240309-動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生
【由佳先生】
皆様、おはようございます。3月9日の動画による祈りの会にご参加くださいまして、まことにありがとうございます。本日もまた、皆様と共にお祈りをさせていただけることを、とても幸せに思っております。
2024年ももう3月に入り、今年ももう1/6が終わろうとしています。月日の流れの早さを感じるからこそ、この一回一回を、一日一日を、本当に真剣に大事に過ごしてまいりたいと思います。
特にこの時間というのは、会の皆様と一堂に繋がることができる大切な時間ですので、それを本当にありがたく感じながら、今日もプログラムを共に進めてまいりたいと思います。
【真妃先生】
皆様、おはようございます。白光誌3月号は皆様のお手元に届きましたでしょうか?3月号の『日々の指針』の中で、昌美先生が素晴らしい言葉を書いてくださっています。
「私は今生にていかなる現象が生じようとも、何事にも動じない信念と決断力を身に着けてきた。それこそが、自らの神聖そのものである。」というお言葉です。
この世の中では、いろいろなことが起きています。でもそれらはすべて過ぎ去ってゆくものです。だから、その中に身を置いている自分は過ぎ去っているものに影響されて存在するのではなくて、未来を創造する自分であり、過去に把われずに今、自分が自らの神聖とまっすぐに繋がって動じずに決断してゆくのだというこの言葉が、今の私にすごく響いていて、3月はそれを自分に課して大切にしてゆく月にしたいなと思っております。
今日の動画の祈りの会では、改めて皆様方と“言(ことば)と言葉”について、また“世界平和の祈り”について、理解を深めてゆける時間にできればと思っております。
由佳先生がおっしゃっておられるように、この一ヶ月に二回、皆様とこうやってお目にかかれて、そして共に祈れるというのは本当にありがたいことだなと思っています。
コロナパンデミックの前までは一ヶ月に一回、富士聖地で行事ができていましたが、コロナで行事ができなくなって、「ああ、本当にとんでもないことになったなあ」と思っておりましたが、そういう中にいながらも、今自分が神聖と繋がって未来をつくってゆくにはどうしたらいいかということをスタッフの方々と相談して、「行事ができないからといって祈れないわけではない。行事ができないからといって、皆様と繋がれないわけではない。オンラインでやってみようじゃないか」と初心者のみんなが英知を結集して、このような動画による祈りの会が生まれました。
ですから、その時々に起こっている出来事に一喜一憂するのではなくて、その流れの中にいながらも、自分の神聖としっかりと繋がった道を見つけてゆく、そこで決断を下してゆく。それによって結果的に、一ヶ月に一度しか会えなかったのが、今は一ヶ月に二回、皆様とお祈りできるようになりました。
どんな状況が自分の目の前に現われようとも、それが結果ではなくプロセスであるということをしっかりと理解する。時々の状況に左右されず、それは消えてゆく姿だと思い、改めて自分の神聖と繋がり、神聖による選択・決断をしてゆく。
私達には未来を創造する力があります。そこに世界を平和にしてゆく鍵があると思っております。
今日はそうしたことについて、皆様方と意識を深めてまいりたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。それでは世界平和の祈りに入ってまいりたいと思います。由佳先生、よろしくお願いいたします。
【由佳先生】
<世界平和の祈り>
はい。皆様、ありがとうございました。2024年、2025年以降の神聖復活の時代、また富士聖地から発信される平和のひびき…、そういうことを私達三人で考え話し合っていたのですけれど、「ぜひ神聖という視点でこれまでの白光真宏会の教えを振り返ってゆけるような時間が取れたらいいな」というお話をしておりました時に、真妃先生から冒頭にお話があったのですけれども、本日は言葉の力、神聖である私達が発する言(ことば)の力の意味、素晴らしさ、そういうことが五井先生のご著書に書かれていたので、まずそれを朗読させていただきたいと思います。
その後に、私達白光が世界に今、“神聖のひびき“を発信することの重要さというのを感じていただけると思いますので、皆様と共にメインプログラムとして、『光明思想徹底行』を行なってまいります。
まずは、五井先生のご著書を、私と真妃先生とで朗読させていただきます。その後に皆様と共に光明思想徹底行を行なってまいります。
<「言葉」と「言(ことば)」の違いに関するスライドが表示される>
本日は『霊的存在としての人間』という五井先生のご著書の中の第三章【祈りの力】の中の『言(ことば)は神なりき』というお話から、抜粋しながら読ませていただきます。
ここで一つ補足をさせてください。今回の文章の中に、「言葉」と「言(ことば)」という二つの「コトバ」がお話に出てきます。上の「言(ことば)」というのが、神のひびきのコトバであり、その下の「言葉」というのが、私達肉体人間が使っている“この世の言葉”となります。
これらは発音としては同じコトバなので、もしも画面をご覧になられずに、ただ朗読の声を聞いていただく場合は、文脈を通してお分かりいただけるかもしれませんが、“言(ことば)”と“言葉”の違いがすぐにはちょっと分かりにくいと思いますので、神様のひびきの言(ことば)を言う時には、ちょっとゆっくりめに「言(ことば)」と発音させていただきます。
そして、肉体人間として使っているもう一つの“言葉”の時は、そのままサラッと「言葉」と発音しますので、私がゆっくりと発音している時は、「言(ことば)は神なりき」の言(ことば)であるとご理解いただければと思います。
では、朗読させていただきます。『霊的存在としての人間』から抜粋して読んでまいります。
【由佳先生・真妃先生】
<『霊的存在としての人間』の抜粋朗読>
言葉との違い(139ページ)
「言(ことば)は神なりき」という言葉が聖書にありますが、この言(ことば)について、今日は書いてゆきたいと思います。
これをもう少しくわしく書きますと、「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神と倶にあり、言(ことば)は神なりき。この言(ことば)は太初(はじめ)に神とともに在り、万(よろず)のものこれに由(よ)りて成り、成りたる物に一つとして之(これ)によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」とあります。これはヨハネ伝にあるのですが、この言(ことば)は、言であって、言葉ではありません。原語でこうなっているのか、日本語に訳した人が真意をはっきり知って訳したのか、言(ことば)として言葉という文字にしておりません。言と言葉では意味が違うのですから、よくはっきりと訳してくれたものと思います。この説明は拙書(せっしょ)『聖書講義』に書かれていますので、それを引用してみます。
「太初(はじめ)に言葉あり」という、この言(ことば)とはどういう意味なのでありましょうか。私たち人間が使っている肉体の声帯を振動させて出てくる言葉とは、深さが違っていることはわかります。しかも言(ことば)は神と倶(とも)にある言(ことば)であり、神そのものである言(ことば)なのであります。そして、この言(ことば)によらないで成ったものは、万物のうち一つもないのであり、人の光である生命をこの言(ことば)はもっているというのです。
さあ、この言(ことば)とはいったい何を現わしているのでしょう。一口にいってしまえば、波動のことなのであり、ひびきのことなのであります。この波動(ひびき)は生命そのもののひびきであり、光の波動なのであります。ですからこの言(ことば)は、太初(はじめ)に神とともにあった、つまり、唯一絶対なる宇宙神が、創造活動をはじめられて、光の振動となられるまで、神のみ心の中で働きを静止していたのでありますが、宇宙神の創造活動とともに、言(ことば)となって諸方にひびいていったのです。それは生命のひびきであり、光の波動でもあったわけです。
そういう生命波動、光のひびき、いわゆる言(ことば)が宇宙創造を成し遂げていたのであり、現在も成し遂げつつあるのであります。
こういう意味の言(ことば)が、現象世界、枝葉の世界に降(くだ)ってきますと、言葉となってくるのであります。この言葉の世界は想念波動の世界と、普通使われる、人間の声帯を震わせて出てくる言葉の世界との二種あるのです。
想念波動の世界と言葉の世界とは、別々の世界で活動している時と、同じ世界で活動している時とがあります。言(ことば)の世界を、実在の世界、光明そのものの世界とすれば、想念波動の世界と言葉の世界は現象の世界ということになるわけで、人間はどちらの世界でも活動しているのであります。(後略)
宇宙の根源はひびき(148ページ)
先程からコトバのことで申し上げておりますが、言(ことば)が神そのものであり、光そのものであり、すべてを創り出したひびきそのものでありますから、この言(ことば)の中に入りこんでしまえばすべての力が人間にも備わるわけなので、そうすればよいわけです。古来からの聖者はみなその道をめざして精進して、やがてその根源の力と一つになって、衆生済度(しゅじょうさいど)の歩みをはじめられたわけです。
実際にこの宇宙は、神のみ心、ひびきそのものでできているのです。ひびきを言(ことば)というのですが、このひびきは、あらゆる創造能力をもったひびきであり、大調和そのもののひびきなのです。
そのひびき(律動、波動)が根源になって、いろいろの階層の世界ができているので、神霊の世界は光明波動そのものでよいのですけれど、霊界から幽界、肉体界とその働きを現わしてゆきますと、次第に波動の働きが粗く、緩慢になって、光明なひびきそのものが、想念波動から、肉体的行為となって、物質の地球世界ができ上がっているわけです。(後略)
言(ことば)は神なりきの時代(150ページ)
ここでもう一度考えておく必要がありますのは、この世の中は、本源の世界が、言(ことば)のひびきによってできていると同じように、やはりひびき、つまり波動でできている世界であることは、私が常に申し上げております。
原子、素粒子というような存在が物質の素ではなく、それも波動の現われである、という科学の学説も現われはじめていて、単なる物質論、精神論などとは異なった、波動の研究というのが、本格的にはじめられようとしているのです。
いよいよ、言(ことば)は神なりき、の真理が現象の世界にもはっきりわかってこようとしているのです。人類が、想念波動、いわゆる心のひびきを大事にしない限り、地球は滅亡の方向に向かうより仕方がないのであり、心のひびきを、神のみ心に合わせて生きる時、地球が真実の平和世界になってゆくのである、ということなのです。
ただなかなかむずかしいことには、地球人類は生まれ変わり死に代わり、肉体身というものを守るために、自己保存の本能というものに心を縛られて、自分を愛すると同じように他を愛するということができない、習慣性をもってしまったのです。神のみ心がここでゆがめられてしまったのです。
ですから、どうしてもこの習慣を、神のみ心の通りに生きてゆく、という本来の人としての生き方に変えなければならないのです。それでなければ、この地球界は、神のみ心の通りの平和な調和した世界にはならないでしまうのです。
そこに祈りの大事さが大きくあらわれてくるのです。祈りだけが、神本来の言(ことば)の中、光そのものの世界に、人間を昇華させてゆけるからです。近代の人間は祈りの真価というものを知らなすぎます。祈りをただの願いごとのように思っています。祈りは人間の本心を開く方法であり、神の言(ことば)、神のひびきの中に人間を導きあげてゆく方法なのです。
座禅観法で空になる修行をするのも、無為になる道を見出すのもよいでしょうが、正しい言葉によって、本来の神の言葉に正しくつながることが、近代の忙しい生活の中で、その日常生活をこわすことなく、人間の本心が開発され、神のみ心をこの地球世界に顕現することができる一番やさしい方法だと思うのです。
この世の言葉を正しく使い、頭脳を駆けめぐる想念を神のみ心につながる方向に習慣づけてゆくことが、地球を完全な平和世界に築きあげてゆく光明の道なのです。(後略)
天地をつらぬくコトバ(152ページ)
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように
守護霊さま、守護神さま、ありがとうございます
この言葉は誰にでもわかるこの世の言葉でありながら、言(ことば)は神なりき、の神のコトバでもあります。言(ことば)と言葉が全く一つになった、しかも誰にでも、意味の明白な、そして深いコトバです。
こうした天地を貫いた祈り言葉を間あり時ある毎に使い、この祈り言葉の中に、真剣に想念をいれて生活してゆけば、その人の心は常に神と一体の状態になってゆきます。
言葉や想念は、大事に使わなければなりません。世の中を暗くするような、混乱させるような言葉や想念の波をふりまいてはなりません。いたずらにむずかしい言葉だからよいというものでもなければ、やさしい言葉だから悪いというのでもありません。
ありがとうございます、という感謝の言葉など、やさしい言葉でありながら、人の心を潤わす実によい言葉であります。そのように明るく親しい言葉、人を勇気づける言葉、柔和な言葉、親切な言葉、ユーモアのある言葉等々、この世を明るく楽しくし、未来の発展を導き出すような言葉が善い言葉といえるのでしょう。
ところが現代は、まるでその反対で、暗い言葉、不調和な言葉、乱暴な言葉、愛のない人を傷つける言葉、人を責め裁く言葉などが多く、天の理想から次第に言葉は低次元の世界に落ち込んでゆくようです。
なんで、自分がいわれて喜ぶような言葉を人にいってあげられないのでしょう。暗い言葉や、乱暴な言葉も、人の心を愉快に楽しくするわけにはゆきません。
そこへゆくと、世界人類が平和でありますように、というような、人類愛の言葉は誰が聞いても善いものに決まっています。他のつまらぬ言葉をしゃべっているより、どうにもならぬ心配事で想念(おもい)なやんでいるより、世界人類が平和でありますようにではじまる、世界平和の祈りを神と人類にささげるつもりで祈ったら、どれ程気持ちがよいかわかりません。(後略)
【真妃先生】
ありがとうございました。本当に五井先生がおっしゃるように、またさっき由佳先生がおっしゃっていたように、私達は神聖そのものであり、神聖の一滴(ひとしずく)として生まれてきています。昌美先生も「神聖でない人はいない」といつもおっしゃっておられます。
だからこそ、私達が与えられたこの言(ことば)というツール(道具)を通して、本当に自分自身が周りの人達を明るくできるような言(ことば)を使い、それを世の中に溢れさせることができたなら、それこそ五井先生がおっしゃっておられる日常生活の中で、どんどん平和づくりが出来る道を拓いてゆくことになるのではないかと思いました。
そして、ここでなぜ光明思想徹底行をこの後に行なうかと申しますと、五井先生がご著書の中でおっしゃっておられるように、本当だったら世の中を明るくやさしい、縁ある人を勇気づけるコトバで溢れさせる、そういう響きのコトバが善い言葉であり、そういうコトバで世界を充たすのがよいのですが、現代はその反対で、暗い言葉、不調和な言葉、乱暴な言葉、人を傷つける言葉、人を責め裁く言葉がまだまだ多くて、それによってコトバが低次元の世界に落ち込んでしまっています。
ですから、今日は皆様方と世界平和のお祈りをして、世界平和のコトバ(※光の言(ことば)、真理の言(ことば)、神聖の言(ことば))をたくさん世の中に発信すると同時に、このあとの特別プログラムで『光明思想徹底行』を行ないます。
動画の会で行なうのは久しぶりですが、改めてこの“光明の言(ことば)”で自分自身を、そして自分の身の回りを、そして世界を、皆様とご一緒に充たしてゆくことによって、コトバの次元を本来の神聖の次元に戻してゆければと思っております。
そういう一歩一歩を歩むことによって、世界平和にまた皆様と近づくことが出来、世の中の波動を神聖に近づけることが出来ると思って、本日は光明思想徹底行を特別プログラムに組み込ませていただきました。
それでは皆様方と光明思想徹底行に入ってまいりたいと思います。まずは心を静かにして、五井先生がお書きくださった“言(ことば)”というものを、改めてご自身の中に落とし込んで、これから皆様と共に行なう光明思想徹底行を通して、ご自分の中の本当に神とまっすぐに繋がった波動を発信するのだという意識をもって行なっていただきたいと思います。それでは、ちょっと静かな時間を持ちたいと思います。(※少し時間を取って波動調整をする)
それでは、スライドに合わせて皆様方と進めてまいりたいと思います。
<印による光明思想徹底行>
世界人類が平和でありますように
無限なる愛、無限なる調和、無限なる平和、無限なる光、無限なる力、無限なる英知、無限なるいのち
世界人類が平和でありますように
無限なる幸福、無限なる繁栄、無限なる冨、無限なる供給、無限なる成功、無限なる能力、無限なる可能性
世界人類が平和でありますように
無限なる健康、無限なる快活、無限なる癒し、無限なる新鮮、無限なるさわやか、無限なる活力、無限なる希望
世界人類が平和でありますように
無限なる自由、無限なる創造、無限なる広がり、無限なる大きさ、無限なる発展、無限なるエネルギー、無限なる感謝
世界人類が平和でありますように
無限なる喜び、無限なる美、無限なる若さ、無限なる善、無限なるまこと、無限なる清らか、無限なる正しさ
世界人類が平和でありますように
無限なる勝利、無限なる勇気、無限なる進歩、無限なる向上、無限なる強さ、無限なる直感、無限なる無邪気
世界人類が平和でありますように
無限なる赦し、無限なる栄光、無限なる気高さ、無限なる威厳、無限なる恵み、無限なる輝き、無限なる包容力
【真妃先生】
はい。皆様方、ありがとうございます。この言葉を皆様方と発していると、心の中がすごく清らかになるし、満たされるし、うれしいと感じます。
自分たちが使う言葉によって、自分の気持ちとか自分の状態も変化させることができるのだということを、改めてこの五井先生のご本を読んだ後に、こうやって皆様方と光明徹底行をすることで感じることができました。
五井先生は、座禅するのでもいいし、空になる道を探すのでもいいけれども、私達が本当に忙しい日常生活に身を置きながらも、日常生活の中で使う言葉を見直すことによって、神のみ心をこの地球世界に顕現させることができるとおっしゃっています。それは、昌美先生が「どんなときもありがとうと言いなさい」と、いつもおっしゃっておられることと同じだと思います。
私達が発する言(ことば)を通して、神と同じ状況、状態に持っていって、そこで人と繋がり合うことで、本当に神そのものの愛、神そのものの癒し、神そのものの無限なる言(ことば)、神そのものの赦しなどを、自分の身の回りの人達に与え、その波動で世界を調和させることができます。
ですから今日一日、また次の動画の会があるまで、五井先生がおっしゃっている言(ことば)のひびきを意識して使ってみてください。それは、昌美先生も常日頃からおっしゃっておられます“コトバの大切さ”というところに軸を置いて、今一度ご自身の日常生活を見つめ直していただくということでもあります。
私もそうですけど、自分が言葉を発した後に、「周りの人がどんなふうに受け取っているのだろう?」と見回すだけで、自分が発したコトバが言(ことば)なのか、それとも肉体の言葉、声帯を震わせているだけの言葉なのかがわかります。例えば、周りの人達がそれを受け取ったときに、なんか嬉しそうにしてたり、穏やかになっていれば、それは言(ことば)なのだといえます。
でも、自分がコトバを発した後に、みんなが悲しそうな顔をしていたり、怒っていたりするなら、それは喉を震わせて発した肉体の言葉です。
そのように、自分自身が発するコトバが、“本当に神聖から来ている言(ことば)なのかどうか”がわからなくなった時は、受け取ってくれている人達の様子を見て、少しでも穏やかな表情、幸せな表情になれるようなコトバを選んで使ってゆくということも、五井先生がおっしゃっている言(ことば)を日常生活で落とし込んで使ってゆく一つのヒントなのだと思いました。
というわけで、今日の特別プログラムは、言(ことば)について認識を深め、それを受け取った後に皆様方と光明思想徹底行をいたしました。ありがとうございました。由佳先生からも一言お願いします。
【由佳先生】
はい。本当に神の言葉を改めて意識しながら、皆様と共に光明思想徹底行をさせていただいて、今、全国各地の会員の皆様が、本来の神のひびき、宇宙神のひびきの言(ことば)を、こんなに美しい言(ことば)を発してくださっているのだなということを実感しておりました。
続いて、神聖復活の印のプログラムに入ってゆきますが、今日も改めて神聖復活の印の前に、「神人達は知っています」から始まる言葉を唱えてから行なってまいります。
その時も改めて、私達はその言(ことば)を通して神のみ心の中に入ってゆき、すべての始まりである神の中心のひびきである言(ことば)を意識しながらこの言霊を読んでまいりたいと思います。
(画面にスライドが表示される)
*神人たちは知っています、自分たちが真に変わったことを・・・
*この世に生ずるネガティブエネルギーを受け止め、すべてを包み込む愛の力が、神人すべてに内在していることを
*すべてを調和させ、融合させる感謝の力が、神人すべてに内在していることを・・・
*闇を光に変えていく変容させる赦しの力が、神人すべてに内在していることを・・・
*このことを自信と確信を持って、全人類に発信し、カルマを浄め切るのである。
では、神聖復活の印を組みます。
<神聖復活の印 七回連続>
印の光が世界中にひびき渡っていることをぜひイメージしていてください。(※少し時間を取ってお祈りする)はい、ありがとうございました。今日、このプログラムをさせていただいて、改めて繰り返しになりますが、このように神の言(ことば)を発信し続けられる人々が地上にいるというのは、本当に地球上の大きな宝だなと改めて感じていました。
逆にいいますと、五井先生のご本にも書かれていたように、「自分を愛し、他人を愛せる」というひびきの神のみ心に戻って、いろいろなことを、言動行為を通して顕わしてゆく世の中、それこそが神聖復活の時代ですけれども、そうなったときには、本当に神のひびきである言(ことば)というものが、地上にどんどんどんどん現れるのだなと思った時に、今まさにそうした時代の土台を皆様と共に創り上げているのだなという喜びを感じておりました。真妃先生、いかがですか?
【真妃先生】
はい。皆様方、今日もご参加いただきまして、ありがとうございました。昨日、主人と喧嘩したのですけれども、そのことを思い出していて、相手を凄く傷つける言葉を話してしまった、肉体の言葉を出してしまったなと思っていて、「そのときにどうしたらよかったのだろう?」と振り返りました。
その時、自分の中に怒りがあったのは事実だし、その怒りをそのまま言葉にしてしまったのは事実で、神の神聖な言(ことば)ではない言葉を相手にぶつけてしまい、相手を傷つけようとしている時に、溢れ出る無限なる愛という神聖の波動・エネルギーを、私は発することができただろうかと思うと、「正直、できていない、できないだろうな」と思ったのです。
「じゃあどうしたらいいのだろう?」と思った時に、そういう時には喋らないというのも一つの選択肢なのかなと思いました。それは無視をするわけではなく、今この状態で相手に語ったら、それこそ五井先生がおっしゃる言(ことば)ではない形で話してしまいかねない。
そこでその時に、ちょっとお手洗いに行くとか、少し席を外して心の中に神聖の波動を取り戻すというか、「世界人類が平和でありますように。世界人類が平和でありますように。」という祈りで取り戻して、本来の言(ことば)のエネルギーに自分自身を調えた後に話していたら、もしかして違う言葉を、もう少し言(ことば)に近い言葉を発することができたのかなと思いました。
ですから、本当に日常生活という修業の場で、どんな時にも言(ことば)を話せるようになったら、世界は絶対平和になるけれども、それがなかなかできない時に、自分の中でいろいろ工夫しながら、言(ことば)を発し続けられるようになる、本当に神の道への一歩一歩を歩むことができるのだなと思いました。
【由佳先生】
はい。いつも実体験をシェアしてくださる真妃先生が大好きです。私はそういうときに、NVCのノンバイオレントコミュニケーション(※「非暴力のコミュニケーション」「思いやりの/人生を豊かにする/共感的コミュニケーション」ともいわれる)というのがすごく役立っています。
その考え方というのは、いろいろなネガティブな感情、怒りとか悲しみとか悔しさとかというのが起こった時には、自分の奥底にある“すごく大事にしている価値”が満たされていない時に、ちゃんと相手に届いていない時に表われる感情なんだというふうにいわれております。
ですから、何らかの形でそういう想いが表われた時には、実は自分のすごく大事にしている何かが、大事にされてないと思った時に起こるのだから、怒りをそのまま言葉や態度に出してしまうと、確かに真妃先生がいう“肉体に根ざした言葉”になってしまうかもしれないのですけれど、真妃先生のその時の怒りには、何か凄く大事にしている愛なのか、信頼なのか、繋がりなのか、英知なのかわからないのですけれど、それこそ自分が相手に伝えたい光明のひびき、すごく大事にしているそれが、ちゃんと相手に伝わっていないと思う時に、伝わっていないもどかしさの側に立ってしまって、「自分はこれが大事なんだ」という把われ(思い込み・こだわり・決め付け・執着等)の感情が出てしまうということで、そういう時にも私達は光明の言(ことば)を活かしてゆけるのかなと、お話を聞きながら思わせていただきました。
はい。ということでもう一つ、白光真宏会からのご報告をさせてください。これは講師の方々限定のメッセージになってしまうので、講師ではない方には申し訳ないのですけれども、講師の方々は、来月の4月21日に講師錬成会が久しぶりに富士聖地で開催されることになりました。
三年ぶりのリアルな富士聖地での講師練成会になっております。もちろんそれは、富士聖地に当日にいらっしゃる方も、自宅から参加される方も、同じように繋がり合えるわけですから、参加しなくともすごい大きな力を発信してゆくということには違いありません。
また今回の講師錬成会は、富士聖地で参加されようが、ご自宅で参加されようが、両方とも課題というものがありまして、行事の前に行なう7日間の課題というものが送られてまいりますので、ぜひその課題をやっていただいて、当日をお迎えいただけたらと思います。
白光誌2月号の48ページにも詳細な案内が書いてありますので、そちらもご覧ください。
ということで、講師じゃない方々も、その日はみんながまた世界の平和の為に、神聖復活の時代のために、みんながそれぞれの置かれた役割の中で、みんな一つの気持ちで迎えたいと思います。以上、白光真宏会からのお知らせでした。
【真妃先生】
5年ぶりの現地開催になるんですね。今までも動画や冊子を通して、皆様方と講師錬成会をやっていたのですけれど、富士聖地でというのは5年ぶりということで「感慨深いなあ」と思います。
また、皆様方と一緒に、本当に世界の波動を神聖の波動に近づけるために、力をお貸しいただけることを心から感謝申し上げます。
で、お知らせ続きで申し訳ないのですけれども、最後は五井平和財団の方からのお知らせをさせていただきます。
こちらの詳細も白光誌3月号の57ページに載っています。内容は、講演会のお話になります。この動画の会でも何度かいろいろ告知させていただいていますが、今回は67回目になります。
今回もオンライン開催でさせていただくということで、アーカイブもございますので、3月30日、当日にご参加いただけなくてもアーカイブでご覧いただけます。
今回、講演いただくのは、関根健次さんというユナイテッドピープル株式会社の取締役の方です。彼は25年前に大学の卒業旅行で世界の半周旅行に行ったそうです。その時、ガザ地区に行かれた彼は、そこである少年に声をかけたそうです。「あなたの夢は何ですか?」と声をかけたら、その少年はパレスチナ人の男の子だったんですけど、「僕の夢は爆弾の開発者になって、できるだけ多くの敵を殺すことなんだ」と言ったそうです。
続けて、「僕が四歳の時、突然やってきたイスラエル軍の兵士におばさんが撃ち殺された。おばさんは武器も持っていたわけでもなんでもないのにいきなり撃たれた。なんでおばさんが殺されなきゃいけなかったのかと、小さい頃からずっと思い続けて来た」と語ってくれたそうです。
その結果、この少年は「将来は爆弾を製造する技術者になってイスラエル兵を皆殺しにしたい。それが僕の夢なんだ」と話を続けたそうなんです。
この少年の夢を聞いた関根さんは、「子供が子供らしい夢を描くことができる世界を作りたい」という夢を自分の中に持ったそうです。この少年との出会いによって、彼はその夢を持たれた。そして彼は、その夢を持ち続けて25年間世界を平和にするために活動してこられました。
彼はまず、「戦争や紛争がなぜ起こるのだろう」ということを勉強され、様々なことが複雑に絡み合う世界ではあるが、人間が作った世界なのだから、必ず人間が解決できるという想いを持ち続け、ずっと研究をし続けた結果、人々がこの課題を知るだけではなく、人の心に感動を届けるドキュメンタリー映画の配給することによって、どんな問題に対してもひとりひとりがいろんな世界の問題を映画を通して知ることによって、ひとりひとりの人間の行動に変容を起こしてゆく活動をされてきたそうです。
当日はそうした関根さんの体験をお話いただけると思います。私がとても尊敬する方なので、ぜひこの機会にご参加いただけたらと思います。詳細は、白光誌3月号57ページをご覧ください。開催日時は3月30日の2時から3時半となっておりますので、お時間がある方はぜひご参加ください。以上です。ありがとうございました。
それではこれをもちまして、今日の動画の祈りの会を終了させていただきたいと思います。次回は3月23日土曜日の11時からになっております。皆様とまたお目にかかれることを楽しみにしています。今日も言葉を大切にした素敵な一日を皆様方が送れますよう、お祈り申し上げます。
【由佳先生・真妃先生】
ありがとうございました。
以上