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260919_日本語版_神聖開発勉強会.pdf
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◆ 260919-午後_勉強会
2026年9月19日(土)午後1時 勉強会
皆さま、こんにちは。9月19日、土曜日の勉強会を始めます。はじめに、3分半の統一を行いたいと思います。画面共有をします。
<世界平和の祈り>
ありがとうございます。最近、私は時々、未来を想像することがあるんです。それは自分のこの肉体の人生をどういうふうに終わりたいのかな、ということです。
この話は、よくやりとりをする方にはもうすでにお話し済みのことなんですけれども、五井先生の前世の一コマでもあり、五井先生の守護神の一人でもある役の行者が、こういう逝き方をしたと言われている『屍解仙(しげせん)』という逝き方をするのを希望しております。
屍解仙というのは、肉体波動を霊化させて、肉体ごとあの世に帰ってしまうことです。もちろん、あの世へ行ったら、霊体もしくは神体で生きるということになるんですけれども、この逝き方のいいところは、屍(しかばね)を残さないで逝けるということです。
あと何年後になるか分かりませんけれども、宇宙人の人たちと交流するような時代になりますと、いつ自分があの世へ帰るのかということを、「何月何日何時何分にあなたは逝くことになるよ」と、守護霊・守護神の方から教えていただけるようになると思っています。
そうなると、例えば半年前に教わったとしたら、そこから逆算をして、いつまでに何をしよう、いつまでに何をしようというふうに予定を立てて、いざ自分が天国に帰るときには、もう家の中には何もないという状態で、「お世話になりました」と書いた置き手紙を一つ置いて、忽然とこの世から消えることができます。
そうしますと、残された縁者の方々に、いろんな手間をかけなくていいのではないかと思っています。
これから先、進化した世界になって以降の人間の死に方というのは、まだはっきりと見えておりませんけれども、屍解仙、もしくはそれに似たような何らかの形で、みんな移行出来るようになるのではないのかなと思います。
日本では、人が亡くなったら火葬をして、骨だけが残ります。それを入れ物に入れて、お墓なり、私たちでいえば富士霊園なりに納めるという形になりますけれども、どういう形であっても、今までの死に方をすると、遺品整理は残された人たちがやってきました。
今もそうしておりますけれども、これから先の世界では、そういうことは無くなってゆくんじゃないのかなと思っています。
終活だとか、家じまいとか、車じまいとか、年賀状じまいとか、仏壇じまいとか、墓じまいとか、いろいろありますけれども、今言ったようなことは、皆さんも結構経験者がいらっしゃって、知っていることだと思うんです。
それとは別に、今の時代に必要なことでありながら、皆さんがあまり気にしていない、もしくはそれがどういう影響を与えるのか考えも及ばないことに、『デジタル遺産』と『デジタル遺品』というものがあります。
デジタル遺産というのは、例えば今どきのネット銀行という新しい銀行は、通帳がないんですね。インターネットでやり取りをして、パスワードを知らないとお金を降ろせない。
亡くなった人がそういうところに貯金を残していた場合に、その情報を家族に伝えていないと、そのお金は遺族に渡らないことになる。
皆さんの中でやっている方は少ないと思うんですけど、暗号資産だとか、PayPayだとかの電子マネーというものもありますね。
そういう情報にアクセスする方法は、何らかの形でメモを取って、ご家族が後々見られるようにしておいた方がいいと思うんです。それがデジタル遺産の話です。
もう一つのデジタル遺品って何かというと、例えばメールですね。Gメールだとか、ヤフーメールだとか、インターネットプロバイダーで作ったメールだとか。あと携帯電話やタブレット、パソコンの中に残した写真の類です。それから人によっては、FacebookだとかInstagramだとかのSNSのアカウントとかもあります。
それと、今どきの何かのサービスの契約の仕方に、サブスクリプション契約という方法があるんです。昔は買い切りで、1回買ったらずっと使えるものだったのが、毎月安い金額を払うことで使いつづけることが出来るというもので、今そういうのが増えてきてますね。
例えばマイクロソフトのOfficeシリーズのWordとかExcelというのは、昔はパソコンを買ったら最初から入っていた、バンドルされて、入っているものだったんです。
昔は『Office』という名前で、Office2003とかOffice2010という名前で販売されていたんですけれども、今は名称が変わって、『Microsoft 365』という名前で、月々千何百円とかを払って使うものになっています。
そういう契約の情報についても、アカウントとパスワード(IDとパスワード)というのは、何らかの形でメモを取って残しておいて、自分に何かあったときに家族がそれを分かるようにしておくことがいい、と私は考えております。
何年か前に、同じマンションで私、相談を受けたんです。それはご主人に先立たれた奥さんからの相談だったんですけど、そのご主人は70歳ちょうどで天国に帰られたんですけれども、ご自分の死期を予測されていたのか、パソコンを開くパスワードだとか、銀行口座のパスワードだとか、そういうのをメモして残してくださっていたらしいんです。
ところが、「携帯電話だけが開けない。携帯電話だけが見ることが出来ない」っておっしゃって、これをなんとか出来ないかという相談を受けて、見られるようにして差し上げたという経験があります。
多分、他人に話せないような内容を携帯電話の中に残していらっしゃる方って、結構多いと思うんですね。他の人にあまり知られたくないような趣味とか。
その奥さんの旦那さんの携帯電話を見られるようにしたときにも、「この方、こういうことを考えていたのか」というようなことがいっぱい残されていて、その奥さんは、旦那さんのことをよりよく知ることができてよかった、というお話をされていたことがありました。
もしも自分が天国へ帰った後、メールの内容だとか、携帯のメモ帳に残した内容だとか、そういうものを他の人に見られたくないと考えられる場合には、まだ意識がはっきりしているうちに、メールのアカウントを削除するとか、メモ帳だとかを全部削除しちゃうのがいいですね。
携帯電話の情報の削除方法で一番簡単なのは、初期化してしまうことです。一括して全部無くせますので、それが一番簡単なやり方です。
でも、「これは見せたくないけど、これは見てもらってもいい」というものがあるんだったら、個別に、これは削除する、これは残す、というような残し方をされたら、ご家族がその人の思い出として共有することができますので、そういうふうになさったらいいのかなと思っております。
今日の夜のプログラムは、順番でいくと本当は『神聖の目で世界を見つめる日』というプログラムだったんですけれども、木曜日に送った案内メールには『特別プログラム』としか書いてなくて、内容は未定と書きました。これについて少しお話しします。
最近、年齢を重ねて、今まで出来ていたことが出来なくなってきた、分かっていたはずのことが分からなくなってきた、物覚えが悪くなってきた、というところで、ご自分に対する自信を失いかけていらっしゃる方とのやりとりが、最近ちょっと増えておりまして、どういうふうにお伝えして差し上げたら、そういう方々が勇気と希望を持って、明るい心で生きてゆけるんだろうな、ということを、ここのところずっと考えていたんです。
何をどうすればいいかという根本は、神聖に還るという、その一言に尽きるんですけれども、神聖に還るためには、やっぱりそれ相当の努力精進が必要になってきます。でも努力精進というと、ひるむ方もいらっしゃる。だから私は、修行とは言わないで、練習という言葉をよく使うんです。
その中でも、自分の神聖開発、本心開発、悟りに至る道、神我一体になるという観点から考えて、私たちに共通していて、みんながやりやすいこととして、今夜のプログラムでは2つの方法をお話ししようと思っています。
「もうすでにやってるよ」という方もいらっしゃるかもしれないし、「まだやってない」という方もいらっしゃるかもしれませんけど、1つ目は、五井先生の歌、白光聖歌にあります『永遠(とわ)の光』を、1番から4番の歌詞まで、歌詞を見ないで歌えるようになることです。いつでもどこでも歌えるようになることです。
あのお歌は、五井先生ご自身が、高橋英雄さんだったか他の職員の人にだったか、「『永遠の光』は、私が作った歌の中で最高傑作だね」というふうなことをおっしゃったことがあるんだそうです。
五井先生は、短歌だとか道の歌だとか、俳句だとか詩だとか、いろいろ残されましたけれども、その中で五井先生ご自身が、『永遠の光』が最高傑作だとおっしゃっています。
1番から4番の歌詞の中には、道を求めるようになった最初の段階から、神聖復活した意識に至るまでが、とてもわかりやすく、シンプルに書かれています。
具体的に何をするんだよ、というふうには書いてないんですけれども、こういうふうになるのがいいね、ということを歌の歌詞として残されています。
(『永遠の光』の歌詞を1番から4番まで目を閉じて読み上げる)
「永遠の光」
一、自然に開く花のごと
時きてめざむ神ごころ
祈りの道は深けれど
やがていのちの泉得む
二、ひとそれぞれの性(さが)のまま
めざすは高き神の庭
導き給うみ使は
天にも地にもおわすなり
三、己が心の和を保ち
ひとひとの幸(さち)ねがう身の
清らなひびき天地(あめつち)に
世界平和の道ひらく
四、きらめく星は空にあり
輝やく知性人にあり
神のみ心地に受けて
永遠(とわ)の光の花咲かす
こうやって声に出して読み上げるだけで、心が洗い浄められるような響きを持っているんですけれども、これをもっと楽しくやるには、メロディーをつけて歌うのがいいですね。『白光聖歌集』は昔はカセットテープで、今はCDになっているのかな。
原曲のキーはEだったと思うんですけど、キーを2つぐらい下げたら、女性の方も男性の方も歌いやすくなるんじゃないかなと思います。今は歌いませんけれども、もしかしたら夜は歌うかもしれません。
もう一つは、この勉強会で何回かお話ししたことがあるんですけど、『本心』という詩を覚えて、いつでもどこでも唱えられるようになることです。『本心』の詩は、私たち全員の命の源、生命の大元の意識が、自分の子どもたちである人類へ向けて語られている内容になります。
ですから、あの詩を何も見ないで、いつでもどこでも思い出して言えるという状態になるその練習が、命の大元と一つになる練習にもなって、それをいつでも唱えられるようになった暁には、命の源の気持ちが自分の気持ちになるんですね。
白光的な言い方をすれば、宇宙神と一体になった心で、大神さまと一体になった心で唱えられるようになるということです。
『本心』の詩はちょっと長いです。ゆっくりとかみしめながら言おうと思ったら、4分、5分かかるんですけれども、あの詩をいつでもどこでも唱えられる私たちであれば、生きていて迷うということは、もう無くなっちゃうと思うんですね。
仮に習慣の想いが出てきて、自分を悩ませるような状態が起こったとしても、すぐに、「そうだそうだ、こうすればいいんだった」という、守護霊と一体になったひらめきが自分の中に起こってきますので、悩む時間が無くなるんです。
悩みが無くなるとは言いません。悩みごとは死ぬ瞬間まで続くと思います。ただ、その悩みに対する対処の仕方が変わります。
今までは、悩みが出てきたら気持ちが暗くなったり重くなったり、挙句の果てに体調まで壊したりしてきたのが、ポッと悩みが出てきた瞬間に、解決をするひらめきや直感がすぐにポンと出てくるので、一瞬で終わるという状態になります。
それは、自分の神聖を現わして生きていると、そういう状態になるということです。もっと具体的に言えば、守護霊と一つになって生きていると、そういう状態になるんです。
私たちの中に根付いているエゴさんというのは、なかなかに手ごわいんです。一筋縄ではいかないんです。1回や2回や3回、『消えてゆく姿で世界平和の祈り』をやったって消えないんです。何回やっても現われてくる。
それは、この地球界で私たちが、一つの霊系統で何百回と生まれ変わっているというようなその霊系統が、みんな2本か3本あるからです。
魂の奥を見てゆくと、例えば2つの霊系統でできている人もいるし、3つの霊系統が入って一人の人間になっている人もいる。
そうすると、何百回×2、×3ということですから、人によっては1000回以上の生まれ変わりをしている人もいる。
そういうたくさんの過去世から今日に至る誤てる想念が、私たちの幽体に溜まっておりますので、「なかなか消えないなあ」ということになるんですね。
「私は40年祈ってるけど、まだ悩みがある」「いやいや、あなた40年ならまだいいわよ。私は60何年祈ってるけど、まだ悩んでるわよ」とか、そういう話になるんです。
でも、自分の神我と一つになると――守護霊・守護神と本当に一つになると――悩みというのは一瞬で終わります。そのためには、やっぱりいつも申し上げますように、「自分って一体何者なんだろうなぁ」というところを、突き詰めて探究してゆくことだと思うんです。
みんな知識では知ってるんです。「はい、神の分霊です」って言える人ばっかりなんです。でも、自分の日常生活の中での言葉・想念・行為に、神の分霊の性質を現わしていますか?って聞かれたら、途端に目をそらすんです。本当にわかるということは、自分に現わしているということなんです。
そのために、『消えてゆく姿で世界平和の祈り』をしたり、『神聖復活の印』を組んだり、『光明思想徹底行』をやったり、『地球世界感謝行』をやったり、それを自分でアレンジして自分なりにやってみたり、いろいろな工夫を凝らしながら、皆さんそれぞれにやっていらっしゃると思うんです。
それでもなかなか自分を変えることが出来ない。神聖だという自覚が、なかなか100%のものにならない。今でも疑いが出てくる。今でもまだ、私はどこかで自分を信じていないって思ってしまう。
それは見方を変えると、私たちひとりひとりの中に、何百回、何千回という過去世を通して積み重ねてきた自己限定の想いが、落ち葉のように積もっているからなんですね。
その自己限定を、私はエゴさんって言っているんですけれども、その自己限定の落ち葉をさらにかき分けて、その奥を見てゆくと、心の奥に自己否定の想いの親玉が寝転がっているんです。
自己否定とは何かと申しますと、「自分ってのは、肉体のこの体が自分であって、弱いものなんだ」「出来ないことがいっぱいあるんだ」「わからないことがいっぱいあるのが当たり前なんだ」「楽して生きたい」「何かをマスターするのに努力はしたくない」とかいう、怠惰な意識です。
それが、私たちに自分の神聖を100%認めさせない大元の原因(元凶)なんですね。
それに関しては、これまでもずっとお話ししてきましたように、『人間と真実の生き方』の冒頭の宣言や、『我即神也』『人類即神也』の宣言文の冒頭の言葉、ああいう「人間は本来こういうものなんだよ」という言葉を、何回も書いて、何回も口に出して、自分のものにするという努力を繰り返してゆきますと、薄れてゆきます。
自己限定を何とかしようと思っても、自己否定を先に薄めておかないと、本来持っている無限なる力を現わすのを妨げる想いが薄れないんです。自己否定が元になって自己限定の想いが出てきているので、自己否定を薄めないと、自己限定が無くならない。
例えば、ご高齢の方の中には、「スマートフォンだとかパソコンだとかタブレットだとか、今時のものは難しいんだよね」とおっしゃる方が多いんですけれども、そういう方全員にお話ししたかどうか忘れましたけれど、「文明の利器というものは、人間が使うために、人間によって作られたもの」なんです。
ですから、使うためのルール、どうやって触ったらどうなるかということですね、それを覚えてしまえば、なんてことなく使えるものです。
例えば、私はiPhoneという携帯電話を使っているんですけど、iPhoneはアメリカのApple社という会社が作っています。
そのApple社がiPhoneを作るにあたって、根底の部分でどう考えているかというと、機械が苦手だとか操作に疎いとかいう人たちも、触ったら直感的に分かるようなものを作りましょう、というのが、これを開発するにあたっての根本的な理念になっております。
もっと深いところのお話をしますと、先ほど、この地球界で何百回、何千回と輪廻転生(生まれ変わり)をしてきたという話をしましたけれども、少なくとも今ここにいらっしゃる皆さま、私たちの過去世は、地球だけじゃないんです。他の星で生きてきた過去世もあるんです。
五井先生のグループの人たちは、金星から地球へ移籍してきたと言われておりますけれども、その金星の前にもいた星があるんです。そのさらに前にもいた星があるんです。
私たちは今は地球にいますけれども、私たちの命がこの宇宙の中で何をやってきたかといいますと、星々を完成させる、大調和の世界にするということをやってきたんです。
いろんな星を完成させてきた実績を持った人たちが、五井先生のグループに集められているんです。
ですから、スマートフォンのようなものは、ここ10年、20年のものだと思っているかもしれませんけれども、私たちはそれに似たようなものを、他の星で何回も扱ってきているんです。
自分自身の神聖を信じ、自分自身に内在する無限なる叡智・能力・力を発揮して生きれば、スマートフォンを操作するぐらいのことは、直感だけで簡単に操作出来るようになります。
それを出来なくしているものは、「無理だ、ダメだ、出来ないんだ」というへこたれた想いの癖なんです。他の星から地球へ移って来て、何回も何回もこの星で生まれ変わりを繰り返してゆくうちに、私たちは宇宙の神霊だった記憶を忘れてしまいました。
忘れるだけだったらいいんですけど、忘れたその上に上書きするように、「自分は出来ないんだ」「自分は力がないんだ」「自分は弱いんだ」「自分は直らないんだ」って、ネガティブな思い込みの上書きをいっぱいしてきたんです。
それが記憶の層に深く根付いてしまっている。だから、ちょっと悩みが解決してすっきりしたと思っても、また次の悩みに苛まれる。人生には、難しいなって思うことがいっぱいあります。
でもだからといって、「難しいな」って思わないようにしなきゃいけない、とは言わないんです。「難しいな」って思ってもいいんです。でもそのすぐ後に、「そうかそうか、神聖だ」って思い出すんです。神聖の側に立つんです。
そのためのアプローチの仕方(取り組み方)は、本当にいろいろなやり方があります。私たち人間はロボットではありませんから、電力を与えれば動くとか、そんな簡単なもんじゃないんですね。また、神聖復活に至る道のりも、ひとりひとりが違う。
本を読んで学んだり、誰かの話から何かヒントをキャッチしようと思ったりするのはいいんですけれども、その道は自分のものなんですね。誰か他人の智慧でも知識でもないんです。自分が切り開くんです。
「そっか、斉藤君はああやって言ってるけど、私はこういうふうにやってみようか」、もしくは「ちょっと騙されたと思って、斉藤君の言った通りやってみようか」とか、人によって考え方は違うと思うんですけれども、それを選択・決断・実行するのは自分なんです。「そんなことしないよ」と思う決断も、自分がするんです。
自己責任において行動する。行動するというのは、人生の道を切り開くことになるんです。いろんなことを頭で思っていても、ジーッとうずくまっていたら何にも変わらないんです。ゆっくりでもいいから歩き出すんです。
よく私が言うのは、2本の足で歩けないと思うんだったら、這って歩けばいい。這って歩く元気もないというんだったら、進行方向に対して体を横に向けて、ゴロゴロゴロゴロって転がってでも前に進めばいいということです。
そんなのみっともないとか格好悪いとか言ってる時代じゃないんです、今は。何が何でも神我一体にならなきゃいけない時代なんです。
世界中の人が神我一体になったときが、世界平和の時代です。でも、いきなりその時代になるなんてことはない。そんなの非現実的だということは、皆さんわかると思います。じゃあどうするのか?
まず、人間の命の本質をわかった人たちが、人類に先駆けて神我一体になってみせるんです。私たちが神我一体になる、悟りを開くというのは、地球を平和・大調和の星にする、世界を平和にする一(いち)プロセスなんです。
それを見て見ぬふりをして、聞いて聞かぬふりをして、「誰かが何とかしてくれるだろう」と思う人が多かったら、地球が平和になる日はかなり遠いと言わざるを得ません。
遠いと言っているうちに、愚かしい地球の人たちは、この星を滅亡させます。そうさせないために、五井の大神が私たちをこの地球に送ったんです。
だから、いつまでもへこたれている場合じゃない。いつまでも勘違いして寄り道している場合じゃないんです。自分の命の源と、今、本当に一つになって生きるときなんですね。
もう1時58分ですので、神聖復活の印をご一緒に一回組んで、休憩に入りたいと思います。
<神聖復活の印を一回>
はい、ありがとうございます。2時11分まで休憩にします。ご自分のビデオをオフにして休憩してください。
<休憩>
それでは時間が過ぎましたので、始めたいと思います。ちょっと動画を一つ見ていただきたいと思います。YouTubeのショート動画なんですけれども、『脳は何歳からでも進化する』という内容です。
(動画を視聴)
この脳細胞の中のシナプスというのは、脳細胞と脳細胞、ニューロンとニューロンをつなぐ役割を持ったものをいうんですけれども、私たちが何かを出来るようになろう、何かを覚えようとするときに、脳の中でニューロンとニューロン、脳細胞と脳細胞がさまざまにつながりを持つことによって、できなかったことが出来るようになったり、わからなかったことがわかるようになったりします。
この脳細胞に関していうと、年齢の制限はないんだそうです。何歳になったからこの働きが無くなるとか、そういうことではないんだそうです。脳というのは、死ぬ瞬間まで働きを保っているということです。
ただ、そうはいっても「認知症になる人がいるじゃないの」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんけれども、認知症になるのは、脳がそうなろうとしてなっているのではなくて、過去世から現在に至る誤てる想念が、物覚えが混濁するという形で現われて、消えてゆく姿です。
ですから、物覚えが悪いというところに焦点を合わせないで、死ぬ瞬間まで好奇心を持ち、向上心を持って努力をし続けて過ごしてゆくことで、脳細胞は今見た動画のように、つながって、つながって、つながってゆく。こことここがつながって、こっちとあっちがつながってというように、さまざまな形で脳細胞と脳細胞をつなげて、できなかったことが出来るようになる、分からなかったことが分かるようになる、といった働きをしております。
私はいつも、「肉体さん、ありがとうございます。細胞さん、ありがとうございます」という感謝を日々しているんですけれども、私たちが心も体も健康に生きてゆく上で、特に体に焦点を合わせてみますと、人体(肉体)全体もまた死ぬ瞬間までいつも新鮮な状態であろう、いつも健全な状態であろうとして、細胞さんたちが働いています。
人間の体の中には、血管の中に血液が流れている。この血液は、心臓がドクンと鼓動する、いわゆるポンプの働きですね、ポンプが押し出すことによって、動脈の中に流れてゆきます。
いろんな臓器を通ったり、腎臓でろ過されたりしながら、太い動脈からだんだん枝分かれした動脈に分かれていって、一番末端の方では、毛細血管として体の隅々にまで血が行き渡ります。
その行き渡る血液は、体中に何を渡しているかというと、栄養分や酸素です。酸素というのは、勉強会で時々お話ししますように、肺の中のブドウの房のような肺胞というところに毛細血管が集まっていて、私たちが吸った酸素を、肺胞に集まっている毛細血管を通して血液の中に取り込んで、体の中を循環させる。
それが心臓の鼓動によって、動脈を通り、枝分かれした血管を通り、毛細血管まで行って、体の隅々にまで、「はい、酸素だよ」「はい、栄養分だよ」「はい、酸素だよ」「はい、栄養分だよ」って配って歩いてます。
その栄養分というのは、腸につながった毛細血管から取り込まれます。腸の中から栄養分を毛細血管で取り込んでいる。逆に、血液の中で「腎臓から出すよりは腸から出した方がいいんじゃないの」と思われるようなものは、腸の中に出される。本当に人間の体ってすごいなって思うんです。
そうやって動脈を流れる血液が毛細血管で末端までいった暁には、今度は折り返して静脈の毛細血管、枝の血管、太い血管というふうに、血が心臓に戻されてゆきます。そうやって血液が循環してるんですけど、この末端までいった毛細血管の、その先にもまた、物語があるんですね。
毛細血管って、ものすごく細い細い血管なんですけれども、そこに数えきれないぐらいの穴が開いてるんだそうです。その穴から漏れ出た液体が、『間質液』という名前で、体の中の細胞と細胞の間で、海でいう海水の働きをしている。
この毛細血管から染み出た液体は何かというと、皆さん、血液検査のときに血を取って、ガラスの縦型の容器に入れて放置しておくと、下に赤い塊ができて、上にちょっと薄い黄色っぽい液体ができた写真を見たことがあるんじゃないかなと思うんですけれども、下の赤い部分は赤血球が主体になった成分、上の薄黄色の透明の液体は血漿(けっしょう)という成分なんだそうです。
この血漿が毛細血管から外へ出て、間質液になる。その毛細血管と間質液があって、そのもっと外側にリンパ管というものが通っていて、その中にも液体が流れている。このリンパ管の中を流れる液体は、間質液から取っている。
元は血管からにじみ出た血漿の成分で、あと栄養分だとかも入っているんですけれども、それがリンパ管の中にあって、リンパ液として体の表面側で体中を流れている。
この間の勉強会で、耳の下あたりにリンパがいっぱいありますよ、と言ったのは、ここにリンパ管が集中しているということなんですね。だから、ここを優しくなでてあげる、もしくは触れてあげるだけで、リンパの流れが良くなる。
リンパの流れは、後ろの頭蓋骨のキワのところも、詰まりやすい場所になっております。ここから首筋ですね。両腕からも来るし、下の方からも来る。
そして体中のリンパ液はどこへ行くかというと、鎖骨をこうやって押したら骨がありますよね、ここの奥にある静脈に戻すんだそうです。元は血液の一成分だからなんですね。
体中のいろいろな要らなくなった細胞を、リンパ管や血管を通して吸収し(集め)て体の外へ出す。具体的には、皮膚の外に垢にして出す、体毛にして出す、爪の成分として出す、髪の毛の成分として出す、汗として出すとか、いろいろな形で体の中の要らなくなった成分を外へ出し、それと同時に新しい細胞が瞬々刻々生まれているんです。
ただ、人体が病気になってくると、新陳代謝の働きがちょっと遅くなるというか、弱くなるということがあります。
でも私たちの場合には、「自分たちは神聖なんだ。だから出来ないことはないんだ。私たちの細胞さんは、いつも健康に新陳代謝してるんだ」と思うことによって、今までの想念習慣で体に対してネガティブな働きかけをしてきたのを打ち消して、体さんに応援のエネルギーを与えて、体中の新陳代謝の働きを整える、促進するということが出来るんです。
自分が出来ると思えば出来るんです。出来ないと思っている人は出来ないんです。
例えば、講師になって、パンパンパンパンってお浄めの柏手をする許可を受けている人もいらっしゃると思うんですけれども、昔、皆さんも読んだことはないでしょうかね。瀨木さんが理事長だった時代に、五井先生に「お浄めの心得を教えてください」と尋ねたことがあったんだそうです。
そのときに五井先生がおっしゃったことは、「自分の手のひらから光が出ていると思うことだよ。光が出ていると思えば光が出てるし、出てないと思えば出ない」という簡単なお答えだったんだそうです。
実際に、ご自分で実感している方もいらっしゃるかもしれないし、まだ実感出来ないわという方もいらっしゃるかもしれないんですけど、世界平和の祈りをしている人たちの手のひらって、すごいんです。ものすごい光が出てるんです。
本当は、平和の祈りをしていない人の手のひらからもエネルギーは出てるんですけれども、世界平和の祈りをしている人たちの手のひらから出るエネルギーというのは、救世の大光明のエネルギーが加味されて出てくる命のエネルギーですので、痛みを和らげたりする力の強い光なんです。
例えば、今私はこうやって画面に向けて手を出してますけど、ここからものすごいエネルギーが出てるんですね。私の場合は、24時間手のひらから光が出てるって、いつも実感している状態なんです。
あまりこういう見えない世界の話をすると、勘違いする人も出てくるかもしれないから、結構避ける傾向があったんですけど、今日はしなさいということなので、やってみます。ただし、こういう場じゃないところではやらないでください。
この場だけでやってください。それだけは今、けっこう厳しい言葉で出て来るんですけど、肝に銘じてください。誰もいないところで一人でやろうなんてしたら、幽界の生物にさらわれます。なので、今この場限定でやってください。
ご自分の手のひらを、ジーッと見てください。こんな具合にして(手のひらを胸の前くらいに置いて)、自分の手のひらを見てください。手のひらを見るというのはどういうことかというと、眼球から出ている光を手のひらにプラスして、手のひらの光を増幅しているんです。
もうこの時点で、手のひらがジンジンしている人がいらっしゃるかもしれないんですけど、そうやって見たら、今度はこうやって向き合わせてください。
15センチか20センチ、顔の幅ぐらいですかね。この時点で、磁石の力のような、引き合うような、引っ張り合うようなエネルギーが感じられている人もいるかもしれないし、まだの人もいるかもしれないですけど、そこで、こうやって、ものすごく近づけたり、30センチ以上離したりするんです。そうすると、今言った磁力のようなエネルギーを感じると思います。
別に色とか見えなくていいんです。何も見えなくていいんです。エネルギーだけ感じれば。こういうふうに、上下に動かしてみるのもいいかもしれません。
そのように横の動きと縦の動きを組み合わせて、自由に、自分のフィーリングのままにやって、「エネルギーが出てるね」って感じていただければ、今日のところは大丈夫です。
私が自分の手のひらのエネルギーに気づいたのは、中学2年生のときだったんです。当時、今もやってるかもしれないですけど、『ドラゴンボール』という漫画があって、「かめはめ波」とか言って、エネルギーを出すのを友達同士の間でやるのが流行ったんです。
その手始めにやったのが、こうやって手のひらをボールのように丸めてそのなかに気の玉を作ることだったんです。その気の玉を、かめはめ波として打つという遊びをやっていたんです。
本当は、そういう力は誰にでもあって、悪いことを考える人は、破壊するようなことに使おうとする人もいるかもしれないですけど、私たちのお仲間の中にはそういう人はいらっしゃらないと思うので、世のため人のために役立つ使い方が出来ると思います。
誰か人さまのためじゃなくても、ご自分の体のために、この力を使ってもいいと思うんです。例えば、肩が痛いなと思ったら、こうやって肩に手を置いてあげる。
揉みほぐすとかもあるんですけど、あんまり強く揉みすぎると、揉み返しといって、逆に痛くなったりするようなことがあるんですね。なので、そんな強く力を入れなくていいんです。例えば、頭が痛いなと思ったら、こうやって頭に手を当ててあげる。
白光でいわれていることは、「お浄めのときには、相手の体にみだりに触れぬこと」とかいう決まりがあったと思うんですけど、今言ったことは、そういう白光のお浄めとは別に考えてください。
ご自分やご家族が幸せになるために、楽になるために使う、エネルギーの使い方だと思ってください。お浄めとは、はっきり区分けして考えてください。
本当はこのように、お浄めという形じゃなくても、誰にでも癒しの力があるんです。こうやって手をかざすだけで、誰でも遠隔ヒーリングが出来るんです。どんなに離れていても、地球の真裏にいる人にでも、このエネルギーは届くんです。
なぜならば、このエネルギーは物質界のエネルギーではなくて、もっと奥の世界のエネルギーだから、この世の時間・空間は関係ないんです。
そういうエネルギーを自由に使えるようになるためには、自分が肉体だという考え方を薄くすることです。そういう旧い想いのクセを守護霊さまに返して、消えてゆく姿にしてしまう。少しずつでいいんです。いっぺんにやろうとしないでいいんです。
徐々に、自分の出来る範囲で、「自分が自分だと思っていたのは本当の自分じゃなかった」ということを自覚する方向に自分を導くんです。肉体が自分じゃなかったんです。命の光が自分だったんです。
もっと命の世界の奥に入っていったら、私たちは宇宙空間そのもの、宇宙そのものにさえもなるんです。
この間の『動画による祈りの会』でちらっとおっしゃってましたけど、合気道の開祖の植芝先生と五井先生が初めて会ったときに、植芝先生が「五井先生、私は宇宙です」とおっしゃって、それに間髪入れず五井先生が「植芝先生、私も宇宙です」とおっしゃったのを、高橋英雄さんや斉藤秀雄さんが見ていた、ということがあったんだそうです。
私たち全員が、本当は宇宙だったというところへ、いつの日か還るときが来るんです。その前に、いろいろな天使や神霊や神々の経験をする。
あるときは天候を司る神になるかもしれない。あるときは動物を司る神になるかもしれない。あるときは大地を司る神になるかもしれない。あるときは月のような衛星を司る神になるかもしれない。あるときは地球のような惑星を司る神――地球霊王さまとか呼んでいますね――になるかもしれない。
あるときは、太陽系の中心にある恒星、太陽の神になるかもしれない。もっと大きな銀河へ移って同じようなことを繰り返すかもしれない。いろんな神の役割を経験しながら、私たちは宇宙の中心へ還ってゆくんです。
五井先生という方は――というか五井の大神さまは――私たちの想像をはるかに超えた超高級神霊です。五井先生は「私たちの宇宙は太陽系だけじゃないんだよ」とおっしゃったことがありましたけれども、少なくとも天の川銀河全体を統括するような宇宙大神霊なんですね。
天の川銀河といっても、どれぐらい広いのかわからない。宇宙全体といったら、もっともっと広いんです。現象的に見れば、この大宇宙の中心の恒星にたどり着くまでにどれぐらいの時間がかかるかわからないんですけれども、心の中では一瞬で行けるんです。
それは、私たちが宇宙神の命のひとしずくを分け与えられて生きている『宇宙神の裔』だからなんです。
今、地球では、宇宙船みたいなものを作って、宇宙の中心とは言わないけど、どこか金星に行ってみようとか、木星に行ってみようとかやってますけれども、例えば、金星の円盤の機長夫人がおっしゃっていたように、「金星の天地というのは、空の彼方にある遠い世界じゃないんですよ。あなた方の心の中に広がる天地なんですよ」とおっしゃってくださったのと、今話した心の奥に繋がって、宇宙の中心と一つにつながることとは、まったく同じ性質の話なんですね。
それを実感するためには、肉体が自分だという想いが、やっぱり足を引っ張る、ネックになってくるんです。だから、毎日・毎時・毎分・毎秒、どうやって肉体が自分だという想いを守護霊さまに返してゆくのかを常に考え、それを行動に移す。
どういうやり方でもいいと思うんです。人それぞれ、個人個人に、ひらめきがご自分の守護霊さまから来ると思うので、それをただ愚直に行動に移してゆく。失敗したからって、がっかりすることもないんです。
失敗したら、次の新しい方法を考えればいいんです。失敗というのは失敗じゃないんです。成功に至るただの道のりに過ぎないんです。
そういう失敗と思しき経験をするのは、必要があるからするのであって、必要のない経験を私たちはしないんですね。なので、自分のやることなすことに対して、失敗というレッテルを貼らないでください。
「完全円満に至るプロセスなんだ」とか、「大調和に至る道のりなんだ」とか、思い方は何でもいいと思うんですけれども、自分を鼓舞して、自分を励まして、自分を力づけて、「そうか、人間というのは、やろうと思えば何だってやれるような力を持った存在だったんだ」ということを、ご自分の体で証明してください。
それが後々、世界人類のために役立ちます。私たちが、「私こういうことをやってるんですよ、こういうことが出来るんですよ」とか宣伝しなくたって、世界人類が私たちの背中を見て追っかけてくるんです。みんな誰でも救世主だって自覚するときが、本当に来てるんですね。
大昔から言われてますよね。「皆さんひとりひとりが救世主だって自覚してやっていけばいいんだよ」というお話も、昭和30年代からされているんですけれども、今までは時が至らず、ひとりひとりが「私も救世主の一人なんだ」とあまり思えないでいたかもしれないんですけれども、これからの時代は、堂々と救世主軍団の一員なんだと思って生きていいと思います。それだけのことを、過去世を含め、積み上げてきたんです。
「積み上げてきたのに実感が薄いのはなぜ?」って思う人もいらっしゃるかもしれないんですけれども、それは、表面的なところで、「自分が何者か」というのを勘違いしている姿に過ぎないんです。
命の奥は、自分が神聖であり、全知全能の存在であることを知ってるんです。誰でもホントは知っているんです。
幽界から先――先というのは奥から見た先ですね――幽界と肉体界の意識だけが勘違いをしている。霊界より奥に入ると、自分が神聖の存在だということは、もう当たり前の事実なんですね。
だから、心の中にこびりついた想いの癖――心の奥にこびりついた思い込みという言い方を私はするんですけれども――それは見方を変えれば、自分の幽体があるところの心の空を覆っている、厚い雨雲みたいなものなんですね。そこの箇所で、宇宙の本源から来ている命の太陽、霊光太陽の光を遮ってしまっているんです。
「雨が降って空が暗いね」っていうときの、どんよりと黒くなった雨雲をイメージしてもらったらわかりやすいと思うんですけど、そういう日は、太陽の光が煌々とは降り注がない。
それと同じような状態が心の中にある場合、私たちは迷いの世界で、苦しみ、悩みに苛まれている状態になるんです。
だから、白光でいうお浄めというのは、そういう雲を晴らして、命の太陽、霊光太陽を、幽体・肉体に直通させる行為なんですね。
でも、誰かにお浄めしてもらって、一時的に心が軽くなったとか、体が柔らかくなったとか、いろいろ感じたとしても、また同じことを多くの人が繰り返すのは、結局、『自分を本当に救えるものは自分しかいない』ということの証明なんですね。
つらいときに、誰かに頼って楽にしてもらうのもいいと思うんです。だけど、それと同時に、自分で自分を育てる。自分の当たり前を神聖にする努力も続ける。
「出来ないのが当たり前」じゃなくて、「神聖だから出来るのが当たり前」にアップデートする、バージョンアップする、自分を進化させる、という取り組み(練習)を、日々瞬々刻々やりながら生活してゆくというのが、とても大切なことになると思います。
最後に、世界平和の祈りの統一を行なって終わりにしたいと思います。今度は8分44秒を使います。では、画面共有します。それでは始めます。
<世界平和の祈り>
ありがとうございます。それでは、本日の勉強会はこれで終わりにしたいと思うんですけれども、手をこうやってエネルギー出したりするのは、絶対に一人ではやらないでください。
自分が完全に神我一体になっていて、幽界の生物にさらわれることはないと思うんだったら、自己責任でやっていただいても構いませんけれども、興味本位の想いにさらわれやすいんですよね。
本当に世界平和のために、世のため人のためにこの力を使いたいという気持ちと、興味本位の想いとして出てくる場合とがあって、一人だとなかなか自分の想いの動きの見分けがつかないんですね。だから、見極めの出来る人が一緒にいないと、あんまりこういうことはやらないほうがいいんです。
もしかしたら、この先もっと応用編に入ることがあるかもしれないですけれども、今日の時点では、どんな人にでもヒーリングの力はあるんだ、自分や他人を癒す力があるんだって、信じるきっかけにしていただけたらいいのかなと思っております。
特別な人なんか必要ないんです、今の時代は。誰かが特別で、私たちは特別じゃないとか、そういう差別する想いが、世界平和を妨げる想いなんです。だから、誰も他人を崇めないでください。自分の神聖を何よりも信じてください。
誰かを崇めるというのは、自己の権能を明け渡すということなんですね。それだけならまだしも、みんな記憶に自己の権能を明け渡している。習慣の想いに自己の権能を明け渡している。だからなかなか変わらない、というジレンマの中にある方が、結構いらっしゃるような気がします。
ご自分の神聖の軸を確立するんです。命の本源とつながるんです。求めるものは、この五感の外にはないんです。自分の命の奥にしかないんです。
なので、誰かが書いた本を読んだり、人の話を聞いたりするのはいいんですけど、求めるべきものは自分の命の根源だと、本心・本体・直霊であると、その奥に宇宙神があるんだというふうに自覚して過ごされるのがいいのかなと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。それでは皆さまのマイクをオンにします。ありがとうございました。
<Byebye タイム>
それでは本日の勉強会、これで終わりにいたします。皆さま、ご参加くださり、ありがとうございました。
以上