世界人類が平和でありますように

神聖で繋がり合う人々

2021年6月26日(土) 動画による祈りの会の詳細な内容

210626-動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生・里香先生

【由佳先生】

皆さま、おはようございま〜す。

6月26日の動画による祈りの会にご参加下さいまして、まことに有り難うございます。

本日は真妃先生と里香先生は一カ所、そして私は別の処から開催させていただいておりますので、本日は二拠点から、こうやってライブ中継を行わせていただきたいと思います。

6月、前回もいらしていただいた方は、もうご存じだと思うのですけれども、今月のメインプログラムは統一です。五井先生の統一テープを改めてゆっくり流しながら、その静から神さまに託して自分の本心を開いていく、そういうことに集中したプログラムにさせていただきたいと思っております。本日も皆さまどうぞよろしくお願い致します。

【由佳先生】

ではまず最初に、世界平和のお祈りから始めて参りたいと思います。よろしくお願い致します。

<世界平和の祈り>

皆さま、有り難うございました。

こうやって空間を超えて、同じ瞬間全国各地にいらっしゃる皆さまとお祈りを共にして、その瞬間に皆が一つになって、しかもその瞬間、自分たちのみでなく、その背後に皆それぞれの守護霊さま守護神さま、そして五井先生、大いなる神々さまが共に、その瞬間一つになってお働き下さり、私たちの元に大光明、救世の光明をお送り下さっている、その交流ができることを改めて幸せに思っております。

ではこれからメインプログラムに移りたいと思いますので、メインプログラムは里香先生にお願いしたいと思います。

<五井先生のご著書の朗読>

【里香先生】

皆さま、おはようございます。では、本日は五井先生のご著書「愛すること」、この中から統一について書かれている箇所がございますので、これをちょっと静かに朗読させていただきたいなと思います。

少し長めの文章ですので、部分、部分、省略させていただきまして、ゆっくりと読ませていただきます。ぜんぶの箇所を読みたいなと思われた方は、「愛すること」のご著書にぜんぶ載っておりますので、じっくりとお読み下さい。ではこのご著書の中の「真の幸福をつかむ統一行」という、182頁から読んで参りたいと思います。

はい、では読んで参りたいと思います。

真の幸福をつかむ統一行  五井昌久

真実の自分はどれか

人間は、肉体をもって、一人一人別々に存在しておりますし、一つの肉体は、一人の人間の所有物であるわけです。処が、そう簡単に考えるわけには行かぬところに、人間の複雑性があり、人類世界の混乱が常に巻き起こされることになるのであります。

田中五郎なり、中村花子なりの一人の人間は、肉体的に見れば、確かに一人の人間でありますが、その精神的内容からみると、一つに統一されている人間ではありません。幾つかの異なる精神的内容がミックスされて、一人の人間として成り立っているのです。

簡単に申しますれば、会社にゆかなければ、と一方で思いながら、休んでしまいたいと思ったり、もう一杯呑みたいという思いと、体に悪いから止めようという思い、あいつには思う存分のことをいってやろうという想いと、争いになるからいってはいけないという想い、こういうように相反する想念が同時に出てくることが随分とあります。

これは精神が一つに統一されていないという証拠です。よくもまあこんなに種々の想いがあるな、と思えるほど幾種類もの違った想いがあるものです。どの想いも、一つの肉体から出てくるので、自分の想いということになりますが、真実にどの想いも自分のものなのでしょうか、この点をよくよく考えてまいりますと、真実の統一行の大事なことが自ずとわかってまいります。

統一行が必要

統一という言葉をききますと、すぐに、精神統一という、念力的な方法を考えます。私どもの統一行というのは、そういう精神統一ではありません。日頃分裂している種々の想念を、神の心である、本心に統一する、そういう統一行なのです。

神道の言葉に、一霊四魂三元八力というのがあります。一霊というのは勿論、直霊に通じ宇宙神に通う、人間の本源の光です。そしてその光が四魂、つまり和魂、奇魂、幸魂、荒魂の四つの働きをもち、三元八力に働くと言うのですが、すべての働きは一霊のみ心そのままに統一されて働かないと、その人格がゆがんだり、ひねくれたりするわけで、調和した、完成された人格にはならないのです。

人間の想念というものは、実に面倒なものでして、優しい和魂の面の働き多い人は、得てして、押しの弱い、気の弱いところがあったりしますし、荒魂の面の多い人は、気力も烈しく、押しも強く、あたりかまわず突き進んでゆくかわり、人との調和に欠けたり、粗暴だったりします。ですからたとえ、一つの働きのほうが多い人でも、想念を一霊、つまり、神のみ心に統一して、自己の働きの面が裏面にならぬよう、欠点にならぬように、他の働きの補いをつけてもらわねばなりません。

そういう意味で、自己が本来もっている、性質というものを、そのまま、それでよいのだと思わずに、常に、神のみ心の中で自己の本心に統一して、よりよく生かしてゆかねばなりません。

よく金持などにろくな奴はいないとか、よほど悪いことをしなければ、あの権力の座は握れないとかいう人がいますけれど、金持になった、権力の座に着いたということは、そのこと自体、他の人々になんらかの力が勝っていたということで、なんらかの力という長所があるわけです。

例えば、仕事においてヒラメキをもち、周囲の気を計らず行う。実行力に富んでいる、思ったことを押し通すというような、気力迫力の充実した人間でなければ、なかなか並はずれた地位とか富とかを得ることはできません。それはやはり一つの長所と見るべきで、その裏面が、強引だとか、思いやりがない、薄情だとか、ということになるのでしょうが、やはり金があり、地位がなければ、善いことをするにも大きな善いことは出来ませんので、その長所に加えて、愛とか思いやりというものを、その人と反対の精神の友人や知人が補ってあげる必要があるわけです。

その人自らが、その自己の欠点に気づいて、信仰的になり、私のいうような統一行でもはじめれば、それはしめたものなのです。

要は、どちらの側の働きの人でも、常に自己の想念を統一して、一霊のみ心のそのままの働きになるように務めることが、人類を進化させる一番大事なことなのです。ですから、人の悪いところをみて非難しているより、長所のほうを見つけ出して、その長所を自己も取り入れるように、それこそ統一をして、自己拡大を計ることがよいのです。

平和の立場にたって処理する

現在の地球人類は、まだまだ人類としては、進化の途上にあるので、動物的要素と、動物にもない道(宇宙法則)に外れる行いを平気でしている向きも随分とあるので、地球人類が進化をつづけ、完全平和を達成できる人類になるためには、どういう生き方が人類の滅亡につながり、どういう生き方が人類を平和に存続せしめ得るかを、自己の生き方や、人類全体の今日までの在り方を、冷静に見つめて、正を取り誤ちを捨て去ってゆくように、一人一人の人間が自己の出来うる範囲で、勇気をもって処してゆかねばなりません。

今日までの人間の習慣の想念で、この世に処してゆこうと思えば、どうしても弱肉強食的生き方になり、自国を守るためには、他国に勝る武力をもって、対処してゆかねばならぬということになり、常に戦争への恐怖を世界にまき散らすことになります。

米中の交流は表面的には確かに世界の緊張緩和に一歩前進した感じではありますが、それはあく迄単なる表面的、いわゆるお互いの現象利益的な交際でありまして、大調和した、真の世界平和を目指した交流ではありません。真の世界平和を目指すためには、一度は自国の利害とか自国の権威とかいう、打算的な意図を捨て切って、次第にどこの国もが真の平和を享受できるような、そういう立場に大国がまず立たねばなりませんが、米国もソ連も中共もすべては、自国の利害得失と自国の権威というものが、やはり主でありまして、その線を外れることを極端に拒否してきています。

しかし、現在の国家群にこんな高い立場でものをいっても無理なことと思いますので、まず個人から、この真の平和の立場に立って、すべての物事に処することを学ばねばなりません。私どもはその行為を、祈りによる世界平和運動として、平和の祈りという、神の救世の大光明の中に、自己の全想念を統一させる日常生活をつづけているのです。

統一行は世界平和の祈りで

この方法は何もむずかしいことは一つもありません。善悪混淆の想念を自力で善のみの想いに変えろなどという、できそうにもないことをいうのではありません。善悪混淆の想念のままで、そのすべてを消えてゆく姿という意識をもって、世界平和の祈りの、その想念すべてを投入してしまう祈り言の連続の日々を続けてゆけばよいのであります。浄土真宗の念仏一念の生活と同じ状態で、日常生活をしてゆけばよいのです。その行をつづけてゆくうちに、いつの間にか、世界平和の救世の大光明の中で、善悪混淆の想念の悪や誤りの想念行為が浄められてゆきまして、善であり、光明である、神のみ心に叶う想念行為だけが残るようになってゆくのです。

人間が常に、これが自分の性格だと思い、こういうふうにしか自分はゆかれぬ、というような自己限定をしていますが、それは単に自己のほんの一部を現しているに過ぎないので、真の統一をすれば、自己というものがはるかに大きく広くなりまして、人間に幅も深みもできてきます。人間はこれが自分だと思っている自分は、過去世からの業想念の波でしかないのです。

自己のすべてを一度神のみ心に投入仕切った人間であっても、常に反省し統一していないと、肉体世界に生きている限りは、つい肉体界の波動にひきこまれまして、肉体人間と同じような生活を当然としてしまいます。天人の五衰とか、久米の仙人の転落という話しにもありますように、常日頃のたゆみない祈りの生活、統一の生活が、その人の神性を豊かに保ちつづける秘訣となるのであります。

といって、頑なに、この世的な生活を拒否していたのでは、世間とのつき合いができなくなり、変わり者としてつまはじきされてしまいます。その点で、常に祈り心で統一されていますと、この世的な生活に同調しているように見えながら、心はこの世の汚れに染まない光明のひびきを出しつづけていられるのであります。

純真なる信仰態度

人間が現在のように、本心に統一されていない、分裂した想念意識で、すべての行為をしている限りは、自己の平安も、世界平和への貢献もできるわけはありません。本心とは神のみ心そのものなのですから、人間は神のみ心に統一して行動しないことには、真実の人類の目的である、世界平和はできないことになります。

人類は絶対に進化を続けなければならぬことになっていますので、今日のままでゆくわけがありません。神のみ心はどのようにしてでも人類の進化を計ってゆきます。人類がそうした神のみ心を知らずに過ごしていますと、地球人類の大半が滅亡して、ほんの少数の残された人々でこれからの進化の道を進んでゆかねばならぬようになっています。神の光明を、業の波で蔽いつづけてゆきますと、神の働きの邪魔になりますので、光明波動でその業を消滅させることになります。

それが天変地変という形になってしまうのであります。一方では、はっきりと人為的に起こる戦争の脅威と、この天変地変という恐れとは、今のままの人類の心の状態では、つきまとって離れぬものです。

この二つの滅亡への道を防ぎ止めるためにも、私たち地球人類は協力して、どのようにむずかしいと思われることでも実行してゆかねばなりません。地球人類が滅亡するかどうかという時なのです。どんなことをしても、滅亡してはならぬのです。

大調和世界の実現

この日のあることを知っておられる神々は、老子や釈尊やイエスという聖者をこの世に遣わして、滅亡を防ぐ方法を人類に教えていたのであります。その方法は無為の道であり、空の道であり、神への全託であったりしました。しかし地球人類は、これらの方法を全面的に受け入れはしなかったのです。ほんの一部の人々が受け入れはしましたが、他へのおよぼし方が、真理そのままというわけにはゆかなかったのです。それは余りにも、それらの方法がこの世の生き方からすればむずかしすぎたのであります。その根本を要約すれば、この肉体の生活に把われ切った人間を、神霊の世界の人間として、認識し直すということなのです。それを無為といい、空といい、全託という業想念消滅の方法を通して教えていたのです。

私どもはその方法をもっと一段引き下げて、消えてゆく姿という方法にしたのでありまして、すべての不幸や誤ちや想念波動のすべてを、過去世の習慣によるものとして、それらを現れた時が消えてゆく姿であるとして、そういう想念や状態を、そのまま、世界平和の祈りにして、救世の神々の大光明波動の中で、消し去って戴くということにしたのであります。

煩悩即菩提として、悩みがそのまま、救世の祈りとなってゆくのです。それがそのまま統一行となるのであります。そこにおいて、大調和の世界、平和の世界が個人にも人類にも実現してくるのです。 (愛すること 182 – 199頁より抜粋)

ということで、五井先生が前にお書き下さったご著書の中の‘統一について’ですけれども、ほんとうに、いま、この文章、お言葉、というのは真理そのものとして、今の現代社会にも当てはまり、通用し、ああ、まだこういうことが起きているんだなあと実感いたします。

ここで少し一分ほど心を静めて、それから五井先生の統一テープをかけて統一をしてみたいと思います。

<一分間の瞑想>

<世界平和の祈り (統一テープによる)>

有り難うございました。

では引き続き、神聖復活の印を真妃先生のほうからリードをしていただき、皆さまと七回組んで参りたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

<神聖復活の印(7回)>

【真妃先生】

それでは皆さまと神聖復活の印を組みたいと思います。神聖復活の印を組む前に、皆さまと宣言を読ませていただきたいと思います。皆さま心の中で、または声に出してお唱え下さい。

<宣言文>

神人たちは知っています、

自分たちが真に変わったことを・・・・

この世に生じるネガティブエネルギーを受け止め、すべてを包み込む愛の力が、神人すべてに内在していることを

すべてを調和させ、融合させる感謝の力が、神人すべてに内在していることを

闇を光に変えていく変容させる赦しの力が、神人すべてに内在していることを

このことを自信と確信をもって、全人類に発信し、カルマを浄めきるのである。

1回目

7回目

有り難うございました。

<終わりに>

【真妃先生】

皆さま、今日もご参加いただきまして、真に有り難うございました。

ほんとうに、私も里香先生の統一の朗読を聞かせていただいて、五井先生が・・してそういう中で感じたのが、五井先生がお話下さる真理、世界観は五井先生しか見えないこと、感じられないことではなくて、私たちも日常の世界で同じ世界を見ている、感じているっていうことだなあと思いました。

なので、お話を伺いながら、五井先生のご著書をこうやって読みながら、昌美先生のご法話を読みながら、私たちが凄く大切にしたいな私自身が大切にしたいなということは、そういうこと、そういうご説明をされる世界観だったりとかお話が、自分の中ではどういうふうに表現されていてどういうふうに見えているのかなっていうことを深めながら、読むとかお話を伺うことだなあと思いました。

それによって私たちは五井先生が、昌美先生が教えて下さる真理を自分の中で見つけて生きることが出来ると思いました。

今日もほんとうに五井先生が、私の中で心に響いたのは、

「自己の想念を統一して生きること」

ほんとうに自分の想念を統一して生きることで、私たちは過去の世界を、過去体験したことを後悔したり、憂いたりして生きるのではなく、未来まだ体験していないことを不安に思って生きるのではなくて、ほんとうに、いま存在している、いまこの瞬間に存在している自分の神性と一つにつながって、統一して生きるということは、そこと一つにつながって生きることで、自分のいまを自分の神性と、神性の世界に引き上げることが出来るなあと思いました。

ほんとうに、今日も、読んでいただいて有り難うございました。

【里香先生】

ほんとうに、なんか良い面とか悪い面とかはなくって、それ、良い想いとか悪い想いは、良い性質性格、悪い性質性格ってものはなくって、その奥の本源、直霊に、そこはほんとうの姿ってのはそこにあるってことを五井先生は改めてね、いつもおっしゃって下さるけど、そういうことを想いながら私たちが日々日常生活を送るっていうのは凄く大切だなあということを思いました。

あのー、本日もご参加下さいまして有り難うございます。

皆さん、どうも有り難うございました。また2週間後の動画の祈りの会でお会いするのを楽しみにしています。失礼致します。

以上