶん)を守って、分に把われぬ大きな立場に自己を置くことが大事なのです。

ところが個人にしても、国家民族にしても、分を守って分に把われず、大生命の流れに乗って、自他を生かしきる、ということが、なかなか実行できていないのであります。

人間の立場というものの、一番根本的なものは、一人一人の人間というものが、人類という立場に立って生かされているということであります。

現在の人間は猿類でもなければ、鳥類でもありません。誰も彼もが人類の一人として生きているのです。

それでは人類というのは、猿類や鳥類や魚類と一体どこが違うのか、人類としての立派な生き方というものはどのような生き方なのか、ということを、はっきり知らねばなりません。

〝何をいっているか、今更そんなことを聞かされなくとも、誰でもそんなことは知っている〟とおっしゃる方もあるかと思いますが、ところがどう致しまして、人類の生き方をはっきり知らないで生活している人が、この世にはどれ程多くいるかわからないのであります。

人類が他の動物に比ぶべくもない智慧才能を持っていることは誰でも知っています。

それでいて、人類が大生命(神)からゆだねられている使命というものを知っている人は稀なのであります。

人類が他の動物と同じように、自己の種族を保存するための本能だけで生きているようでは、どうにもなりません。それでは、他の動物に隔絶した智慧や才能、特に物事を創造し得る力を、神から授けられているいわれがなくなってしまいます。

人類の肉体は、哺乳類(ほにゅうるい)の一動物的要素はもっておりますが、その内容においては、他の動物とは全く違っておるのであります。この他の動物を超越した内容を、他の動物と同じような自己保存のためだけの力として現わしていたとしたら、人類が人類として存在する意義は全く失われてしまうのです。

人類も他の動物も、肉体的にみれば同じように神に創られたるものです。しかし人類は、神の創造性や智慧能力を、そのまま肉体波動の奥底にもっているのであります。肉体波動の奥底というのは、神のみ心の中心、つまり万物を生みなしている大調和した創造力に、そのままつながっている奥底なのであります。

もっといいかえれば、人類は、神のみ心そのままを、その奥底にもっている存在なのだということなのです。そのことを私は、直霊(ちょくれい)と分霊魂魄(ぶんれいこんぱく)という言葉で説明しているわけなのであります。

人間は、自己の心の操作いかんによっては、自己の肉体波動をいかようにも変え得る力をもっているものなのですが、人間はまだ、自己の真実の相(すがた)をはっきり知っておりませんので、自分の本心の力を自由に肉体波動の上に現わし得ないでいて、本心のエネルギーを基にしながら、それでいて、本心の軌道を外れてしまった想念の力が、本心の在り方を無視して、種々と自分たちの運命をつくっていってしまうのです。これを無明から生まれた業想念(カルマ)といっているのであります。

人類がこの業想念に踊らされて動いている限りは、神のみ心である本心の力がそのまま、この世の在り方としては現われ出ませんで、動物と同じような、自己保存の本能的な生き方がつづけられてゆきまして、争い事や不調和な出来事がつづいてゆくのであります。

人類の天命

これは、人類が人類本来の生き方、人類の天命を忘れ果てて、動物と同じ生き方に自己の生き方を落としているからなのです。

人類は神の分生命(わけいのち)として、万物を統率してゆき、神のみ心をこの世に、はっきりと現わす天命をもっているのです。人類はこの世にこのような立場をもって生きているわけですから、自らが動物の立場に自分たちを置いてしまって、自己や自己の周囲を守るための争いを繰り返しているようでは、とても人類本来の立場を守りおおすわけにはまいりません。

いかような理由がつきましょうとも、闘争というものは、動物的な生き方であって、人類本来の生き方ではありません。それはあくまで人類が動物的構造をもつ肉体身との全き調和を成し遂げるまでの、不調和波動の消えてゆく姿であって、人類の真実の相(すがた)ではないのです。

人類が人類としての天命を完うするためには、人類が置かれている立場というものを、はっきり認識して、動物の境界を脱皮しなければなりません。この世は弱肉強食の世界であるといわれますが、これは神のみ心の現れとしてそのようにあるのではなく、神のみ心がそのままはっきり現われきらないためにそのような状態になっているのです。

人類が動物のような弱肉強食でない最もなる証左は、人類は生命において兄弟姉妹であるという宗教観と、科学の誕生であります。

人類がこの世並びにあの世においても、苦しみ悩みのない生活が送れるように、安心立命していられるように、そういう世界をつくりあげたい、という深い愛の心が真の宗教者を生み、偉大なる科学者を生んだのであります。これは正しく人類が本質において弱肉強食の動物とは全く異なる存在者であるという確証なのです。

人類があらゆる動物のもっていない、創造能力や計画性をもっていたとしても、人類すべてから苦しみや悩みを消滅させてしまいたい、という愛の心が欠けていたら、本質的には、弱肉強食の動物群となんら変るところのない存在となるのですが、この深い愛の心が人類にあることによって、人類が万物の霊長であり、神の分生命(わけいのち)そのものであることを、はっきりさせるのであります。

ですから、人類の一人一人が、自己や自己の周囲の者たちのみの安住を考えて、他の人々や集団の生命の上に愛念を起こし得ないでいたら、その心はそのまま動物的自我といえるのでありまして、人類の本質が現われているのではないのです。

その真実をよくよく考えてみますと、現在の人類の大半は、神と動物との中間的存在であって、神の子としての価値低い存在者といわねばなりません。

平和運動が超えるべき一線

このままの状態で人類の歩みが運ばれてゆきますと、遂いには、動物的弱肉強食の生き方がはっきり表面に現われてきまして、地球人類滅亡という悲惨事を現出させなければならなくなってしまいます。米国やソ連や中国や小国家群の権力争いがすべて弱肉強食、強い者勝ちの現れなのであります。

どのような理由をつけましょうとも、他国を敵と見なしているようなことでは、到底神の子人類の平和境がこの世に現われるわけはありません。ここのところがはっきりさせられない平和運動というものは、すべて動物的自我を超越でき得ない中途半ぱなものでしかありません。これは単なる理想論ではなく、真の平和達成を念願するものの是非共超えねばならぬ一線なのであります。この一線の超えられぬ平和論は、すべて一時しのぎの平和論であって、神のみ心そのものの平和論ではないのです。

自分や自国のほうが正義なのだから、相手に負けてはいられぬ、徹底的に戦って相手を打ち負かさなければ、という考え方は、昔からずっとつづいてきた考えで、こちらが正義と考えているように、相手も自分達のほうが正義だと考えようとしているに違いありません。

お互いが、自分のほうを正義づけようとしているのですから、例えこちら側が真実正義であるとしても、相手はそれを認める筈はありません。お互いが種々と理屈づけて、自国の味方を増そうとし合うわけですから、お互いの戦闘力は次第に増大してゆくにきまっています。

こういう相対的な物の考え方からは絶対に真実の平和は生まれてこないことは、古来からの経験で嫌という程人類は知っているわけなのですが、いざその場になると旧態依然としたやり方しかできないのであります。そういう根本的な在り方は、昔も今も変わりないのですから困ってしまうのです。

といって、今誰が米国の大統領になろうと、ソ連の首脳者になろうとも、現在の政治を一変させるような、大調和主義の政治がとれるものではありません。私が現在提唱している世界平和の祈りの運動でも、先ず神の子人類としての光明波動を蔽い隠している、業想念波動(動物的自我、弱肉強食の想念)を浄め去ってしまうことを気長にやるつもりでいるのです。

こうした業想念波動を浄め去ってからでないと、どんな偉人が政治をとってもやはり、旧態依然とした政治しかとれないのです。人類がもっている動物的本能、自己保存の本能から生まれた争いの波は黒雲となって人々の本心を蔽いかくしてしまって、自己や自国を守ることのみに汲々とさせてしまい、人類愛の心を失わせてしまうのです。

そこで、私は世界の政治は一部の人々が、いかなる平和運動を起こそうと、各国が自国の権益を度外視した、先見越しの平和政策をとり得ることはない、と思いこんでいるのです。

まず自己の天命を完うせよ

それでは一体真実の世界平和を実現するにはどうしたらよいか、ということになります。それは各自一人一人が自己の天命を完うすることを実行することが根柢になってはじめられるものなのです。

自己の天命を完うする、ということは、自己が神の分生命(わけいのち)としての生き方を実践することであります。宗教者は宗教者の、科学者は科学者の、技術家は技術家の天職を完うしてゆくことなのです。そうしたはっきりした天職の無い人々は、自己が神の分生命である、という自覚を持つような道に乗って生活してゆきますと、自然と自己の生きている意義が自己の置かれた立場を通じてはっきりしてくるのであります。

この道というのは、神の道、つまり祈りの道なのであります。

祈りとは、神にすべてを託して自己の本心を開発する方法です。そうしますと祈りによって自然と道は開かれてゆきます。そういう生き方をしていますと、その場その時々の一瞬一瞬がその人にとっては天命を完うしていることになってゆくのです。

一人一人の人間が、国家の政策を根本から変化させてゆくということは、思いもよりません。まして、米国やソ連のような大国の政治政策にくちばしを入れたところで、その根柢を変えることはできっこありません。

世界の人々には現在の米国の政策も、ソ連の政策も、お互いの権力拡張政策であって、真実の平和政策でないことは、はっきりわかっているのですが、それをどうしようもなく見守っているだけです。心ある人達が協力して、なんとか意見を出してはみるのですが、お互いが自国の自我をひっこめて、真実の世界平和政策に切り替える様子などは、少しもありません。しようと思ってもでき得ない国内情勢であり、世界状勢であるのです。

平和目的に叶う自分の生き方を見出せ

そこでどうしても、世界人類の一人一人が自己の立場を通して、真の世界平和を築きあげる働きをしないことには、世界はどうにもならなくなってしまうということになってくるのです。

国というものを相手にするより先きに、自己の生き方というものを平和目的に叶うようにさせてゆかねばならぬことになるのであります。一人一人の平和な生き方は自然と多くの人々の平和な生き方を導き出してゆくのです。一人一人の平和な生き方、それは、一人一人が天命完うの道を歩んでいることによって生まれてくるのであります。

一人一人の天命、それは人類の天命を完うするための一つ一つの道であります。一人の人が自己の天命を完うしていれば、それだけ人類の天命が完うされる協力がなされているということになります。

人類の天命というのは、神のみ心、大自然のみ心というものを、この地球界に完全に現わすということであります。神のみ心、大自然のみ心というものは、大調和のみ心であります。ですから、この地球界が大調和世界、つまり平和な世界になった時こそ、地球人類の天命が完うされた時であります。

一人一人の人にとっていえば、一人一人が世界平和のためになんらかの形で貢献する生き方をしているということが、天命を完うしている姿なのです。

地球世界が調和しているということは、争いもなければ、病気も無い、貧乏もなければ怒りもなく、恨みも妬みもない、という不幸や災難の種がすべて無くなってしまうということであります。

そんな理想論をいっても仕方がないではないか、という人があるかも知れませんが、理想がなければ、人類の進歩もなく、大自然への探究心もなくなってしまいます。

神の存在を肯定し、神の愛を信ずる信仰心というものは、神が大調和である、ということが基本になっておりまして、大調和である神のみ心が、やがては必ずこの地球界に現われるのだ、という確信によって起こっているのですから、世界平和、地上天国というものは、単なる夢ではなく、やがては現実となる理想なのであります。

この大理想のためにこそ、私共は生命をかけても働きつづけたい、と思わざるを得ないのではありませんか。

天命を完うするためには

さて、この天命を完うするためには、各人がその立場々々を根柢にして生きてゆかねばなりません。日本人は日本人の立場として、日本の天命を完うするために働かねばなりません。日本の天命というのは、神のみ心そのままの大和でありまして、世界平和運動というのは、どうしても日本が中心にならなければならぬような天命になっているのです。中心になるということを戦前は誤り考えて、武力をもって外国を抑圧し、権勢を世界に張るということであると思っていたのです。八紘一宇というのは、そんなつまらぬことをいったのではないのです。武力をもってして平和を築きあげようとする時代はすでに去ったのです。今こそ日本は真実の平和国家として、その天命を果してゆかねばならぬのです。

その理をよくよく考えて国政をとらぬと政治家はその愚を後々の世まで残してゆくことになってしまいます。日本こそ世界平和の中心国なのだ、ということを心の底から思い知るべきなのです。(後略)

出典『運命を恐れるな』

【真妃先生】

このようなご法話になっております。五井先生は、動物と人間の違い、共に神から創られた存在であるけれども、そこには根本的な違いがあるのだということをおっしゃっております。

動物的な生き方というのは、自分の個を守っていく生き方、その自己、種族を保存するための本能を持った生き方が動物的な生き方だとすれば、人間はその「守っていく」を超えて、その違いを超えて、その本来の本質、神聖というところでつながっていき、本当に一人一人が天命を生きてゆく存在。天命を生きていくと、自分は本来神の存在だということに気づいてゆく。

そして、自分は本来神の分生命だということに気づいたとき、目の前にいる人たちも全て神の分生命だということに気づいていくわけです。

頭で理解しているだけではなくて、自分の本来の存在の根源を分かること、体感すること。それを通して、お互いの考えの違いとか見た目の違いとかを超えて、一つにつながっていける。

自分の天命を完うしていくということはそういうことであり、一人一人が自己の天命を完うしていくことによって、人類の天命、それは何かというと、違いを超えて本当に調和していき、一つになっていく、そして平和な世界になっていくことができる。

このプロセスを経て、その世界観に至ることこそが、地球人類の天命が完うされるというところにつながっていくということを、すごく分かりやすくご説明くださっているなというふうに思います。

昌美先生が常日頃から、国境を越えて一つになっていくというところについて、よくお話されておられるので、改めてこの五井先生のご法話を通して、一つになっていくということはどういうことか、国境線がなくなっていくということはどういうことなのかと考えてみます。

そうすると、国境がない状態とは、国がなくなって全部一つの国になって、全ての民族の違いや歴史の違いをゼロにして一つになっていくわけではなくて、それぞれの違いが愛しい、それぞれの違いが大切だと感じられる世界。

それぞれの民族、それぞれの人類、それぞれの個人が、本当に天命を完うしていくプロセスの中で生まれた素晴らしい違い、この違いをすごく受け止めた上で、その奥底にある神の存在そのもの、神聖の響きというものを分かり、体験してゆく。

そこでつながっていくことによって、国境線があるなしに限らず一つになっていく。「世界人類が平和でありますように」という世界観が、この世界に現れるということだというふうに思っています。

このような想いを、私は実は、2023年12月号の「自己限定を変容させる」という27ページの文章に書かせていただきました。

氷、水、水蒸気、H2Oという分子は、その分子の持つエネルギーによって、固体にも液体にも気体にもなり得るんだと。気体は見えない、固体は見える。この見える見えないに関わらず、水の分子は同じ、同じものなんだと。同じものが、エネルギーの状態、どれだけのエネルギーを保有しているかによって、姿形を変えているだけなんだというところを書かせていただきました。

本当に、五井先生がおっしゃっている、現れている形は違えど、その奥にある本質とつながっていくというのは、そういうことだろうなと思っていて。それを今回、AIを使ってイラストにさせていただいたので、イラストを見ていただきながら、簡単にご説明させていただけたらなというふうに思います。

(スライドを見せながら)私たちは本来何者ですか、というところで、私たちは本来、神聖なんだと。例えば水で言えば、H2Oなんだと。この、神聖なんだということを忘れないでほしい。神聖の一雫なんだと。この神聖の一雫が、周波数を下げていく、エネルギーをダウンさせていくと、分子の動きがゆっくりになるから、つながれて水になったり、固体になっていく。

固体になっていくというのは、つまり、持っているエネルギーが下がっていく。『神と人間』にも書いてありますが、荒い波動になっていくことで、見えていく姿、肉体の姿になっていくんですけれども、この見える姿になっていくと何が起きるかというと、見えることによって触れることができる、話せる、笑える、違いが見えてくる、違いが分かる。

大元のH2Oの本質、気体・水蒸気というのは一緒でも、見えて現れたら、氷の形がいろんな形になって現れてくるように、形は変わっていく。その形を持っているということはすごく尊いことで、形を持っていることで、体感することによって、自分の神聖を体感できる。体感することによって理解ができる。そして、体感することによって感じる、味わえる、見れる、聞ける。

『神と人間』にあるように、神の世界だけでは神聖は現わせない。この肉体レベルにおいて、初めてそれを感じて、現わして、体感できて。境界線があることによって、境界線の大切さ、違いの大切さというものを通して、自分の本来の姿に気づいていく。「外は自分の鏡」と言うように、本当に違いがあって、その違いと違いがぶつかり合うからこそ、「ここまでが自分なんだ」「これが自分なんだ」ということが分かっていく。

だから、ぶつかったら、そんなときに、そんな自分の形だったり、あり方だったり、考え方というのは、責めるものでもないし、変えなくてはいけないものでもないし、むしろ、その全てを愛していくことが大切だと。その愛していくことによって、その奥にある本来の姿に気づいていくんだと。

水蒸気だけで生きるのが大切なのではなくて、自分は本来、水蒸気だということを、神の分霊なんだということを分かった上で、違いの中に、違いを生きていくということがとっても大切なんだということを、本当に国境がなくなっていく世界に近づいていく上で、どうかどうか思い出していただきたいし、いつでも、私たちの本質は神聖なので、固体になっても液体になっても、いつでも気体に戻ることができる。この行ったり来たりは自由自在なんです。

では、この行ったり来たりはどうやってするのかというと、祈りですよね。祈りで自分のエネルギーの波動を上げていけば上げていくほど、祈りというのは愛なので、愛とか祈りというものは、すごくエネルギー波動を上げていく。そうすると、見えるものから見えないものに変わっていくことができる。例えば氷で言えば、氷をお鍋に入れて火で温めれば、氷が溶けていくじゃないですか。溶けていって、そのうち水蒸気になっていく。これは、水というものの本質は変わっていないけれども、温めてあげて、そのエネルギーを分子に与えてあげることによって、水蒸気になって、見えない存在になっていく。その移動というのは、本当に自由自在なんだと。

だからこそ、世界平和の祈りを祈ることによって、現われているいろんな姿は、すぐに瞬時に光に変容していくし、「現われては消えてゆくもの」というのは悪いものではない。本当に、神の姿が違う形で現われた形。自分たちが過去に体験したいろいろな現象を、神という神聖の視点で向き合わなかったり、この肉体の、種の保存という視点でその出来事と向き合ったことによって、消えてゆく姿として未来に残っているわけです。

そこにあるもの自体は神聖なんだけれども、その捉え方が、自分の過去世においての捉え方が、本質の捉え方をしなかったので、次の世界に、消えてゆく姿として残されている。それをまた自分が体験したときに、今度こそは、自分のこの種の保存のためではなくて、その現われているものの奥の本質に気づいていくことによって、瞬時にそれは水蒸気に変わっていく。

それは、自分の視点をそこに置くということでも変えられるし、あとは本当に祈り。祈りで自分自身の視点を水蒸気に上げて、その現われているものにも祈りを送ることによって、その見えている現象の奥にある神聖とつながれることによって、本来の姿とつながれて消えてゆく。そういうものなので、起きている現象は本当に無色透明であって、それを通して、自分の見つめ方、つながり方を、本当に進化・創造、高めさせてもらっているんだと。

だからこそ、全て起きていることが完璧で欠けたるものなし、大成就で感謝なんだというところに、私たちが理解だけではなくて、日常生活の日々の出来事の中で、それを本当に体現することができれば、五井先生がここに書かれておられるように、全ての違いを大調和の御心で包んで、地球人類の天命が完うされる、そういうことだと思っています。

なので今回は、これから世界各国のお祈りをするのですが、私が194カ国の国名を読ませていただきます。皆さま方は、この五井先生のご法話にあったように、一つ一つの国の歴史、文化、違い、美しさというものの奥に、神聖の響きを感じながら、その神聖の響きで一つなんだという意識で、それぞれの国を愛おしく感謝し、世界平和の愛の祈りで、私が挙げた国名を受け取っていただき、7カ国ごとに「世界人類が平和でありますように」と、本当にこの国々の違いを超えて、一つに、世界平和というところで大調和させていくんだという思いで、世界平和の祈りを祈りながら、194カ国の全ての国を、国境を超えて、神聖で一つにつながっていく、そういう未来へ向けての一歩を、皆さまとともに祈りで踏み出したいなと思っています。

流れを説明させていただきますと、国名を7カ国お伝えします。7カ国ごとに私が「はい」と言いますので、そうしたら「世界人類が平和でありますように」と、共にお唱えください。そして最後、194カ国目の「その他のすべての地域」が終わりましたら、皆さま方と神聖復活の印を組ませていただき、この特別プログラムを納めさせていただきたいと思います。(続いて英語で、同様の流れをご案内)

それでは皆さま、よろしくお願いいたします。最初は「世界人類が平和でありますように」というお祈りから始めて、私がまず7カ国お伝えします。「はい」と申しましたら、また「世界人類が平和でありますように」とお唱えください。こういうリズムで進めてまいりたいと思います。

<世界各国の平和の祈り>

【真妃先生】

ありがとうございます。最後に、神聖復活の印を組みます。本当に、今日感じていただいた様々な国々、国名を聞くと、ニュースで見たお話だったり、その国の旗だったり、行かれたことがある方だったら、その国で出会った人だったり、建物だったり、自然だったり、いろんな姿が思い浮かぶなと思っていて。

どれが正解ということや、「世界人類が平和でありますように」という何か特別な色があるわけではなくて、本当に、虹の7色が統合して白い光になっていくように、これらの国々がそれぞれにおいて、それぞれの神聖な在り方を現わしていくことによって、「世界人類が平和でありますように」という祈りのエネルギーと同じ世界を体現した世界が地球上に現われて、その世界こそが、国境がなくなっていく世界だと。

それぞれの美しさや違いが大切にされて、お互いがお互いをいたわれる、美しいと思える。だからこそ、国境というものがあってもないような、ワンネスの世界が広がっていくというふうに感じています。

そういう世界が現われるために、本当に人類すべてが神聖復活、自分自身が神聖復活していくんだと、自分の中にある神聖のエネルギーと一つにつながり、それを世界に響き渡らせるために、神聖復活の印を、皆さま方と一回組ませていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

<神聖復活の印を一回>

【真妃先生】

はい、皆さま、ありがとうございました。それでは、由佳先生、お願いいたします。

【由佳先生】

真妃先生、ありがとうございます。もう、すごく私にとって学びあふれる動画の祈りの会になったなというのを、すごく感じています。

真妃先生のご原稿は、以前もちろん読んでいたけれど、それがスライドになって、絵となって表現してもらえることで、一層落とし込まれた感覚があって。改めてその説明を聞きながら、以前、昌美先生が神界、天界の世界を何かの行事でお話くださっていたことを思い出していて。

やはり、肉体はなくなって魂として戻っていくと、時間も空間もなくなるから、そして肉体という存在もなくなるから、思ったことがすぐに目の前に現実に現われて、学びや成長の期間がないんですよね。ぶつかり合うこともない。全てが一体だから、思ったことがすぐに現実に起きるから、そういうのがどうなるんだろうと考える余地もない、みたいなお話をされていたのを思い出していました。

そういえばよく、亡くなった後って、ライフレビューで自分の人生を振り返る時間があって、でもその時って、自分がどう思ったかじゃなく、その時の自分の行動が相手にどういう影響を与えたかも、瞬時に感じ取ってしまうという。だから、自分の今までの行動が、その瞬間どういう影響を相手に与えていくか、自分で感じてしまう。でもそれも、水蒸気で、全てがワンネスだから、全てをその瞬間に受け取るから。ワンネスの、境界線のない世界って、本当にみんなが水蒸気そのものだというのを、お話を聞きながらすごく感じていました。

今度、国のお祈りをする時に、また改めて、その氷と水蒸気で、水蒸気の世界で国境のない国、それは当然、もうワンネスでしかない、神界であり天界だけど、各国がその氷の状態でありながら、ぶつかり合う必要がない。その世界のイメージが、真妃先生の説明とお祈りで、すごく湧いてくる。氷同士がぶつからなくて済む方法というのは、その肉体波動の奥底に存在する神のみ心と創造力を、人類一人一人が、要は神聖で生きるって、そういうことなんだろうなというのが、いろいろ気づきがあって。

そうしたら、また思い出されるのは、前も話したことがあるんですけど、先住民の方がね、「文化であり、言語であり、服装であり、全ては母なる大地が、その地域やその人々を通して表現しているんだ」と言われた時に、なるほどと思ったんですよね。

それは、アフリカの大地と気候と、そしてアフリカに住む動物・植物の中で、母なる大地を自ずと人間が表現すれば、その文化になり、その言語になりという。そして一方で、四季がある日本が大自然とともに。

何が言いたいかというと、五井先生がおっしゃってくださった、その生きる中で、言語であり文化が母なる大地の表現であるとしたならば、どれほどに人類が、その奥底にある、動物の中にも植物の中にも大地の中にも、そして人類同士の中にもある、神のみ心であり神聖を掴んで、それをしっかりと創造力を持って表現することができたら、もう国境線うんぬんとか、国うんぬんではなく、でも、そこに存在する文化はありありと当然残るよね、と思ったんです。母なる大地の表現を。

ごめんなさいね、話が長くて。でも、なんかすごく気づきが多くて。ぶつかり合わないで済むのは、その根底にある表現とつながり、それを創造力を持って生きる文化にしていけば、それぞれの多様性が大事にされながら、国境のない世界がちょっと見えてきちゃって、ワクワクしちゃったところがあって。でも、真妃先生のスライドでやっぱり心に残るのは、ぶつかったときに責める必要はないんだよ、ということ。

昌美先生もおっしゃるように、天界に行っちゃえば、水蒸気になっちゃえばね、その経験すらもできないし、感じないし。でも、氷の状態で、自分の水蒸気を信じて、他の水蒸気を信じて生きていけたら、もう怖いものは何もないというか、一丁上がりというか。それを経験させていただける、成長であり進化をするこの場をもらっているというところで、氷と水蒸気のたとえ、それぞれに学びがあって、できることがあって、でも責めることじゃなく、本来同じH2Oなんだよというところで、どれだけ生きていけるかだな、と受け取りました、という。長くなりました。真妃先生、ありがとうございました。

【真妃先生】

ありがとうございます。私も本当に、由佳先生がおっしゃるように、目の前にいる存在とか起きた出来事は、良いも悪いもなくて。本当に、五井先生がここに書かれている「動物的な生き方」というのが「種の保存の生き方」だとおっしゃっていて、すごく分かりやすいなと思って。

動物的な生き方って、目の前の存在が、獲得したい獲物なのか、獲得されそうだから逃げたい相手なのかって、多分、二者択一だと思うんですよ、動物って。この存在のそばにいると、自分は何か得をするか、この存在のそばにいたら危険だから逃げるかという、それで命、自分の種というものの保存をしてきている。そこと人間は違うんだと。与えられた環境から、得ようとするのか逃げようとするのかではなくて、人間は創造することができる。でも、この肉体の、動物的な生き方のもとに創造したら、本来人間に与えられた創造力って生かされていないよ、と五井先生がおっしゃっていて。

だから、今の私たちが作っている社会って、本当にこの動物的な、種の保存的な生き方で生きている人たちが本当に多いと思うんですよ。自分の目の前にいる人が、自分に得を与えてくれる人なのか、自分に害を与える人なのか。会社も、大きくなって成長していく上で、何かを守っていく、ある程度のところまではすごく大事なんだけれども、ある程度成熟した社会、毎日、敵に会わなくてもいいような、そんな世界になった今だからこそ、本当に、人間にしか与えられていない創造力を生かして、神の世界を作っていける。

その創造力を、由佳先生がおっしゃったように、何に使うかといったときに、違いから逃げるとか、得するというものではなくて、その違いの奥にある、どの存在も神聖なんだ、どの出来事も神聖なんだという、そこで自分の存在も、いろんな自分がいるけれども、本来神聖なんだというところでつながり合って。想像力(イマジネーション)ではなくて、創造(クリエーション)の方の、そこの部分に立ち返った創造力を発揮したときに、本当に、この五井先生がおっしゃる、地球人類の天命が完うされる平和な未来というのが現われてくるんだなって。

今日は皆さま方と、本当に創造力、自分は神の一雫であり、周りの人も周りの国も全て神の一雫なんだというそのエネルギーで、その世界に向けての新しい一歩を創造することができたなというふうに思っていて。こうやって祈りを通して、神聖な未来を共に創っていただける仲間がいるということの幸せを、改めて感じさせていただきました。本当に今日も、動画の祈りにご参加いただきまして、ありがとうございます。それでは、この祈りの会が終わる前に、お知らせを。

【由佳先生】

お知らせの前に、ごめんなさい。動物は、肉体波動の、動物の思考を使っていないからこそ、より直に、神の響きであり、宇宙の理を生きている神聖を、人類はその中の神のみ心を見られると思っていて。

要はね、動物対人間で、人間が有利なような聞こえ方をしたかもしれないけれど、何が言いたかったかというと、動物すごいなと思うのは、お腹いっぱいのライオンは、目の前にうさぎがいても食べないんですよね。自分の必要なものを知っているというか。

でも人間は、自分の思考があって、それこそ守りに入ってしまうと、もっともっともっとと強欲に、必要以上のものを奪ってしまうことがあるなとか。災害があるときも、直感でバーッと逃げる動物たちと、何も気づかない鈍感な私たちと、そういうところもあるなと思ったときに、学び合える、それぞれの神聖に感謝したくなる気持ちを、つい言いたくなっちゃいました。

全てにその美しさがあるなというのも、水蒸気で見ながら、氷の中の水蒸気を感じ合える、動物ともそうありたいなと思った気持ちになりました。では、お知らせです。

<白光真宏会からのお知らせ>

以上です。お知らせ、長くなりました。ありがとうございました。

【真妃先生】

皆さま、今日もご参加いただきまして、ありがとうございます。次回の「動画による祈りの会」は、8月8日の土曜日になっております。また皆さま方と、動画の祈りでつながれることをすごく楽しみにしています。

由佳先生がお話くださったみたいに、本当に富士聖地でのイベントも行事も増えてまいりましたので、皆さまのご日程に合わせて、ぜひぜひ富士聖地にもお越しいただければと思います。

本当に富士聖地は、皆さまの祈りが蓄積されて、その場に身を置くだけで、自分の中の神聖としっかりとつながれると思うので、ぜひ、ご自身の神聖とつながり、そして来られている方々の神聖とつながり、そして共に祈ることで、それを本当に世界に発し、そのエネルギーを世界に届けていただけたら、本当にうれしいし、ありがたいです。

それではどうぞ、今日も、お暑いですけれども、お体を大切にされて、本当に皆さまにとって神聖な一日を今日も送られることを、心から祈っております。今日もご参加いただきまして、まことにありがとうございました。

【由佳先生】

ありがとうございました。

以上