260314-動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生・里香先生
【由佳先生】
3月14日の動画による祈りの会にご参加くださいまして、誠にありがとうございます。本日も皆様よろしくお願いいたします。
今、世界の情勢が本当に毎回毎回気になる状況ですけれども、また新しくイランにもっと攻撃するみたいなのを先ほどニュースで見たりしていました。と同時に、3月11日で震災から日本は15年たったということで、皆様もいつもお祈りされてると思うんですけれども、そのときのことを思い返してたんです。
あの出来事の時の昌美先生の言葉が、本当に私自身すごく忘れられない大事にしているのがあります。
震災でどのようなお亡くなられ方をされたとて、ご遺族にとってはその愛する人のご遺体というか状況というか、苦しんだんじゃないかとか、こんな辛い思いをしてて……いろいろ残された方は思われる。未だにまだ行方不明になられている方々も何千人いらっしゃるっていう状況の中で昌美先生がおっしゃられてたのは、この世的にはどんなに最後が辛かったんじゃないかとか、痛んでたんじゃないかとか、苦しかったんじゃないかって残された方は思うかもしれないけど、まったくそんなことはないって昌美先生はおっしゃられています。
その瞬間、ふっと神々様が、守護の神霊がその魂を光で包んでいるから、魂は何にも痛みも悲しみも感じずにあちらに行ってるのよって。肉体ではどういう状況を想像したとて、魂はまったくの痛みも苦しみもなく光に包まれてあちらに行ったのよって。
昌美先生の言葉が当時の私にすごく大きく安心感と喜びを――そうだった、私たちは肉体ではないっていう――与えてくださいました。
いつもいつも昌美先生、五井先生がおっしゃられていることは、私たちの最後というのは、光に包まれながら神々様の元に戻っていくんだっていうことです。
それがその時に、衝撃的に腑に落ちたなというのを思いながら、3.11に対しても、改めてお祈りを捧げておりました。
ごめんなさいね、話が長くなっちゃって。何が言いたかったかというと、本当に私たちは何者であるのかというのを知っているか知らないかで、現状一つ、状況一つに対する見え方、感じ方が異なるということです。
その感じ方の違いを改めて感じながら、すべての人々の命や魂が神聖そのものであるということを信頼している私たち……、私自身も本当にありがたい、ありがたいと思っていました。はい、お二人にお渡しします。
【真妃先生】
皆さん、今日もおはようございます。
本当に世の中を見渡すと、さまざまなところで胸を痛める現象が起きていて、世界を見回さなくても、自分の日常の中でもすごく胸が苦しくなるような出来事ってあると思うんですよね。
けれども、由佳先生がおっしゃったように、神聖を信頼しているということが大切だと思います。
その苦しみや悲しみが目の前に広がった時、「何でこんな状況になっているんだろう」って、「こんなに祈っているのに何でこんな世界は分断が広がっているんだろう」って、「祈りが足りないんじゃないだろうか」って、そうやって自分を責めたり、この現状に対して心を痛めるその想いそのものすらが、その現状を持続させるエネルギーに加担する可能性もあったりするということに気をつけて、神聖の視座から世界を見つめるということが、私にとっての真理の実践です。
大事なことは、目の前に何らかの現状が起きた時に、その現状が消えてゆく姿であるとしっかりと認識することです。
その現象は、『消えてゆく姿』として消していただいている姿であると同時に、そこから新たな平和、新たな次の次元の種が生まれて育とうとしている状態です。
どちらに目を向け、どちらにエネルギーを注ぐのか。(今私はどの意識レベルに立ち世界を見つめているだろうか?)これを見失わないことがすごく大切であると思っています。
なぜ現象が現われれば消えてゆくかというと、私たちの本質が神聖であって、その本質である神聖の強い光によって消えてゆく姿が現れて消えていってるからです。
その二つが同時に存在しているということを知った上で、今この瞬間どちらに自分の意識を向け、どちらにエネルギーを送り、どちらの立場に立ってその出来事を見つめるのかっていう選択肢が、私たち一人一人の中にあります。
大なり小なり起きる様々な選択肢の中にいる自分が揺れ動かなくなった状態で、真理――つまり人間は本来神の分霊であるという――その真理に立脚し世界を見つめ続けてゆくために日頃の祈りがあります。
また、五井先生・昌美先生のご著書を読んで、それを常に自分の中で確認していく作業があります。
そうしているからこそ私たちは、自分の周りに起きる様々な出来事や、世界に起こる様々な出来事の中にあっても、意識の軸である神聖を見失わず、しっかりとした神聖の部分とつながってこの世の中を見つめ、そして新しく神聖復活が起きてゆくことに確信を持って、そこに祈りや印をとおして意識エネルギーを注ぐことができるのです。
この世の中の出来事というのは、これからも色んなことが起きてゆきます。なぜ起きてくるかというと、人類が成長するために、本当に今こそ過去の様々な消えてゆく姿が、消えることができる時が来ているからです。
だからこそ私たちは、こうして「動画による祈りの会」でつながりあって、由佳先生がおっしゃったように、「自分という存在が何者であるのか?」「何のために生きているのか?」「何のために祈っているのか?」を常に自らに問い続け――そうした自己の本質を見失わずに立ち続ける。
このような時代であるからこそ、その強さ(神聖を生きる意識)を持ち続けることが大切だなと思っております。
そして今日、こうして皆様とつながれることが、私にとって自分の中にある神聖とつながり続ける強さをいただける時間だと思っておりますので、今日もぜひぜひ1時間、皆様よろしくお願い申し上げます。
【里香先生】
今の真妃先生のお話は、隣に座って聞いているとすごい響きでした。ワンワンワンワンって、隣に座っているだけですべてがこう……、あらゆる現象が浄まってゆくすごいエネルギーでした。
五井先生じゃないけど、「おー」っていう言霊が全部、汚いものとか現れているものを浄めるのと同じようなすごい響きでした。
【由佳先生】
画面越しでもすごく感じました。これからの1時間が楽しみです。ありがとうございます。
【真妃先生】
ありがとうございます。それでは本日もよろしくお願いします。
<由佳先生による英訳>
【由佳先生】
では、世界平和の祈りの統一を行ないます。よろしくお願いいたします。
<世界平和の祈り・統一>
ありがとうございました。
<五井先生の詩の朗読>
【真妃先生】
皆様、ありがとうございました。それでは、ここからは、今日の特別プログラムに入ってまいりたいと思います。
最初のお話にもありましたように、この世の中は全て消えてゆく姿が現れていると同時に、その奥底には永遠の魂――外の世界がどのように移り変わろうが、その奥には神聖な自分が同時に存在して、現われの世界の変化をジッと見つめています。
それは永遠の命であり、神の分霊そのものの存在であるところの意識です。その二つが、この今という瞬間に同時に存在しているのです。
ですから私たちは、今この瞬間にどちらの世界に自分の身(意識)を置いているかを観察することが大切です。
そうすると、そのどちらもがあって、今移り変わっていくかのように見える世の中を奥の心で見つめていると同時に、見られている側としてそれを体験していることがわかります。
痛みを経験したり、喜びを経験したり、様々な経験をするということにも価値があるし、それを見つめながら、しっかりと意識を揺れ動かさずにいることも大切です。
そのように観てゆきますと、移り変わってゆく世界に翻弄されているのが自分ではないということがわかります。本来の自分というものは揺れ動くことなく、すべてに光を送っている。
そうやっていると、どんな状況であれ神聖な自分が本当の自分であるということを自覚してゆく。移ろい変わっていって、動いていく世界があるからこそ、果てしなく静かで、果てしなく深く穏やかな、本心の自分を自覚することができる。
今日は、皆様と特別プログラムの中でそのことを改めて感じ直してゆきたいと思っております。
私たちの意識が、見る側、見られる側、どちらの世界にあるかを観察してゆくことで、どちらの世界の自分も客観的に見つめることが出来ます。
その力を取り戻してゆくことが、天命を完うしてゆくうえで、とても価値のある大切なことだと思いますので、今日はそのことについて学びを深められたらなと思います。
最初に、五井先生の詩の朗読をさせていただきます。
五井先生が常におっしゃっておられることは、この静寂ということです。五井先生がおっしゃっている静けさとか静寂とか平和、調和とか、そういう場というものは、どこか遠くにある理想の世界ではなくて、常に常に私たち一人一人の心の奥にある大元の世界、命の源にあるということです。
そしてこの静けさというのは、宗教とか文化とか国や民族の違いを超えて、誰の中にも本来備わっているものであるということ。ただ、日常のいろいろな不安とか恐怖がやってくると、その源が覆い被されていってしまって、それが消えてゆく姿だったり、カルマだったり、いろいろな言い方があると思うんですけども、本来の源というものが隠されてしまっていて、自分自身も、そして目の前の人も本来の神聖の姿を見失うことがあります。
そういうときに人間というのは、さまざまなレッテルを貼って見ますよね。お金がある人、ない人、どこの国に属している人、男性、女性、どのような仕事をしている人などのように……そういうレッテルを貼って世界を見ることで、本来の自分の源とつながる力や、他の人の源とつながる力を覆い隠してしまったりすることがあります。
そういうことを改めて理解した上で、この五井先生の詩に耳を傾けていただけたらなと思います。
『祈り』というご著書の中の71ページ、「静寂」という詩になります。
五井昌久著『祈り』より
静寂
今から一体何が生れてくるのか
誰れにも判らないこの静寂
いつ壊れるかも知れない騒音世界の
奥底にあるこのしじま
過去の過去から未来の未来までの
すべてを生みなし育ぐくむ力の根源
大生命の発するところ
空の空のまた空の
無限の深さからくるこのひびき
あゝ何と云う静寂なこころなのであろうか
この静寂から遠ざかつて自ら滅びていつた世界が
この地球界に次々とくりひろげられてきたが
これから現れようとしている世界は
静寂から生れ出でる大光明そのものの世界だ
業の軌道はすでに朽ち果て
この世界から消え去ろうとしている今
どんな形で
次の世界が生れ出でてくるのだろう
静寂の中から生れ出でるひびき
神のみ心が生みなす世界
その世界のための祈り言を
日々捧げつくしている私たち
永遠に朽つることなき大生命の調和音は
この深い深い静寂の中から生れでてくるのだ
どんな人の中にもあるこの静寂。海で言えば、深い深い深い深海……。この世というのは、海の表面の波ですよね。岩に当たったらバーンって弾けていく波だったりとか、天候によってすごく荒れたりとか静かになっていく海の表面っていうものが、現れては消えてゆく世界です。その奥の深いところに、この静寂の世界があるということです。
だから宇宙を全体で見つめれば、静寂の世界だけがあるわけではなく、現れては消えてゆく姿の世界だけでもない。
消えてゆく姿がなくなった世界を望むのではなくて、どちらも存在していて、同時に存在していることに価値があるという見方をしてみてください。
静寂の世界というのは、どこか特別な場所にあるのではなくて、海の深く深くいったところ、つまり私たちが心の奥に深く深く入ったところにあります。
玉ねぎの皮を剥いてゆけば芯があるように、いろんな消えてゆく姿が剥けてゆけば、静寂の世界があります。
祈りというのは、私たちを本来の静けさへと戻してくれます。静けさの中とつながることを可能にしてくれるものだと思います。
そしてこの静けさの中から次の世界を生み出すということが、神聖復活を生み出す行為だと思っています。
ですから今、皆さんがどんなに忙しくても、どんなに幸せな状況にいても不幸な状況にいても、苦しい状況にいても、例えば今YouTubeの動画をクリックしたら、すぐにこの祈りの世界に足を運ぶことができるじゃないですか。
今どこの世界に住んでいても、日常の周りがどんなにうるさくても、レストランの中にいようが、カフェにいようが、どんな場所にいても、「動画による祈りの会」のYouTubeのリンクをクリックしたら、この動画を使った祈りの世界につながる。
このように、静けさの中につながるっていうのは、自分のつながろうという意志を持てば、すぐにつながることができる。
自分の中の静けさも、自分の意志、つながろうという意志を持てば必ずつながることができます。ですから、特別な場ではないということです。常につながっているということです。
しかし、常につながろうとしても、荒波の中にいるとなかなか奥深くにまでつながることができなかったりとか、どこに静けさがあるんだって思ってしまうことがあります。
だけれども、その静けさの中にいる人のそばに身を置いたりする行為が、祈りの場に足を運ぶということだと思うんですよね。
自分がいる場はうるさすぎるときに、それこそ動画の祈りのYouTubeをクリックして、静けさの場を作ろうとしているところに身を置いたり、イベントがあるなしにかかわらず、富士聖地に足を運ぶことによって、静けさの中に身を置くことができる。そうやって常に自分の中の静けさを求めてさえいれば、場を変えることでもつながることが出来ます。
また、そういう場に行かなくても、自分の中に静けさの場をつくることができます。それを知っていただきたいのです。自分の場を変えることによっても静寂の場とつながれることが出来るのです。
究極的には、どんな場にいても、例えば今私がいる場が今、嵐のさなかのような場であったとしても、紛争のど真ん中であっても、その静けさとつながれる方法を知っていて、静けさが常に自分の中にあるということを知っていれば、つながることはできるのです。
でも知っているだけではつながれない。だからこそ練習する必要があるのです。
大変なときにすぐにつながれるようになるためには、大変じゃないときにつながる練習をすることです。
それによって、たとえば海女さんが深く深く海の底へ行くためには、先輩を通してそこに行くことができることを知って、泳ぎの練習をしたりします。それを続けることで、どんな荒波やどんな潜りにくい海でも深く潜ることができるようになります。
だからこそ私は、こうやって2週間に1回、自分がどんな状況にあろうが、忙しかろうが、苦しかろうが、落ち着いていようが、安定していようが、外の状況がどんな状況であれ、とにかく2週間に1回。皆様とつながり合っています。
また、できる方は毎日毎日、自分の中でこの五井先生が語られる静寂、命の源、自分の神聖の源とつながる練習をしていただければと思います。
そこがどんなに静かで、どんなに平和で平穏で光溢れているのかということを確認するんです。
そして、どうしたらそこにつながることができるのだろうかという、その方法を獲得することが、とてもとても大切だというふうに思います。
なので、せっかくなのでこれから5分間、皆様方お一人お一人の中の静けさとつながる時間を作りたいと思います。
この動画の祈りの場は、みんなが一緒にいるわけではありませんが、心の奥深くにある静寂さに意識を鎮めることによって、その響きを様々な場にいる方々と共有したいと思っております。
「今あまりにも苦しくてそこへ行けないよ」という方も、私たちがその場に行くので、私たちとつながることを意識してそこに行ってください。
「静寂の場に入ろう」という発心を起こして、私たちとつながりあうことを通して、自分の中にそこがあることを確認していただけたらと思います。
今から静寂な時間を5分間設けます。その静けさにある時間を過ごす中で、静寂さを1分間ぐらい共有したら、五井先生の「静寂」の詩をもう一度、静かに読ませていただきます。
それによって、五井先生が発する静寂に溢れた響きに浸っていただくと同時に、「世界人類が平和でありますように」という宇宙神のみ心の響きに周波数を合わせていきます。
それは、ラジオの周波数がチャンネルを調整するとすぐ違う番組に行けるように、皆さんの中のラジオの周波数の調整を上手にすることで、この五井先生の響き、世界平和の響きとピッタリ合うように調整する。
この調整をすること自体が、この海の深く深くに戻れる――祈りを通して深く深く存在する静寂につながる、そしてそこに身を置くことになります。
そのようなことを意識しながら、静かな時間を作っていきたいと思います。
それでは静かに目をつむりながら、まずは「世界人類が平和でありますように」のお祈りの言霊をご一緒に唱えたいと思います。
そして、自分のご自身の中にある祈りの波動と波長が一緒のところに身を置く練習をすると同時に、五井先生の「静寂」の言霊の響きと同じ波動に身を置く練習をしてまいります。
それでは、目をつむってください。
<5分間の静寂の時間・世界平和の祈り・五井先生の「静寂」再朗読>
【真妃先生】
ありがとうございます。皆様方の心の中に、どんな静寂が広がっていますでしょうか?
五井先生がおっしゃるように、この静寂の中から生まれ出てくるのが次の世界であり、それが私たちの神聖そのものの世界です。
今、世界ではさまざまな紛争や対立が起きています。多くの罪のない人々が命を失い、家を失い、深い悲しみの中にある。
その現実を見つめ続けながらも、同時に私たちは、心の奥に感じたこの静寂――本来は誰もの心の中に存在する静寂――この静寂の世界から、次の世界を生み出してゆきたいと思っています。
それでは、これから皆様とともに、神聖復活の印を7回組みたいと思います。
この神聖復活の印は、現れては消えてゆく世界を変えようとして組むのではありません。
皆様の中に今感じている――誰の中にもある――この静寂な世界の世界とつながり、この静寂な世界から生まれてくる次の世界を作る光を振り撒くのが神聖復活の印です。そんなお気持ちで組んでいただきたいと思います。
【里香先生】
それでは、神聖復活の印を7回組んでまいります。1回ごとに静寂な時間を持ちますので、その静寂な時間――前の印と次の印の間に持つ静寂な時間――にグーッと意識を運び向けていただいて、7回目まで組んでまいりたいと思います。
<神聖復活の印 7回>
ありがとうございました。静寂そのものでした。
【真妃先生】
皆様方、ありがとうございました。今日は皆様に、こうして静寂の中から世界が生み出されているんだということをお話してきました。
またこうして、神聖復活の印を通して、人間が本来持っている無限なる神聖を引き出すための贈り物も一緒に同時に持ってやってきているんだということを体感していただいたんですけれども、それをね、ウクライナにいるある女の子、私の友達の女の子が、自分の戦争の体験を通してそれを文章にしてくれたんです。
あまりにもそれが、本当に皆様方に常にね、思ってると思うんです――「戦争はなければいい」「消えてゆく姿は起きなければよい」――絶対それは事実なんですよ。
だけど、それが起きたからこそ自分の中に……ジェレミー・ギリーさん、去年五井平和賞を受賞したジェレミー・ギリーさんもおっしゃっていましたが、そういう困難な体験があるからこそ、何が本当に大切なのかに気づくことができる。
そしてその大切なものを大切に守るために、エネルギーを向けることができる。
つまり私たちがさっきお話したなかにあったように、消えてゆく姿の中に目を向けるのではなくて、それが照らしてくれる本当に守りたいもの、本当に大切なもの、本当に創り出したいものに意識を向けて、そこにエネルギーを運ぶ力を与えてくれている。
今回で言えば、静寂、神聖、そんな世界を創りたいことに意識を向けて、そこに力を生み出し、祈りを捧げることができる。
それを言葉でいつも伝えているんですけれども、この女の子がとてもパワフルな原稿を私に届けてくれたので、それをお伝えしたいなと思います。
<ウクライナの少女からのメッセージ>
戦争は画面の向こうの遠い出来事としてではなく、サイレンの音として私のもとにやってきています。その音の後には必ずスマートフォンを確認して、みんなが無事だと返事をしてくれるかどうか確かめています。
夜、廊下に立ち、何が起きているのか完全には理解できないまま、それが現実で近くで起きていて怖いとわかっている。そんな瞬間を経験すると本当に怖い。泣くことすらできず、ただ固まってしまい、兄のことを考え始める。大丈夫だろうか、今どこにいるのだろうか、最後に大切なことを伝えたのはいつだろうか。
これが戦争というものです。今まで見過ごしてきたすべてのことを突然はっきりと意識させられる。
以前の私は日々をほとんど自動的に過ごしていました。学校、スマホ、睡眠、そしてまた同じ繰り返し。周りの人たちはただそこにいる存在で、その意味を深く考えることはありませんでした。でも今は、そのことを絶えず考えるようになりました。
今の生き方は実際にどう変わったか。正直に言うととても大きく変わりました。自分でも驚くほどに。
私は以前より早く人に返信するようになりました。既読のまま長く放置していると、なぜか落ち着かなくなるのです。心のどこかで静かに言うのです。「今、答えて。明日がどうなるかわからないから。」
そしてまた何かのイベントに参加する時も、「また今度やればいい」という言葉は、気づかないうちに腐ってしまうことがあるということを知った今、私にとって気分が乗らなかったり、断っていたことにも積極的に参加するようになりました。
小さなことで争うことも減りました。どうでもいいことで口論になりそうになると、心のどこかがふと止めていきます。本当に大切なことは何かを考えると、予定の行き違いや何気ない一言などは、本当の喪失がどんなものかを知った今ではとても小さく思えるのです。
今では普通の夜の時間にも気づくようになりました。みんなが家にいて、テレビがついていて、誰かが料理をしていて、部屋の隅ではスマホが充電されている。そんな何気ない夜。以前の私はもっと面白い何かが起きるのを待ちながらその時間を過ごしていました。でも今は、ただその時間を心から楽しんでいます。
戦争が私をより良い人間にしたなどと、きれいごとを言うつもりは全くないです。不安になることもあるし、ニュースを見過ぎてしまうこともあります。以前は怖くなかった音が怖くなることもあります。それでもそのすべての奥にあるのは、今この瞬間何が大切か、本当にそれを知っている自分です。
戦争はまだ終わっていません。毎日新しい教訓を突きつけられているようでとても追いつけません。だから私は毎日を、完璧でなくても、できる限り本当に大切なものを大切に生きようとしています。
というふうに彼女は書いてくれました。なので、消えてゆく姿は私たちを苦しめるために起きているのではないということです。
しかし、戦争を肯定しているわけではありません。それはなければいい。絶対なければいい。
けれども、そうした困難な状況が起きているからこそ、私たちの中にあるその新しい世界を創りたいという神聖の心に気づくことができて、そこに力を注ぐことができる。
そしてこうやって、そこに力を注ぐことをしている人たちにエネルギーを送ることができる。
そしてこうやって新しい、今苦しみの中にあろうとも平和を生きようとしている人たちに希望を与えることができる。
彼女はなぜ私にこうやってメッセージをくれるかというと、私たちが見続けている力、平和を創ろうとしている力に、彼女はこの苦しみの中で立ち続ける力を持ち続けることができると感じられたからです。
だからこの15歳の少女も無力の存在ではなく、力を持って生きている存在であります。
そしてその困難の場にいない私たちが支援物資を送ったり、平和を創るエネルギーを送ったりすることが、彼女たちにとって自分の中にある静けさとつながり神聖を感じ続け、生きる力を持続させるエネルギーになっているということです。
そして、「平和な世界は創れるんだ」というエネルギーを、自分たちが自分たちの置かれる場で創り続けることによって同じ場を――その磁場ですよね――静寂の磁場を広げることができるんだということを、ぜひぜひ皆さまの中に感じていただきたいと思います。
静寂にある力は何も起こせない力ではなく、起こす力、創る力であるということを、ぜひぜひ感じていただきたくて、彼女のメッセージを最後に伝えさせていただき、この特別プログラムを終えたいと思います。
今日もご参加いただきありがとうございます。里香先生、由佳先生からも最後一言いただいて、この場を閉じてまいりたいと思います。ありがとうございました。
【里香先生】
本当に真妃先生のパワフルな言霊、お話、そして祈り。その言葉が出るときにはものすごい言霊として現れるのだけれども、そのあいだの隙間に、本当に静けさがそこにあるということを感じとれる。
今のお話もそうだけれども、その余白の部分……、言葉と言葉の間であったり、そういうところが未来を創っているんだなって思うんですよね。
消えてゆく姿は決して現れてほしくないっていう気持ちもあるけれども、それさえも神の働きであるっていうところもポイントですね。
苦しみとかさまざまな形で現れているものが――戦争もそうだけれども――カオスのように見えるなかにでも、静寂はあるっていうところを再確認しました。
そして、一瞬の隙間のあいだに世界平和の祈りをしたり、神聖復活の印を組んだりしたときに、無限なる可能性の中からまたひとつ、その余白の自分が意識した可能性が降りてくる。
常にカオスの中にいながらも、私たちは無限なる可能性っていう静寂との間に身を置いていて、そしてこの現象、おのずと現れおのずと消えてゆく現象のただ中で一瞬、その余白の中で、私たちは無限なる可能性の中から可能性をひとつ選択して、そして未来につなげている。
この静寂がないと、「現れては消えてゆくという現象」の意味を味わえない。静寂があることで、その味わいを味わえる。
そのように意識を意識的に用いることによって、自動的に流されて生きるのではなく、静寂のなか、神聖のなかにある無限なる可能性をひとつ、毎回私たちは選択することができて、次につなげてゆくことができる。
だから、この「消えてゆく姿」というのは、もう神の働きであるということですね。
そのただ中に私たちは無限なる可能性のエネルギーを発して次につないでゆき、次の世代へ繋げてゆく。
その一瞬一瞬をどんな瞬間にするのか。世界平和の祈りをする。神聖復活の印を組む。「神々様のみ心のままになさしめたまえ」という全託の祈りをする。
そのなかから、ポツンと無限なる可能性からすごい光輝く可能性の一粒が降りてくる。
この静寂の働きというのはものすごくパワフルだし、だからこそお話ているときも、そのあいだという時間、呼吸もそうだけれども、その間っていうのはものすごく力がある。無限なる可能性のひとつが詰まっていると思いました。
今日はそれに気づかせていただき、すごく静寂な時間をいただき、ありがとうございました。
【由佳先生】
ありがとうございました。うまく言葉にできないんですけど、印を組むときに、「世界をなんとかしなきゃ」とか「平和にしなきゃ」っていう気持ちで印を組むのではなく、自分自身の静寂の中に戻ってゆき、詩の中にもありましたけど、「静寂の中から生れ出でる響き、神のみ心が生みなす世界、大生命の調和音はこの深い深い静寂の中から生れでてくるのだ」というところをしっかり意識して印を組ませていただいたときに、自分自身の中の静寂とひとつとなって、そこから神のみ心の生み出す世界を、神聖復活の印で生み出すんだって思うだけで、自分自身の印の感覚であったりパワフルさっていうのがすごく違ったなという体感をさせてもらいました。
そして静寂の中にこそ、深い愛と深い赦しが凝縮して詰まってるんだっていうのも、それを通して感じさせてもらえました。
逆に言うと今の現象を見たとて、その現象の奥の静寂に戻ってさえいけば、そこにも同じ深い愛と赦しと神の働きが絶対的に存在していて、それをもとに私たちはひとつであるっていうところをつかむっていうような体験を、今回させていただきました。ありがとうございました。
<お知らせ>
【真妃先生】
それでは、動画による祈りの会はこれにて閉じさせていただきます。皆さん、ありがとうございました。
【お三方】
ありがとうございました。参加してくれてありがとう。
以上