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260117_日本語版_神聖開発勉強会.pdf
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当日のお話
○皆様、こんにちは。1月17日土曜日の勉強会を始めます。
○はじめに、神聖復活の印を1回組みます。
<神聖復活の印を一回>
○ありがとうございます。神聖復活を目指してゆくうえで、神我一体を目指すうえで、悟りを開いてゆくうえで、一番大切なことは、自分自身を深く深く深く見つめてゆくことだと思っております。
○もちろん、『消えてゆく姿で世界平和の祈り』が基本ですけれども、その「消えてゆく姿」っていうのが、「今一つやり方がよくわからない」という方が多いような気がします。
○もちろん、五井先生もいろいろな角度からお話くださってますし、昌美先生も娘さん方もお伝えくださっているんですけれども、何ぶんこの「消えてゆく姿」をやる場所が心の中なので、他人の言葉を聞いても「なんかわかったような、わかんないような」って感じの方がずいぶん多いんじゃないかしらと思っております。
○もちろん、何十年もやってきて「ああそうか、こういうふうにやったらよかったんだ」って気が付いて、ご自分の『消えてゆく姿で世界平和の祈り』を深めておられる方も、今ここにずいぶんいらっしゃると思います。
○でも、いざそれを人様にお伝えしようってなると、「どういうふうにお伝えしたらいいのかしら?」ってなってしまうことがあります。それは、やっぱり心の中のことだからなんですね。
○広い意味、広義な意味で、ロシアとウクライナがやり合ってるのは消えてゆく姿だとか、あの人の性格が悪いのは消えてゆく姿だとか、そういう使い方をすることもありますけれども、それは「消えてゆく姿で世界平和の祈り」というときの「消えてゆく姿」とは全く意味合いの異なる「消えてゆく姿」という言葉の使い方なんですね。
○本当に私達がやらなければいけない『消えてゆく姿の対象』というのは、自分の心の中にあるんです。自分の心の中にしかないんです。
○だから『消えてゆく姿』という言葉は、誰かを責めるために使う道具でもなければ、人の悪口を言うときに使う言葉でもない。
○本当の「消えてゆく姿」というのは、自分の心の中を深く見つめていったときに、実際はそんな深いところじゃないんですけれど、心理学の用語で『潜在意識』と呼ばれるところにあります。
○表面の意識のことを心理学では、『顕在意識』といいます。それと裏表みたいな感じの意味合いで潜在意識っていう言葉を使うんですけど、その潜在意識層に消えてゆく姿があるんですね。
○人間の体というのは、今こうやって見えてる体は「肉体」ですけれども、霊的に観てゆくと、ちょっと奥には「幽体」があり、もっと奥には「霊体」があり、もっと奥には「神体」があってという話を聞いたことのある方もいらっしゃると思うんですけれども、潜在意識っていうのは幽体のところにあるんですね。
○この幽体にくっついてる潜在意識っていうのは、想いが落ち葉のように積もりに積もってるような場所なんです。
○そこに命の光を当てて心の奥の暗闇を照らし、「こんな自分があったんだ」っていうのを見つけて、「守護霊様、ありがとうございます。見つけさせてくださってありがとうございます。世界人類が平和でありますように」ってお祈りをしてゆくといい。
○そうすると例えば、「人から意見されるのが嫌だ」っていう、男の人に多い性格の場合、女性でももちろんいらっしゃいますけど、そういう想いの癖を持っている人の場合、例えば家族や職場の人間関係や親しい友達なんかとの間で、こちら側が私だとしたら、私が誰かからそういうことを言われたときに、カチンときて、ムッとして「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ!」って心の中で思ってしまうことがある。
○そういう状態が神聖の状態じゃあないってことはハッキリわかりますよね。それが「消えてゆく姿」なんです。
○神聖を外れた想いの癖、もちろん、それは想いだけじゃなく、行動に現われることもある。
○思うだけじゃなくて、口に出さなきゃ気が済まなくて、そういう不調和な言葉を他人に発してしまうこともあります。
○そういう想念、言葉、行為……、神聖を外れた想念、言葉、行為こそが、守護霊様に消していただくべき「消えてゆく姿」なんですね。
○そのことをハッキリわかっていないと、ついつい「消えてゆく姿」ということを外側に向けて、「あの人のあれが消えてゆく姿」だとか、「あの国のあれが消えてゆく姿」だとか、全然消えてゆきようのない「消えてゆく姿」の使い方をしてしまうことになってしまいます。
○「“潜在意識を見つめましょう”って言われたって、どうやって潜在意識を見たらいいのかわかりません」という方がいますが、そういうときに役に立つのが、例えばテレビや新聞やラジオなどのいろいろな情報、ニュースに触れますけど、そのニュースを見たときに思った想いを観察する。
○また、家族や友達や仕事関係の人達と交流する中で、相手に感じる想いを自分に向け直して見つめる。外に感じていることは、自分の中にある原因を映し出して、外のものがそうであるかのように思ってるんです。
○例えば、「この人は素晴らしい考えを持ってるね」とか、「なんでこの人こんなこと言うんだろう。面白くないな」とかって思ったりするように、人と交流をしていて、皆さん、相手に対していろんなことを感じていると思うんです。
○でも、それを相手の問題だって思わないで、自分に向け直すことで、その潜在意識層にある、相手にそう思った原因がわかるんです。本当の原因を見つけることができるんです。
○よく勉強会で私、言いますけど、誰かに面白くない想いを感じたときに、私がそれを自分の心の奥に向けると、大雑把な言い方しますけど、自分に赦されてない側の自分と、自分を赦してない側の自分がいて、自分と自分が不調和な状態になっているっていうのを見るんですね。
○そう見たとき、その状況を見つけたときに、外に対する想いが調和するんです。
○「守護霊様、持ってってください」なんて言わなくたって、本当は見つけただけでバランスが取れるんです。
○自分の心の中の、例えば陰と陽、男性性と女性性とか、プラスとマイナスとかいろいろな言い方あると思うんですけど、心の中の陰陽の統合が果たされていれば、人の心は調和した状態が保たれるんです。
○ところが、その心の中の状態がバランスの悪い状態で心の中にあると、外の世界に不愉快を感じるんです。
○だから、この世で生きていて、「いや、もう私、何の不平不満もないわ」「もうありがたいことばかりよ」って思っていらっしゃる方がこの中にも何人かいらっしゃるんですけど、そういう人達はもう、心の中のバランスが取れてるんです。
○だから外側に不調和を見ない、不調和を感じない、人に不愉快を感じない、という状態で生きてゆくことができるんですね。
○もちろん、そういうことをさせてくださっているのが、守護霊様なんで、守護霊様抜きにこれは出来ないんですね。
○だから「守護霊様、ありがとうございます」って思うことは、もう基本中の基本なんですけど、でも自意識で自分を調和させることができる時代に入ったんです。
○これがもっと前、20年前・30年前・40年前・50年前だったら難しかったと思います。世の中の波が今よりも粗く、当時は外も内も全部が荒々しい波動の中で生きてましたから、そういうことができなかった。
○けれども今、この2020年代っていうのは、地球界の全体的な物質の波動と精神の波動がかなり「霊界の波」に近づいて来ている段階に入ってるんですね。
○だから自分の肉眼(め)を閉じて、自分の心の奥を見つめ、自分の内側にアクセスしようとしたときに、それが何十年も前より今はものすごくやり易くなってるんです。何十年と言わずも、この5年・10年の間でかなりたやすくなっています。
○なので、誰かに助けてもらおうとか考える必要もない。自分と守護霊・守護神、特にいつも一緒にいてくださる守護霊様と二人三脚で自分を見つめ深めてゆく取り組みを行なうことができます。
○そのときにいろんな取り組み方があるんですが、例えばそうですね、瞑想するとか、白光の人だったら統一をするとか、内側を見つめる手段・やり方があるんですけれども、「統一をしよう」って思ったときに、なんとなくやってるっていう方がけっこう多いと思うんですね。
○それは、統一CDの一番最初の部分の五井先生の説明にも関係あると思うんで、ちょっとその部分を言いますね。
統一っていうのはね、新しい人もありますけど、もう無理無理ね、「統一しなきゃなんない、ウーッ」なんてやってんじゃ駄目なんですよ。
心を開いて、ゆっくりと、体を伸びやかにしてね、もう心も体も投げ出すように、この緊張をほどくんですね。
そうすると、ホントの統一ができますから。
ただ、背筋だけは伸ばしてね、こう如来印ってのを輪にして組んで、それで、もうこちらから口笛がなりね、柏手がなりの、世界平和の祈りをしながらジーッと聞いてればいいんですよ。
そうするとホントに統一いたします。
統一ってのは何かというと、自分の本体の中に入る、神様のみ心と一つになることが統一ですよ。
○っていう説明をされてるんですね。もう世界平和の祈りをしながら、「柏手の音」や「ご霊笛の音」を聞いていればいいという、多分これが一番メジャーな統一のやり方なんです。
○でも、直観的な人やひらめき型の人のなかには、統一の最中に自分の心の中を観て、「こんな自分がいた」って気が付く人がいるんですね。
○それは勉強会で、「Who am I?」「私って何者なんだろう?」「我とはなんぞや?」っていう問いかけを毎日毎日自分にしてみてくださいっていうお話を何回もしておりますけれども、これの応用編みたいなものなんですね。
○「自分って何者なんだろう?」「神の分霊だ」「神の分霊ってなんだ?」「宇宙を創った神様のいのちの光です」とかっていうふうに、どんどんどんどん深掘りしてゆくと、自分の生命の実態、いのちの本体というものを言葉で表わせるようになってきます。これはその練習にもなってるんですね。
○「でも、具体的にどうやってやったらいいかわからない」っていう方がいらっしゃる。そこで、『天と地をつなぐ者』の159ページからの部分に、五井先生が“写実的神我一体の体験”をする前日の出来事として、“守護神との問答”をしていらっしゃる描写があり、その部分がやり方がわからないと思う方々の参考になると思いますので、ちょっとその部分を読んでみたいと思います。
天と地をつなぐ者『自由身への前進』
こうした試練は次々とつづけられ、今度は霊側から頭脳の中で、様ざまな問答をしかけてきた。
「人間とは何か?」
「神の分霊(わけみたま)です」
「神とは何か?」
「宇宙に遍満する大生命であり、生命原理でもあります」
「大生命とは一体何か?」
「在りて在るもの、すべてのすべてです」
「在りて在るものとは何か?」
矢つぎばやの質問である。私の答がつまると、頭をぎゅっとしめつけられる。頭が、がんがん鳴ってきて、顔がみるみる充血してくる。耐えかねて、「わかりません」と答える。
「わからないのじゃあない。人間の言葉でいえないだけだ。おまえにはすでにわかっている」
そういえば、私の心の奥ではわかっているような気がする。いえないということと、わからないということとは違うのだ、と思った。
「ではつぎ、人間はなんのためにこの肉体として生まれているのか?」
「神様の創造原理をこの地上界に実現するためです」
「よし、では、おまえは今のような答をどこから考え出して答えているのか?」
この問答は、答える側に少しの時間も与えない。即座に答えなければ、頭をぐいぐいしめつけられる。ひびきに応ずるように答えなければ肉体に苦痛が与えられる。
「私の本体からです」
私はちょっとつまって、頭が、ぐいつとしめつけられたとたんにこう答えた。
「本体とは宇宙神か?」
「宇宙神でもあり、私の真我でもあります」
「では、おまえの真我が宇宙神か?」
「宇宙神の一つの生命原理であり、創造原理であります」
「おまえの肉体は一体何か?」
「真我の器であります」
「おまえの個我はどこにある?」
「幽体と肉体にあります」
「個我とは神か?」
「神をうちに含んだ因縁生(いんねんしょう)です」
「するとおまえは因縁生か?」
「因縁生をやや離れかかっている神の分霊です」
「釈迦牟尼仏はどういう人だった?」
「因縁生から解脱して神我一体となった覚者です」
「おまえも釈迦牟尼仏のようになれると思うか?」
「私の本体が知っています」
「釈迦尼仏も、おまえのように、こうして頭の中で指図されたり、教わったりしたのか?」
「覚者になってからはそのようなことはなかったと思います。神であるご自分が肉体そのままですべてをなさったのだと思います」
「イエスキリストはどうなのだ?」
「やはり同じだと思います」
「そんな偉大な人が、どうして礫(はりつけ)などになったのだ」
「キリストは礫にはなりません。磔になったのは単にキリストの器である肉体だけです」
この私の答には、霊側でも感心したらしく、その想いが、私のほうに伝わってきた。私の心はもうすっかり澄みきっていて、脳髄に個我の想念は少しも溜っていないのが、ハッキリわかった。何か、天の私と地の私とが一直線につながっているように観じられた。どんな問題を出されても答えられる感じがしていた。
霊側の問はまだつづけられた。
「人間世界の苦しみを救うにはどうすればよいのか?」
「人間の本体を知らせ、神の理念を知らせることです」
「どうして知らせるのか?」
「それで私も苦しんでいるのですが、真理の書物をできるだけ早く、できるだけ広く、普及させることだと思います」
「本を読んだだけでみんなが悟れるかな?」
「それが一番問題です。現在の私の心境ではまだハッキリわかりません」
「おまえの答えは本体からくるはずだったが、本体にもそれがわからないのか?」
「本体にはわかっているのですが、私の答えとして言葉に出すにはまだ私の肉体が未熟なのです。時間の問題です」
「書物の他にはなんで知らせるのか?」
「祈りです。神我一体の祈りで人類世界の業を浄めつくすことです」
「こんな深い業生(カルマ)の波がそうたやすく浄まるかな?」
「たやすく浄まるとは思いませんが、私は祈りに勝る方法を知りません」
「唯物論者はそんなことをいうと嗤(わら)うだろうな」
「はじめはみんな嗤うでしょう。嗤うその心が業の波なのですから、まずそれを浄めてゆくのです」
「おまえの祈りは一体どうやるのだ?」
「私は今日までの修業でかなり自我に把われなくなりましたから、すぐ神様にお任かせできる気がしています。人類世界の運命をそのまま背負った気で、神である私の本体に全部お任かせしますという祈りです」
「他の人にはどう教えるのだ?」
「人間の本体が実際は肉体にあるのではなく、神としてこの宇宙で自由自在に働いているのだから、自己の肉体的な業(カルマ)の想いでお願いするような卑屈な気持でなく、自分の本体から宣言するような心で、世界人類の平和を祈りなさいと教えます。不安や恐怖の心は祈りを邪魔しますから」
「なかなかむずかしいね。そんなにむずかしいとおまえについてくる人は少ないぞ。共産主義者のように現実的な問題を提出して答えを出してゆくほうに大衆はついてゆくぞ」
「私も昔はそう思いました。そう思って現実世界をたちどころに良くしてゆけるような神秘力を欲しました。そうして今日ではあなた方霊界人や神霊のご指導で超現実力を現わしてもらえるようになりました。これがもし釈尊のように自分自身でこのような神秘力を発揮できるようになったとしても、直ちにこの現実世界を良くできるとは思いません。どうしてもある定まった時間が必要だと思います。ですから、私たちが、真の祈りに多くの人をひっぱってゆくため手間取っているうちに、たとえ共産主義者の現実社会平等化の呼び声によって、日本や世界が、ソ連の自由になったとしても、そのようなことではこの地球世界の業(カルマ)が浄まらぬのですから、いつまでもその思想に人類が抑えられてゆくことはありません。また他にどんな思想や現実手段がとられても、魂の浄化がなく、神と自我が一体にならない以上は、真の平和世界はできっこないのですから、私たちの祈りが必要でなくなることはありません」
「そんなことをしているうちに、戦争や天変地変でこの地球が滅びてしまったら一体どうする?」
「地球が滅びたとしても私たちのように本体の神性を知っている者や、知ろうとしている者にとっては、たいした問題ではありません。しかし、神は大愛なのですから、多くの人類にそのような強い恐怖を与えることなく、お救い下さることを私は信じております。それでなければ、一人の私のためにあなた方のような霊人や神霊がこのようにご指導して下さるわけがありません。
私は今になって真実(ほんとう)にイエスキリストのいった『み心のままになさしめ給え――』という言葉がハッキリ体得できました」
「それではこれで問答は止めるが、明日の晩には何か変ったことが起るだろう――――」
霊側からの質問はこれで終った。霊側の言葉はすべて人声と同じひびきで私に聞えていたのである。しかしこの日を最後に、こうした人声も自動書記も、すべての精神分裂的霊界側の指図は再び私の肉体に干渉してはこなくなった。
私の想念停止(空観)はついに成功したのであった。私はものを想わなくなった。しかし必要があれば語り、用に応じて手足を動かし体を働かせることもできた。私という肉体的個人はもはやこの世には存在しなくなっていた。私の過去世からの想念のすべてを天に還(かえ)してしまったのである。天と地の間にただすっきり澄み徹った私がいた。
久しく停止していた私の個我がすでに天の本体と合体していることを直観した。その直観はその翌晩ハッキリと私に示されたのである。
○はい、ここまでです。この後、「翌日に寝る前の瞑想に入ったときに、霊体で肉体から意識が抜けて、幽界・霊界・神界へと昇り、もっとずっと神界の奥の方へ行って直霊のところまで昇った目の前に、衣冠束帯姿の自分が目の前に居て、その衣冠束帯姿の自分の中に合体して、五井先生の神我一体の修行は終わった」ということです。
○私達も五井先生と同じように、ハッキリともう一人の自分を観る体験をするかどうかはわかりませんけれども、「知らないうちに神我一体になっていた」「知らないうちに悟りの世界に入っていた」「知らないうちに神聖復活していた」ということになってゆきます。
○私は、『霊的に見えも聞こえもしない我々普通の人達』にとっては、それが一番いい形の神我一体の在り方だと思っております。
○今の問答のように、自分で一人二役やるんです。質問する側と、それに答える側、肉体側の自分と神霊側の自分の両方を、最初は自分の頭で考えてやる。
○質問を考えるのも自分なら、その答えを考えるのも自分がやる。それを毎日繰り返しているうちに、質問する側が守護霊に変わってくるんです。守護霊様が質問してくださる形になってゆきます。
○もっと更に突きつめてやってゆくと、守護神様が代わってくださいます。そうすると、もっとかなり深い内容、厳しい内容の問答に入ってゆきます。
○守護霊様の段階ではやっぱりやさしいんですね。いつも私達のそばにいてくださいますから、あんまり厳しいことをおっしゃらない。
○でも守護神様は、私達の命の奥で光り輝いている“生命の太陽みたいな存在”ですから響きが違う。質問の内容も自分の心を本当に正直に見つめないと答えられないような、そういう質問に変わってきます。
○毎日、自問自答の練習をすることがコツです。そうすると、本当に質問する側が守護霊・守護神に変わります。
○そういうふうにして自分を深掘りしてゆくと、知らない間にそれが「神聖の視座を養う練習」になってるんですね。
○神聖の視座っていうのは、いろんな存在や一つ一つの事象を、あらゆる角度から同時に見れる眼です。
○それと同じようなことで、昔の聖が丘の時代、お山の時代に、昌美先生が『四次元の意識』について説明してくださったことがありました。
○四次元の眼で観ると、例えば一人の人と一対一で向き合っている場合、普通の肉体の五感では、この肉眼(め)で見ている相手の体の前面しか見えてない。
○でも次元の奥の眼を用いて観ると、その人を後ろからも右からも左からも上からも下からも、内側の断面も全部同時に観ることができるっていう説明がありました。
○自分を掘り下げるような自己問答を毎日繰り返してゆくことは、そうした多角的、かつ複眼的な次元の奥行きを伴った眼を養う練習になるんですね。
○「自分は何者か?」っていう最初の一点から始めて、深いところへ自分自身を総括的に観てゆき、質問を通して自らを深掘りしてゆく。
○何かを聞かれたときの答えというのは、100人いたら100通りの答え方があるので、「これが正解」「これが間違い」ということはありません。それをやるのは、別に誰に聞かれるわけでもないし、自分の中でやることですから、どんな問答をしてもいいと思います。
○そして、私はそれを「統一CDをかけて、統一中にやるのがいいかな」と思っております。
○なんでかっていうと、さっきの世界平和の祈りの統一行の説明の中で、「こちらから口笛がなりね、柏手がなりの、世界平和の祈りをしながらジーッと聞いてればいいんですよ」っていう言葉があったんですけど、その柏手やご霊笛っていうのが、私達の把われの想いを剥がしてくださり、綺麗に掃除してくださるから、統一CDをかけながら内面を見つめてゆくと、自分の奥に繋がりやすい状態になるんですね。
○なので、「統一CDを使いながらやるのがお勧めです」というふうに言っております。
○例えば『柏手』っていうのは、音の響きでもわかるように、業の波動を強く剥がしてくださる。
○『ご霊笛』っていうのは、もう本当に小さな箒(ほうき)みたいな働きをしていて、細かいところをチョコチョコチョコチョコッて掃き出してくださる。
○心のヒダの奥に入り込んでる潜在意識の想いの癖の実体ってのは、なかなか表面に出てきづらいんですけど、そういう自分の力ではどうにも剥がせないような思い込み・こだわり・決めつけ・執着……、そういうものをやさしく剥がしてくださるのがご霊笛の音の響きなんですね。
○そういうことを理解したうえで、統一CDの音を聞きながら、自分の内面を見つめる取り組みをされることをお勧めします。
○もう1時47分ですね。統一行を一回やって休憩に入ります。音を聞こえやすくするために、再生してるプレイヤーを出しますね。お写真とかがなくてごめんなさい。それでは始めます
<世界平和の祈り-8分44秒>
○ありがとうございます。はい、それでは、今何分?58分。それでは、2時10分まで休憩にしたいと思います。
○画面は大丈夫なはずですけれども、もし気になる方は、ご自分のお顔が出てるビデオ画面をオフにして休憩をしてください。10分から始めます。
<10分間休憩>
○それで10分を回りましたので後半に入ります。
○前半のお話で、「潜在意識層にある、消えてゆく姿を見つめて、手放す、浄める、本当に消えてゆく姿にしてゆく、守護霊様に消していただく」というお話をしたんですけれども、「自分を見つめる」ということは、なにも不調和な部分を見るばかりではないんですね。
○“一番やらなきゃいけないこと”というか、“一番最初にやるべきこと”は、「自分は何者なのか?」って問いに対して答える部分の「私は神聖の存在なんだ」「私は神様の子供なんだ」「私は神の分霊なんだ」「私は我即神也の者なんだ」っていうところをしっかりと掴み、自分の当り前にするということです。
○でも、それを1回や2回や3回、やったくらいで出来るんだったら、みんな苦労しないですよね。「我即神也って思おうとしてるけど、不調和な想いが出てきてしまう」っていうのが普通の状態だと思います。
○もしそんなふうに、2、3回で不調和な想念がなくなったっていう人がいたら、その人はよっぽど過去世で修行した人で、もう今生では神我一体になる寸前のところまで来ていた方なんだと思うんですけど、そういう人は、何万人、何十万人に一人か、何百万人に一人か、ものすごく少ないです。
○なので、「自分は神聖の存在なんだ」っていう、本当の自分というのをしっかりと掴みながら、日常生活の中で現われてくる調和していない想いや言動・行為を自分がしてしまったときに、例えば「誰かに対して汚い口をきいてしまった」っていうようなときに、「それは相手がこう言ったから私がこう言ったんだ」と思うみたいな、売り言葉に買い言葉で終わらせるんではなく、「どうしてあのとき、ああいうことを言ってしまったんだろうな」っていうのを、自分に想いを向け直して見つめてゆくと、心の中にその原因を見ることができます。
○さっきの統一のときに私、「Who am I?」ってやってたんです。それで、一番最初に答えたのは「我即神也の者です」って答えたんですけど、そうしたら、その次に来た質問が「我即神也だと自分のことを思ってない人が世界中にはいっぱいいるけれども、そういう人達はそのままでよいのか」って質問が返ってきたんです。
○考えてもいなかった質問なんで、ちょっと一瞬うろたえたんですけど、そのときに答えたのは、「“自分を我即神也だ”、“神聖の存在だ”と認めるか認めないかの最終的な権限は、一人一人の人類が持っているもので、さらにはその一人一人に守護霊・守護神がついてくださっていて、一人一人の神聖が甦るように、神聖復活するように導いておられるのですから、私達は全ての人類に対して、神聖の存在なりと認め、本質を観てゆくだけです」というような答え方をしました。
○何回もこれをやってると、さっきの私のように、想像もしていなかった質問が奥から来ることがあります。
○さっきも言いましたけど、一番大切なことは、人間という存在が、宇宙を創った創造主、宇宙神、いろんな呼び方があると思うんですけれども、宇宙創造のエネルギー、命の源の光を分け与えられた存在であるということです。
○人間の意識というのは、間違って使えば、惑星を破壊し爆発させるぐらいなエネルギーがあるんだそうですけれども、これは命の大元の宇宙神から与えられた創造のエネルギーを間違った方向に使ってしまった姿ですね。
○この地球上の国々は、武力で自分の国を守ろうしてます。「守ろうとしている」だけだったらまだしも、「その武力を使って領土を拡大しよう」とかっていうのも、無限なる創造の力の間違った使い方の最たるものですね。
○それらの状況に対しても、「批判・非難・評価せず」で把われちゃいけないんですけれども、いずれそういう間違えた力の使い方をしている人達が「自分達は間違っていた」って気が付くときが来ます。そんなに遠くない未来に、です。
○「そのときが一日も早く来るように」ということで、私達は日々、平和の祈りをし、人類の神聖復活を祈っております。
○「もうすぐ、宇宙人の人達と会える」とかっていう話をすることがありますけれど、それは本当のことを言えば、特別なイベントではないんですね。
○なぜなら、今まで一緒に働いていた人達と相まみえる機会に過ぎないからです。
○例えば、Zoomでこの祈りの会をやっておりますと、別に私、全国飛び回ってるわけじゃないんで、例えば、ボランティアやってる人と電話とかZoomとかのやり取りだけで、実際のその人と会ったことがないっていう人が何人かいたんですね。
○そういう人達と年に数回の富士聖地でお会いするっていう、そういうことと似てる。
○だから、宇宙人と会うというのは、その人の存在は十分に知っている。だけど、実物に会ったことがなかったっていう状態です。そういうのが、これから行われる宇宙の人達との交流になってゆきます。
○そのときには、今まで裏でずっと研究されてきた宇宙子科学のいろいろな原理を応用した機械とか、科学的叡智の活用の方法が明らかになってゆくと思うんですけれども、あらゆる武器が使えなくなります。
○だから、どんなに原子爆弾をたくさん持ってたって、それはもう威張れることではなくなってゆくんですね。「何の役にも立たないものを作ってしまった」っていうところへゆきます。
○兵隊さんたちも、機関銃を使おうとしてもまともに機能しない。ナイフで刺そうとしたらそのナイフがフニャって曲がっちゃったっていうようなことになって、戦うことが馬鹿馬鹿しくなります。
○なので、現場の第一線で戦ってきた兵隊さんたちが、もうやる気をなくしてしまう。戦うっていうことに意味を見いだせなくなる。もう敵と味方とが顔を見合わせて苦笑いするというような、そういう状態になるんですね。
○どんなにそれぞれの国の軍部の指導者が「戦え!」「やれ!」「殺せ!」ってハッパをかけたところで、現場の人達がやる気をなくしたら戦争になりません。そういうときが近づいております。
○ウクライナとロシア……、まだ終わってません。イスラエルとパレスチナも表面上は落ち着いているように見えますけれども、お互いに何百年か何千年かわからない間、いがみ合ってきた因縁はまだ残ってますから、どこでそれに火がついて、また、ドンパチやり始めるかわかりません。
○また、アメリカは今度、ベネズエラの次はデンマークですか?「グリーンランドを欲しい」と言ってます。デンマーク、グリーンランドの方々からすれば、いい迷惑だと思うんです。
○もうちょっとそういう不自由な世界が続くと思いますけれども、私達の目の黒いうちに、そういう世界が一変するときが来ます。
○そのときに、一人一人の個人として問題になってくるのが、この間も言ったと思うんですけど、お互いの心が隠したくても隠せなくなる。思っていることが筒抜けでわかり合うっていう、そういう状態になるってことですね。
○自分の中に裏表がない人は、別にそういう時代が来たって全然身構えるようなこともなく、その時代を迎えることができると思うんです。
○けれども、他人に見せてる自分と、自分にしか見せない自分を抱えてる人は、そういうときが来たら肩身が狭くなっちゃう。
○なので、今のうちに自分をしっかりと見つめて、手放すべきものは手放して、守護霊様に明け渡して消えてゆく姿にしていただいて、心を軽くする、想いを軽くするっていうことを、本当に真剣にやっておくことをお勧めします。
○こういう勉強会に出ていない方でも、同じようなことを考えてらっしゃる方、けっこう最近出てきているんです。
○「自分をちゃんと見つめなきゃいけないよね」っていう話をその人のほうから私にしてくるんです。
○私からしたら「この人、昔はこんなこと言う人じゃなかったのにな」って思いながら聞いてます。
○でも、その背後で一生懸命に神聖復活の方向に導いているその方の守護霊様の働きを感じて、目頭が熱くなるようなことがあります。
○今、目頭が熱くなるという言葉で思い出したんですけど、今年に入ってから中国語と韓国語で中国と台湾、それから大韓民国と北朝鮮のお祈りを7番目にやっております。また、「人類本来の在り方の宣言」を中国語と韓国語でやっております。
○年が明けて、いろいろなリーダーの方、いろいろなボランティアの方が今、日替わりで中国語デビュー、韓国語デビューしているんですけれども、それを覚えて言えるようになったボランティアの方の最高齢は79歳の方です。(ご本人さん、ここにいたらごめんなさい)
○79歳という言葉で関連するのが、先週か先々週の土曜日の夜のプログラム「神聖で繋がり合う日」が終わって、すぐに私に電話をかけてきた方が、やっぱり79歳の方だったんですね。
○一般の参加者として出ておられたんですけれども、その方が私におっしゃったのが、「ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナのときは、あんまりピンとこないでお祈りをしていたんだけれども、大韓民国と北朝鮮、中国と台湾をやることになって、私、俄然この中国語と韓国語でやりたいって思ったんです。練習したいんだけど、そのホームページの開き方がわかりません」って言って電話をしてきたんですね。
○電話でホームページの開き方をお伝えして、ご本人のお話を聞いていると、どうしてこの中国語と韓国語でやりたいって思ったかっていうことを私にお話してくださったんです。
○その方は、「私は自分の先祖はアジア大陸から来ていると思っている。それは朝鮮半島なのか中国なのかわからないけれども、私は先祖が大陸の人だと思っている。だから多分そのDNAに火がついたんだと思う」っていうようなそういうことを言われていました。
○70歳を超えた人々の平均的なものの考え方っていうのは、「そんなの難しいから出来っこないよ」っていう人がほとんどなんですけど、ボランティアの方の中でも70歳超えた人が何人もいらっしゃるんですけど、皆さん、それぞれに練習して上手に言えるようになっております。
○本当に涙ぐましいお働き、ご努力だと思っております。でも、これをやることで、その方々の「どうせやっても無理」とかって最初に思っていた自己限定の決めつけが、その方の中から「やれば出来た分だけ」薄まっています。
○それは見ていてハッキリわかります。そうなるとその方は、これからの日常生活の中で、その出来たという体験を、他のことに応用できるようになってゆくんですね。
○なので「人類本来の在り方の宣言」は長いですけど、大韓民国と北朝鮮、それから中国と台湾のお祈りは、「チョングオ フェー タイワン レンミン ダ シェンシン イイジン チョンシン ジュエシン」っていうふうに、そんなに長くないですし、その音声を聞けるホームページもありますので、そこを開いて、書いてあることを見て、音声を聞いて練習してみたら、一つの成功体験を積むことが出来ると思いますので、ご興味のある方はやってみてください。
○自分の神聖を見つめるっていうところに話を戻すんですけれども、例えば私だったら、「斉藤雅晴即神也」とかって繰り返し繰り返し言うとか、「私は神聖なんだ」「私は神聖なんだ」「私は神聖なんだ」「私は神聖なんだ」って繰り返し言うとか、いろんなやり方でもって、皆さんそれぞれに、自分の心に「自分は神の分霊であって、業生ではなく、常に守護霊・守護神と一体で生きている存在なんだ」っていうことを自分の心に刻み込む取り組みをされておられると思うんです。
○そのときに大切なことは、その取り組み・その頑張りを念力の動きにしないということです。そうなってしまったら、なかなかうまくいかないんですね。
○「私は神聖の存在なんだ」っていうのは、「守護霊・守護神と一体である」という前提のもとに「神聖の存在」なんです。
○だから、守護霊・守護神を度外視して神聖の存在であるっていうことはないんですね。
○このことがハッキリとわかると、肩の力が抜けます。だって自分で頑張ろうとしなくていいんですもん。
○守護霊・守護神様と繋がるっていうのは、よく「守護霊様の懐に抱かれるように」って言い方をするんですけど、守護霊様の胸に抱っこされた状態で生きていたら、何でもかんでも自分でやらなくていいということがわかります。
○昔の五井先生のご法話の中で、「皆さん、歩くときに自分の足を動かしているのは誰だと思いますか?」っていう質問があったのを覚えている方もおられるかも知れないんですけど、例えばそれは足だけじゃないですよね。
○心臓を動かし、血液を流しているのは誰ですか?頭の中で神経細胞が働いて、いろいろなことを考えたり覚えたりするその力は誰の力ですか?手先でいろいろ器用なことが出来るその力は誰の力ですか?っていうふうに考えてゆくと、命のものすごい働きを思わずにいられないと思います。
○例えば人間って、今こうやってね、50年、60年、70年、80年、90年って生きている人もいますけれども、生まれてきたときは、大人の両手の上に乗るぐらいな大きさだった。
○それがあれよあれよという間に大きくなって、生まれたばかりのときは言葉さえもうまく喋れなかったのが、1年か2年かのうちに、「パパ」とか「ママ」とか「まんま」とか言葉をしゃべり出す。
○どんどんどんどん大きくなってゆくと、自発性というものが伸びてゆく。その力、そこに想いを致すと、命を人類に与えてくださった存在に目を向けざるを得ないと思うんですね。
○スピリチュアルなこととか宗教的なことに興味を持つような人にとっては、全然不思議でも何でもない話なんですけれども、そういうことを毛嫌いする人とか、興味を持たないような人にとっては、「何寝ぼけたこと言ってんだよ」っていうような話なんですけれども、でも、その神秘なる力、命の力が働かなかったら、私達は一瞬もこうやって生きていられない。
○今、こうやって生きていられるっていうのは、その命の力が私達に働きかけているからこそ、こうやって生きていられる。
○そこを深く観てゆくと、いろいろと嫌いしたり、苦手意識を持ってみたり、他人に対して否定的になってみたり、心を閉ざしてみたり、上から目線になってみたり、卑屈になってみたりってやってるのが、命本来の在り方から確かにかけ離れているという見え方がしてきます。
○今日の一番最初に「自分を見つめる」って話をしましたけれども、「命を見つめる」ってことをやってゆくと、その命を与えてくださった存在、守護霊・守護神・直霊・宇宙神っていう自分の命の奥の存在に繋がってゆくことができます。
○どうして「“私は何者か?”という質問をいつも自分に問いかけるといい」という言い方をするかといいますと、「自分が元々は神聖の存在であって、やってやれないことはない、やりたいと思ったことは何でもできる存在だ」ということを未だに忘れ、未だに神聖じゃない想いを手放そうとしない人が多いからです。
○神聖が甦って来て、神聖が復活して来ると人間は、一様に心が明るくなってきます。楽天的になってきます。愛が深くなってきます。無理に他人を思いやろうとしなくても、いつも周りのことを考えている人になります。
○どんな人や物や出来事やいろんなことに対しても、「ありがたいな」って無理無理思おうとするんじゃなくて、自然と思える人になってゆきます。
○今までだったら尻込みして「無理!」って思っていたことに「取り組んでみよう」「チャレンジしてみよう」っていう意欲が湧いてきます。
○そういうふうに神聖が甦ってくると、内在している無限なるいろいろな力を発揮しようとし、使いこなそうとする自分になってくるんですね。
○「神聖復活を目指している私は、愛が深くなってるはずだ。だけど、嫌いな人はいるし、やりたくないことはやりたくないし」って、片方で「私は愛が深い」と思おうとしながら、嫌いなものや苦手なものがあるという部分がだんだん中和してきて、苦手や嫌いが少なくなってくる。
○そして、何ごとに対しても、好きとも嫌いとも思わないニュートラルな立ち位置に立つことができる自分に変わってきます。
○それを促進し推進するのが、「自分を見つめる」っていうことなんですね。自分を見つめるっていうのは、何回も言っていますけど、「神聖である」っていうのが根底です。これは大前提です。
○そのうえで、潜在意識の中にあるこだわり、決めつけ、把われ、執着、そういうふうなバランスの欠けた想いがあったんだな、こんなふうにしてあったんだなって気が付いてあげ、認めてあげることで、消えてゆく姿の想いを手放すことに繋がってきます。
○認めないものは消えてゆかないんです。「消してください」って守護の神霊に頼んでも、自分で認めなかったら消えないんです。
○心の奥の自分ってのは、そんなにきれいな自分ばかりじゃないです。見たくない、できれば触れたくないっていう自分も一部あります。
○そういう自分を見ても、そういう自分と対峙しても、心が揺れ動かない、不安・動揺しない、ネガティブな想いが起こらない自分を育てる必要があるんですね。
○だから、不動心って言葉を全員が聞いたことあると思いますけど、私達の目指すところは、「不動心を会得した人だ」っていう言い方もできますね。
○「宇宙神と一つに繋がっている私○○○○を犯すものは一切何もない」っていう宣言の言葉がありますけれども、本当にそう思えている心の状態は不動心の意識でそう思っているんですね。
○実際は誰かの言葉にいちいち引っかかって感情が揺れ動いているのに、「犯すものは一切何もない」って宣言したって、それは本当の宣言ではないですよね。
○だけど、そうなってなかったらあの宣言をできないわけではなくって、そうなってないからこそあの宣言がある。そうなっている人にとっては、あのような宣言の言葉さえもいらないんですね。
○自分を見つめないと、そういうことさえもわからないんです。そんな話を聞いても、どっか遠いところの誰か他人の話のような気がしてピンとこない。
○ピンと来ない人は、自分で気が付くときが来るまで、この世でいろいろなご苦労を経験することになるんです。
○ところで、この勉強会に関するここ何回かのメールで、「勉強会では、都道府県と名前を出して参加してください」って言っています。
○今何人かパッと見たところ、お名前が出てない方がいらっしゃいますけど、どうして「名前を出してください」とお願いしているかと言いますと、この勉強会では、誰にでも聞いてもらっていいような、どうでもいい話をしてないからなんですね。
○例えば人間でたとえるなら、まだ生まれて二、三か月で歯も生えていない子供に、硬い食べ物を食べさせようとするようなものです。それと同じように、ここでしている話に触れて、心が乱れる人がいる。
○「人を見て法を説け」って言葉があるんですけど、ある人には同じことに対して、やさしくなだめるような対応をし、また別のある人に対しては本質的な厳しい話をしたりするということがあるんですけど、そういう意味で、どこの誰かもわからない人が、この勉強会の場にいてほしくないからなんですね。
○なので、「都道府県とお名前を出してください。お名前はアルファベットで、ローマ字でいいです」というふうにしております。
○それは、外部に情報が漏れたときに、どこの誰から流出したかっていうことがハッキリわかるようにするためでもあります。
○どうでもいい世間話をしているんだったら、「名前を出してください」なんて言いません。
○なので今、名前の出し方がわからない方いらっしゃると思うんですね。そういう方は私に後で連絡ください。電話は出られるときなら出ます。出られないときがあったら後で連絡します。
○名前の変え方は、最初はとっつきにくいかも知れないですし、「わかんないな」って思うかも知れない。
○けれども、わかってしまえば「なんだ、こんなことだったんだ」って思うようなことですので、「わかんないからいいや」で済まさないで、取り組んでみてください。
○難しいと思ってたことが、やってみたら案外難しくなかったっていうことがいっぱいあると思います。
○こういうことは、一事が万事なことが結構多いんです。一つのことにネガティブな対応をする人は、他のことにもやっぱり同じような対応をしている。
○だから私達は、本当に自分の生き方っていうのを丁寧に見つめて、調和させてゆく必要があります。
○私だってまだ全然完璧じゃなくて、デコボコのチーズみたいな状態ですけれども、みんなで本当に「私達、神聖が完全に甦ったね」ってそんなに遠くない未来に、お互いに称え合えるようなときを迎えるためにも、今この瞬間を真剣に活かして生きてゆけたらいいなと思っております。
○最後に、神聖復活の印を3回連続で組んで終わりにいたします。
<神聖復活の印を三回>
○それでは本日の勉強会は、これで終わりにいたします。皆様のマイクをオンにします。ありがとうございました。
<Bye Byeタイム>
○ありがとうございました。それでは本日の勉強会はこれで終わりにいたします。皆様、ご参加くださり、ありがとうございました。
以上