251115(土)午後_神聖開発勉強会

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2025年11月15日(土) 勉強会

○皆様、こんにちは。11月15日、土曜日の勉強会を始めます。始めに、世界平和の祈りをいたしますが、今日はちょっと変わった音声でやりたいと思います。

○昭和37年に五聖者合体という出来事がありましたが、その当日の音声をどなたかがYouTubeに上げてくださっていたんで、その音声を使って統一をしたいと思います。

○お祈りの言葉は、「世界人類が平和でありますように」「日本が平和でありますように」「私たちの天命が完うされますように」「守護霊様・守護神様・五井先生、ありがとうございます」となっております。

○今日は英語はなしで、日本語だけでいきたいと思います。多分、出だしは五井先生ご本人じゃないと思います。「イエス・キリストがやってるんじゃないか」っておっしゃる方もいらっしゃるんですけれども、五井先生ご本人じゃない方が、五井先生に代わって五井先生の口を使って喋ってらっしゃるんですね。

○なので、最後の「守護霊様・守護神様・五井先生、ありがとうございます」までの部分を五井先生ご本人がおっしゃっているという珍しい統一のバージョンになります。それでは始めます。

<世界平和の祈り>

○はい、ありがとうございます。私は今のご霊笛の音を初めて聞いたときに、神界のメロディーの音色なのかなと思って聞いていました。

○それで今日のタイトルは『心の大地を感謝一念の大地にするために』というタイトルなんですけれども、このタイトルのお話は後半になると思います。

○なんでかっていうと、そのもっと前編の学びがあるからなんですね。もっとこの世の表面的な人間関係のなかで、日々の生活のなかでいろんなことをクチャクチャクチャクチャ思いながら生きているっていう、そこの部分を振り返った後に、このタイトルの話に入りますから、多分この話は2時を回ってからになると思います。

○それで、世の中をツラツラツラツラーッと見ていきますと、人と人との関係性っていうのが実に様々で、千差万別なんですね。

○世界中を見渡してみても、同じ関係性で繋がってる人達がどこにもいない。すべての関係性がオンリーワンの関係性なんです。

○それはどういうことになっているかと申しますと、お互いの過去世からの繋がりが今生のご縁になって、この世の人間関係になって現われているからです。

○仏教の言葉に「袖振り合うも多生の縁」という言葉がありますよね。多生っていうのはたくさんの人生という意味ですね。

○極端な例で言いますと、初めて訪れた遠い旅先の町で一瞬すれ違っただけの人とか、人生の中で一度きりしか会わなかったような人とかでさえも、私たちが過去世のどこかで会ったことがある人達だって言うんですね。

○そういう薄いご縁ってのは、次から次へと忘れていって、私達の心をかき乱すことはありませんけれども、もっと何度も何度も何度も何度も過去世の人生のなかで出会いを重ねてきた人達っていうのは、ご近所さんや親戚関係、友人・知人や職場で一緒に働く人々になったりします。さらには、そこから派生して広がるお付き合いのあるすべての人間関係になって現われています。

○記憶にいのちの権能を明け渡してしまった地球の人達の人間感情の側から見ますと、私達はそれぞれのご縁を「いい縁だ」とか「悪い縁だ」とか、「いい人だ」とか「悪い人だ」とかってふうに、勝手に決め付けながらお付き合いしてきました。いいご縁とそうじゃないご縁があるって、勝手に思って生きてきたんです。

○ここで眼を閉じて、深呼吸して、心を落ち着けて、臍下丹田に想いを鎮めて、よーく考えてみてください。周りの人を脳裡に思い浮かべてみてください。利害関係を感じるような人が居る場合は、そういう人を思い浮かべてみてください。居なければ、守護霊様への感謝の想いにひたりながらお聞きください。

○その人は、本当に私達にとっていい人なのでしょうか?こちらが苦手意識を持って見ているあの人は、本当に悪い人なのでしょうか?

○守護霊様が直観で教えてくれます。ひらめいた答えを否定しないでください。第一直観がホントの答えです。

○もう一度聞きます。その人は、本当に私達にとっていい人なのでしょうか?こちらが苦手意識を持って見ているあの人は、本当に悪い人なのでしょうか?

○それは人間たちが勝手に善し悪しを決め付けて、思い込んでるだけだったってことがわかると思います。本当は、すべてのご縁にいいも悪いも無いんです。じゃあ、すべてのご縁は私達にとって何なのでしょうか?

○消えてゆく姿なんです。消えてゆく姿以外の何ものでもないんです。

○けれども、『輪廻転生の在り方』や『因縁因果の原理』や『消えてゆく姿の仕組み』なんかを意識に落とし込まないと、人間は目の前の人間関係に対して、感情想念をグルグルグルグル回転させて、喜んだり悲しんだり、怒ってみたり許してみたり、思いどおりに動いてくれてムッフッフってやったり、自分の思いどおりに動いてくれなくて腹立たしくなったり、悲しくなったり、諦めて絶望してみたり、無理やり相手を変えようと画策してみたり、肉体人間感情ってのは実に忙しいんです。

○特に家族関係、夫婦や親子、二等親くらいまでの人間関係は、私たちの魂を磨く格好の教材になってますけど、私達の自我が強い内は、「ままならない」「思いどおりにならない」「面白くない」「腹立たしい」って感じてしまって、感情想念がこれでもかってくらいにかき乱されるんです。

○今かき乱されるといいましたが、それは表面的な見方でして、さらにその奥の真実の状態を種明かししてしまいますと、私達が他人に対して感じている感情想念というのは、自分の心の中身を映し出す鏡なんです。

○(自他に感じた)感情想念が、“みずから”を“おのずから”に統合してゆくための鏡の役割をしてくれているんです。

○だから私達が周りの誰かに……、それは家族に限りません。「誰々に感情想念がかき乱されたなあ」って感じたなら、その原因は私達自身にあるんです。相手にあるんじゃないんです。相手は悪くないんです。

○これはとても厳しい真理で、心がある程度練り上がった人にしかお伝えできない本当の話です。ですから、今日ここでこの話を聞いたからって、誰にでも簡単にこの話をしないで、心のなかに秘めておいてください。

○心の準備が整ってない人が、自分が感じている感情が本当は間違いだったっていう真実を知ったら、さらに深い感情の沼に溺れて、なかなか立ち直れないっていう状態になりかねないんです。

○今ここにおられる方々は、最低でも霊界の中位くらいに意識があって、ほとんどの方は霊界の上位に意識を置いて生きていらっしゃる方々ですから、このような厳しいまことの理を聞いても受け入れられる方々ですので、このままお話しします。

○もう一度言いますが、私達が「誰々のせいで感情想念がかき乱されたなあ」と感じたとしたなら、その原因は、そう感じた私達自身にあるんです。相手に責任があるんじゃないんです。相手は何も悪くないんです。やられたというこちら側の認識がそのような運命を造ってるんです。

○例えいじめられたとしても、それが行き過ぎて殺されたとしてもです。繰り返しますが、この話は絶対によそではしないでください。まだほとんどの地球の人達は、この話を受け入れられる精神レベルにないからです。

○「人を見て法を説け」という言葉がありますよね。今日ここにおられる方々は、この話を聞いてもエゴさんがうずかない意識レベルの方達なんです。だからこういう、普段なら言わない話をしてるんです。

○「すべては自己責任である。人のせいなどということはないのだ」という真理の話は、昔から言われてきましたが、その具体的な実像については、言及する人はいませんでした。

○それは、道を説いているその人が深い体験をしていないから説けないという場合もありますし、よーくわかってるんだけど、それは本来、一人ひとりの人間が自分の心の中に観てゆく必要のあることで、誰かに教えてもらうようなことではないから、ということでもあります。

○でも今日は話してもよいということなので、私達人間がほかの人に感じているいろんな想いの実態について、いつもより突っ込んで詳しくお話しします。

○自分に原因があるという、その原因をもっと端的にいいますと、心のなかの不調和が根本原因なんです。それをもっと具体的にいえば、被害者と加害者のような、対立関係にある自分達(自分人類)が心のなかに住んでいるということの証明、証しなんです。

○それは、わかりやすく対立している状態ばかりじゃありません。例えば、「これについてはどのようにするのが正しいのだ」という思い込みがあるとしたら、それはそうじゃないことを批判する精神状態になって現われます。

○他の人に感じる想いというのは、そのようにすべてが自分のなかにある何かが映し出されてそう思ってるだけなんです。自分の中に原因のないことは、他人に対しても自分に対しても、何も感じない仕組みになってるんです。それは法則的な話なんです。

○私もエゴさんが今よりも活発にうごめいていた頃に、ずいぶんと「いや、そんなことない。そんなの嘘だ。あの人が悪いんだ。自分は悪くない」って抵抗したんです。それはそれは一生懸命に抵抗したんです。

○抵抗したんですけど、どんなに抵抗しても、どんだけ否定しても、実際に心の中で対立しているたくさんの自分達を、その都度、守護霊・守護神に見せられて、ついには降参して、「わかりました。み心のままになさしめ給え」って、守護霊様の懐に帰る道を選びました。

○そういう心の中の実状を見て見ぬふりして、こういう本当の話にも心の耳を塞いで、聞いても聞かなかったふりをしている場合は、いつまで経ってもその人の消えてゆく姿が果たされないことになります。

○そういう場合の未来がどうなるかといいますと、この世で生きてる間に真理を掴めないままあの世へ行って、死んだ先の世界でその消えてゆく姿を本当に消すための修行の場を経験することになるんです。

○ここにおられる方々のなかには、「私達は五井先生がお迎えに来てくださるから安心だ」って思って、油断してる方もおられるかも知れませんが、本当のことをいえば、生きてる間に為すべきことをやらないで死んだ場合は、死後の世界がすぐには安らかにならないんです。

○確かに、私達があちらの世界へ移行するときには、五井先生が輝かしいあの笑顔でお迎えに来てくださって、いっぱいいっぱい、「畏れ多いです」ってくらいに労ってくださって、いい世界へ一旦は連れて行ってもらえます。

○でも、その五井先生や神々様の歓迎の式典、セレモニーは、私達がこの世でどんなときも世界平和の祈りを祈りつづけ、神聖復活の印を組みつづけ、人類の神聖復活を祈りつづけて、地球に光を振り撒いてくれたことに対する待遇であるだけのことであって、それがすべてじゃあないんです。

○それとは別に、自分自身にしか果たし得ない消えてゆく姿の学びがまだ残っている場合には、その歓迎のセレモニーの後で、ようやく守護神様と二人きりになって、そのときに、例えば私なら「雅晴は肉体界にいたときに、これこれこういうことをやってきたね」とおっしゃって、この世にいたときの想念所業を余すことなく、これでもかってくらいに、映像として見せられるんです。

○そういうときにはもう、ぐうの音も出ないんです。だって、全部身に覚えのあることなんですから。事そのときに至っては、守護神様の権威の前に、さすがのエゴさんも観念するんです。

○その実際の詳しい場面は、村田正雄さんの『霊界通信シリーズ』の本の中に、事細かに書いてあります。あそこに書いてある話は、場合によっては私達の未来の死後すぐに起こるかもしれない話なんですね。

○あの世へ行ってから消えてゆく姿をやり直すのは大変なんです。思っただけで結果がすぐ返ってくるから、反省してる暇もないんです。だから、この世に生きてる間に苦労する方がいいんです。

○この世で消えてゆく姿を全部やり切ってしまえば、あちらの世界へ帰ったときには、余計な修行の場に行かないで、ずっと神界にいられるからです。

○だから、この世で病気したり、人間関係や経済のことで悩んだりすることっていうのは、この世とあの世をとおして俯瞰して観れば、とても有り難い話なんです。

○この世では反省する暇があります。自分をジックリと磨き高め上げる時間が与えられてるんです。そして、何をしても自由なんです。ただし、その責任は自分に返ってきます。

○自分が発した想いの報いを受けることもありますし、自分が発した言葉がブーメランのように返ってきて、苦々しい気持ちになることもあります。自分の過去の行動をそっくりそのまま他人がしてくることもあります。

○私達人間は、多くの場合、痛い目に合わないとわからないんです。でも、もう、そんなのいらなくないですか?そんなことの繰り返しをしなくても、何ごとがあってもなくても、コツコツコツコツと自分を磨き高め上げてゆけば、痛い目に会わないうちに自分を変えることが出来るんです。

○そのためには、「私は変われるんだ」っていう自己認識を育てることが大切です。「なぜ私は変われるのか」ってことを自らに問うんです。普段から自分の心をシッカリと見つめていれば、変われる理由も明確なんです。皆様もおわかりだと思います。私達のいのちは神聖だからです。だから私達は変われるんです。

○そしてそういうふうに、自らを育てる毎日を過ごしていますと、だんだんと「変われることが有り難くて有り難くて仕方がない」という気持ちが湧いてきます。変わるために努力をしない理由がないという気持ちになってきます。「変わってゆくことが嬉しくて嬉しくてしょうがない」という状態になるんです。

○そこへ持ってくまでが大変なんです。死にものぐるいの努力が必要です。でもその段階は、腹をくくるだけで難なく突破できます。自動的に立派になってく流れに乗るんです。エスカレーターやエレベーターみたいに、乗れば自動的にいいところへ行けるという状態になるんです。

○でも多くの地球人は、そこでひるむんです。何故ひるむか?心に負け犬根性が染みついちゃってるんです。

○「年も取ってきたことだし」とか、「私は病気がちだし」とか、「うちはお金がないし」とか、言い訳が山ほどあるんです。

○それは、エゴさんがぬるま湯のような精神状態を心地よいと思ってるからこそ、そう思うのであって、本当の私達、神聖の私達、本心の私達は、「どうせだめなんだ」「やっても無駄だ」というぬるい考え方をしてないんです。

○「やれば出来る」って思ってるんです。どんなことだって、それが自分の天命に適うことなら、それはすべて実現します。

○また、自分がこれからどうなってゆくかということについては、守護の神霊の導きによって、肉体の頭で思ってもいないような運命展開のなかに放り込まれて、思ってもみなかった自分になる場合もあります。

○私の場合はそうでした。人付き合いが苦手で、「内にこもって生きるのが楽だな」って思ってたのに、祈りの会の矢面に立って、こんなことをしている自分を想像もしていませんでした。

○今という時代は、神我一体になるのに、これほど成りやすい時代はないんです。なぜか?霊界の波動圏がオーバーラップして、重なり合った状態で今この瞬間が成り立っているからです。

○私達が肉体だと想っているこの体は、半分は霊体波動の体なんです。心も同じです。霊界・神界の心を生きているんです。

○ですから、今生の人生で自己限定していた自分が、やがて「まるで過去世のことみたいだ」って思える自分になります。

○どんな困難の中にあっても、私達には、(ものごとや出来事を)いいように変えてゆく力がいのちの中に備わってるんです。元々、備わってるのに、そういう所にたどりついた成功体験を積み重ねてないから、自分に力がないと思っていただけなんです。

○ですから私は、人によっては、2010年前後に一年限定で行なったご神事の『小さな成功体験をノートに書き留める』ということを、今この時代にやり直すことをお勧めしています。

○成功体験を積み重ねれば自信が付いてきます。自信を積み重ねれば確信の段階へ入ります。確信を極めてゆけば、神聖が当然であるという意識段階に入ってゆきます。

○そうなりましたら、死ぬ瞬間まで自分の足で行きたいところへ歩いていったり、やりたいことをしたりできる自分に変貌します。歩けなかった足で歩いてみようという意欲が湧いてきます。「やりたいことが自分には出来るんだ。何故なら、神聖だからだ」っていう認識を育てれば、それが可能になるんです。

○医者が不可能だという事態を引き起こすことも可能になるんです。出来なかったことができるようになるんです。そのために守護霊様は、応援の光をいつも注いでくださってるんです。

○でも、守護霊・守護神は、肉体人間に依存はさせないんです。いつもいつもいつも、魂の自立を願われてるんです。魂の自立っていうのは、神聖が復活して神そのものとして生きる神霊に戻ることです。私達は、肉体を持った神霊になるんです。この地球界では、こんなにたくさんの人が同時期に神聖復活した事例は未だかつてないんです。

○それを私達がやるんです。みんなで神我一体になるんです。それが出来るんです。そのために生まれて来たんです。地球の未来は、そのような私達の意識進化にかかってるんです。

○また、地球人類みんなに神聖を思い出してもらうためには、見本・お手本が必要なんです。それが私達です。私達が変われば変わるほど、世界人類が神聖に目覚めてゆきます。そのような未来を共に創ってゆきたいと思います。

○1時57分になりますので、そろそろ休憩に入りたいと思います。神聖復活の印を一回組んで、休憩に入ります。

○祈りの言葉は、「人類の神聖復活、大成就」です。お体がつらい方は座ったままで大丈夫です。立たなくてもいいです。二回繰り返します。

<神聖復活の印を一回>

○はい、ありがとうございます。それでは2時10分まで休憩にします。画面共有をして、これで大丈夫ですね。休憩に入ってください。

<10分間休憩>

○はい、2時10分になりましたので再開します。私この勉強会でお話したことがあるかどうか、ちょっと記憶にないんですけれども、人間っていうのは、50歳を超えてからが、本当に自分を磨き高め上げてゆくのに最適な時期だと思っております。

○自分を磨き高め上げるっていう言葉を違う言い方でいいますと、自分の中の男性性と女性性を統合してゆく、混ぜ合わせて、まん丸な球体を作り上げるイメージですね。

○もっと若いときはそれがデコボコなんです。男性性の方が旺盛に表面に出てたり、逆に女性性の方が旺盛に表面に現われていたり、また男性性の中にも、陰陽、プラスとマイナスがあり、女性性の中にもプラスとマイナスがあって、このバランスが取れている状態が一番いいんですけれども、バランスを崩していると人間性に難があるとか、悩みが多いとか、そういう精神状態になりますね。

○男性性・女性性って言い方すると、表面的な男の人、女の人っていう事と、ちょっと混ぜこぜにしてしまいがちなんですけれども、男性性・女性性という場合は、これは精神的な波動の話になります。

○女性の方々の中にも、男性性があるんです。男性の人達の中にも女性性があるんです。

○若いとき……、そうですね、40代の途中までは、私はそういうことを考えたことがなかったんですね。

○うちの人と一緒になって、初めてそういう話を聞いて、「ああそうだな」と思って、自分の心を点検して、10何年かけて整えてきた、という感じになります。

○男性性と女性性の統合っていうのは、一人でもできるんですけれども、男性と女性が一緒になって生活する……、それは、入籍するしないの話じゃなく、パートナーとして共に生きてゆくということで、お互いのなかの男性性と女性性の統合がより深く進んでゆきます。

○世の中の夫婦でも、結婚はしてないけど一緒に暮らしてるとかそういう方々も含めて、世の中の男女のパートナーシップというのを見てゆきますと、今日の冒頭の話じゃないですけど、実に様々な関係性があるんですね。

○だから「こうじゃなきゃいけない」「こういう関係性じゃなきゃいけない」っていうのはまったくないんで、そういう表面的な「こうあるべき」っていう話をする気持ちはサラサラないんですけれども、心の中の男性性と女性性を統合するっていううえで、男女が共に協力し合って生きてゆくという形は、やっぱり宇宙神がこの人類を作られたうえでの仕組みのようなものなんだろうなということを感じています。

○今の世の中は、男性の体を持って生まれてきてるけど「自分は女性だ」っていう気持ちで生きている人がいたり、女性の体を持って生まれてきたけれども「私は男なんだ」って思って生きている方もいらっしゃって、それは尊重すべきことであるというふうになっております。

○これはプロセスなんで、それがいいとか悪いとか、正しいとか正しくないとか、そういう話じゃないんですね。

○だからやっぱりそういうお気持ちでおられる方に対しては、そのお気持ちを尊重して、接する必要があると思うんですけど、「私、パートナーが欲しいんです」っていう話があるんですね。「今は独り身。でも、一緒に生きてゆく異性のパートナーが欲しい」と。

○もちろんもっと年代が進んで、もう旦那さんを先に見送って「私は今一人で気楽に生きてるわよ」っていう方もいらっしゃるんですけれども、もうちょっと年代が下がっていって、40代、50代の方々からそういう話をちらほらと聞きます。「パートナーが欲しい」と。

○私、そういうお話を聞いたときに、よくお伝えするのは、やっぱり外に求めがちなんですけれども、心の中の男性性と女性性の統合っていうのを気をつけてやってゆくことで、思ってもいない形でパートナーが目の前に現われるということがあるんじゃないかしらと伝えております。

○私自身は、前に言ったかもしれないですけど、女性と一緒に暮らす気持ちが元々サラサラなかったんです。「俺は一人で生きてゆく」って、41歳ぐらいまで、そう思って生きてきたんですね。

○何でかっていうと、それは勉強会で話したかもしれないですけど、小さい頃に親にされたことを40何歳になるまで逆恨みしてたんです。

○だから、あの……、そうですね、今思えば、やっぱり親はまだ若くて、生活に追われて心にゆとりがなくて、子供に当たり散らすこともあったんだと思うんです。

○また、母親が父親の悪口を子供にコンコンコンコンと話す姿を見て、「結婚生活というのは嫌なもんだな」と思った記憶があるんですけれども、それは別に親の問題であって、私の問題じゃないはずなのに、私は親のせいにして生きてきたんです。

○「あの人達の血が流れているんだから、この血は自分の代で絶やさなければいけない。私がもし結婚なんかしたら、あの親と同じことを奥さんや子供達にするに決まってる」って責任転嫁も甚だしいことを41歳まで考えて生きてたんです。本当に真剣に思って生きていたんですね。

○それが、2004年に、それは親だけじゃなく、仕事の人間関係とかいろんな人間関係の中で、私、なんでも他人のせいにする天才だったんですけど、それが「違ってたの?」「自分なの?」「自分に原因があったの?」「自分が悪かったの?」って気が付いたのが、遅まきながら39歳、2004年だったんです。

○そこから私、自分を見つめるっていう作業を始めて、その2年後にうちの人と出逢ったんです。

○そしたら、あれほど頑なに「結婚なんかするもんか。俺は一人で生きてくんだ」って思い込んでた人が、彼女と出逢った瞬間に、考え方が変わっちゃったんです。もう180度変わったんです。

○生まれて初めて「この人と一緒に生きていきたい」っていう気持ちが起こったんです。

○それは、私にとってはものすごいアンビリーバブルな、信じられない出来事でした。私個人にとっては、ですけれども、信じられない変化だったんです。

○だから、「人間ってそういうふうに、どんな頑固な、どんな頑なな人も、そういうふうに一瞬にして変わることがある」っていうことを私は自分のこの体で体験をしました。

○また、ある女性の話ですけれども、人生を共に生きてゆくパートナーが欲しいなって思っていた頃に、その方はそのとき結婚していて、旦那さんのいる身だったそうですけど、でも今の旦那は一生添い遂げるような人じゃないって思えて、「本当に一生を共に生きれて、できれば人類のパートナーシップの見本になるようなお相手を与えてください」って神様にお祈りをしていたそうです。

○その方はそれを思うだけではなくて、声に出して宣言してもいたそうです。そしたら、何年か後に、そういう人が現われた、という話があります。

○だから、「私はもう子供を産める年齢も過ぎたし」とか、そういうことはまったく関係なく、50歳を超えても60歳を超えても70歳を超えても、場合によっては80歳を超えても、そういうパートナーが欲しいなって望めば、必ずそのお相手はこの世に用意されています。

○ソウルメイトって言うんですかね、魂の片割れ。一つの魂が二つに分かれて人間になってる。この世でその人達が出逢うと、とても相性のいい人間関係を築けるっていう場合があるんですね。

○「いやあ、今の旦那はそうは思えないんだけど」っていう方も、もしかしたら消えてゆく姿をやり切った暁には、旦那さんがコロッと変貌して、理想のパートナーになるということもあります。

○だから一概に「どの道を通るのが正しい」って言い方ができないんですね。もう人それぞれのパターンがあるんです。

○でも、そういう望みを諦めなければ、「パートナーが欲しい」って思ってる方は、必ずそういう方がこの世のどこかに生きていらっしゃいますので、楽しみにして過ごしていかれるのがいいんじゃないかなと思っております。

○今日のタイトルの『心の大地を感謝一念の大地にする』ですけど、これはどういうことかと言いますと、『人間と真実の生き方』のなかの冒頭で、「人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである」って、「人間っていうのはこういうものなんだよ」って、バーンと打ち出されてるわけですね。

○その次に、「この世の中のすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現われて消えてゆくときに起こる姿である」と、「人間の悩み・苦しみっていうのはこういうことなんだよ」という説明が書いてあります。

○その後に、「いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得出来るものである」というふうに締めくくられていて、この中で「自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆく」ということが書かれているんですけれども、これがなかなかままならない。

○「私、10年祈ってます」「20年祈ってます」「30年祈ってます」って言って、40年、50年、60年って祈っても、「これはね、こういうふうにやったらいいのよ」って言える人が少ないんです。

○居ないわけじゃないです。居ます。ここで、黙ってお話を聞いてらっしゃる方の中にも、説明できる方は居るんです。

○でも、「自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す」ができないって方が多いんです。やろうとは思ってる。やる気はある。やる気はあるけれど、難しいって思える。

○私もその部類の人間でした。そうですね、私の場合は、守護神様に無理やり矯正されたというか、無理やり直されたというところがあるんです。

○あまりにもわからず屋だったから、「すべての人にありがとうございますと言え」って言われて、実際にやり始めたということで、やって初めて、嫌いな人も苦手な人もいなくなったという経験をして、その後に「これは人だけじゃなくて、いろんなものに感謝したらもっと素晴らしいじゃないか」って思ってやり出したんです。それが2013年以降の話ですね。

○「心の大地を感謝一念の大地にしたらいいんだよ」っていう話が、中から湧いてきたんです。

○これは表面的に言えば、「どんなことにも感謝しましょう」っていう話なんですけれども、それと同時に、「感謝の想いを次元上昇させるといいよ」っていう話も現われてきました。

○私、その話に食いついたんです。「感謝の次元上昇ってなあに?」って。この間、その話をうちの人としてたんですけれど、例えば、目の前のお茶碗に白米がある。

○そうすると、「ご飯さん、ありがとうございます」って、私達、誰でもお祈りして食べると思うんですけれども、この目の前のお茶碗のご飯が自分の目の前に現われるまでのご飯の歴史が浮かんでくるんです。

○スーパーマーケットで買ったんだとしたら、スーパーのお店に並ぶまでの手間に加わった方々がいるんですね。それはスーパーの店員であったり、配送関係の方々であったり、農協の人もいるかも知れない。

〇もっと見ていくと、お米を袋に詰めてくれてる人がいる。その袋を作った人がいる。お米を作った農家の方がいる。

〇お米を作るためには、大地がある。でも大地だけじゃお米はできない。太陽の光がある。風がある。水がある。土の中の養分がある。

〇「そういう自然の成分ってどっから来たんだ?」と思って観てみたら、全部、宇宙神の中から来てるんですよね。

〇だから今、ご飯を例に出しましたけど、こういう携帯電話でも何でも、こういうマウスだって、テレビだって、天井の電灯だって、家だって、道路を舗装してるアスファルトだって何だって、目の前にあるものは全部、それが出来上がるまでの奥行きを突き詰めていくと、すべてが宇宙神のみ心の中に帰っていくんですね。そこに行き当たるんですよ。

〇宇宙神に行き当たらないものは、この世にないですね。私達のこの体だって同じです。「お母さんのお腹の中で十月十日育ててもらって生まれてきた」って人間は言うんですけど、そのお母さんの体を創ったのは誰?親の親。親の親を創ったのは誰?親の親の親。そのひいおばあちゃんを創ったのは誰?さらにその親はって、ずっとさかのぼっていったらば、やっぱり宇宙神にたどり着くんです。

○だから宇宙神、宇宙の大元、いのちの源に感謝するのは、当たり前なんですけれども、そこから派生したすべてのものがこの世の何かになって現われるまでの間に対しても感謝できるという意識になると、それは「感謝の意識の次元上昇が起こった」ということになるんですね。

○そうすると、心の大地の土がどこを掘ってみても感謝しか出てこなくなるんです。

○感謝・感謝・感謝・感謝で、その状態になると、愛することも、赦すことも、認めることも、自由自在に使いこなせる自分に変わっているんです。

○それで、私はやっぱり理屈っぽいんで、考えたんです。「どうしてそんなことになるんだろうな?」って。そうすると、私の心と体は便利に出来ていまして、奥の人達が教えてくれるんです。「それはね、こういうことだよ」って。

○心の大地のどこを掘っても感謝しかでてこないという心の大地が出来上がったら、愛も赦しも認めることも自由自在にできるし、「無理・駄目・できない」がなくなって無限なる力が湧き上がってくる。

○感謝の大地を創っただけなんです。そうしたら、その他のことが全部上手くいく。その他の無限なる性質を自由に使いこなせる自分に変わっていたんです。

○それは、どういうことかというと、感謝一念の意識状態になると、霊体・神体がものすごく広がるからです。大きな魂の大きな人物になるからです。

○例えば私達、この肉体の体を持って生きてると、「私は私、あなたはあなた」となります。「私がいて、誰がいて誰がいて誰がいて……」っていうふうなものの見方、考え方をして生きてますけど、統一の状態、瞑想の状態に入って、心の奥へ奥へ奥へ奥へ、もっと奥へと入ってゆきますと、地球ぐらい余裕で入るような自分がいることが観じられてくるんです。

○どうして観じられるかというと、世界人類が自分の心の中にいるからです。

○昔、五井先生が斎藤秀雄さんって方に、「あのベトナムの爆撃で死んだ子供たちいっぱいいるよね。あれは、あなたの責任だよね」「何々県何々市のどこそこで起こった何ちゃん殺人事件は、あなたの責任だよね」って五井先生に言われて、斎藤秀雄さんが面食らったという話が昔の白光誌にありました。

○斎藤秀雄さんはその時点では、「どうして私の責任なのかわからない」という気持ちで、何故なのかを五井先生に聞いたそうです。

○そしたら「世界平和の祈りっていうのはね、宇宙を創った神様のみ心の中へ入って、その宇宙を創った神様のみ心を自分の心にして祈る祈りなんだよ。この祈りを深く深く深くやり込んでゆけば、宇宙神のみ心が自分の心になるんだよ」という、一般の会員の人にはあまりなさらないお話をされたそうです。

○自分が宇宙神なんだから、この世の中で起こったあらゆる事件や事故の責任が自分にあるということは、宇宙神の側に立てば「そうだよね」って思えるはずなんですね。

○必ずしも今の私達は、100%その意識になってないかも知れないですけれど、少しでも、少しずつでも、その宇宙神そのものの意識に近づいてゆけるように、日々の世界平和の祈りを深く祈りつづけて、世界平和の祈りを極めてゆけたらいいなと思っております。

○心の大地の話に戻りますと、感謝一念の意識になるということは、自分の意識が地球大、太陽系大、宇宙大に広がってゆくということです。

○だから、そういう広がった意識っていうのはもう、神の意識なんですね。そういう神の意識になると、人を愛する、自分を愛する、自分を赦す、人を赦すというのはわけないんです。

○宇宙を統括している立場から観れば、ちっぽけな自分のことなんて簡単にできます。周りの人を赦すっていうことも、その宇宙大の意識からすれば簡単にできます。

○だけど、これは「言うは易く行うは難し」で、何日も何日も、何週間も何週間も、何ヶ月も何ヶ月も、何年も何年も、何十年も何十年もやりつづけて、初めて自分のものになるということでもあります。

○ですけれども、私が2007年の新年の指針で言われたように、「業想念が多すぎる。一生をかけて逆転せよ」って言われましたけれども、実際には、一生かからないで逆転するところまでいったという経緯からしても、そんなに気の遠くなるような年限はかからないと思います。

○ましてや、今2020年代に入ってて、霊的な波がこの世の中にいっぱい入ってきて、私達がとっても変わりやすくなってるんです。

○「神我一体になりやすい時代だ」って最初の方で言いましたけれども、自分を変えるっていうことはもう、「自分が変わるんだ」って腹を決める、腹をくくる、それだけです。それがあるかないかだけなんですね。腹をくくったら難なく変われます。

○「あんまり、斉藤雅晴っていうこの人をケチョンケチョンにけなしてもしょうがない」ってこの奥で言ってるんですけど、私みたいなろくでなしが変われるんですから、皆様みたいな上等な方々が変われないわけがないと思ってます。

○だから、勉強会に出てる方、Zoom祈りの会に出てくださってる方みんながみんな、本当に神我一体になって、一人一人が小さな五井先生として、地球人類をスッと引き上げて、神界の素晴らしい様子を全人類に見せて差し上げたいなって思ってるんです。

○それは、一人でやるんじゃないんです。いっぱいいるんです。何十人、何百人、何千人。まだ何万人にまではいってないかも知れない。でも、何千人の同志の方々が本当に神我一体になったら、それはものすごい力になると思います。

○それで、宇宙の人達がいつ富士聖地に現われるのか。私達一人ひとりの心の中にはもうすでに現われていて、私達には姿も見えない、声も聞こえないけれど、交流して生きているんですね。

○私、時々、「この人は自分で喋ってるって思ってるけど、奥で宇宙の人が喋ってるよね」「守護霊が喋ってるよね」「守護神が喋ってるよね」っていうことをいっぱい経験してます。

○ですから、それは今夜ですかね、今夜の祈りの会でそういう「“見えたり聞こえたりしたらいいな”っていう気持ちなんていらないんだよ」っていう、五井先生のお話を、改めて今夜のリーダーの方に『斉藤秀雄さんのお話』の中から抜粋して読んでいただきますけれども、ちょっと今夜の予習になっちゃいますけど、本当に大事なことは、漏尽通を開発して生きることなんですね。

○五井先生がおっしゃったお話を記憶していらっしゃる方も大勢いらっしゃると思うんですけれど、「漏尽通っていうのは、この世の肉体人間の努力でそうなれるようなものではないんだ。神のみ心を自分の心として生きる練習を極めた人がそうなれるものなんだ。“神の心を自分の心として生きている状態”を漏尽通の境地というんだ」という話があったんです。

○ですから、悟りを開くとか、神我一体になるっていうことと、漏尽通を開発してその境地で生きるということは、私は全部、言葉が違うだけで同じ状態を指しているのだと思っております。

○今夜はそういう神の心を自分の心として、いわゆる神眼、神の眼と書いた神眼を開いた意識状態で、地球世界の様々な自然とか生物に神聖復活の印を組んでゆく時間にいたします。

○今夜は、私は裏方ですけれども、皆様とご一緒にお祈りできることを楽しみにしております。

○最後に、神眼っていうと、この肉眼が次元上昇して、普通だったら見えないものが見えるとか、そういう状態をイメージされると思うんですけれども、五井先生の漏尽通の説明の話からもわかるとおり、「見えたって聞こえたってしょうがないんだ。心が調和して調ってなければ、見えたり聞こえたりする能力のある人が感応する世界っていうのは、地獄界とか幽界とかの低い世界で、そういうところに住んでるろくでもない生物の餌食になるだけなんだ。だから、見えたり聞こえたりするようなことを望むんじゃないよ」っておっしゃり、そういう素質のある人は、五井先生がその人に言わないでその素質を消してくださっていたそうです。

○今の時代は、私達が自分で気をつけて、そういう横道に反れないで神の心を自分の心として生きることが大事です。

○それで、「神眼っていうのは、神の意識なんだ」ってのを思っていただいたら間違いないと思います。ということだけ最後にお伝えして終わりにいたします。

○最後に、神聖復活の印を一緒に組んで終わります。また同じ言葉で行います。

○肩をこうやって動かしてみてください。「よし、印を組むぞ」って思うと、気が付かないで肩肘張ってることがあるんです。思わぬところに力が入ってることがある。首筋に力が入ってるかも知れない。背筋に力が入ってるかも知れない。印を組んでる腕や手指に力が入ってるかも知れない。

○この余計な力を抜くんです。余計な力を抜くと、いのちの源のエネルギーとたくさん交流できる状態になりますので、リラックスした状態で、お尻はキュッと閉じて、足の裏で大地・床・地面・地球を掴んで、背筋を整えて、肩の力を抜いて、顎を少しだけ軽くクッと引いて始めます。

<神聖復活の印を一回>

○はい、ありがとうございました。次回は12月6日の土曜日になります。それでは、皆様のマイクをオンにします。
(※次回勉強会は、12月6日(土)が『動画による祈りの会』になるので、翌日の12月7日(日)午後1時から開催します)

<Bye-byeタイム>

○これで今日の勉強会は終わりにいたします。皆様、ご参加くださりありがとうございました。

以上