世界人類が平和でありますように

神聖で繋がり合う人々

2024年2月10日(土) 動画による祈りの会の詳細な内容

240210-動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生

【由佳先生】

皆様、おはようございます。本日も動画による祈りの会、どうぞよろしくお願いいたします。本日は3人で話し合って、久しぶりに『人類即神也の宣言文』について、色々お伝えできればと思っております。

なぜそうなったかと申しますと、実は昨日の夜中、数時間前に、地球のことを想い、人類の意識の向上のために色々なオンラインのイベントを開催されているアメリカのユニティアースという団体があるのですけれど、去年のSOPPのゲストスピーカーとして、そのユニティアースの創始者であるベン・バウアーさんからメッセージをいただいておりました。

そのユニティアースさんから、金曜深夜のイベントのスピーカーの一人として出席するよう依頼があり出席しました。その際に、「【人類の聖なる目覚め】というテーマでお話をして欲しい」と言われました。

その時の他のスピーカーが、主催者の一人としてのラズロさんだったり、ボブ・アトキンさんという有名な方だったり、そういったそうそうたるメンバーの中で白光を代表して、私達が思う【人類の聖なる目覚め】とはどういうものなのか、また、そのために何をすればいいのかというテーマだったので、10分の枠しかなかったのですけれど、「何を話そう?」と考えました。

会の皆様が築き上げられてきたこの40年、50年の全ての流れ、特に昌美先生以降の時代の画期的な動き、最新の真理が降りてきた経緯を、白光誌にも書かせていただきましたけれども、私達が本当に人類の目覚めのために、陰でずっとその働きをしてきたということを、スピーカーとしてのプレゼンの準備をしている時に、本当に改めて「すごいなあ」と感じたのです。

それで、それが降ろされた瞬間、30年前のあの時には理解できなかった『人類即神也の宣言文』を今この時期、この時代、もうみんなに発信できるという想い、確信が出て来たのです。

ですからプレゼンの中で、『人類即神也の宣言文』を読み上げさせてもらおうと思いました。ほとんどの参加者はアメリカ人で、その方々は白光を知らないけれども意識が高い人が集まっていたからです。

そのように、「世界を一つにする」「地球を大事にする」ということを考えられている方々ならば、もう本当に『人類即神也の宣言文』をお伝えするタイミングだと思い、発表させていただきました。

そのようなことがあり、会の皆様と改めてこのタイミングで、『人類即神也の宣言文』を一緒に読ませていただき、今だからこそ思うこと、感じること、あるいは今日この瞬間だからこそ、その宣言文の中で、この部分に心が惹かれるとか、そのような気持ちを皆様と共に抱ければと思っております。

最初の導入が長くなってしまいましたが、では今から始めさせていただきます。はじめに、世界平和の祈り、よろしくお願いいたします。

【真妃先生】

皆様、おはようございます。それでは、世界平和のお祈りを皆様とご一緒にさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

<世界平和の祈り>

【由佳先生】

では、本日のメインプログラムとして、はじめに『人類即神也の宣言文』を皆様と共に読み上げてゆきます。

それで、先ほどお伝えし忘れたのですが、ユニティアースの10分の枠が短く、人類即神也の文言を見せて読むつもりが時間がなくなり、ちゃんと読めませんでした。それでお伝えしたことは、「人類の神聖なるミッション・目覚めは何かというと、神と一つであることに気付く事が人類の究極的な目覚めであり、ミッションである」というお話をさせていただきました。

それで、我即神也が出たのが1994年、ちょうど30年前で、人類即神也が出たのが28年前、7の倍数の時がちょうど今なのです。28年間、私達は「人類は神である」とやり続け、30年間、「私は神である」とやり続けてきた人達なのです。

その素晴らしい宣言文が降りた後に出てきたのが『神人養成プロジェクト』で、私達はカウンターを持って外へ出て、7万回、道を歩く人達を見ては、「人類即神也」を言い続け、大きなマンダラに「我即神也」「人類即神也」ということを書き続けて、その後、その印をずっと続けてきたわけです。

そこから『神聖復活の印』が降りるまでの期間が、今思うと21年間です。それで、ちょうど21年目の2017年『神聖復活(目覚め)の印』が降りて、そこから今7年ですから、2025年から逆算してゆくと、7の倍数で、私達は神々に使われ、働かせていただいていて、私達のその積み重ねというのをシェアさせていただきました。

会の皆様は、この宣言文をただ知識で読むのではなく、外にいては、カチャカチャカチャカチャとカウンターを押しながら人々の神聖を認め続け、101匹目の猿現象じゃないけれども、臨界点が来るまで、みんな必死に印を組み続け、宣言文も読み続け、そうして21年後に神聖復活の印が降りて、今度は、全ての人が神聖であるということを、神聖復活の印を通して、この地球上に光を降ろし続けての2024年、2025年だということであります。

改めて28年経って、昌美先生が28年前に降ろされた宣言文が本当にようやく世界に浸透してゆくときが来たと思っています。まだ分からない人も多いかもしれないけれど、以前は他の人には言えなくて、白光の中でしかシェアできない真理だったのが、少しずつ地球も人類も進化しているし、目覚めが起きている今だからこそ伝えたいと思ったのです。伝え切れませんでしたが。

ということで、まず日本語と英語で、久しぶりに人類即神也の宣言文を読み上げます。皆様も一緒に声出していただいてもいいし、或いは心の中でも唱えていただいても、あるいは久しぶりにただ静かに聴いていただくだけでも結構ですので、一緒にご参加ください。

はじめに、1分くらい静かな時間を取りますので、28年前に降ろされてからずっと唱えられて来て、そして私達の真理として大事にされてきたこの宣言文を、2024年の今読むことで、この宣言文の中の“どこに今自分が何を感じるか”というのを観察してもらいたいと思います。

それは、昔の受け止め方と変化したものかもしれないし、「なぜかこの部分がすごく今日の私は目が行く」とか、「今まで気付かなかったけれど、ここの部分がとても共感する」みたいなことを皆様も同じように感じていただけたらと思います。真妃先生が日本語で読み上げ、私が英語で読み上げます。

<人類即神也の宣言文 – 日本語>

人類即神也(じんるいそくかみなり)

私が語ること、想うこと、表わすことは、すべて人類のことのみ。人類の幸せのみ。人類の平和のみ。人類が真理に目覚めることのみ。

故に、私(わたくし)個に関する一切の言葉、想念、行為に私心なし、自我なし、対立なし。すべては宇宙そのもの、光そのもの、真理そのもの、神の存在そのものなり。

地球上に生ずるいかなる天変地変、環境汚染、飢餓、病気・・・・・・これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスなり。

世界中で繰り広げられる戦争、民族紛争、宗教対立・・・・・・これらも又すべて「人類即神也」を顕すためのプロセスなり。

故に、いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても、又、人類の様々なる生き方、想念、行為に対しても、且つ又、小智才覚により神域を汚(けが)してしまっている発明発見に対してさえも、これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスとして、いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず。

私は只ひたすら人類に対して、神の無限なる愛と赦しと慈しみを与えつづけ、人類すべてが真理に目覚めるその時に至るまで、人類一人一人に代わって「人類即神也」の印を組みつづけるのである。

<人類即神也の宣言文 – 英語>

【由佳先生】

では1分ぐらいちょっと静かな時間を取ってゆきたいと思います。

<一分間の瞑目>

はい、今日ゆっくりと人類即神也の宣言文を読まれて、皆様は今どの部分を掴んだり、感じられたり、思われたりしたでしょうか?まずは真妃先生の方からお聞きしたいと思います。

【真妃先生】

最初に由佳先生が言われた歴史を振り返ることで、今なぜこういう時代に、このような事をしているのか?例えば、今、昌美先生は「神聖復活の印を一生懸命やってください」とおっしゃっておりますが、「なぜそこに至っているのか?」ということが、歴史を振り返ると、とてもよく理解できると思いながら聞いていました。

五井先生はいつも「神様に素直でありなさい」とおっしゃっておられますが、例えば「どうして我即神也の印が降りたすぐ後に、人類即神也、また別の印が降りてくるのだろう?」とか、その時々に起こる動きに対して、素直に受け止め、実践することの大切さを感じました。

人類即神也の印が降りて28年経った今、振り返りますと、本当にすべてが神様の完璧なプロセスで、大いなる光の中でその完璧なプロセスを歩ませていただいているのだということがわかります。

それに対して素直ではなくて、「もっとこっちの方がいいんじゃないか」とか、自分の常識や固定観念や執着などで、「この方が良い」という想いを持っていると、新しいものが出てきた時に、それを批判・非難・評価しないで受け止めるのがなかなか難しいということがあります。

それを思ったとき、何か新しい動きが降りて来た時に、素直に「これは本当に神様の大いなる流れの中で、より一つになってゆくプロセスなんだ。自分たちが神聖に至るプロセスなのだ」というふうに思えれば、本当に神聖の存在として生きてゆけるし、本来一つなのだということが分かって来ます。

そのプロセスを歩む中で必要だったのが、世界平和の祈りであり、我即神也・人類即神也でありました。それに対して素直に心を開いて受け止め、「とにかくそこに向かって共に歩んでゆこう」とやってきたことにより、今の時代を歩めています。

その昔、28年前には、「我即神也、私は神である」と思うこと自体が、ちょっと気が引けたり、傲慢だと感じたりする気持ちがありましたが、それがここまで常識化されたのは、「人類は本来神なのだ」ということを、長年疑わず信じてやり続け、祈り続けてくださった会の皆様方が、今のこの時代の流れを創っているのではないかなということを、由佳先生のお話を伺いながら思いました。

また、人類即神也の宣言文を読んだときに、「私が語ること、想うこと、表わすことは、すべて人類のことのみ。人類の幸せのみ。人類の平和のみ。人類が真理に目覚めることのみ。」という言葉から始まっていますが、この宣言文の中の「私」という言葉の響きが、特に心に響きました。

この宣言文の中で発する「私」というのは、神聖復活した「私」なのだ。個の私じゃないのだ。この宣言文は、本来の神の視点で読んでいるのだ。この宣言文を読んでいる私は、神聖な私が読んでいるのだと思うからこそ、「私が語ること、想うこと、表わすことは、すべて人類のことのみ。人類の幸せのみ。人類の平和のみ。人類が真理に目覚めることのみ。」と確信を持って言えるのだなと思いました。

もう一つ思ったことは、「すべては人類即神也を表すためのプロセスだ」ということ。それはこうやって生きていると、今起きている“消えてゆく姿”が結果のように感じられがちですが、完成形・結果なのだと思うと、そこに非難・批判・評価が生まれやすいのです。

けれども、これはプロセス(過程)なのだと受け止めて、「すべては自分や人類が進化創造してゆくプロセスなのだ」と思うと、素直に現象の世界に起こっている事々を受け止められるようになります。

例えば、「こんなに祈っても、なんで戦争が起こるのだろう?」「こんなに祈っても、なんで私は事故に遭うんだろう?」というふうに、「なんで?」「どうして?」と思ってしまうのは、この“事故に遭った”、“戦争が起きた”というものが完成形(結果)だと思うからです。何かの結果としてそれが起こったと思うと、「なんでなのだろう?」とか「なんで自分には起こって、人にはそれが起こらないのだろう?」と思ってしまい、プロセスとして淡々と受け止めることが出来ないのです。

そこの部分を素直に、「起こり来るすべてのことは消えてゆく姿であり、プロセスなのだ」と思うと、「ああ、これは本当に五井先生がおっしゃったとおり、すべては消えてゆく姿だから、こういうことは起こったら消えてゆく。現われたら消えてゆく。だからこそ、それによってもっと自分は進化創造してゆき、神聖な自分になってゆくのだ。その歩みの過程なのだ」と思うようにすると、あらゆるプロセスに対して、特に何の気持ちも持たず(※感情を動かさず)に受け止められるようになります。

富士山の山頂に登ってゆく過程でも、雨の日もあれば、雪の日もあるし、急な道もあれば砂道もある。「なんで砂道なんだ」とか「なんで雨降ったんだ」とか思うのではなく、「この出来事は頂上へ行くために必要な通り道だし、この砂道を超えれば岩の道で、岩の道が終われば最終的には頂上に到達できるのだ」ということに気付きます。(※プロセスを俯瞰できるようになる)

毎回、この宣言文を読んで気付くポイントは違いますが、今日、由佳先生の話を聞き、その後に宣言文を読んで思ったことは、「この宣言文の中に書いてある“私”というのは、どの位置に立っている“私”ですか?」ということです。もう一つの「すべてはプロセスだ」というのも、いかに自分たちが「本当にプロセスなのだ」「消えてゆく姿なのだ」と思えるかどうかだということです。

私達が「すべてはプロセス(道の途上)なのだ」と本当に思え、それをどれだけ理解して日常生活を送るかによって、いろいろと批判・非難・評価していたことが、すべて感謝に変わってゆくということを思いました。

【由佳先生】

はい、ありがとうございます。本当に真妃先生がおっしゃるとおりで、私もどこが気になったかといいますと、同じく「私」という部分です。

28年前に降ろされたときは、肉体としての私が読んでいたため、素直になろうと思うけれど、なかなかそうは思えなかった。西園寺由佳という肉体意識が、いろいろなことをブロックしていたなということを思い出しました。

それで今、この宣言文を読んでいる私は、本当に神聖の私で、神聖の自分をすでに感じ取っているから、ここで書かれている「私」は、「神聖な私」「魂の自分」なのだというふうに、もうすんなり、当然の如く思えています。

昌美先生の『神人誕生』というご著書の中で、人類即神也についてご説明なさっている章がありますので、ここでその中から抜粋して少し読ませていただきます。

「我即神也の宣言文も、人類即神也の宣言文も、他の人々に宣言するのではなく、あくまでも自分自身に向かって宣言するものです。

これらの宣言文も何十回、何百回、何千回、何万回と宣言するうちに、もう魂の中に真理それのみが深く刻みこまれ、我即神也、人類即神也の真理の生き方が当然、自分のものとなってゆきます。そうなると、もうこれ以上、我即神也、人類即神也の宣言文を自分自身に宣言する必要はなくなるのです。」

“この瞬間に神聖復活の印が出たのかな”とか、勝手に想像したんですけれど…。(続きを読まれる)

「これらの宣言文を宣言することは、真理より外れて生きてしまっている自分自身に真理を思い出させ、よみがえらせ、目覚めさせるために行なう行為です。あくまでも他人に向かって為されるべきものではなく、自分に向かって為されるべきものなのです。自分が自分に向かって“私が語ること、想うこと、表わすことは、すべて人類のことのみ……。故に、私個に関する一切の言葉、想念、行為に私心なし、自我なし、対立なし。すべては宇宙そのもの、光そのもの、真理そのもの、神の存在そのものなり”と説得しながら唱えてゆくのです。業想念に振り回され、前生の因縁にがんじがらめになっている自分に向かって、真理を説得しつづけてゆく行為であります。要するに、本心が自我に向かって、今までの誤った生き方、心の持ち方を正してゆくのです。」

これを読んで改めて、毎回の行事でも宣言文を読み印を組んでというその蓄積、真妃先生がおっしゃったように、本当それが今の現実を作ったという確信しかありません。

私達がこの数年間、必死に組み続けた神聖復活の印のすごさ、それがどのように世界を変えてきたかということは、7年、14年後、21年後にまた改めて、会の皆様のすごさ、素直にやり続けることの大切さというものが立証されて来ると思います。

私達のなかでは「それが真理なのだ」ということが、本心と直通して響いているからこそ、科学的に証明された後に「じゃあやるわ」ではなく、人類の目覚めを素直に信じて、「人類は本当は神なのだ」という真理を想い続けて来ました。

この昌美先生の文章を読んで、そのような会員の皆様のすごさをとても感じました。そして、そのような私達の歴史の蓄積があるからこそ、今またここで神聖の時代を創っているのだと実感しています。

私達の意識を本当に「神聖の時代を創るのだ」というところに向けて歩んでゆけば、さっきの101匹目の猿の話ではありませんが、少人数の陰なる精鋭がやって来たことが実を結び、2025年に世界に拡がってゆくのだなとすごく思うのです。

もうあとは、ここまでやったからこそ、人類が一気にワーッと真理に目覚める時代が来るのだなということを感じました。

長くなりましたけれども、今から『七つの言霊』を皆様と読ませていただきます。これは、「私達自身が神聖なのだ」ということはどういうことなのかということを引き出すための言霊だと理解しております。皆様と共に改めてこの言霊を読んで、その神聖そのものの意識となって、今日の日本や世界のプレートへのお祈りを皆様と共にさせていただきたいと感じております。ではよろしくお願いいたします。

<七つの言霊の宣言>

【真妃先生】

*世界がいかに広くても、自分と同じ人間は他に存在しないのだ。

*ゆえに○○○○は、今を真剣に生きるのだ。

*そのためには、過去における自らの思い込みを捨てるのだ。そして、今を真剣に生きるのだ。今この瞬間が尊いのだ。

*他人に振り回されるな。神聖なる自分は振り回されるわけがない。

*毎日の人生を真剣に最後の日として過ごすのだ。

*そして自分の神聖なる道を、全人類の平和と幸せのために、まっすぐ進んでゆくのみ。

*やがて神命を終え、五井先生が地上にお迎えに来られ、輝かしい神界へと導かれ飛翔してゆくのみだ。

<プレートへのお祈り>

【真妃先生】【由佳先生】

【由佳先生】

ありがとうございました。今日も皆様と動画による祈りの会で一緒にお祈りさせていただき、今日も話していたように、共にこうやって人類の目覚めのために、進化のために、平和のために、ただただ共に祈れることを感謝申し上げます。ありがとうございます。

【真妃先生】

私もこうやって皆様方と一緒にこの祈りを積み重ねてゆくことで、様々な出来事や人類の動向を、本当に批判・非難しないで、過ぎ去ってゆくもの・プロセスとして見ることが出来るようになってゆく。そして「そのプロセスをとおして、私達はみんな本来の輝きを取り戻してゆくのだ。その旅路を共に歩んでいるのだ」と思いました。

「それは、一人ではとても厳しい旅路かもしれないけれど、同じ目標に向かって歩んでいる同志がいることで、その旅も未来を見据えてワクワクと楽しみながら、苦しみの中にいても耐え止まる力を、お互いの存在をとおして得られているのだなあ」ということを改めて思いました。

また、「世界各国におられる同じ苦しみの中にある人達に、祈りをとおして、一日も早く消えてゆく姿に捉われないで、執着しないで、通り過ぎてゆくことができる力を、お祈りをとおして共有しながら捧げているのだな」と思っています。

そう思うと、本当にこの祈りに出会えたこと、このような生き方ができていることが、とてもありがたいことだと思えるし、何よりも「これが本来の自分に戻ってゆく近道なのだなあ」ということを改めて思いました。

皆様方も改めて、ご自身の5年前・10年前と今を、歴史をとおして振り返っていただくと、「10年前にはイライラしていたこと、動揺していたことが、今は本当に感情的に動かなくなった」とか、「前と比べて見れば、より不動心で確信を持って、より素直に消えてゆく姿を受け止められるようになっている」と思えておられるのではないでしょうか。

自分自身を振り返ってみて、私は本当にそのことを感じています。過去の自分と今の自分が確実に変わっている。そして「この変わってゆくプロセスは、本来の自分に戻ってゆく旅を歩ませていただく旅なのだ」と思うと、本当に守護霊様、守護神様、そして共に歩んでくださる同志の皆様方の存在が、「ありがたくてありがたくてしょうがないな」と思いました。

祈りを深めること、真理を知ることで、より今の自分を愛おしく思え、今の人生を大切に思えるこの道というのは、私にとって必要な道だと思いますし、こういう道が人類にも必要だと感じているので、多くの人達と共にこの歩みを歩めたらなあと思っております。

今日も本当に穏やかで、ありがたい時間を皆様と過ごせたと思っております。また、次は2週間後の2月24日にお目にかかることを楽しみにしています。

そして、今日もまた、五井平和財団の告知をさせていただきたく、最後にお時間をいただければと思います。スライドをお願いいたします。

五井平和財団は、今年で設立25周年を迎えます。前回もお伝えさせていただきましたが、五井平和財団では一年に一度、財団をサポートしてくださっている皆様に、活動の報告と感謝をお伝えする機会をつくっております。

今年の報告と感謝の集いは、2月17日11時から12時半に行う予定になっております。五井平和財団を支えてくださっている会員の皆様とオンラインを通じて、一つに繋がれるような時間を過ごせたらと思っております。

五井平和財団というのは、平和の意識の啓蒙活動と青少年の育成活動と、その二つの軸を持って活動しております。それを改めて、この25周年の機会に振り返り、皆様方に私達がどんなことを目的にどんな活動をしてきたかということを、西園寺昌美会長、裕夫理事長に伺ってまいりたいと思います。

あとは、作文コンテストに作文を書いてくださった過去の受賞者達、若者達との繋がりを途絶えさせることなく、今に繋がってきています。

そういう若い子供達が今、何を考えて、どういう想いで未来を創ってゆこうということについてもアンケート調査などもしているので、そういうお話もさせていただきます。

また今、世の中のニュースを見ていると、少し悲観的に思うこともあるかもしれませんが、ニュースには出てこない、平和の小さな兆しというものをたくさんたくさん受け取っていただくことで、より確信を持って世界平和に向けた活動をなさっていただければなと思っております。そのようなプログラムをつくっておりますので、是非是非、ご参加いただければと思います。

なお、このプログラムは、賛助会員及び五井平和財団に関心のある方を対象に開催させていただいております。この機会に賛助会員になっていただき、応援していただければありがたいと思います。

詳細は、五井平和財団ウェブサイトにて受け付け中です。インターネットの検索で、「五井平和財団」と入力していただければ、ページに行きますので、ぜひ皆様ご参加よろしくお願いいたします。

2月17日にお会いできることを楽しみにしています。はい、ありがとうございました。それでは動画の祈りの会は次回2月24日、皆様とお会いできることを楽しみにしています。

【由佳先生、真妃先生】

ありがとうございました。

以上