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2025年10月4日(土) 勉強会
251004-午後1時_勉強会
○それでは1時を回りましたので、始めたいと思います。皆様、富士聖地行事前日のお忙しいなかご参加いただき、まことにありがとうございます。10月4日(土)の勉強会を始めます。
○本日は【抱き参りと女性性】というテーマで進めてまいります。こういう聞いたことのない言葉が出てくると、そもそもの話として「”抱き参り”ってなんですか?」ってことを思われる方が多いと思います。
○この「抱き参り」っていう言葉は、『日月神示』、違う言い方では『ひふみ神示』に出て来た言葉です。
○日月神示は、千葉県市川市出身の画家である岡本天明という方が、昭和19年から昭和36年にかけて、約17年間にわたって自動書記で書いたと言われています。
○その日月神示のなかで「抱き参れ」とか「抱き参る」という言葉が出て来ます。
○その日月神示のなかから一箇所、『 第二十九巻 秋の巻 第一帖 』から紹介します。始めの部分をはしょって、途中から短く読ませていただきます。
「神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教へてゐる(者がある)が、それは段階の低い教であるぞ。大道でないぞ。理屈のつくり出した神であるぞ。
大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせてゐるのであるぞ。(大神とともに)抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。今迄の教は今迄の教。」
○この文章に出てくる「抱き参る」という言葉を私達が理解するためには、神聖そのものの想念・言葉・行為をイメージするのがわかりやすいと思います。
○どうしてかというと、一方的な「善し・悪し」「好き・嫌い」「得意・不得意」などの想いの癖で自らの意識の範疇を限定して小さく生きて、習慣の想いに流されて生きるのではなく、すべてを生み成し、存在させ、育みつづける宇宙の親心を自らの心として、すべてを抱いたそのままの心で、いのちの源の大光明のなかにすべてを還元する行為を指しているからです。
○抱き参る対象は、自分の体の外にあるすべてだけではなく、自分の心のなかのすべてをも抱いて天に昇るということです。
○むしろ、どんな自分をも抱きしめられない人は、眼に映る世界のすべてを抱きしめられるわけがありません。
○それは、『人間と真実の生き方』のなかで「自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す」とあるように、どんな「自分」をも抱きしめることは、他人を抱きしめることよりも優先して行なわなければいけない最優先事項だからです。
○そこで思われてくるのが「お浄め」や「祓い浄め」っていうのが、どういう行為であるかということです。
○私達は日々の生活のなかで、「お浄めしましょう」とか「祓い給え、浄め給え」とかやってますよね。
○ほとんどの方は、お浄めをして差し上げるとか、お浄めをしてもらうといった場面では、神聖を覆い隠す何らかの不調和波動を「消し去る」「無に帰す」「追い払う」「遠ざける」ことを目的として、”この世をよくする行為”として、お浄めや祓い浄めを考えてきたと思います。
○でももうそれは、古い時代の考え方になります。これからの時代は、そういう考え方をも手放して、もっと自由自在な意識で生きることが大切です。
○少し目を閉じて考えてみてください。これからの時代のお浄め、新しい時代のお浄めというのは、どういう行為でしょうか?
○神聖復活した意識体である私達が執り行う「祓い浄め」とは、どのような性質のものでしょうか?
○はい、ありがとうございます。
○ここまでの話を、よくよく心のなかで咀嚼してかみ砕いて、消化しやすいようにして心の奥に染み込ませた方は、今日のはじめのテーマを思い出されたと思います。
○宇宙は、宇宙そのものが持つ男性性の神聖なる働きにより、拡大と開発をなし続けています。
○しかし同時に、宇宙そのものが持つ女性性の面では、すべてを生み育て、それらを抱く働きとして、いのちの親としての愛と感謝を注いでおられることがわかります。
○そのように、男性性と女性性、陰陽として顕われた進化創造のエネルギーの働きを支える土台には、宇宙法則としての新陳代謝の原理があります。
○すべての物質も精神も、今こうしているこの瞬間にも、古いものは働きを終え、それと同時に新たな働きが生まれ出てきています。
○そのような宇宙の実態を踏まえて、新しい時代の【祓い浄め】について考えてみましょう。
○そうしますと、それを一言でいえば、「女性性の親の愛の心で慈しみ抱きしめながら、抱き上げたその対象をともに天にお連れして参る」ということであるということがわかります。
○神聖復活した意識によるお浄め、祓い浄めというのは、「善は単純に善ならず」「悪はそのまま悪ならず」というように、善悪綾織りなしたこの世の複雑な有り様、一筋縄ではいかない人間意識の全貌を丸ごと抱きしめて、すべてを神聖の世界にお連れする在り方です。
○それこそが、今日のテーマでもある「女性性をもって抱き参る生き方」であるといえます。
○私が交流しております宇宙の方々は、「今の話が出来てさえいれば、その人はそのままで神界の住人であり、肉体に生きる神聖人類なのだ!だから一刻も早く全員がその境地に至ってほしい」と強く願われ、伝えてこられています
○救世の大光明の神々や宇宙天使の皆様方は、私達にそのような”神人一如となった肉体に生きる神々”になってほしいと期待されているということです。
○ここで、いのちの性質や神聖の在り方を俯瞰的に観てまいりたいと思います。
○陰と陽、マイナスとプラス、男性性と女性性の高次の働き、それら神聖の働きが波動の粗い世界へ降りてくると、光と影、成功と失敗、勝者と敗者、強者と弱者のように、弱肉強食的な在り方で分かれ現われているように感じられます。
○皆様、ご自分の奥の意識を働かせて観じてみてください。(Wordを画面共有する)
○ちょっと画面共有します。「観じる」というのはこれです。こっちではないですね。観察の「観」です。(画面共有停止)
○どうして高次元の陰と陽がこの世に降りてきたら、強いものと弱いものとか、成功と失敗だとかっていうふうにわかれてしまうのでしょうか?
○それは、人間の心の眼が肉体に限定した眼になってしまっていて、神聖の眼が奥に隠れてしまって、物事を断片的にしか見れない、一面的にしか認識できない状態になっているからです。
○次元の奥行きを含めてあらゆる角度から同時に観ることが出来る神聖の眼を甦らせるためには、もちろん瞑想するとか呼吸をゆっくりするとか、そういうことも大事なんですけれども、認識の習慣を神聖そのものの習慣に変える必要があります。
○そのための方法としての瞑想・統一があり、ゆったりとした呼吸の習慣があるということです。
○そうした神聖の眼を自らの眼として生きてゆくためには、宇宙の真実を知り、いのちの真理を知り、現状と真実のズレを実感することが有効です。(Wordを画面共有する)
○そこで今日は、世界を「あるがまま」と「ありのまま」に分けて考えてみてください。
○それを漢字で書くとこのようになります。
➡ 在るがまま 有りのまま
➡ 本心 消えてゆく姿
○これは、「本心」と「消えてゆく姿」と言い換えることも出来ます。(画面共有停止)
○余談ですが、漢字の使い分けという面で言いますと、私の話の中で「みる」という言葉を使うときには、(再びWordを画面共有する)
➡ 観る 見る
○このように、「観る」と「見る」の二種類の同じ発音をする言葉を使い分けています。(画面共有停止)
○さっき、「在るがまま」と「有りのまま」というふうに、区分けしてみてくださいと申し上げましたが、宇宙を創造したいのちの大元の意識は、世界に生まれ出たすべての物質と精神に対して、何ひとつ排除しようとはしていません。
○最近よく言うんですが、もし宇宙創造の意識がプーチンやネタニヤフ、トランプのような人達を「害悪なり」「必要なし」と認められているのであれば、彼等はとっくの昔に消し去られていたはずです。
○しかし宇宙は、彼等を放置して、やりたいようにさせています。なぜでしょうか。
○それは神が、すべての人を自らの子どもとして見ており、生命の真実を思い出す時期が、子ども達一人ひとり異なることをよく知っているからです。
○どんなに救いようがないと見えている人も神聖です。神聖の存在です。救われる日が来るんです。
○ただ、それは、人間の常識で考える時間から外れてます。
○私達のこの肉体の頭では、「あの方は5万年前に意識進化して神聖復活してるね」「その方は、3万年後に神聖復活するね」って言われても、あまりにも時が過去すぎて、もしくは時が未来すぎて、ピンと来ないんじゃないかなと思います。
○でも、宇宙神の意識では……。宇宙神とまでいかなくても、宇宙を司る神霊のレベルになってくると、気が遠くなるような年月が手のひらの上で1センチ移動したぐらいな、本当に一瞬のことなんです。
○何万年っていったって、何億年っていったって、命の奥に入れば一瞬なんです。
○私達はその命の奥から遠く離れた肉体というところで今生きておりますから、この肉体界の時間の感覚でついつい物事を図ってしまいますけれども、神聖の眼をこの肉体に甦らせる練習をしてゆきますと、奥の奥の奥の奥の奥にある神々の世界の時間感覚というものが、この肉体の感覚、意識のなかに入ってきます。
○大切なことは、私達人類が神の意識で世界を観ることです。
○自分を肉体的な存在だと思い込んでいる限りは、そのような神の眼を甦らせることはできません。
○だからこそ、日々の生活のなかで、落ち着いた呼吸のリズムに乗せて、神聖の言葉・光の言葉・真理の言葉を思い続けることが大切ですと、繰り返し伝えております。
○大事なことは、あるがままとありのままのすべてを、自分の思慮分別の想念習慣で取捨選択しないで、すべてを抱きしめながら、自分の意識の立ち位置である神界へ抱き上げてゆくことです。それを繰り返すことです。
○どんな見たくないものも、どんな聞きたくない話も、観る必要があるんです。聞く必要があるんです。それは神としての仕事なんです。
○例えば、ちょっと山奥入ったところに野草が生えているとします。その草はそこにあるんだけど、人がその存在を認めてくれない限り、名前がつかないんです。
○何々っていう植物だねっていうふうに人間が見てくれない、もしくは初めて発見された植物であれば、植物学者の方が名前を付けてくださらないと、ただそこにあるだけで、認識されないんですね。
○それと同じように、私達の心の中にあるのに見て見ぬふり、聞いて聞かぬふりをしているもの(想念習慣)は、いつまで経っても消えてゆかないんです。
○守護霊はそれをよーくご存知ですから、肉体の運命に現われる前に夢として画き表わして消そうとしてくださいます。もしくは、本当は我々が100%自分で経験しなきゃいけないことをおまけにおまけを重ねて、10分の1か10分の2ぐらい肉体の運命で経験する。
○ちょっと病気になったとか、ちょっと怪我したとか、ちょっと路頭に迷ったとかいう経験を通して浄めようとしてくださっておりますけれども、肉体に生きてる私達の側として考えるべきことは、自分が観る必要があるってことです。
○どんなものも分け隔てしないで観るんです。
○観たことに対して、喜怒哀楽とか、感情の起伏を働かせないんです。ただ観るんです。
○宇宙神の意識を思い出してください。なんで宇宙神は人類をたくさんの人に分けたんでしょう?
○この間もお話しましたけれども、すべての人の体験を味わって喜ぶためなんです。
○宇宙神が「そんな人類なんていらないや。自分が何でもやればいいんだ」と思ってるんだったら、この宇宙に星々も現われなかったでしょうし、人類という存在も現われなかったと思います。
○私達一人ひとりの中に、その大元の意識が入って、私達として動かしてくださっているんです。
○それを全部抱きしめて、神界に帰るということですね。
○そろそろ時間だということですので、休憩に入る前に、神聖復活の印を1回組みたいと思います。
○言葉はいつもと同じです。「人類の神聖復活、大成就」です。
○この「大成就」という言葉についてお話しますと、「大成就」っていうのは、好きなものも嫌いなものも、近いものも遠いものも、全部抱きしめて天に昇る意識です。
○大成就、オールOK、すべて存在していい。あっていい。あるだけでオールOKなんだ。
○批判をしない。評価をしない。いいとか悪いとか思わない。
○全部そのままでOKですよって言いながら、宇宙神の光を放射する言葉です。それでは始めます。
《神聖復活の印を一回》
○ありがとうございます。そうしましたら、画面共有状態にします。57分まで休憩にいたします。皆様の姿は見えなくなったと思いますんで、休憩に入ってください。
《10分間休憩》
○それでは後半の部を再開します。さっきの最後の話で大事なこととして、「あるがままとありのままを、この自分自身の思慮分別の想念習慣で近づけたり遠ざけたりしないで、すべてを抱きしめながら、自分の意識の立ち位置である神界へお連れすることが大事なことです」という話をしました。
○ラダーシップの話で言い換えますと、私達の頭は心の奥の天にあります。足は肉体界の大地を踏みしめています。
○そのように私達が天と地を繋いだ状態で、自分の体を天と地をつなぐハシゴとして使って、私達の幽体・霊体・神体の背中の上を通り道にして、人類へ自分の心身を提供して、縁あるすべての人々に神界の素晴らしい景色を共有してもらうことが何より重要であるということです。
○毎日のテレビニュースなんかを見ていますと、人間達の自分勝手さが、様々なニュースとして報じられています。
○そうしたニュースを見ていると、「胸が押しつぶされそうになって苦しくなる」とか、「あの人はなんてひどいことをするんだ」とか、「被害者の方々はかわいそうだ、気の毒だ」といった気持ちが湧いてきます。
○私はもうそろそろ、地球人はそうした気持ちと折り合いを付けるときがきたと思っております。地球人と言っても、意識進化しつつある地球人ですね。
○なぜかと申しますと、神聖復活を目指しているのであれば、肉体人間としての自らの感情想念をも神界に抱き参らせなければ、私達自身の意識をいつまでも二元対立の次元を這って歩いている蟻のように小さな存在にとどめ置いているということになるからです。
○9月28日だったと思うんですけれども、勉強会のメールで海外メンバーの方とのやり取りを名前を伏せて送りました。
○そのやり取りをしたのは、動画による祈りの会の2日前の9月25日でした。
○その2日後の9月27日土曜日の『動画による祈りの会』でも、由佳先生のお話の中で、同じような人間の感情の動きが紹介されていました。
○由佳先生がお話された該当する文章を読みます。
「肉体の眼で日々目の前に起きている現象を見ますと、それらの現象に対してすごく心が悩んだり、悲しくなったり、辛くなったりします。そして戦争や災害などのニュースを見るたびに、「何かをしなければ」とか、「何かどうすればいいんだろうか」とか思ってしまう。」という部分です。
○由佳先生は、そういう心境から私達が抜け出す鍵として、肉体の眼と神聖の眼を使い分ける、切り替えることがいいというお話をされていました。
○神聖の眼ということに関しては、この勉強会でもずっと目指しているところで、私達みんなが神聖の眼を養い、神聖の眼で世界を観るということをやってきました。
○神聖の眼を持っていれば、どんなに嫌いな人も抱きしめることができます。
○また、母親の心を持っていれば、どんなにうんちして、うんちの匂いまみれになった赤ちゃんでも抱きしめることができます。
○最近は高齢化社会ですので、介護という仕事の分野に携わる人がたくさん出てきて、日々、おじいちゃまやおばあちゃまのお世話をしてくださっています。
○多分多くの方は、「仕事だからね」って割り切ってやってらっしゃると思うんですけど、そういう介護に携わる方の中のごく一部に、「人をお助けすることが心からの喜びなんだ」と思って、楽しんで、喜んで、そのお仕事に従事されている方もおられます。
○そういう方々は、介護というお仕事を神聖の仕事にしてるんですね。
○私達全員が介護の仕事に携わっていなくても、そのように自分の好き嫌いは脇に置いて、どんな人も神界にお連れする、自分の体を投げ出して「どうぞ私の背中の上を歩いて天に登ってください」ってやるんです。
○「好きだ」とか「嫌いだ」とか思ってたらそんなことできないんですね。
○また、「好きだ」とか「嫌いだ」とか言ってるその心境っていうのは、神には程遠い自分勝手な人間感情です。
○私達は、そういう自分勝手な人間感情というものが、まだ多少は心の中に残っていますから、「こういう気持ちがまだ自分の中に残ってたんだな。守護霊様、気づかせてくださってありがとうございます。世界人類が平和でありますように」っていうふうに、守護霊様の中に投げ出して、消えてゆく姿にしていただく、ということをやっております。
○さっき浄めるとか祓い浄めとかいうことの話をしましたけど、この「消えてゆく姿」という言葉も、同じように捉えることができるんではないかなと思っております。
○これは、消えてゆく(消していただく)んであって、自分で消すんじゃないんです。自分で消そうとするのは、消えてゆく姿じゃないんです。
○消そうなんて思ったときに、それは消えてゆく姿の本筋を外れてるんです。
○消そうっていうのは、好きだとか嫌いだとか言うのと同じところに立ってるんです。だから消したいという気持ちが出るんです。それは二元対立の想いなんですね。
〇その二元対立の想いでもって「消えてゆく姿を何とかしたい」って思ったって何ともならないんです。
〇守護霊様に両手を上げて全面降伏するんです。白旗を掲げて「助けてください」って言うんです。
〇「肉体の自分には何事も成し得ないんだな」って思って腹を括るんです。腹を括らなかったら、同じことを繰り返すんです。
〇私、全国のいろんな方と、時々電話でお話することあるんですけど、「10年祈ってます」「20年祈ってます」だと「そういうことがあってもしょうがないかな」と思うようなことが、「30年祈ってます」「40年祈ってます」「50年祈ってます」「60年祈ってます」っていう方がやっていらっしゃることがあるんです。
〇昭和30年から昭和55年まで、五井先生は「消えてゆく姿で世界平和の祈りだよ」「何かあったら消えてゆく姿って思って、世界平和の祈りの響きの中に入るんだよ」って言って、手を変え品を変え、いろいろお話のバリエーションを持って伝えてくださいました。
〇けれども、その「五井先生のお伝えしたいこと」「私達にやってもらいたいこと」から外れたところで、一生懸命に『消えてゆく姿で世界平和の祈り』をやっていらっしゃる状況というのは、二元対立の想いで消えてゆく姿と対峙している状態なんです。
〇「自分が何とかできる」なんていう自惚れを全部守護霊様に預けて、「守護霊様、よろしくお願いします」っていう心で、守護霊様に自分の恥ずかしい面もどんな面もすべて開けっぴろげにして、「守護霊様、お願いします」って、まな板の上の鯉になったような気持ちでまな板の上で大の字になって、「どうぞ守護霊様、切るなり焼くなり煮るなり、好きにしてください」って投げ出して、「み心のままになさしめ給え」っていう意識でお祈りをしておりますと、好きだの嫌いだのいう思慮分別の心が知らない間に薄くなってきます。
〇そして、守護霊意識と自分の肉体意識とが、どんどんどんどん近づいていって重なり合ってきます。
〇ピタッと、自分の肉体意識と守護霊意識が重なり合うと、「私達が想うことは守護霊の想いであり、私達が語る言葉は守護霊の言葉であり、私達が表わす行為は守護霊の行為である」という段階に入ります。
〇私もまだなりかけなので、そんなに偉そうにものを言えないんですけれども、そういうふうに自分が自分がって思う想いを全部守護霊様に預けて、「守護霊様のいいようにしてください」、「み心のままになさしめ給え」っていう感じでお祈りをしてゆくと、だんだんだんだん知らない間に、自己中心的だった想念習慣が神の想念・言葉・行為に変容してゆきます。
〇本気でやるんです。本気でやれば変わるんです。本当に変わるんです。
〇どんな人だって変われるんです。変われない人はいないんです。
〇それぐらい今、神我一体になりやすい時代なんです。
〇「百知は一真実行に及ばず。誠実真行万理を識るに勝る」という言葉が、『天と地をつなぐ者』の中に書かれていました。
〇それはフーチという、札みたいなものに筆で何か書いてもらうやつだと思うんですけど、そのフーチで五井先生が守護神からいただいた言葉だというふうにおっしゃってましたけど、そこに書かれていた言葉ですね。
〇一つの真理の行ないをやり続けるってことは、万理(いろんなこと)を知っていることよりも、よっぽど素晴らしいことなんだっていうことが書かれています。
〇この世には、私達の知らないようないろんなことを知っている頭のいい人達がたくさんいます。でも、頭がいいことと、腹を括って真理を行なっているかどうかということは、一致しないことのほうが多いんです。
〇いろんなことを知っていて、かつ、真理の行ないもしてるってなったらこれは鬼に金棒ですけれども、でも、いろんなことを知らなければいけないのかって言ったら、別に知ってなくても問題ないんです。
〇例えば、月と地球の間の距離を知らなくても、私達は生きてゆけます。アメリカと日本の間の距離を知らなくったって生きてゆけます。
〇今、自民党総裁選挙をやってますけれども、政府のすべての役職を言えなくても生きてゆけます。
〇一真実行……。私達にとっての一真実行とは何でしょうか?
〇世界平和の祈り、人によっては神聖復活の印とか、いろいろ思われてると思いますけど、ご自分の答えを大切にしてやり続けてください。
〇例えば「守護霊様、ありがとうございます」という短い言葉でも、ただそれだけで悟りに至った方がいます。
〇「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」を四六時中やり続けて、意識がまるで変わった方もいらっしゃいます。
〇もちろん、「世界人類が平和でありますように。世界人類が平和でありますように」って何万回、何十万回、何百万回、何千万回やり続けて悟りに至った方もいます。
〇どれだけ本気でやっているかどうかなんです。
〇人から言われたからやろうじゃ駄目なんです。自分の意思で内側から催してくる、発動してくる、もうやらずにいられないっていう気持ちでやる。
○それは強迫観念じゃないです。やりたくてしょうがないという意識です。
〇「やらねば」とか、「やらなきゃ、やらなきゃ」っていうのは、二元対立の意識なんです。
〇本当にやる人は、「やらなきゃ」なんて思う前にやってるんです。
〇世界平和の祈りだって、神聖復活の印だって、呼吸をゆっくりすることだって、すべてに感謝することだって、何だっていいんです。
〇どんなことでも、やり続けることが大事なんです。あれもこれもそれもどれもって、手を広げなくていいんです。
〇自分が「これだ!」って思ったらそれをやり続けるんです。
〇もし、自分の心の中で、「もうこれをやるのは十分だ」って思ったら十分なんです。次のステップが待ってるんです。
〇次のステップが待ってるっていう意味では、私達、毎日精進しているんですけれども、そういう日々の中で、時々自分の想いで「私はなんか最近、物事に把われなくなったな」とか、「ちょっと意識が高まったんじゃないかしら」とか思うことがあります。
〇私もあるんですけど、そうしたら守護神様は容赦ないんですね。そう思った瞬間に、次の課題をバーンと目の前に見せてくださるんです。
〇気づかざるを得ない形で気付かせてくださるんです。そうすると、「気を抜いてる暇ないな」って思うんです。
〇Zoom祈りの会の運営をしてゆくうえで、私、福岡の古賀さんに2020年頃からお願いしてきたのは、「この人がのぼせ上がって、いい気にならないように、古賀さん、なんか私がおかしいなって思うことを言ったら、ちゃんと注意してくださいね」って言ってきたんです。
〇そう言ってたんですけど、その後、私は、自分で「これはいけないな」って気がつくのが早くなったんですね。
〇だから、「メールの文章が間違ってるよ」とかいうことはあるんですけど、「在り方がおかしいよ」っていう話はまだ言われてないんですけれども、道を外れることがもしあったとしたら、自分の中の神聖で気がつくことができると思っております。
〇2020年の段階では、「自分では気がつかないこともあるかもしれない」って思ってました。
〇明日、富士聖地行事ですけど、2019年に私、本当は人前に出る気はまったくなかったんですけど、中澤さんがお体がつらそうで、「お休みしていただきたい」ということで代わりに出始めて、その後、富士聖地へ行ったら、芸能人のような扱いをされたんですね。
〇なんかキャーキャー言って人が寄ってくる。それで私は、「これはよろしくないな」と思ったんです。「こんなことに慣れたら、鼻持ちならない人間になるだろう」って。
〇だから私、あんまり富士聖地で会っても雄弁ではないと思います。黙って頭下げる。言葉もひと言、ふた言、み言と少なめにしてると思います。
〇みんなから立てられ続けると、次第に人間は勘違いするんですね。「自分は何か特別なんじゃないか」とか、「すごいんじゃないか」とか。
〇私はそれ以前に、自分のすごくないところをものすごく自分で認めざるを得ない段階を通ってきてるんで、ピノキオさんになりたくてもなれない性質を持っていて、それがまたありがたいなと思っております。
〇我即神也、人類即神也って言葉がありますけれども、「私は神聖なんだ」「神の分霊なんだ」って思うことと、「自分はすごいんだ」とか「自分は完璧なんだ」って思うことは、なんか似たように感じるかもしれないけど、全然違うことなんですね。
〇それは、本当に神聖の意識の側に入ったら、自分の中の消えてゆく姿の部分もわかるからです。「これは、手放さなきゃいけない想いの癖だな」とかっていうふうに見ることができます。
〇でも、「自分はすごいんだ」「自分は完璧なんだ」っていう意識の中に入ると、自分の消えてゆく姿がわからないんです。手放すべき性質を観察することができないんですね。
〇それは、自意識過剰状態で、「われが、われが」「自分が」「自分の」「自分で」「自分に」「自分、自分、自分、自分……」っていう意識です。
〇そういう時に、“自分という意識”を神聖に昇華し、神聖に変容してゆくんです。そのためには、やっぱり自分を客観的に観なきゃいけません。
〇客観的に観るといっても、いきなり神聖の眼にはならないんですね。残念ながら、肉体の眼がいきなり神聖の眼に変わる人はいないと思います。
〇途中の段階があるんです。それがこの間の勉強会でお話した発達心理学の言葉『メタ認知』という意識状態です。
〇客観的に自分を見れる。考えている自分を見れる。動いている自分を観察できる。思っている自分を思えるとかっていう状態です。
〇自分の中にもっと奥の、もう一つの意識が同時存在している意識状態です。これが次元の広がりを伴ってくると神聖の眼に変容するんです。
〇メタ認知の意識状態を通って、いわゆる客観的に自分を見つめられる意識の段階を通って、すべてを俯瞰的に見れるようになるんです。
〇この俯瞰っていうのは、こないだも話しましたけど、英語では「俯瞰的に見る」っていうのは「バードアイズビュー」「鳥の眼で見る」って言うんですね。空の上から見てるような、そういう意識です。
〇実際の神聖の眼による俯瞰というのは、単純に空の上から地上を見下ろしてる状態ではないです。そこに異なる次元のあり様も、同時にキャッチできるからです。
〇例えば、誰かと真正面から見つめ合ってるんだとしたら、自分が見ている相手の体の前面、前側しか肉体の眼は見えませんけど、神聖の眼は頭の上からも見れるし、足の裏(下)からも見れるし、右からも左からも、後ろからも見ることができる。なんなら、その中身もキャッチすることができます。
〇それは、一瞬なんです。一瞬で全部わかるんです。って、この状態は、言葉で表現できないものです。
〇でも、ものすごくスッキリした意識だと思ってください。わかんないことがないんですからスッキリします。
〇自分、自分、自分、自分、自分というように、自分が自分だと思ってる自分を全部、守護霊様に明け渡すんです。
〇そうすると、守護霊としての意識が自分の肉体の意識に顕われてくるんです。
〇知らない間に変わってくるんです。そんなに、「やらなきゃ、やらなきゃ」って自分を追い立てるように思わなくてもいいので、喜んで無邪気に神聖復活に取り組んでみてください。
〇人の数だけ神聖復活の道があると私は思っております。
〇だから何年も前から言ってますけど、皆さん一人ひとりが通った神聖復活の道をみんなに伝えてください。
〇祈りのメンバーの中に、いろんな性格のいろんな人間性の人がいて、ソリが合う人、合わない人がいるっていう話を前にしたことあると思うんですけど、それは、世界中の全人類を神聖の世界にお連れするのに、その人達が必要だから集まっているんです。
〇ソリが合うとか合わないとか、好きだとか嫌いだとか、それは肉体としての私達が勝手に思っているだけなんですね。
〇神々の世界から肉体の私達を見たら、絶妙な配置で人々がセッティングされてるんです。
〇「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」の奥のほうの意味には、そういう神聖の眼で見た大調和の姿があります。
〇よく私達の人生の道のりを富士登山に例えてお話しますけれども、東から登ってる方も、西から登ってる方も、北から、南から、南東から、東北東から、いろいろな方向から私達一人一人は今、富士登山をしているんだと思うんですけど、もうすぐ頂上です。
〇実際に富士登山をしたことのある方は、上の方へ行くとどうなるかということをご存知だと思うんですけど、雲や風の動きが速くなってきますね。
〇今がまさにその時期なんです。10合目、頂上へ行く寸前では、岩の険しい道もあります。
〇だけど、そこを登り切ったら、もう「こんな絶景あるのかしら」って思うぐらいに四方八方を見渡せる世界がそこにあります。
〇だから、神聖復活するっていうのは、富士登山で頂上に登ることに例えていいと私は思っています。
〇どんな人も同じ景色を共有できます。誰かを好きだとか嫌いだとか言ってた自分が笑えてきます。
〇「ちょっと前の私、おかしかったよね」って笑い話にできるようになります。
〇その頂上の景色を本当に皆さんと共有したいと思っておりますので、2025年はあと3ヶ月ありますけれども、ご一緒に神聖復活の道のりを気張ることなく、気負うことなく、肩の力を抜いて、慌てないで、焦らないで、足元の一歩一歩を大切にしながら、ご一緒に歩んでゆきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
〇最後に、神聖復活の印を一回組んで終わります。言葉は先ほどと同じです。
〇『すべてを抱き参らせる意識』で行ないたいと思います。自分の感情なんてどうだっていいんです。神としてこの心と体を働かせるときなんです。
〇自分が何かを思ったら、「何か思ってるね」って観てればいいんです。「いい」とか「悪い」とか思わないのがコツなんです。それでは始めます。
《神聖復活の印を一回》
〇ありがとうございます。明日は富士聖地の行事になります。行かれる方も行かれない方もいらっしゃると思うんですけれども、今、富士へ移動しながら参加されてる方もいますね。
〇移動されている方はどうかお気をつけて。明日行かれない方におかれましては、ご自宅にいても富士聖地の波動と繋がることが出来ます。
〇明日の行事は午前11時からで、動画による祈りの会でやってる『日本各地と世界各国のプレートへの祈り』が始まるのは多分12時前ぐらいじゃないかなと思いますんで、その頃に時間を合わせ、意識を合わせてお祈りください。
〇富士聖地行事のレポートは、また後日に出しますので、どうぞお楽しみにしてください。
〇それでは10月4日土曜日の勉強会はこれで終わりにいたします。皆様、お忙しい中のご参加、ありがとうございました。それではマイクをオンにします。
〇それでは本日の勉強会はこれで終わりにいたします。ありがとうございました。
《Bye-byeタイム》
以上