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260404_日本語版_神聖開発勉強会.pdf
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◆ 260404-午後_勉強会
皆様、こんにちは。4月4日、土曜日の勉強会を始めます。
はじめに世界平和の祈りをします。本日は統一CDを使わないで、最初にみんなで声を合わせて行なった後に、目を閉じて、ゆったりとした呼吸のリズムの中で、光の言葉、真理の言葉、もしくは神聖の言葉を唱え続けてみてください。
終わりは、「はい、ありがとうございました」と言いましたら終わりになります。それでは始めます。
<世界平和の祈り>
本日はどうしてこうやって統一CDを使わずに行なったかと申しますと、統一CDを使うと、確かに五井先生の柏手なり霊笛なりの音で、とても私たち光をいただけて浄まるんですけれども、そういうツールに頼らなくても、私たち一人一人が自分の日常生活の中で、自分の命の中で奥とつながることで、統一CDから聞こえてくる柏手やご霊笛ではなく、心の奥から響いてくる柏手なりご霊笛なりと同じ光が、自分の命の奥から出てきて、結果的に同じように浄まるという体験をすることができるということを、ちょっと改めて思い返していただきたかったからなんですね。
今は統一CDのお話でしたけど、例えば生活の中で、「もう自分はこのスマートフォンがなかったら生きていけない」とか、「私はこの頭痛薬がなかったら生きていけない」とか、もっと飛躍したことを言いますと、「住む家がなかったら人間は生きていけない」とか、外の世界に依存したものの考え方から自由になる。
そういう便利なものがあるうちは使っていいと思うんです。でも、「そういうものがなくたって私たちは生きていけるんだ」っていう確信も、同時に心の中に持っておく必要があると思っております。
今は大変革期。地球は大きく変化しているんですよ。大きく変わっている最中だと、いろんなところで言ってますよね。実際に今、この地球という星の世界は、伸るか反るかの剣が峰で、「尖った山のてっぺんを右に落ちるか左に落ちるか、それとも落ちないでまっすぐ歩けるか」っていう、そういう状況の中で毎日を過ごしております。
そういう中でひとつの考え方として、「自分たちは守られているから大丈夫なんだ」っていうものの考え方もあるんですけれども、「何が起こっても自分は生きていける」っていう絶大なる自信、確信、それが当たり前だという当然認識を自分の中に育てる練習――これを今の何事もないうちにやっておくっていうことが、いざという時に役立つことになります。
旧文明の終わらせ方については、ソフトランディング、軟着陸って言ってますけれども、それは宇宙の人たちや地球界の神霊、神々が、その方向へ持っていきたいという望みなんですね。で、実際にどうなるかっていうのは、今、肉体を持ってこの地球界で生きている私たち次第なんです。
世界平和を祈れる私たちが祈っていない人類と同じように、「何があるからありがたい」「何がないから嬉しくない」というものの考え方で毎日を生きておりますと、いざ本当に全員が変わらなきゃいけないという瞬間(とき)が来た時に、やっぱり同じような反応をしてしまうんですね。
いわゆる右往左往をするんです。もう助けてくれるものだったら、わらにでもすがりたいという、そういう状態ですね。
そういう時に、自分の命の力、大元と直通して生きる生き方を、今の何事もないうちに身につけている人が、地域に一人でもいれば、地域の人たちがみんな救われるんですね。
ですから私たちは、「いざという時に不動心でいられるかどうか」です。何事もない時、平々凡々と毎日が過ぎていくこの日々の中で、私たちは不動心というわけではないんですけれども、一応は心を乱さないで生きていくことができています。
でもそういう状態というのは、なにも人間だけじゃなく、動物にもできていることですね。実際に動物なんかでも、危険を感じなければ穏やかに生きている。
例えば、クマさんに襲われたという話をここ数年、いろいろと聞いておりますけれども、クマも人間と遭遇しなかったら襲ってくるようなことはしないんですね。力は彼らの方があるかもしれないけれども、彼らも人間が恐ろしいから、攻撃してくるわけです。
でも、世界で何件か、小さな子供、幼児がクマと遭遇してしまったっていうときに、クマと仲良くなっちゃったような話があります。日本だけじゃないですね。他の国でもある。
で、「どうしてなんだろうな?」って思ったんですけれど、まあ、それは考えるまでもないんですね。子供には邪心がないから。だから、クマさん側も恐怖を感じることがない。
たとえば、アメリカのどっか山の中で、5歳になってないぐらいの子供がクマと出会ったらしいんですけれども、それは後から分かったことで、大人から見れば「子供が一人行方不明になった」という事件があったんだそうです。
で、何日経ったのか、1週間ぐらいだったのか、もっと長くだったかは忘れましたけれども、結局、その男の子は何事もなく無事に帰ってきた。
で、親が聞くわけです。「あなた、今までどうしてたの?」そうしたら、「クマさんと暮らしてた」というのです。クマが、大人のクマが、子グマと同じように人間の子供の世話をしたんですね。
ちょっとこれは話が脱線してますけれども、不安や恐怖や悲しみや怒りなど、あらゆる感情に心を支配させない不動心を持つことが大切です。
大人の場合も、ホントは無邪気が一番いいんですけれども、「酸いも甘いも全部経験してきてますよ」みたいな心持ちになってきますと、純粋に子供のように無邪気に生きるっていうのは、やっぱりなかなかなれないですよね。
なので、不動心という形で、守護霊・守護神の中に入りきりに入りきって、なんならここにいる自分の心と体には、守護霊・守護神の意識が現れているっていうくらいに、一体感を感じながら暮らす練習をしながら過ごしておりますと、私たちはやがて皆、もれなく不動心になります。
私も完全にはなってません。例えば今日、13時になるちょっと前、ちょっと前じゃないですね。13時過ぎたくらいまで――今日ですよ――「今日は2時間話せるんだろうか?」「大丈夫なんだろうか?」「何にも準備しないで2時間もお話できるんだろうか?」って、肉体の頭で思っていたんです。
命の奥のほうに意識が入っている時は、大丈夫だと思っているんです。なんで大丈夫だと思えるかというと、しゃべってくれるのは守護霊・守護神、もしくは救世の大光明で我々の祈りの会を助けてくださっている神霊の方、もしくは金星や他の星から来ている宇宙の方々が私の体を使ってしゃべってくださるからです。
23年の9月からやっているわけですから、もう結構、もう何十回もこういうことやっているのに、未だに習慣の想いで「大丈夫なんだろうか?」って思う自分がいるんですね。
これは私にとっての想念習慣=想いの癖なんです。この想いの癖が全部「消えてゆく姿」というわけです。でも、この想いの癖を「消えてゆく姿」と見てあげなかったら、消えてゆかないんです。
気がつかないこと、見えてないこと、わかってないことっていうのは、なかなか消えてゆく姿にならないんですね。だから、心を鎮める。鎮魂する。
鎮魂の「鎮(ちん)」っていうのは、鎮めるって書きますね。「魂(こん)」っていうのは、魂(たましい)って書きますね。そういうふうに、ゆったりとした呼吸のリズムに乗せて、意識を魂の奥へ奥へ、心の奥へ奥へと鎮めてゆきますと、私たちの意識レベルが上がってゆくんです。
いつか、本でお見せしたことあると思うんですけど、アメリカの学者さんなんかは、人間の意識レベルっていうのを1000段階に分けて、500段階ではこれぐらい、700段階ではこれぐらいとかって説明してるんです。
私たちはものすごくざっくりと、アバウトな分け方でお話しますけれども、肉体界にある意識が意識進化して意識レベルが上がっていくと、意識の在処が霊界の層に入るんです。
霊界って一言で言っても、とっても広くて、幽界とそんなに変わらない霊界の下の方から、中ぐらいの層、もっと上の層だけどまだ神界に入るまでには至らないっていうぐらいまでが霊界になります。
霊界の下の方から中ぐらいの層へ入り、中ぐらいの所から霊界の上位の世界へ上がっていって、把われという名の想いの癖――こだわり・思い込み・決めつけ・執着――そういうものを手放した人は神界に入ります。意識レベルが神界に入る。
「意識レベルってなんだ?」って思う方がいらっしゃるかも知れないんですけれども、意識レベルっていうのは、普段自分の脳裡をよぎっている想いの平均点だと思ってください。
お一人お一人、胸に手を当てて、自分の振る舞い、言動行為、想いの動き、心の動き、脳裏をよぎる想念――そういうものを思い返していただくと、とても立派なことを考えている時間の自分もあれば、不平不満や不足の想いを垂れ流している時間の自分もあれば、自分の心を乱す何事もない時間には、どっちでもなく、のんべんだらりと生きている時間もあれば、っていう感じなんだと思うんです。
意識レベルが一定してないのが普通の人間なんです。それはまだ、喜怒哀楽っていうものがコントロールできないということです。言ってみれば、喜怒哀楽っていうのは台風みたいな渦巻きなんです。
喜びの渦もあるかもしれないし、悲しみの渦もあれば、怒りの渦もあれば、っていう状態です。そういういろんな感情の動き(渦)の中で、さっきまでニコニコしていた人がプリプリしていたりとかっていうことは、よくある話だと思います。
それは意識レベルが霊界の中位の世界、もしくは中ぐらいの世界よりも下にある時なんですね。だから意識の平均点を引き上げていく。
そうすると、今日の話の一番最初にありましたように、地球の大変革の中で「やがて迫りくる地球規模の大変革に際して……」って言葉が昔ありましたけれども、その時が来た時に堂々としてられるんです。うろたえなくていいんです。何をどうすればいいっていう智慧も力も、自分の命の中から湧いてくるんです。
私は自分のこととしてそれを考えた時に、もし大地震なり大津波なりなんなりで、住む家もなくなったっていうような状況になった時に、自分はどうするんだろうかって考えて、「どういう状況の中でもたくましく生きているだろう」っていう想像ができた。
当然、「どうしたらいいか分からない」っていう人も周りに出てくると思うんですよ。そういう人たちに「こういうふうにしたらいいですよ」って、多分お伝えしてるだろうなっていう考え方が、普通にできました。なので、何があっても大丈夫だって思っております。
そういう精神状態は一言で言えば不動心。動じない。どうして不動心でいられるか、動じないでいられるかっていうところが大事なことなんだと思うんです。ただ、「不動心になりなさいよ」って言われて、簡単になれるんだったら人間は苦労しないですよね。
どうして不動心でいられるかっていうところなんですけれども、皆さんも考えてみてください。自分の中で、どうして私たちは不動心でいられるのか?何事があっても明るく前向きでいられるか?
「神聖」って言葉が出てきた方、きっといっぱいいらっしゃると思うんですけれども、自分の神聖を認めているからです。
「フー・アム・アイ」を毎日何回でもやってくださいっていうお話をしたことあると思うんですけど、「我とは何ぞや」「自分って何者なんだ」って、この自問自答をやってゆくと、自分の神聖を言葉で説明できる人になるんです。
自分がそうなっているのに言葉で説明できないんだとしたら、それはまだ本物ではないんですね。だって、自分を説明するんですから。
例えば、自分の手のひらを見て、「私、中指のここに、ほくろがあるんです」って説明できますよね。それは、見て分かってるから、「ここにほくろがあります」って言えるんです。それと同じように、自分の神聖っていうものも、心の中に観て分かっていれば、それを言葉で表現できるんです。
心の中に神聖を観るにはどうすればいいかというと、「自分」って考えを捨てて、命の奥に体当たりで飛び込んでいくんです。言葉を変えれば、守護霊・守護神の懐の中に飛び込んでいく。「まな板の上の鯉になる」っていう言い方をしたこともありました。
人が乗れるぐらいの大きなまな板の上に仰向けに寝て、「守護霊様・守護神様、どうぞ私の肉体と心を、守護霊・守護神様のご自由にお使いください。どんな使い方をされても、私は一切文句言いません」って。それどころか、「どんな使われ方をされても有り難い」としか思わない意識を自分の中に養う練習を日常生活の中で行なってゆく。
時計を見れば何時何分何秒というように、時計の針が進んでゆくかのように見える一瞬一瞬の中で、そういう意識の使い方をして生きていれば、その積み重ねでいざという時に自分を助けることになるんです。
自分を助けるっていうのは見方を変えれば、守護霊・守護神が私たち肉体人間を助けてくださってる姿でもあるんですけど、もっと高い世界から状況を見下ろすように観察をすると、助けてる守護霊も助けられてる肉体人間も、同じ一人の人物だっていうことが分かるんですね。
だから、私たちは今、「神と自分が離れてる」っていう段階は卒業する時に来てるんだと思うんです。「守護霊・守護神がホントは自分の一部なんだ」って、当たり前に思える状態になる。すでに、そう思ってらっしゃる方もいらっしゃるかも知れません。
そうなるための方法もずっと前から、何年も前から言ってますね。「守護霊様、ありがとうございます。守護霊様、ありがとうございます。守護霊様、ありがとうございます。守護霊様、ありがとうございます。守護霊様、ありがとうございます。守護霊様、ありがとうございます。守護霊様、ありがとうございます」って、間断なくやり続けることなんです。
なんで間断なくやり続ける必要があるかというと、人間の頭の中っていうのは、油断をすると考えなくてもいいことを考えるからです。
なので、人生の中で3週間、「きちがいになった」「バカになった」って思ってもいいから、それしか思わないっていう時間を持つことで、完全に意識の中身が入れ替わります。
感謝一念状態に切り替わるんです。「感謝しかない」っていう状態になる。もちろん、過去世でいいとこまで修行してる人は、そんな集中的なことをやらなくても、ゆっくりと一生をかけて、普通に生活をしながら「守護霊様、守護神様、ありがとうございます」「世界人類が平和でありますように」ってやってるうちに、「もうありがたいことしかない、幸せでしかない」っていう状態になる。
実際になられてる方もいるんです。何人もいらっしゃいます。でも、みんながそうできるかって言ったら、やっぱりできない。しかし、今はもう待ったなしのところまで来ている。
「では、どうやって地球人類を導くか?」というところから、「そこまでやらなきゃいけないの?」っていうような話が出てくるのだと、私は理解しております。
やりたくない人はやらなきゃいい。地球の次元上昇の波に乗れなければ、乗れないなりに、その先の人生がつづいてゆくのです。でも、私たちは地球へ来る前に、大きな誓いを立てて来てるんです。
「今度行く新しい惑星を、必ず大調和した世界にしてみせるんだ」という誓いを、信念を持って、覚悟を持って地球へ来た人たちが、私たちなんです。それは言い方を変えれば、「私たちの祖先」って言い方もできるかもしれない。
だけど、祖先って一口に言っても、何代か前の祖先が自分で、何代か前の祖先が自分でっていうことを、もう延々と人間はやってるんですね。そんな一本系統の単純な話ではないんです。本当はもっといろんな霊系統が入り乱れた複雑な話なんですけれども、簡単に言うとそういうことなんです。
何十億年前、40億年ぐらい前になるんですかね、私たちは地球へ来た。金星から地球へ来たのは、私たちの過去世なんです。で、金星に住む前の人生もあるわけ。宇宙のいろんな星を、私たちは完成させて歩いてる人たちだからです。
いつか言ったんですけど、私たちという存在は、本当は惑星開発のプロフェッショナルなんです。どんな無理難題が目の前に現われても、どんなことでも解決する力を持った人たちです。
ある方は、ご本人の過去世の所業を通算してみれば、今回の人生で大病しなくてもいい運命であるはずなのに――そういう魂に力のある人だから――先祖代々・一族郎党の業想念を背負って、今回の人生で大病して、それを浄めるっていう役割を担われてる方もいらっしゃいます。
一人の方が今回の人生で辛い想い、苦しい想いをすることで、先祖代々・一族郎党が浄まって幸せになれるっていう、尊いお役割をされている方もいらっしゃいます。
私は、大怪我は何回かしましたけれど、今回の人生は比較的健康な体で生きてきているんで、そういう形で人類の業の浄めをなさってくださっている方には、ホントにありがたいなって思っています。
ですので私自身は、病気を自分が体験するんじゃない形で、地球人類の誤ってる想念をほどいて……、それが氷の想いなんだとしたら、光の心で溶かして、みんなが神聖を表していきたいなあと思える状況になったらいいなあと思っております。
地球人類というのは、いくら「待ったなしだ、待ったなしだ」って言っても、目の前の生活に何にも困ったことがなかったら、やっぱり心のお尻に火が付かないから、本気で自分を変えようとしないんです。だって、本気で変えようとしなくったって、普通に生活できるんですから。
朝起きて、朝ごはんを食べる人も食べない人もいますけど、ちゃんとごはん食べて、自分のやりたいことやって、お風呂入るなりなんなりして寝るという生活が普通に出来ている。「物価は高くなって困るけど」って言いながらも普通に生活していられるがために、なかなか「自分を神聖そのものに導こう」って本気で思う人が少ないのが現状です。
こういう話って、それを話す意識の立ち位置によって全く地球人類の見え方が変わるんですね。ちょっとフーって息を吐いて、奥へ入ってゆく。心の奥へ、魂の奥へと意識の立ち位置をずらしてゆきますと、「なにもそんなに発破かけなくたっていいじゃないか」って見え方をする段階があるんです。
それはなぜかというと、こういう話を聞いてやる人も決まってれば、やらない人も決まってるからです。一番奥の方へ、命の一番奥の方へ入ってみたら、「もう全てが決まってるんだ」って言うんですね。
でも、そういう見方っていうのは、全然そこに到達しない人たちはあんまり聞かない方がいいと思うんです。こういう「全部決まってるんだ」なんて話は、本当に悟りきった人だったら、そういう話を聞いてもそれでもちゃんとやるべきことはやる。
でもそこまで行ってない人は、「なーんだ、全部決まってるんだったら手抜いちゃおう」ってなっちゃうんです。だから、あんまりそういう「全部決まってる」っていう話は気にしなくていいと思います。
自分の意識が守護神と全く一つになって、「今、私は守護神と一つである」っていう段階では、それを思い出しても大丈夫です。
守護霊様の段階だと、もっと私たちに近いんです。守護霊というのは、霊格、神格は立派な方なんです。だけど、いつも私たちのそばに居てくださる。年がら年中私たちのそばにいて、見えないところでいつも心配して、「そっち行っちゃダメだよ」「こっち行くんだよ」ってやってくださってるんです。
だから、守護霊様の段階では心配する。心配するから守護霊が立派じゃないのかといったら全然そんなことはない。心配していても心配に把われてないんです。守護霊様は、それが自分の仕事だから、天命だからやってる。
もうこの守護霊様の愛の深さっていうのは……、あんまり私そこに入り込んだら涙出てくるんで、ちょっと「今は入り込みたくないな」って思っちゃってるんですけど、ものすごい深いんです。本当に守護霊様の愛ってすごいんです。
私は自分自身が“わからずや”だって思ってたとこがあるんで、ずいぶんと守護霊様に迷惑をかけてきたという自覚があります。で、その自覚の上で守護霊様への気持ちを考えると、本当に「こんなろくでなしを見捨てないでよくぞ導き続けてくださった」って思う。それはすごいことだなって、私はいつも思うんです。
もし自分が逆の立場だったら、もうとっくの昔にさじを投げて、「ダメだ、こいつは」ってやってたと思うんですけど、守護霊様は絶対に護っている肉体人間を見捨てないんです。それは私の守護霊様だけではないんです。
全人類の守護霊様がそうです。人間たちがどんなにご自分の導きと反対の方向に歩みを進めていても、「右行くんじゃないよ、左へ行くんだよ」って、こうひらめきを与え、直観を与えしながら導いてるんだけど、まあ反対に右側行っちゃったってなったら、守護霊様はそこでがっかりしないんですね。
「右へ行っちゃったか。じゃあ今度はこういうふうに導こう」ってすぐ気持ちを切り替えるんです。本当のことをいえば、守護霊様の眼には、「右へ行くんじゃないよ」って言っても右へ行くことも見えてるんです。
けれど、それは守護霊様のお仕事としてやらなきゃいけないことだから、結果がわかっていてさえも、「右へ行くんじゃないよ、左へ行くんだよ」っていう直観を与えてくださり、ひらめきを与えてくださるんです。
でも、護られている肉体人間は言うことを聞かない。すぐに第二直観、第三直観に逃げる癖のある人は、第一直観なんかすぐにかき消して自分の意識にも残さないから、守護霊様の導き通りにならないっていうことが起こる。
だからこそ「神と人間」の中には、「第一直観っていうのが守護霊・守護神の導きなんだ」っていうことが書いてありますよね。そういう第一直観に従って生きれるようになるためにも、「守護霊様、ありがとうございます」を繰り返し行なうことっていうのは、とっても有効なことなんです。
いつも言う話ですけれども、「あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す」という言葉は、感謝を伝える対象と自分を隔てていた垣根を溶かして一つになる、魔法の言葉=呪文なんです。
だから、「守護霊様、ありがとうございます」をひたすらやり続けていたら、私たちは守護霊様と一体になるのは当たり前のことなんです。
「そのようにしても一体になれない」っていう人がもしおられるんだったら、それはやってるつもりでやってないということだと思います。本気でやれば、必ず守護霊と一体になります。
100%じゃなくても8割、9割の一体化なら簡単になれる。1日16時間起きている時間の中で、12時間とか13時間とか14時間とか、それぐらい守護霊様と一つでいられる時間があるんだったら、仮に“気を抜いている時間”に何事かが起こったとしても、すぐに守護霊・守護神と一体のところに戻れます。
私、よく「守護霊様、ありがとうございます」をやってくださいって言ってますけれど、「守護神様にはやらなくていいんですか?」っていう方がたまにいらっしゃるんです。
それは、守護霊とのつながりを絶対的なものにすれば、守護霊と守護神はもともとツーツーのつながり合った関係ですから、守護霊と一つになったら守護神様とも一つになれるからです。
守護霊を飛ばしていきなり「守護神様、守護神様」ってやっても、守護神様は心の奥の空の向こうで輝く太陽のような存在で、普段から私たちの身の回りのお世話をしてくださっている守護霊様とは役割がまるっきり違うんです。
守護霊様が「どうしても自分だけの力ではちょっと導ききらないな」ってなったときに、守護霊様が守護神様にお願いをし、守護神はその願いを聞き入れて、大きな光を肉体人間に与えることがある。
そうするとその肉体人間の身の上に、会社が突然倒産しちゃって路頭に迷ったとか、大怪我をしたとか、大きな病気になったとか、人間たちがあんまり望まないような状況が起こったりするんです。でもそれは、本当の意味では不幸じゃないんです。
人間の世界ではそれをもって「不幸だ」って言うんですけど、本当はより良くなるために通らなきゃいけない道のりで、けっして悪いことではない。だから「全ては完璧、欠けたるものなし、大成就」と言うんです。何が起こっても大丈夫。何の問題もないんです。
人間の考えで「失敗しちゃったな」って思うようなことがあっても、「そうか、こうなっちゃったか。じゃあ次はこういうふうにしてみよう」って明るく想いを切り替える。
「病気になりたくない、病気になりたくない」って思いながら生きていて病気になっちゃったら、人はきっとがっかりすると思います。でも、なったらなったで、なんとかなるんです。生きていく道はあるんです。
それは病気と仲良くすることかもしれないし、自分の心が調うことで病気が小さくなっていって、そういう体験から「そっか、意識っていうのはこういうふうに使わなきゃいけないんだな」っていう学びを得ることかもしれない。
よく、大病して人に優しくなった人の話を聞くと思います。だから、病気することは悪いことばっかりじゃないんですね。絶対にそれは守護霊・守護神の導きですから、いろんな意味がある。
もうこういう話は、一つの話だけでは語りきれないんで、今言ったことも病気の裏側のほんの一部、一面の話だと思っていてください。
ということで、59分ですね。先に神聖復活の印を一回組んで、休憩にしたいと思います。「人類の神聖復活大成就」を二回言って一回印を組みます。
<神聖復活の印>
ありがとうございます。それでは、2時13分まで休憩にしたいと思います。
<10分間休憩>
それでは後半の部に入ります。私、今の休憩の間に、いち参加者として、「今日の話の柱は、魂の奥へ入る、心の奥へ入る、命の奥へ戻る。それによって何が起こっても大丈夫、どんな時でも生きていけるという不動心を得るっていうことなのかな」って思っていました。
で、その話をさっきうちの人にしてたんです。そうすると彼女は、「それはとても大事な話だよね。それは、私たちの心に太い太い柱をつくるような話だものね。さっきの話を自分のものにしたら、ただ創られた側の肉体人間ってだけの意識じゃなくって、自分が創造した側の宇宙神の意識も自分のものにして、観る側と観られる側の両方の意識を身に修められるような話だね」というようなことを言っておりました。私は本当にその通りだと思って聞いてました。
心の奥へ入る。魂の奥へ入る。自分の命の奥へ戻ってゆく。そのためにどうしたらいいか?その答えとして「意識レベルを上げること」という話がありましたけれども、それは私たちが意識進化してゆくことなんですね。
それは、人類の意識進化っていうのが、惑星全体の成長と連動しているからです。人類の意識が進化していかないと、なかなかその惑星の世界が大調和した世界になっていかないということなんですね。
「だったら、最初から大調和した惑星の世界を創ってくれればいいんじゃないか」って考え方をする方もいらっしゃるかも知れませんけど、惑星開発と人類の意識進化を連動させるっていうのは、宇宙神の分霊としての私たち一人一人のためでもあるんですね。
なんでかっていうと、最初から「全ては完璧」っていう状態だけで生きてたら、人類の心に何かを工夫しようとか、何かを創り出そうとか、何かを生み出そうとか、もっと良くしようとか、そういう発想がなかなか起こりづらいからです。全て満たされていたら、それ以上は何も望まないって状態になってしまいますからね。
その『人類の意識進化』ってことに絡めて、何回か勉強会でお話をしたことがあると思うんですけれども、私たちもいずれどこかの星で、誰かの守護霊になるんです。守護神になることもあるかもしれない。もっと前の段階では、指導霊という役割をやるかもしれない。副守護霊になるかもしれない。そうやってステップアップしてゆく未来のなかで、正守護霊を経験し、誰かの守護神になるのです。誰かの守護神になるということは、複数の子孫の面倒を見る立場になるということです。
そういう人類関連で進化していく道もあれば、水を司る神々、空気を司る神々、大地を司る神々、動物を司る神々――動物をって一言で言っても、ネズミを司る神々もあれば、猫を司る神々もあれば、犬を司る神々もあれば、様々な分野の役割があります。
天象を司る神々になって、竜神の働きをすることもあるかもしれません。一つの惑星の中だけに関しても、私たちの行く末の未来がたくさんあるんです。たくさんのやること、学ぶべきことがあるんです。
そういうのをいろんな惑星で経験して、その中の本当に一握りの人しかなれないんだけど、惑星意識を経験するときが来る。「地球霊王」って方がいらっしゃいますね。それは、私たちの命の大先輩です。
昔は人類だった方が、地球を自分の体として生きていらっしゃる姿です。同じように、火星にも金星にも水星にも木星にも土星にも、冥王星とか海王星とか離れたところの星にも、惑星意識は存在しております。
それぞれの星に人類があり、動物があり、自然がありという形で、様々な神々が働いています。私たちはそういう様々な星を経験しながら、いずれは惑星意識を経験し、その学びが終われば次は恒星の世界を経験する。
太陽系銀河で言えば太陽です。太陽の世界の人類に生まれ、太陽の中でいろいろな自然を司る神を経験し、その中の一握りの人が太陽神、太陽意識を経験する。一つの銀河系で全ての役割を一通り経験した経験豊富な魂は、今度は親銀河の世界に入っていって同じことを繰り返す。
そういう状態をありありと思い浮かべられなくても、漠然とでも思い浮かべてみてください。そうすると人間っていうのは、弟子になってみたり師匠になってみたり、子どもになってみたり老人になってみたり、赤ちゃんになってみたり親になってみたりを、いろいろな次元の様々な天地で経験をしながら、宇宙の中心へ帰ってゆく存在であることが分かると思います。
ここまでのお話を理解すると、どうして今の地球が不完全な状態なのかということについても合点がいくと思います。必要な経験だからです。
感情に流されて悲しむ必要もなければ、怒る必要もなければ、喜ぶ必要も――喜びばかりに把われるっていうのも不完全なんですね。だから何にも引っかからない、掴まない、心を自由自在に転換できるようになることが大切です。
心の自由自在性っていうのが把われのない心になるんです。何かを掴んでるから心配になって、悔しくって腹がムカムカしてきたり、いろいろな把われの状況がこじれて、体が参っちゃう人もいます。
肉体というのは、人間の意識の影響をもろに受ける存在なんです。肉体細胞ですね。「体は後から付いてきます」っていうお話の仕方をする理由は、皆様もご存知の通り、肉体というのは私たちがこの世で生きていくための入れ物、乗り物、器だからなんですね。
「乗り物」とか「器」とかいう言葉を聞くと、そこに命の働きを感じられなくてピンとこない方もいらっしゃるかもしれないんですけど、本当は自動車にもバスにも電車にも飛行機にも船にも、どんな乗り物にも命があるんです。器にも命がある。それが瀬戸物であっても命があるんです。人間の肉体も同じなんです。
命があるというのは、そこに物質細胞としての命が働いているということなんですね。それが肉体細胞と私たちが呼んでいる“体の中の細胞さんたち”のことです。体の中の細胞さんたちが普段どうやって生きているかというと、常にその人の体を健康な状態、健全な状態に保とうとしていて、そのためだけに生きています。
でも、肉体人間の想いがそれを邪魔したときに、病気になるような経験をしたり、大怪我して不自由な状態になってみたりということを経験します。
あんまりこういう話をすると、自分をいじめる人が出てくるんでしたくないんですけれども、意識っていうのは――さっきも言ったんですけど、表面の顕在意識だけが自分の意識じゃないんですね。
前にも言ったことありますので覚えていると思うんですけど、心理学の世界では、人間の意識っていうのは5%もないというふうに言われています。私の感覚では1%もないと思っているんですけど。
潜在意識がほとんどです。顕在意識の奥の方に、霊体の意識、神体の意識、直霊の意識、宇宙神の意識があるんですね。そこへ行く前段階、霊体の意識にまでたどり着かないところにある意識が把われの想いで、潜在意識です。
表の心ではそんなふうに思ってないけれど、心の奥の見えない部分では「こういうふうに思っている」っていうことがある。それも人の運命に影響を与える立派な想いの一種になります。
だから、「自分が自分の力で生きてるんだ」っていうのは自惚れなんだよっていう話を、聞いたことあると思うんですけど、いろんなことを総合して考えると、私たちはもうこれから先は、守護霊・守護神の中に溶けきって一つになって生きるよりほかに未来はないと思うんです。
いつまでも「俺の体はこれなんだ」とか、「私の体はこれよ」とか言って生きてる人ばっかりだと、地球世界の未来は大変ですね。でもそんなふうに、大変にならないために私たちが生まれてきてるわけです。
みんなが神聖とは真逆の方向へ向かっていこうとするときに、それを知らない間に引き止めて、願わくはそういう人たちの心の中にも、「人間って神聖の存在だったんだ」っていうひらめきがものすごく強い光で降りてきて、ご本人たちがそれに気が付いてゆくという状況をつくれたらいいなあと思っております。
「世界人類が平和でありますように」と何十年も祈ってる人は、この祈りをもう数えきれないぐらい祈ってきた。「人類の神聖復活、大成就」というこの言葉も、使われ出してから10年以上経ちますかね。大分経ってると思うんで、もうどれぐらいこの言霊を発し続けてきたことか。
そういう私たちの祈りが地球を光の帯のように包み込んでいて、それは消えてゆくような弱い光じゃないんだよってお話を皆様も聞いていると思います。
でも、そういう素晴らしいお祈りをしながら、いち肉体人間としての私たちが、地球の未来を不調和にするような想いを出しているっていうのも、これもまたチャンチャラおかしい話だと思うんですね。
だから、守護霊・守護神と年がら年中「一つだ」「一体である」「それが当たり前の私なんだ」っていう意識に移行する時が、今なんだと思っております。
今やっておくと、本当にもう、これから何年先、みんなが「どうしよう、どうしよう」と慌てふためいている時も、おっとりとして何の不安の波動も見せない。「大丈夫よ」って言ってあげられる。自分から声かけなくても、周りの方から「どうしてあなたはいつもそんな明るくしてられるの?」って聞いてこられるかもしれない。そうすると、世界平和のお祈りを伝えるきっかけになるかもしれない。
ある方は、本当に昔の聖者がやったように、空中から食べ物を取り出して、食べ物に困っている人に分けて差し上げることをする方も出てくるかもしれない。今までの常識では計れない世界に変わる。だから今のうちに、ありとあらゆる固定観念をお掃除しておく必要があります。
これをやらない人とやった人は、やがて迫りくる地球規模の大変革が来た時に、その差がもうはっきりと分かります。その違いがはっきりと分かる時が来る。
今のようにぼんやりと生きてられる時代だと、「なんか違いがあるのかね」ってのんきなこと言ってられる状態で済むんですけど、どうしてものんきなことを言ってられない一時期を通るんです、地球は。
その時期を通らなかったら、宇宙人と交流して、宇宙の他の星の進化した科学力とか文明、文化、芸術とか、いろんなものを地球に導入して、地球世界を進化した状態に持っていくということができません。そこを通らないとそうならないんです。
その時に、大安心の気持ちで生きている人が、100人・500人・1000人いれば――できれば1万人とか10万人とか、地球上にいればいいんですけれども――地球は安泰です。
「神人が10万人になる」とかっていう話があったけど、結局1万人ぐらいで推移してるんですかね。なかなか増えないですね。そういう状況の中で、神界の神々、宇宙人の方々は、ここ10年以内に方針転換をして、「今、迷いなく祈ることが出来ている人たちに力を注ぎ、聖者に仕立てあげよう」ということで動かれています。
私たち一人一人にものすごい力を注ぎ込んでくださっているのです。だから、私たちが神と一体になれるっていうことはもう否定しようのない事実なんです。疑いようのない事実なのです。神我一体になれないっていう方がおかしいということです。誰もが悟れるのは当たり前なんです。
神と一体になるのも当たり前。「当たり前だ」と思ってる人はもうすでに神界に意識の軸足を置いて生きていらっしゃると思います。
「そんなことを言われてもねー」って心の中で思う方は、お一人になった時に自分の心と向き合って、神と一体になることを否定する気持ちをじーっと観てあげてください。
心を観る時には、決して感情を動かさない。ただ見るだけです。「業想念っていうのは、こんなふうにして心の奥で生息してるんだなー」って、ただ見てあげてください。そうすることは、あらゆる否定的な気持ちを手放すきっかけになります。
「そうだ、消えてゆく姿で世界平和の祈りだ」って思い出して、必要以上に自分を責め裁くこともなく、守護霊・守護神様に明け渡すことができます。
もう自分なんて要らないんです。でも多くの人が「要らないんです」って言われても「捨てられないんです」って言うんです。捨てられないって思う方は、もう徹底的に自我(エゴ)を極められたらいいと思います。わがままの限りを尽くしてください。そうしたら、「間違ってたー」って気が付く時が来ます。中途半端が一番いけないんです。
昔、「中途半端が一番いけないんだよ」っていう五井先生のお話ありましたね。アル・カポネ、アメリカかどっかの悪いことした人なんですかね。大悪人って世では言われてる人らしいんですけれども、人が死んであの世へ行ってどうなったかっていうお話を、ご法話の中でされたことがありました。
まあ、大悪人で悪いことした人なんだから、さぞや地獄のような世界で苦しみに喘いでいるだろうって思ったら、さにあらずです。とっても明るい良い世界で幸せに暮らしていたんだそうです。
で、周りにいたどなたかが、「五井先生、どうしてですか?それはおかしいんじゃないですか?」って聞いたそうです。で、その答えっていうのは、「彼はね、悪いこともたくさんしてきたんだけれども、思いっきりのいい性格だったから、死んであの世へ行って、『ああ自分は間違っていたー』って思った瞬間に、『よし、これからはいいことをしよう』って思い切ってもう振り切っちゃったからいいとこへいけたんだ。人間もね、中途半端に生きるんじゃなくって、もういいことでも悪いことでも徹底すればいいんだ」っていう話がありました。
世界平和のお祈りでも「なんとなくやってる」っていうような人は要らない。まあ、ものすごく厳しい言葉だったですね。「有象無象は要らない」って言われたことありました。
「命をかけて祈れる人が、私は欲しいのだ」って言われた。今、私は声のトーンを落としてしゃべってますけど、ものすごい大声で絶叫されてたご法話を、聞いたことのある方もいらっしゃると思います。
今、この時代っていうのは、命をかけて神と一体になる時代です。今というのは、今回の人生の総決算です。今回だけじゃないですね。地球界で何百回か何千回か分からない輪廻転生を繰り返してきた魂の集大成の時です。
今生で、本当はやるつもりだったことをやりきらないであの世に行ったら、大変苦労します。実際にこの世でやっておいた方が楽です。だって、思ってもすぐにそれは現実化しないですから。
「それはある意味、不自由なことじゃないの?」って思う方いらっしゃるかもしれないですけど、聖者のような意識で生きてる人だったらまだしも、いいだの悪いだの、好きだの嫌いだって思う精神状態の人が、思ったことがすぐ現実化する世界へ行ったら、それはそれは大変なことになるんですね。
だから肉体界はやさしく有り難い世界なのです。だけど、この有り難い世界がだんだん霊界の波の世界に今近づいていってるんです。人類が神聖復活した世界っていうのは、思ったことが即現実になる世界だから、みんなが神聖を表に表して生きてる人ばかりの世界になる。
そういう時代を来さしめるために、私たちが地球に派遣されてるんです。もちろん自分の意思で来たっていうところもあるんですけれども、もっと上の方々の眼から観れば、私たちはそういった立場なんです。
私たちは、宇宙の星々を管轄している大神様と、一人一人が直接つながっているんです。このご縁っていうのは本当に並大抵のご縁じゃない。「世界人類が平和でありますように」という祈りを思うとき、唱えるとき、宇宙の大神、もっと一番奥の宇宙神と直接つながることができている。命の大元の光と直接交流する祈りが「世界人類が平和でありますように」という言葉なんですね。
だから「守護霊様、ありがとうございます。守護霊様、ありがとうございます」っていう時間もあっていいと思うんですけど、「世界人類が平和でありますように、世界人類が平和でありますように、世界人類が平和でありますように」ってお祈りし続ける時間も持たれたら、それはとても有意義な時間になる。
もちろん今みたいな速さでやるんじゃなくて、ゆったりとした呼吸のリズムに合わせてゆっくりお祈りするっていうやり方でもいい。いろいろな響きの発し方を試してみたらいいと思います。
そういう工夫をしようという考えは、守護霊の方から直観で降りてくる。「守護霊様が教えてくれた」という言い方をすると、「守護霊様、どういうふうに言ったんですか?」って聞いてくる方がいるんですけど、守護霊様から降りてくる言葉というのは、自分自身のひらめきなんです。直観なんです。ということは、自分の言葉として出てくる。
最初に自分自身に出てきた直観を素直に受け取ることです。多くの地球の人間は、自己都合でそれをねじ曲げて、第二直観、第三直観みたいに考えをコロコロコロコロ、「いや、そうじゃなくて」とかってねじ繰り回す。そうすると、せっかく守護霊様が教えてくださった直観が台無しになってしまう。
自分の命の一番奥につながるために、守護霊、守護神、直霊、宇宙神っていう、これも大雑把な分け方なんですけど、そういう段階を経て奥とつながっていくものですけれども、それはユッタリとした呼吸という形でもつなげることができますので、無理のない範囲でユッタリとした呼吸を、毎日の生活の中で練習されたらいいと思います。
それは後になって「そういうことだったのか」っていうふうに分かるときが来ます。そのときにはもう、感涙にむせび泣くみたいな、そういう時が本当にもうすぐそこまで来ているんです。
命を燃やして生きてきた方ほど、その時の感激たるや、言葉にならないものです。「魂が打ち震える」っていう表現があるんですけれども、もう本当に、「今まで地球界で頑張ってきてよかった」って思える時が、すぐそこまで、本当にすぐそこまで来てます。もしかしたら「もう体験してるよ」っていう方もいらっしゃるかも知らない。
みんなでその体験を味わえたらいいなということで、本日はここまでにして、神聖復活の印を一回だけ組んで終わりにしたいと思います。
<神聖復活の印>
ありがとうございました。
はい。それでは本日の勉強会はこれで終わりにいたします。皆様のマイクをオンにします。
<バイバイタイム>
ありがとうございました。それでは本日の勉強会はこれで終わりにいたします。次回は4月19日、土曜日になります。
ありがとうございました。皆様、ご参加くださり、ありがとうございました。
以上