2025年12月7日(日)_神聖開発勉強会
○はい、1時を回りました。12月7日、日曜日の勉強会を始めます。
○まず初めに、7分半ぐらいの統一を行ないます。お祈りの言葉の最後の部分は、「守護霊様、ありがとうございます。守護神様、ありがとうございます」の部分が、「守護霊様・守護神様、五井先生、ありがとうございます」のバージョンになります。それでは始めます。
<世界平和の祈り>
○はい、ありがとうございます。
○もうすぐ……、もう間もなく、地球は今までと全く違う星になります。全く違う状況の惑星に生まれ変わろうとしています。
○今そこに向かって、私達の魂と神界の神々と地球を助けようとして来てくださっている宇宙人の方々が三位一体になって、突貫工事で地球人類の神聖の甦りを助けています。
○これは、私達だけでも出来ないし、神々や宇宙人の方だけでも出来ないことなんですね。
○私達だけで出来ないっていうところは、どなたも頷かれるところだと思うんですけれども、どうして神々、神霊や宇宙人の方々だけでも出来ないかと申しますと、住んでいる世界の波長が遠すぎて(違いすぎて)、地球人類の心を変えるための大きな働きが出来ないんです。
○根本的なところでは、人類は命の奥の部分で神々や宇宙人と関わりがあるんですけれども、表面上の世界を変えるまでの繋がりがない。
○人間の魂の構成を思い出してください。肉体側から見て上に上がってゆくとしたら、一番下に肉体があります。その上に幽体があります。その上に霊体があります。その上に神体があります。
○霊体と神体の横に、守護霊の心と守護神の心があります。ここまでで、肉体・幽体・霊体・神体・守護霊・守護神と六つの心がありますね。その一番上に直霊(ちょくれい)の心があります。
○これはいくつか言い方があって、直霊(なおひ、なおび)という呼び方もあるらしいんですけれども、命の大元、生命の最も奥にある宇宙神、宇宙の源が自らを分け現わしたときの、最初の七つの光が直霊になります。
○私達一人一人は、一番中心になる色(働き)の直霊の光を持ってるんですね。他の直霊の光とも繋がっているんですけれども、自分の役割、天命に応じて一番中心になる大元の直霊の光と繋がって、今ここに来てるんです。
○宇宙神の光、その光源から発している光、命の大元の光は、直霊・神体・霊体・守護霊・守護神までは届いてるんですね。
○でも、それが幽体の段階にまで降りて来たときには、届ききっていないということになる。幽界の様子を見て空を見上げると、ほとんどの地球人の心の中は、ものすごい厚い雨雲が垂れ込めて命の光が見えず雲しか見えない状態になっている。
○多くの人々の心の空は、太陽の光(霊光太陽)がそのまんま来ないという状態になっています。なので「助けて差し上げたい」という神々や宇宙人の応援の光が全人類の心に行き渡りきらない状態になっております。
○そういう中にあって、私達がどうしてまだ地球がこんなにひどい状況の中にありながらも、自分の命の源を思い出しつつあるか、もしくは、思い出しているかと申しますと、前にも話しましたけれども、私達は他の星から来た宇宙人だからなんですね。
○地球ができた最初は火の塊ですね。太陽からポコンって生まれた後は、ただの火の塊だったんですけれど、大気で包まれその大気の中に竜神が働いて、空気の循環、風の循環が起こって、火(か)と水(み)に分かれた。
○水っていうのは、水の三態という言葉がありますように、固体(氷)・液体(水)・気体(水蒸気)だと言われてますよね。
○水が気体になると雲(水蒸気が集まり物質化したもの)になるんですね。空の上に雲として溜まって、その雲が雨を降らして、火の塊だった地球を冷やして、地球の表面は水の溜まっている場所と、大地がむき出しになっている場所とに分かれ、そういう中に神々や宇宙神が働いて、アメーバのような単細胞生物から生命体をつくり始めて、この地球界の生物を創っていった。
○その中で人類の元になる動物としてお猿さんが選ばれ、そのお猿さんのDNAをちょこちょこっと触ってゆくことによって、どんどん人間に近い生物が出来てゆきました。
○それが今、類人猿とか、北京原人だとか呼ばれている昔の人達ですね。それで、もういよいよ「これは人間として正式に魂を入れていいね」ってなった頃に、私達は金星から地球の神界へ来たんです。
○いきなり地球の肉体界には来なかったんですね。地球の神界に引っ越しをしてきたんです。
○当時の五井先生の名前は「天孫瓊瓊杵尊」といいますが、私はあんまり神話の話は詳しくないんですけど、書いてあることをよく読んだら、「これ円盤のことだよね」って思う記述があるんですね。
○それで、天孫瓊瓊杵尊が金星で「新しくできた惑星(地球)の開拓に行くけれども、行きたい人いますか?」と呼びかけて、手を挙げた人達が私達なんです。
○それでまず、地球の神界へ来て、そこから波動の粗い世界を開拓してゆくという作業に入りました。
○それには、ものすごく細かい細かい細かい段階があるんですけれども、それを言ってたらキリがないので、ここでは大雑把に言います。
○まず、霊体をまとって霊界を開拓し、その後、幽体をまとって幽界に降りて、そこで幽界を開発した。
○その先っていうのは、もうこれ以上波動を粗くできない肉体界で、今私達が住んでいるこの世界です。
○そこに幽体をさらに粗い波動に変えて、忽然と肉体として現われたのが私達です。私達は一番最初、肉体を持った神霊だったんです。
○一番最初の何世代か、2代、3代、4代、5代、6代、7代と、何世代かの間は、その神霊の記憶が受け継がれて残っていたんですけれど、10世代、20世代、30世代って、後の世代になってゆくと、地球人は自分達が神霊だったということを忘れてしまったんですね。
○でもそれをもって、「なんで忘れちゃったんだろう」とか、「ダメだな、自分達は」って思う必要はないということを、勉強会で何回も言ってきました。
○何故かというとそれは、神霊としての記憶を忘れることが、惑星の開発をするうえで必要なことだったからです。私達が神聖を忘れることは、惑星開発のプログラムの中に組み込まれていることだったんですね。今までは必要があって忘れていた。
○でもこれからは、もう思い出してもよいというときが来て、神霊だった記憶を思い出す段階に今、私達は生きています。
○もっともっと大元の話をすれば、私達が金星に住んでいた頃よりもっと前の時代には、私達はもっとたくさんのいろんな惑星の開発に携わっていたんですね。
○だから言ってみれば、世界平和の祈りをしている私達のような人達というのは、ここにいない方々も含めて、惑星開発のプロフェッショナルなんです。
○「でも、今の自分は覚えてない」とか思うかも知れませんが、そんなことはどうでもいい話なんです。私達が「自分は本当は何者なのか?」っていうところを深掘りしてゆくと、「惑星開発のプロフェッショナルだった」っていう事実に行き当たるんですね。
○それで私達、できたばかりの何にもない惑星に入って、その惑星に何をしに来たかというと、宇宙を創った大元の意識、ここでは宇宙神と呼びます(創造主とかいろんな言い方がある)が、宇宙を作った大元の宇宙神の心の中に展開されている大調和した世界を、命を分け与えられた人類みんなで力を合わせ協力して、ここに創ろうとして来たんです。
○それがそれぞれの惑星開発の姿なんですね。細かいところはそれぞれの惑星の個性や特徴によって異なりますけれども、私達は今、地球と呼ばれるこの惑星に来ていて、一旦はこの地球の粗い波に同化して、自分達がそれ以前にやってきたことをすべて忘れて、まったくゼロから築き上げるということをやってきました。
○でも、私達の命の源である宇宙神は、「これを本人達だけに任せていたら難しいだろう」とわかっていたので、一人一人の魂の中に守護霊と守護神を配置してくださいました。
○ですから、守護霊様は常に私達と一緒にいます。今ここにいますけれども、どなたにも守護霊様は常に一緒にいてくださいます。対して守護神様というのは、私達の命の奥で太陽みたいに光を放って、見守っている存在になります。
○守護霊って一言で言っているんですけど、たくさんいるんです。下から言ってゆくと、指導霊というのが何人か付いてます。それは、その人の興味のあることとか、仕事とか勉強とか、何かいろいろなその人の人生を助ける役割として付いてくださっています。
○例えば、水泳をやってる人だったら泳ぐことを助ける専門家の指導霊が付いてます。お料理を一生懸命やってる人だったらお料理の指導霊がついてます。ピアノを弾く人だったらピアノの専門家の指導霊がついてます。
○私達にはそういうふうに、何人かの指導霊が付いている。指導霊っていうのはその人の興味が変わったりとか、やることが変わったりしたときに交代されることがある。
○その上には副守護霊がいます。人によって人数は違うと思いますけれども、副守護霊がいて、その上に正守護霊がいる。一般的に守護霊という場合にイメージするのは、この正守護霊になります。
○正守護霊というのは、肉体界に生まれてくるときに、お母さんのお腹の中に入ったときから、おじいちゃん・おばあちゃんになって天国へ帰るそのときまで、ずっと変わらずに同じ方が担当してくださっています。
○そして、あの世へ帰った暁には、守護霊は私達から離れていなくなります。それは角度を変えてみれば、自分と守護霊が一つになるっていうケースもありますし、守護霊がその人から離れて、また今度違う人の守護神になるとかっていうような、いろんなケースがあります。
○だから一概にどうって言えないんですけれども、私達があの世へ帰った暁には、自分と守護神が直接交流する段階に入ります。
○このようなことは、あの世へ行けばわかるんで、今ここで知らなくてもいいと思うんですけれども、兎にも角にも私達は、神霊としての記憶を一旦は忘れる必要があって忘れていたんです。
○それで今私達は、神聖を本当に思い出そう、甦らそうとしている段階にあるというところです。そして、思い出せた方もいらっしゃる。
○そうした生命の真実を「何回聞いてもわからない」っていう方もいらっしゃると思うんですけれども、これは「何回聞いてもわからないからダメだ」っていうふうには思わないでいただきたい。
○なぜならば、時々言いますけど、地球界で一番出来のいい人と一番出来の悪い人を横並びに並べて、宇宙人や神々の世界からその人達を見たときには、「この人達の何が違うんだ?同じじゃないか」っていうふうに見えるんだそうです。
○どんぐりの背比べって言葉がありますけど、肉体を持ってこの世で生きてたら「あの人はすごい」とか、「あの人何やってんだ、ダメじゃないの」とか批判・非難・評価をして、誰が上だの誰が下だのってやってるんですけど大差ないんです。
○「どんなにすごいと見える人も、どんなにすごくないと見える人も、神々の目で見れば、似たり寄ったりなんだから、批判・非難・評価しなさんなよ」っていう話があるんですね。
○肉体を持って生きてると、これがなかなかわからない。だから「自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛すんだよ」って言われても、それを実際に行なえない(出来ない)でいる。
○もちろん実際に想念・言葉・行為に顕わして生きている方もいらっしゃる。既にそれをマスターして実行に移してる方もいらっしゃいますけれども、全体的に見たときには、「赦せない」「愛せない」「認められない」「憎い」「嫌いだ」っていう心の動きとなかなか無縁になれない部分を、私達の心の中に見ることがあると思います。
○肉体の自分が浅はかな想いで「私はもう悪い想いが無くなったなあ」なんてぬか喜びしていたら、守護霊様はポンと神聖を離れた想いを出してくださるんですね。それによって、自分の感情が乱れるような出来事を起こして、気が付かせようとしてくださるんです。
○だから私も、そういうことがわかってからは「ぬか喜びしないようにしよう」っていつも思ってます。調子が良いときほど慎重に生きる。人に立てられれば立てられるほど謙虚になる。
○人間って人から持ち上げられたら嬉しくて、ついつい他人が担いだ神輿の上に乗ってしまうんですね。でもそれをやっちゃうと、自分の足が地に付かないことになるんですよね。
○私達は、これからもっともっともっともっと立派になってゆくんです。そのときに、「立派になった」ってぬか喜びしない私達でありたいなと思うんですね。
○そういうときにぬか喜びをしたら、足が地につかないでフワフワ浮いて、何か事が起こったときに足元をさらわれるんです。
○だから自分が立派になればなるほど、心の足を地に付けて、頭だけ神界の高いところに置いておく。その姿を想像してみてください。
○頭が神界にあって、足は肉体界にある。私達はそういうふうにして、天と地を繋いでいる者なんです。
○「自分っていうのは、この身長百何十センチで体重何十キロのこの体なんだ」って思ってる方は、頭が天にあることを忘れてるから、頭も足も肉体界にあるんですね。
○頭が肉体界にあると人間は何を思うかっていうと、もう批判・非難・評価一択です。
○私の体験で言えば、不平・不満・不足の想いを垂れ流していました。そういう世界にいると人間は、自分と他人を比べて見ては、喜んだり、ガッカリしたりする。
○そういう世界を「二極の世界」という言い方をする人もいますし、「二元対立の世界」っていう言い方をする人もいますけれども、いいとか悪いとか、正義だとか悪だとか、好きだとか嫌いだとか、近いとか遠いとか、白だとか黒だとかって、分けて見えるようなことに把われる。
○人間の心の動きでそれを言うと、「私はあなたのこと好きよ」って口で言っていながら、何かその相手が自分の感情が面白くないことをしたら「あんたなんか大嫌い」って、突然手のひらを返したようなことを言う。
○それは、二元対立の世界に想いがあるからそういう心の動きが起こっていたんですね。きっとどなたも身に覚えのある話だと思います。私は大ありです。
○そういうところから人間というのは、「自分達は本来神聖で、本当は宇宙に大調和をもたらす力を持った存在なんだな」っていうことを思い出してゆく。
○今、私達はその段階なんですけれども、そのときにやっぱり記憶が邪魔をするんですね。
○「自分を生まれ変わらせよう」「本当の自分を甦らせよう」「命の本当のすごさや素晴らしさをここに顕わそう」っていうときに、記憶が邪魔をするんです。
○「どうせこれやったって変わりっこないよ」「無理だよ」って、過去の出来なかった記憶を元にしてささやくんです、心の中で。
○そのささやきに簡単に負けて「そうだよな、やっぱり諦めよう」「やっぱりやめとこう」って思う人もいる。「やらなければいけない」「やらなければいけない」って変に偏った想いを持っている人の場合は、それを反対側に引っ張るような「さぼっちゃえ、さぼっちゃえ」「やらなくていいよ」っていうささやきに結局負けて、「やろう」「頑張ろう」っていう気持ちがしぼんじゃう人もいる。
○いろんな人間の心を見てると、いろんな心の動きがあって面白いなって思うんです。そういう人間のいろいろな心の動きを観察するにはどうしたらいいかというと、守護霊様と一つになっちゃうことがもう一番楽なんですね。それ以外にない。
○守護霊様と一つになって生きれば、守護霊様の観てる目線が自分の眼になるんですね。「そのための方法は……」って、勉強会で何回も何回も話してますけど、もう徹底的に守護霊様に感謝し続けることです。
○「今日は100回言ったからもういいか」とか、そういう問題じゃないんです。もう起きてる間中、ずっとやるんです。一時(いっとき、ある特定の期間)、馬鹿になったつもりで全感謝の練習をするんです。
○守護霊様だけじゃない、全てに感謝するんです。どんなことに対しても、どんな人に対しても、もうありがとう一辺倒、ありがたいな一辺倒で生きる練習をするんです。
○短い人は3週間ぐらいで完全に変わります。長い人でも大体3ヶ月ぐらいみたら今は変われます。その段階を通るとそれ以降、同じことをやらなくてもよくなるんです。
○日々の感謝が臨界点に達したら、いつも頭の中で思っていることがもう「ありがたい」ばかりに入れ替わっちゃうんですね。人格が神聖一本になるんです。
○そこまで行ったら、気が触れたかのように「ありがとう、ありがとう」ってやらなくてもよくなるんです。
○そういう心の総仕上げが必要な段階に今置かれているということは、私達は今、もう神界に入る手前まで来てるからなんです。
○だけど、そういう段階にありながらもやっぱり、自己限定の想いを手放しきれていないっていう方が多いように思います。
○それはさっき言った心の中で「やらなくちゃ」「頑張らなくちゃ」って思っている自分と、「さぼっちゃえ」「さぼっちゃえ」って思ってる自分達が拮抗(きっこう)してるような状態なんですけれども、「こういう自分達がいるんだな」って俯瞰して観れたら、私達は一段上の意識に上がれるんです。でもその段階でどっちかの感情に入り込んでしまうから、上の段階に上がれないでいるんです。
○人間の心を全体的に観察し、自分の心の全体を見渡すために一番手っ取り早い方法は、何度も言いますが守護霊と一体化することです。守護霊の意識を自分の意識として生きるっていう事なんですね。それが私達にとっての神我一体の入口なんです。
○「守護霊と一体化したから、もう何にもしなくていい」ってわけじゃないということは、皆様もわかると思うんですけれども、守護霊と一体化した後には、もっと先の学びがあります。
○でも、すでに守護霊と一体化するぐらいの心になっている方は、自分を磨き高めあげること、立派にすることが楽しくて楽しくてしょうがない、嬉しくて嬉しくてしょうがない、ありがたくてありがたくてしょうがないっていう気持ちになってますから、そこで気抜く人はいないと思います。
○それ以前は感情想念にすぐ流されてしまっていた。ジェットコースターのようにやる気が急上昇して上がったり、急降下してやる気がなくなったりとかっていう、そういう不安定な心の状態を『常に命の光が燃えたぎっている状態』にするんです。
○常に命のエネルギーが天から入ってきて入ってきてやまない、自分から溢れて溢れてやまないという、そういう状態に自分を導き育てるっていうことが大切です。
○いつもよく言うんですけど、24時間の中で8時間寝るんだったら起きてる時間は16時間です。その16時間を命の光が自分の中から燦々と輝いている意識状態にするために、「今この瞬間、何をしたらいいんだろう?」って守護霊様に向かって問いかけるんです。
○そしたら、守護霊様は即教えてくれます。自分の問いかけが終わる前に間髪入れずに教えてくれます。
○守護霊様は自分でもあるんで、この子(私)が今何を言おうとしてるかも、こちらが言う前から全部わかってるんです。だからもう即、答えてくれます。そしたらそれを素直に受け取って行動に移すんです。
○何人かの方から聞いた話として「最初に“こうだな”と思ったんですけど、でも“こっちのほうがいいんじゃないか”って思ってそうしたんですよね」とかっていう、想いをこねくり回してる話をよく聞くんですね。
○「神と人間」を読み込んでいらっしゃる方は、「今の言葉の何がおかしいのか?」がよく分かっていらっしゃると思います。第一直観で動かずに、それ以降の想いで動いているというところです。
○第一直観っていうのは、守護霊・守護神や神霊の答えなんですけど、第二直観・第三直観のように、最初に出た響きをひっくり返すような想いというのは、全部カルマの答え、業の答えなんですね。
○「いやそんなこと言ったって、一番最初に出てきた内容はちょっと、私、嫌だと思ったのよね」とかって言う方もいるんですけど、嫌だと思っても、それこそが、守護霊が私達にくださる回答なんです。
○嫌だと思っても素直にその通りやったら、のちのち良い結果になるような、そういう答えをくれるんです、守護霊・守護神は。
○だから自分の感情でいいとか悪いとか、好きだとか嫌いだとか思わないことが重要なんです。
○真理に素直、守護霊・守護神に素直ということが、私達の魂が本当に永遠の幸せをつかむに至る一番の秘訣だと思います。
○ということで、休憩に入りたいと思います。神聖復活の印を1回組みます。お祈りの言葉は「人類の神聖復活、大成就」を2回繰り返して組みます。
○座ってる方は姿勢を良くして、立ってる方は足の裏全体で大地を、おうちの中の床を地球の大地だと思って、足指でしっかりと大地をつかんで、膝はピーンと張らないで、ちょっと緩くしてあげてください。
○そうして、お尻はキュッと閉じ、お腹は引っ込め、背筋を正して、肩の力を抜いて、顎を軽くクッと引きます。それでは始めます。
<神聖復活の印を一回>
○はい、ありがとうございます。それでは2時6分まで休憩にします。皆様のお顔は出ないようになっていますので、ご安心して休憩してください。
<10分間休憩>
○それでは後半の部を始めます。昨日の夜の『神聖で繋がり合う日』のプログラムで、「宇宙には自分1人しかいないのだ」「我あるがゆえにすべてがあるのだ」という真理のお話をしました。
○本来の私の予定では、この話は2026年に入ってから、折を見て触れるつもりでした。
○ただ、11月22日の『動画による祈りの会』で、三人のお嬢様方が触れてくださいましたので、良い機会だということで深掘りするような内容のプログラムにしました。
○昨日、リーダーとして出てくださった行天さんと渡久地さんが、お2人とも後になって、それぞれ別々に伝えてくださったのは、「話をしている自分とそれを聞いて(見て)いる自分というように、二つの自分がいるということを初めて自覚した」という同様の内容の感想でした。
○昨日の初めの話の中にそのことが書いてありましたね。そこの部分をちょっと読みます。画面共有して見てもらいます。
「宇宙神の存在原理を映し出して形成されている私達の意識の中には、宇宙神ご自身がそうであるように、心の中に見る者と見られる者とが同時存在していて、現在の私達は、そのどちらの意識も自由に行き来して、使いこなすことが出来るようになりつつあります。
その両者は、内部神性と表面意識とも言えますし、高次元意識と三界意識ともいえますし、守護霊・守護神・神体・直霊の側と肉体・幽体・霊体の側とに分けて観ることもできます。
そのように、私達がみずからの意識神化を促進してゆきますと、高次の意識と表層意識とが、心の中で共存している段階を通ることになります。」
○この状態は、いろいろな言い方ができるんですけど、昨日のケースでは「自分がしゃべろうとしなくていいんですよ」って、私はお2人に事前に伝えていました。
○「自分がしゃべろうとしないで、“守護霊様・守護神様、よろしくお願いします。ありがとうございます”ってよくお祈りして本番に臨めば、守護霊・守護神・神々・宇宙人の方々が、自動的に私達の心と体を使ってしゃべってくださいますから」という内容の話を事前にしていて、その通りの体験をされたということなんです。
○それで今日はちょっとですね、昨日のプログラムで触れなかった部分について触れたいと思います。
○「我あるが故に全てあり」「この宇宙には自分1人しか存在しない」
○これは、私達一人一人が自分の命の一番奥の根源にまで入ってゆくと「本当にそうだな」っていう気持ちになります。「自分1人しかいない」というものの見方・考え方には、二つの捉え方があるんです。
○一つは、自分の意識が丸ごと命の大元・源・根源に入り込んだときに、そこにあるのは「宇宙神そのものの意識がただ一つある。その他に何もない」という根源の話ですね。
○もう一つは、“肉体側で生きていてさえも、結局は自分の内面を肉体の外の世界に投影して見ているに過ぎない”という意味での「宇宙には自分一人しかいない」です。
○私達がこうやって肉体に生きていると、自分以外に家族とか親戚とか、ご近所さんとか友人・知人、それから仕事で関わる方とか、いろいろな方々との関わりを持ちながら生きていますけれども、そのときに今までの私達は、ときに「これは自分が悪かったな」って思うこともあるかも知れないですけれども、他責思考で責任転嫁することがあります。
○「自分には関係ない」とか、「あれはあの人の問題だ」とか、「あの人がどうかしてるんだ」とか、「あの人が問題を抱えてるんだ」とか、批判・非難・評価したものの見方、考え方をすることがありましたけれども、「それは違うんだよ。本当はこうなんだよ」っていう話が、11月22日と12月6日の『動画による祈りの会』で触れられていました。
○「人に感じた想いの原因は自分にある」っていうことは、この勉強会が2023年9月に始まった当初から言っている話なんですけれども、白光真宏会本体もとうとうそこに触れてくださるようになったということで、もう今本当に全員がその段階に入るときが来た。
○「人のせいなんてありはしないんだ」っていう昭和37年に老子様が五井先生に乗り移って怒鳴られたことがありましたよね。「人のせいなんてありゃしないんだ!それをなんだ!人のせいにばかりして!」って怒鳴られたことがありました。
○そのとき、初めて五井先生の口を通して「全ては自己責任なんだ」っていう話が出されました。でもその後、あんまりそこには触れられなかったんですね。
○おおよそ皆様も想像がついていると思いますけれども、当時の方々にとってこの真理は敷居が高すぎた。だから、神々はそうした肉体人間達の様子を見て引っ込めたんですね。その話をあんまり出さなくなった。
○昭和37年から38年のお話の録音を聞いてると、何回かそのお話は出てます。出てるけど、それ以降のお話には出てこないんですね。
○それと同じことが2007年か2008年頃にありました。富士聖地の行事の中で昌美先生の口から「これから地球の人達は、150歳、200歳まで生きるようになるんですよ」というお話が出たときに、その日参加されていた方々は記憶があると思うんですけど、会場の参加者はケラケラ笑ったんです。大笑いしたんです。自分のことだって、受け止める人達がほとんどいなかったんです。
○私はその話が出たときに、心の中でガッツポーズをして「ようやっと白光もこの話を出してくれるようになったか」と思って喜んでたんです。でも、周りを見たら大笑いしていて、全然自分のことだと受け止めている人がいなかったんですね。
○昌美先生はそのとき、2回か3回か念を押しました。「あなた方のことなんですよ!」って言ったんですけど、真に受ける人はほとんどいなかったんです。「なーに、馬鹿なこと言ってんの」っていう感じでもう笑ってるだけでした。
○そうしたら、そのお話は2度と出てこなくなったんですね。お話をした昌美先生ご本人も忘れちゃってるのかも知れない。「時期尚早だったか」ということで、神々や宇宙人の方々が引っ込めたんです。
○私はハッキリ覚えています。150歳、200歳まで生きるっていうことは、全然不思議な話じゃないんです。この肉体が霊化してゆくと長生きになるのは必然なんです。
○それが証拠に、地球以外の星では、150歳、200歳と言わず、500歳、1000歳、2000歳とか、もうずっと長生きなんですね。
○もちろん時間の流れ方も違うんですけれども、それにしても星の世界が進化すると、人間が長生きになるっていうのは当然のことなんです。
○それをこの地球人の中で、最初にやって見せるのが私達だと思っております。
○もちろん、これを聞いていらっしゃる方の中には、「私は結構。もう早くあちらの世界に帰りたいのよ」って思われている方もいらっしゃるかも知れませんが全然OKです。何の問題もありません。
○私達、それぞれ一人一人役割が違うんです。だから「自分はもう十分この地球で働いた」って思われている方は、それで自分にOKを出してあげてください。
○でも逆に、「いや、私は私の目の黒いうちに、地球人類が本当に意識進化して、もうこの星は大丈夫だねっていうときを見届けてから死にたい」って思う方はその通りになります。
○それがあと何年かかるのか。5年なのか10年なのか20年なのか、もっとかもしれません。何とも言えません。
○それはひとえに、今を生きている私達一人一人の、今この瞬間の意識の動きにかかってるんです。
○「神聖が当たり前だ」を100%認めて信じている状態、それは信じる段階を卒業してるってことですね。
○私、よく言うんですけど2020年の元旦に言葉が降りてきたんです。その言葉は、「人間っていうのは、【自信・確信・当然認識】、この三つの段階をホップ・ステップ・ジャンプのように通って意識進化していくものなんだよ」っていうメッセージでした。
○自信を持つっていうのは、もう初歩の初歩、初めの一歩なんですね。自信を持つ段階を卒業したら、確信を持つ段階に入る。
○この確信の段階をも極めたら、「神聖当たり前じゃないの」っていう当然認識の段階に入ります。当然認識の段階に入ったら、もう「そうあろう」と努力する必要がないんですね。
○でも、前回も言いましたけど、そこへ行くまでがやっぱりいろいろ壁にぶち当たったような気持ちになったり、困難を感じたりっていうところなんですけど、奥の方々が言うのは、「大いに苦しみなさい。大いに困難を味わいなさい」って言うんですね。そして「なぜならそれは、貴重な体験なんだよ」って言われるんです。
○私達、この世で生きてたら、ときには心がグラグラってなって、「嫌だな」とか、「つらいな」とか、「苦しいな」とかって思うことがあるんですけど、全部いい思い出です。
○例えば、今ここに80歳以上の方がいると思うんですけど、人生の大先輩の方々から私らみたいな60代とか、もっと下の年代とか70何歳とかの人を見たら、「ああいう時代が自分にもあったね」って思って見られると思うんですね。神様の世界から人間を見たらそういう感じなんです。
○「人間ってつらいからやりたくない。苦しいのは嫌だ」って、そういう浅い感情の動きで取捨選択をするんですけど、第一直観に素直になって、第一直観の通りに動いてゆけば、その途中で何かを「嫌だな」って思ったり、「こんなことやりたくない」って思ったりしたとしても、やり通した暁には、すべての味わった感情が自分の魂の栄養になるんです。それらの体験が自分の心の深み、奥行きを形成してくれるんです。
○だから、いろんな経験をしてない人といろんな経験をした人がいたとしたら、いろんな経験をした人の方が人間的に味わい深い人であるっていうことは、皆さんもわかると思うんですね。
○それを魂レベルで私達、実は日常生活を通してやっているんです。魂の世界のことは見えも聞こえもしないから、あんまりそうは思えないかも知れないんですけど、「日常生活を通して魂レベルで自分を深めている、自分を広げている、自分を高めている」っていうのが、命の世界から見た私達の人生の実態なんですね。
○ちょっと話が脱線したので、「この話をします」って言った内容に戻ると、「我あるが故にすべてあり」「この宇宙に自分1人しかいない」っていうのは、宇宙神そのものとしての意識でそう思うのと、肉体人間として自分や他人にいろんなことを感じて生きてる状態が全部自分の中身を映し出していて、「ああでもない、こうでもない」「好きだ、嫌いだ」って思っていただけなんだなっていう意味での「自分1人」。この2パターンの「自分1人」があります。
○これを私達は今、両方をいっぺんにマスターしようとしてるんですね。そうですね、学生さんの進学するための塾でいえば、一番スペシャルな特進クラスの学びをしている人達です。
○80何億人の人に平等にその機会を与えても、逃げ出す人がほとんどなんです。つまらないと思って背を向ける人が、今はまだほとんどなんですね。
○こういう自分を磨き高め上げるっていう話に興味を持っている時点で、私達はもう違うんですよね。私達は助けてもらう側、救ってもらう側じゃないんです。
○地球人類を救う側です。人類、人類って言いますけど、もちろん、ありとあらゆる生き物も自然も救い上げます。
○けれども、何で「人類の神聖復活、大成就」というのか?何で世界平和の祈りの冒頭は「世界人類が平和でありますように」なのか?
○これは英語の世界平和の祈りと対比してみると、よくわかると思うんですね。
○「May Peace Prevail On Earth」のMayは「何々でありますように」、Peaceは「平和」、Prevailは「広がる」、On Earthは「地球に」で、「地球に平和が広がりますように」っていうのが、英語の世界平和の祈りなんです。
○これは昭和45年前後から「世界平和の祈りを海外にも広めましょう」という動きがあったときに、五井先生の周りの人達が「五井先生、海外に広めるにあたっては、どういうことに気をつけてやったらいいでしょうか?」って相談をしました。
○そしたら五井先生のお答えは「そうね、その国の方々が一番しっくりくる言葉にしてもらったらいいね。その国の人達が自然に世界の平和を祈れる言葉を、その国の方々に聞いて作ればいい」っていうお話だったんだそうです。
○当時の白光誌を見たことのある方は、あの当時、英語の表現が二転三転していたことがわかると思います。「May Peace Prevail On Earth」に固定するまでに、いくつかのパターンがありました。
○パメラさんというコネチカット州に住んでる80何歳の方いらっしゃるんですけど、私達はパメラさんを「レジェンド」って呼んでるんですけれども、五井先生・昌美先生がアメリカへ行ったときに、お家に来てくださったそうなんですね。それで昔のお話を聞いたんです。
○「May Peace Prevail On Earth」の言葉の作成に関わった方が、確か名字が吉田さんって方だと伺いました。当時アメリカ在住だった方ですね。私は面識がないし、どなたかも全くわからないのですが、その話を私はパメラさん経由で確かに聞いています。
○そういう何人かのアメリカに住んでいる方々が関わって、「May Peace Prevail On Earth」という英語の表現ができたということです。
○「じゃあ、何で英語で“世界人類が平和でありますように”を意味する言葉じゃダメだったんだろう?」ということですけど、これは西洋の人達のものの考え方と、日本人のものの考え方の違いに根差しています。
○もっと深いところで言えば、日本語の構造と日本語以外の言語の構造に原因があるんですね。
○私達、日本語を使って生きていますから、日本語の話をしますと、日本語っていうのは、運命を創造する、現実を創造する、創造のためのツールなんです。
○だから私達が発するこの日本語をおざなりにはできないんですね。発した言葉で人生を創っているんですよ。それが日本語が持つ力なんです。
○こういう言い方を聞いたことあると思います。日本語というのは、縦の波動の響きの言語で、その他の言語は横の響きの波動の言語であるっていう話を聞いたことのある方もいらっしゃると思います。
○日本語以外の言語は、人と人とが意思疎通するためにつくられた人工的な言語なんですね。
○それに対して日本語っていうのは、この地球の中では、宇宙神がこの宇宙を創造するために使われた響きに最も近い言語、Languageであるというところなんです。
○「なぜ日本語で“世界人類が平和でありますように”って言うんですか?なぜ日本語で“地球に平和が広まりますように”ではダメなんですか?」っていうところを深掘りしてゆくと、奥の神様……、奥って言ってもその辺の奥じゃなくて、もっとずっとずっとずっとずっと奥の神様がおっしゃるのは、「人類が地球を創っているんだよ。地球を創っているのは人類なんだよ」っていうんです。
○その言葉を他の角度から見ると、人類の心が立派になれば、おのずと地球は平和になるっていう言い方ができると思うんですね。
○その逆もありますね。人類が立派にならなかったら、地球は調和した星にならないっていう見方、言い方もできます。すべては人間達にかかってるんです。
○今、異常気象だとか何だとかって、過去にはありえなかったことが年々起こって、ニュースなんか見てても、史上最大の何とかかんとかとか、史上最悪の何とかかんとかとか、そういう表現が毎年のように更新されていますけれども、「なんで地球はこんな状態になってしまったんだろうな?」って考えていたときに、「全部地球人たちがやってきたことなんだ」って出てきたんですね。
○全てが今の私達に関わっている。直接は関わってないかも知れない。もっとご先祖様の時代もあるかも知れない。だけど、地球が本格的に悪化したのはこの100年以内なんですね。第一次世界大戦や第二次世界大戦があったあの頃からです。
○日本だけに限って言えば、昭和30年代の後半ぐらいからです。私はまだ昭和30年代にはこの世に降りてなかったんで記憶はないんですけど、高度経済成長っていうのがありました。昭和の頃には、光化学スモッグがどうだとかって東京や大阪などの大きな都市で問題になっていた。工場のあるところも空気が汚れていったということがありました。
○けれどもそれよりも何よりも、人間達一人一人が発する自分勝手な想念が地球をここまで壊してきたんです。
○なぜ地震が起こるのか?理性的な人は「それは右の地殻プレートと左の地殻プレートがどっちかがどっちかに沈んだときのひずみがどうたらこうたらでとか」って、理論的に説明するかも知れません。
○でも「じゃあ何でそんなことになったんですか?」っていうところを突きつめて見てゆくと、人間の想念波動に原因があるっていうところに突き当たるんですね。
○空の上を見上げれば、成層圏のオゾン層に穴が開いている。フロンガスだとか何だとかっていうのが大気圏に穴を開ける。そうすると、宇宙にある有害な紫外線か何かの光線が地球に入ってくる。
○異常気象、集中豪雨、線状降水帯。もちろん、こういう大雨や大嵐の背後には竜神様方がいて、竜神様方が人類の想念のお浄めのために大雨を降らしたり、大雪を降らしたり、強い風を吹かせたりしているんですけれども、人類の想念が大調和していれば、竜神様がそういうことをする必要がないんですね。
○霊界通信シリーズの中にある『天象儀』のお話を読んだことのある方は、竜神様方がどういうふうに働かれているかっていうのをご存知だと思うんですけれども、天象を司る女神様の指示で竜の形をした神様が世界各地のいろんなところへ行って浄めて歩いてるんです。
○でも、地球人類が心を大調和させてゆけば、そういう働きも必要なくなる。そうすると異常気象は収まる。必要のない地震も起こらない。オゾン層の穴も回復します。空気の汚れもきれいになります。水の汚れも回復します。
○海の底にマイクロプラスチックというのが沈んでいるという話があります。私は最近知ったんですけど、富士山の頂上にもマイクロプラスチックがあるらしいですね。だから、下だけじゃなくて、空気中にも漂っている。そういう空気を吸いながらすべての生物が今、生きている。
○この地球という星のこの状態を、命の大元の宇宙神が画いている大調和した理想郷のような世界にするためには、今この瞬間、私達一人一人が神霊であった時代の記憶を思い出して、肉体を持った神々として生きることなんです。
○救世の大光明や宇宙人の方々のお考えやご計画の中に、最初の頃は「神人が10万人できれば地球は平和になる」というお話があったんですけど、今2025年終わろうとしてますが、相変わらず神人になったっていう人は、1万何千人です。現実問題として天国に帰った人がいっぱいいて、現在8000人ぐらいです。もっといらっしゃるかも知れないですけど、10万人には程遠いです。
○そうすると、神々はどういう方向に方向転換し、舵を切ったかというと、今を生きているこの何千人の人達を鍛え上げて、もう早いところ仏陀やイエスクラスの聖者にしようとされています。「私なんて」と思わないでくださいね。それだけすごいことを私達はやってきたんです。
○男の人も女の人も、若い人も高齢の方も、これまでそういうすごいことをやってきたんです。というのは、私達の今回の人生だけじゃないんです。前世のそのまた前世の、そのまた前世の、そのまた前世というように、過去世をずっとさかのぼって観ると、終始一貫、徹頭徹尾、私達は地球を平和にするための活動を行なってきた。
○そのために地球に来たんだから当然なんですけれども、「自分の魂はそういう特別な使命を帯びて進化した惑星から地球にやってきた魂なんだ」という事実を、もうそろそろ心の底に染み渡らせていただきたい。
○そうすることで、守護霊・守護神は「待ってました」という感じで、必要な智慧や叡智、力を流し込んでくださいます。健康が必要だったら、健康を流し込んで与えてくださいます。
○私達が神聖復活をして、地球をよい星にするっていうことのために、働くのに必要なことは「なんだって与える」っておっしゃっています。
○私、いつも勉強会の前に、「何も考えるな。事前に何も用意するな」と言われているんで用意しないようにしています。しかし、肉体の頭で「こういうことをお伝えしたいな」と思うことがたまにあるんですね。
○今回、ただ一つ思ったのは「我あるが故にすべてあり」「この宇宙に自分一人」というのは、一番奥の宇宙神そのものとしての「自分一人」ということと、この肉体として分かれ現われながら、外に対していろいろと思うその想いはどこから出てくるのかということを突き詰めてゆくと、自分の中に原因がある(外に自分の中身を映し出して感じている)という意味での自分一人の二通りがあるということです。
○私達は、自分の内面を他人という鏡に映し出して感じているに過ぎないんです。天理教祖はそれを指して「鏡屋敷」って言われた。今時の言葉で言うと、私達は「ミラーワールド」に生きてるんです。全部鏡に囲まれた中で生きている。そこに写っているのは自分だけなんです。そういう意味での「自分一人」っていう意味もあります。
○そのように、一番奥と外側の両面から「自分一人」っていうことを深めてゆかれるとものすごく意識進化が促進します。
○私自身は、本当に他者(ひと)のせいにしてばかりいた人間なんですけど、本当にその頃の自分が今、私の心の中を探してもいないんですよね。「あれは確かに自分だったような」って思うんですけど、そういうことをしていた時代、40何歳までの記憶が何か過去世の出来事のような感じでいます。
○誰でも全部、どんなことも諦めないでやり続けたら、必ず成就するし、成功に至るし、自分がなりたい姿があったらその通りの自分になれます。
○そういう意味で、粘り強さとか、諦めない心というのは、とても重要な要素になると思います。
○今日は珍しく、3時前に終われそうな感じです。「もういいよ」ということですので、最後にまた神聖復活の印を1回組んで終わりにしたいと思います。それでは始めます。
<神聖復活の印を一回>
○ありがとうございます。はい、それでは終わりにしたいと思います。
○日本全国、寒くなってきていると思います。特に北海道とか東北の方は本当に寒い状況にあると思うんですけれども、くれぐれもお体に気をつけて、風邪をひいたり、雪で滑ったりしないようにしてお過ごしください。
○それでは終わりにいたします。皆様のマイクをオンにします。
<Bye-byeタイム>
○それではこれで今日は12月7日の勉強会これで終わりにいたします。ありがとうございました。
以上