I will send the English text later, in a separate email.
2025年11月1日(土) 勉強会
○はい。ごめんなさい。1時回っちゃいました。11月1日土曜日の勉強会を始めます。
○一番最初に「我即神也・成就・人類即神也」で、世界平和のお祈りをしたいと思います。
○「はい」と申し上げるまで目を閉じて、ご無理のない範囲でユックリと息をしながら、「我即神也」で止めて、「成就」、またユックリと吐きながら「人類即神也」とやってください。
○いろいろな呼吸の仕方があるんですけれども、鼻で吸って鼻で吐いてもいいですし、「鼻で吸うのはいいんだけど、長く鼻で吐けないな」って思われる方は、口をすぼめて、唇の真ん中をちょっとだけ開けて、お腹に力を入れてフーッと吐くと、かなり吐く息が長持ちします。
○私の経験上30秒は楽にできます。1分超えることもありますし、2分、3分と吐き続けるときもあります。
○でも、決してご無理はなさらないでください。
○それでは世界平和の祈りの言葉を唱えて、そこから目を閉じて、「はい」という言葉が聞こえるまで心の中でお祈りください。
《世界平和の祈り》
(※このあと、前回同様、マイクオフにしていたのを忘れて話し出し、途中で気が付いてお話をし直した)
○今日のタイトルを今、お見せしたんですけど、『みずからとおのずからの邂逅へ向けて』というタイトルになります。
○何回かぶりにブログの文章を……、これは今日アップロードしたものですけれども、ブログの文章を読ませていただきます。
○そしてこの文章は、11月8日土曜日夜の「神聖で繋がり合う日」のメールの中の文章にもする予定のものです。
○このブログの中の言葉は、親しみのあるフランクな話しかけになってるんですけれども、来週の土曜日夜の『メール前文』にするときには、「ですます調」に換えて、ちょっと堅苦しくして送ります。
○まずは、画面共有をします。ここに出ているとおり、『“みずから”を“おのずから”に溶かし広げて生きるために』というタイトルですね。
○見出しが三つあります。1番目が「いのちの大元と惑星開発に連動する人類意識の進化」。それから2番目が「七つの劫と魂の計画、今生における人類の使命」で、3番目が、「大いなるものと一体化した生き方と神我一体の心境」ですね。
○ちょっと待ってくださいね。大きい画面に映します。はい。それでは、ここから読んでまいります。
“みずから”を“おのずから”に溶かし広げて生きるために
1. いのちの大元と惑星開発に連動する人類意識の進化
宇宙を創ったいのちの大元(はじめの一)を大生命と呼ぶでしょ。
それに対して、その他のすべての生命体は小生命体だね。
その小生命体である人類はみんな、いつかは必ずいのちの源へ帰り着くように、はじめから設計して創られてるんだよ。
その秘密は、惑星の開発とセットで組み込まれている『人類の意識進化プログラム』に示されている。
それをちょっとここで紹介しよう。
1)銀河系内に新しい惑星が出来る(火球状態)
2)【一番波動の粗い次元】
2-A)惑星を大気圏でコーティングして表面温度の沈着を図る
3-A)微生物から生命体の進化創造を図る
4-A)猿のDNAに変化を加え類人猿から人類へ進化させる
【神霊波動の次元】
2-B)地球の神界に他の星から高級神霊が移籍してくる
3-B)各階層に最適化した体を創りながら波動の粗い世界へと降りてゆく。神界、霊界、肉体界というふうに
4-B)他の星からの人類がこれ以上波動を粗くできない波動体(肉体身)をまとい、肉体物質界(この世)へ忽然と現われる
5)移籍人類と土着人類の霊肉共なる混血を図る(移籍人類はこの段階で、宇宙神による惑星開発プログラムの一環として、宇宙神霊時代の記憶を忘れ果ててゆく)
6)波動が粗い世界の開拓が一通り終了する
7)人類意識の神聖(宇宙神霊時代の記憶)を甦らせ、精神・物質波動の次元上昇を図る
8)旧い価値観では立ち行かない、本当の行き詰まりの段階を通る
9)進化した星から物質化して現われた高級神霊による援助を受ける
10)当該惑星の全人類は、さらなる生命の根源との一体化を図ってゆく
2. 七つの劫と魂の計画、今生における人類の使命
細かいプロセスは星によって違うけど、ひとつの惑星の進化ってのは、大筋では今、箇条書きにして表わした段階を経てゆきながら開発・開拓されてくもんなんだ。
ここで見逃してはならないポイントがある。
それはね、「惑星の開発」ってのが、「人類意識の進化向上と連動している」ということだよ。
地球が現状を脱して、真善美に満ちた大調和した世界へ移行するためには、全地球人類が「みずからを動かすいのちのなんたるか」を知り、いのちの源との一体化を図ってゆくことが大切だ。
この話を少し角度を変えてみると、『惑星開発』の奥に秘められた真義が観えて来るね。
それは、宇宙創造意識(生命根源の創造エネルギー)を分け与えられて、星々に在籍するいのちの光の分けみたまたちが、新たに創られた惑星に籍を置いて、その星で最も波動が粗い、これ以上波動を粗くすることが出来ない波動圏に降り立って、そこでみんなで協力し助け合いながら、万難を排してその天地に大調和世界を建設して、その使命を完うして、その先はみずからの心身を宇宙の中心へと還元してゆくその旅路こそが、『人類の進化創造の様子』そのものだってことだよ。
そしてもう一つ知っておいてほしいことは、星の進化ってのはね、どこの星でも大まかに七段階の進化のプロセスを経て完成されてゆく、ということだ。
その観点から観たら、きみたちは今、さっきのプログラムでいえば7番目の段階にあるんだ。
きみたちの現代って時代は、地球の歴史のうえから観れば、7段階目の劫末にあるんだ。
「劫」っていうのは、「4Km四方の石、石というより岩だね、それを百年に一度、天人が柔らかい布でなでて、その石がすり減ってなくなるまでの時間を百回繰り返しても、なお一劫には満たない」といわれるくらい、永い期間のことで、7劫の終わりってことは、最終最後の伸るか反るかの時代だってことだよ。
惑星の開発ってのが、そこまで行かなきゃ完成に至らないことを知ってた神霊時代のきみたちはみんな、金星から地球へ転籍してきたその昔から今日に至るまでの間、阿僧祇劫の時間をかけてみずからを磨き高め上げながら、この最後の進化のときに備えてきたんだ。
そしてきみたちは、今生で赤ちゃんとして誕生する前の世界で、地球世界完成の一助となることを固く誓って、地球での最後の人生として、今この時代を選んで生まれてきたんだよ。
たとえ、これまでの肉体人間としてのきみたちが、そういういのちの真実を忘れて、肉体人生における生老病死の苦しみ悩みにまみれて、カルマ波動を垂れ流しながら生きてきたんだとしても、ときが来た今では、きみたちはみんな、みずからの本質である大生命へと回帰するプログラムを思い出して、神聖を甦らせてゆくことになるんだ。
3. 大いなるものと一体化した生き方と神我一体の心境
これからのきみたちは、家庭生活でも仕事の面でも、文芸や学問・芸術・政治から趣味・嗜好に至るまで、すべての日常で関わる事々との向き合い方が変わってくことになる。
それはね、関わるモノとの一体化を志向して、ソレそのものとして、無為にして無限なる力を発揮する段階へ入ってゆく、ということだよ。
農業にいそしむ人は、大自然と一体化した心境で作物に対して、太陽にも劣らない愛の光を注ぎ込んで、神聖なる作物を供給することができるだろう。
音楽をたしなむ人は、メロディーやリズムの源泉に溶け込んで、音楽そのもの、音楽の化身として歌ったり、演奏したり、作曲したりすることができるようになるだろう。
文筆に携わる人は、言葉の元の世界である「言」の波動圏に心身を浸からせて、半自動書記状態で素晴らしい文章を書くことができるだろう。
工場や作業所で働く人は、その仕事に命をかけて取り組みさえすれば、機械には為し得ない改善案が浮かんだり、職人魂が次元上昇して唯一無二の仕事を成し遂げることができるだろう。
食事をつくる人は、無限なる創造力を発揮して、食材のいのちと一体化した状態で、おいしいオリジナルの料理を次から次へと生み出すことが出来るようになるだろう。
他人との関係性においても、みずからの守護霊と一体化した意識をベースにして、相手の守護霊と一体化した状態でお付き合いすることが出来る。
だから、感情や言動行為の面での行き違いがなくなって、誰とでも調和した運命創造が可能になってゆくよ。
それらすべてのことは、大いなるものと一体化した心境から生まれ出るものだ。
きみが神聖復活を志向しているなら、為すべきことはただ一つ。
神聖のひとしずくたるみずからを、神聖といういのちの大海原に、ポタンッて溶かし込んで生きることだ。
肉体の頭で考える自分なんてモノは、すべていさぎよく守護霊に明け渡して、抱っこひもで抱かれる赤子のように守護霊の懐に潜り込んで、守護霊の意識をみずからの意識として生きることが出来る。
それこそが、悟りの境地とも、神我一体の意識ともいえるものなんだよ。
ここまでの話で判ったでしょ。
神我一体の心境っていうのは、みずからをおのずからに溶け込ませて、おのずから在る大生命の一部としてみずからを生きることだ。
きみにはそれができる。
そのためにこそ、生まれて来たのだからね。
○はい、ありがとうございます。この何週間……、そうですね、前回の勉強会が終わってからだから、2週間……、ずっと私の中のテーマとしてあったのが、『大いなるものと一つになって、自分っていうこの小さな存在を大いなるものの中に溶かし込んで、大いなるものの一部として生きる』というイメージでした。
○そのことがいろいろな例えとか、いろいろな表現で、日々瞬々刻々のひらめきや第一直観として降り続け、受け取り続けていました。
○その内容は、特別な人にしかできない特別なことではなく、神とか仏とか信じてなくても、そういうスピリチュアルな思想がなくても、「俺は神も仏も信じねーよ」っていう人でも、『大いなるものとの一体化』っていうのは、誰にでもできるものなんだよっていうことを、この2週間の間、いろいろな具体例を通して、いのちの奥から教えられ続けてきました。
○その一部が、今読んだブログの文章に現われていますけども、本当はもっとたくさんあるんですね。
○お掃除を通しても神我一体になれるんです。
洗濯することを通しても神我一体になれるんです。
道を歩くことを通しても神我一体になれるんです。
何か勉強することを通しても神我一体になれるんです。
極端な話が、遊ぶことを通しても神我一体になれるんです。
○多くの人間は、自分の好き嫌いだとか、「何が正しい・何が嫌い」という自分の思い込み、こだわり、決めつけによって、「あの人のやってるあれはけしからん」だとか、「自分がやってることはいいことだ」とか「誰は良くないことをやっている」とか、いわゆる批判・非難・評価ってのをしています。
○そういう批判・非難・評価を他人に対してやっている人っていうのは、本当のことを言えば、その人は他人を批判・非難・評価しているようでいながら、実は、自分が自分を愛してない、自分が自分を赦してない、自分が自分を認めていないっていうことなんですね。
○本当は、守護霊・守護神は、そのことに気が付かせるために、いろいろな悶々とした想いを抱かせているんですけれど、地球の人間たちは、その悶々とした感情の渦に入り込んで、その渦を激しくかき回して、そこから抜け出せない精神状態になって苦しんでいる。
○本当は人間が体験することに、悪いことなんか一つもないんです。でも、人間界の常識でもって、「あんなことやっちゃいけないよね」「あんな生き方は正しくないよね」って、テレビや新聞を見てて思うことがあると思うんです。
○それは一介の肉体を持った人間としては、当然表われてくる感情であって、「そう思うことがいけない」とは、守護霊様方は言ってないんです。
○「思ってもいい。思うのは当然だ。ただし、思ったら手放せ!」って言われるんです。その一つの方法が「消えてゆく姿で世界平和の祈り」ですね。
○「消えてゆく姿」っていうのは、私、最近よく言うのは、「手放してゆく姿」なんです。手放せてないんだったら、それは消えていないということです。
○誰かの正しくない行為が「消えてゆく姿」だっていう見方・想い方がありますけども、その誰かの行為が正しいか正しくないかなんて、他人にはわからないんです。
○それを「正しい」だの「正しくない」だの、勝手に決め付けてるんです。それが肉体人間の実態です。
○例えば、誰かを暴力で傷つけたとか、果ては殺してしまったという場合に、「それはよくないことだ」って、私たち普通に思いますけど、それは守護霊・守護神の世界に立って観たら、いいことでも悪いことでもないんです。それは、通るべきただの道のりの一端に過ぎないって言われるんです。
○例えば、東京駅から新富士駅まで新幹線に乗って行きますと、右側の窓側の席に座って景色を眺めていると新富士に着く直前で富士山が見えてきますね。新富士だとピンとこないから、大阪にしましょう。
〇東京・新大阪間で、富士山のところを通ったら、ちょっとの間、富士山が見えてるんですけど、でも新幹線は速いですから、アッという間に通り過ぎて見えなくなります。
○よーく外の景色を観察してると、その土地土地でしか見れないものがありますよね。熱海のあたりから静岡のあたりまでは、左側に太平洋が見えたり、三重県のあたりではなんか遊園地が左手に見えましたっけね。
〇その場そのときしか見えないものがありますけど、それはただただ人類が必要な道のりを歩んでゆくうえで起こっている必然のことであり、一瞬だけ見ている景色に過ぎないっていうことなんですね。
〇人間は自分の運命についても、他人の運命についても、いいとか悪いとか好きだとか嫌いだとか、気に入っただの気に入らないだの、勝手にジャッジするんですけれども、守護霊・守護神の側から見ると、「引っ掛かかりなさんな」って言われるんです。
〇だから「消えてゆく姿」っていう話を聞いてる人たちは、私は幸せな人たちだと思うんですね。
〇「引っ掛からないで手放す」っていうことを、どうしてそうしなきゃいけないのかっていうところから実践に至るまでを、わかりやすく教えてもらってるからです。
〇ただ、わかりやすく教えてもらっても、出来てるか出来てないかは別問題です。それは、本人が本気で『想いの手放し』をやっているかどうかによって変わってくるからです。
○それは言葉を変えれば、本気で守護霊の懐に潜り込んで、守護霊との一体化を目指して生きてきたかどうかによるともいえます。
○「守護霊様・守護神様、ありがとうございます。世界人類が平和でありますように」って、本気でやってきたかやってきてないかによって、今現在、「もう私は手放してるよ」とか、「自分はまだ手放せてないかな」とかって違いになって表われてると思うんです。
○けれども、これもまた「“手放せてるからいい”、“手放せてないから駄目だ”っていう、そんな二元的なことではないんだ。そういう考え方を“浅はか”というんだ」って言われるんです。
〇「人間は、“誰が上だ”とか“誰が下だ”とか、“誰が先だ”とか“誰が後だ”とかグチャグチャグチャグチャ思ってるけれど、そんなの全然大したことじゃないんだよ」って、向こうの上の世界の人たちはみんな口を揃えて言うんです。
○「太陽系では、肉体を持って生きてる地球の人たちだけだよ」ということですね。
〇神聖を甦らせた神眼、神の眼を持ってみれば、「意識進化の時旬が2億年や3億年早くたって遅くたって、そんなの全然大した違いじゃない」って言われるんです。
〇でも、「この身長百何十センチ、体重何十キロのこの体が人間なんだ」「自分なんだ」「私たちなんだ」って思って生きてる人たちは、自分と他人をすぐに比べようとするんです。
〇なので私、数ヶ月前ですかね、もしかしたら1年以上前から言ってるかもしれないですけれども、「Who am I」「自分は何者なんだ」っていう問いかけを毎日、自分にしてみてくださいっていうお話をしております。
〇大抵の場合、そのときに知識で答えるんですね。自分が自分に問うんです。「私は何者だ?」「自分は何者なんだ?」って、一人二役でやるんです。
〇「天と地を繋ぐもの」の中の五井先生が神我一体になる直前の頃の描写に、守護神との問答がありましたね。あれと同じようなことを自分でやるんです。
〇そうすると、まず多くの場合、知識だけで答えます。「はい、神の分霊です」「はい、我即神也のものです」って。
〇そうしたら、さらに自分に問うんです。「あなたはそう言うけれど、本当にそう思ってる?」って。
〇そこで、心の奥底に隠し、押さえ付けて、出て来ないようにしていた“正直な気持ち”が浮かび上がってきます。
〇「いやー、実はあんまり信じてないかも」「あんまり、そうだって思ってないかも」「言葉・想念・行為に神聖を表わしてないよな」っていうふうにです。
○そして、そのときが大事なんです。
〇普通、今までの考え方からすると、私たちはそういうときに、自分を低く見たり、ガッカリしたりしてきたんです。「なーんだ。やっぱり駄目なんじゃないか、自分なんて」ってやる。
○そういう批判・非難・評価をしそうになったら、「私は神なんだ」っていう気持ちでその「出来てないんだ」っていう気持ちを抱きしめてあげてください。
〇肉体の話じゃないです。心の中の話です。自分が自分を抱きしめるんです。
〇そのときに、お説教の言葉はいらないんです。改心させようとか、そういうのは余計なことなんですね。
〇何にも考えないで、ただ自分が愛になるんです。愛の光になるんです。愛の光として、“自分を駄目だと思ってる想い”を抱きしめてあげるんです。
〇そうすると、あんまり他の人が言わない表現なんですけど、その想いが成仏してゆきます。
○私、自分を見ていて思うのは、「人間っていうのは、口で言ってもわかんないよね」「暴力的に変えようとしたら、そりゃあ反動がくるよね」ということです。
○「人間を変えるためには、何が必要なんだろうな?」愛しかないんです。愛になるんです。余計な考えはいらないんです。愛の光そのものとして生きるんです。
○そういう自分問答というか、心の中の自分との問答を通して、私たちは自分を深く見つめ、深めることが自然とできるようになります。
〇はい、1時53分を回りましたので、印を組んで休憩にしたいと思います。言葉はいつも通りです。「人類の神聖復活、大成就」です。
○私たち、こうやって印を組むときに、それがたとえたった1回の印でも、宇宙究極の光を一人一人が自分で降ろしていることになりますので、その気持ちを味わいながら印を組みたいと思います。
《神聖復活の印を一回》
○ありがとうございます。それでは画面を変えて、私をスポットライト状態にして、2時10分まで休憩にいたします。皆様の姿は映らないようになってると思います。でも心配な方はビデオをオフにして休憩に入ってください。
《10分間休憩》
〇はい。それでは10分になりましたので再開します。
〇先ほども申し上げたんですけれども、大いなるものと一つになる。みずからとおのずから一体化させて生きるっていうことは、地球上で生きている人間、誰にでもできることなんですね。
〇スピリチュアルな思想を持ってなければ、そういうことはできないとか、そういう問題ではないんです。
〇神も仏も信じないって言ってる人でも、大いなるものと一体化して生きている人はいます。
〇人間たちが神とか仏とか言っている神界の存在の側に自分を置いて考えると、今言った話がよくわかります。神々、神霊の方々、宇宙人もそうですね。
〇あちらの世界の方々は、「宗教信仰があるからこの子はいい子だ」とか、「宗教信仰がないから駄目だ」とか、宗教じゃなくても、「スピリチュアルのことに興味を持っているからいい」とか、「興味を持ってないから駄目だ」とか、そういうことは神々はまったく考えてないんです。
○なぜならば、そんなことは、大いなるものと一つになって生きることに、みずからとおのずからを統合して生きることに関係ないからです。
〇そうであるのに、スピリチュアルな思想を持ってる人、宗教信仰を持ってる人たちは、自分たちは正しくて、自分たちと違う考え方の人は正しくないという、分け隔てした考え方をしてる人がとっても多いんです。
〇人に対して口では言わなくても、心の中で優越感を抱いて生きてる人が多いんです。
〇私はそういう人たちは、何々原理主義者っていう、いわゆるイスラム原理主義みたいな、そういう人たちと一緒だと思っています。
〇たとえその思想やその団体が、平和とか愛とか調和とか、まっとうなことを標榜していたとしても、そこに名を連ねる人々が、自分と他人を分け隔てし、差別し、上下で見るってことをやってる姿を神様の世界から見てみてください。
〇これは「とっても残念」とは言わないんですね。向こうの人たちは、「残念だ」とは言わないんですよ。「まだまだだね」と思って見てるんです。
〇肉体界に近い霊人の世界ぐらいになると、「何やってんだ、うちの子孫は」って見てるんですね。その霊人もまた、批判・非難・評価してる同じ穴のムジナです。
〇だから私たちは、肉体界・幽界・霊界を卒業して神界に入らないと、まっとうな神聖人類として生きられないですね。
○これについては、私たちはできるんです。この世に、この肉体、この体を持って生きてる間にみんな神聖の世界に入ります。なぜなら、そのために生まれてきてるからです。
〇私たちが今回の人生、いわゆる地球界での最後のこの人生をどう生きるかっていうことは、もう地球へ来たときからわかっていたことなんです。ただ、忘れていただけです。
〇こう言うと、「早く思い出せないかな」とか、「なんで忘れちゃったんだろうな」とか、そういう想いを抱かれる方がいるんですけど、さっきのブログの話にもありましたけど、忘れることは最初から『宇宙神のプログラム』に組み込まれていたことなんですね。
〇神聖であることを忘れて、泥と汗にまみれてこの世の開拓をする必要があった、ということです。
○でも、もう2000年代に入って以降、私たちはそういうことをする必要はなくなった。神聖をみずからの存在に、想念・言葉・行為に顕わして生きてゆける時代になったんです。
〇それは、そういうふうに生きようっていう気持ちが、私たちの場合は自然と湧いてきたと思います。皆さんもそうだと思います。
〇ただ、その神聖の存在そのものになってるかどうか、表から見ても裏から見ても、名実ともに神聖の存在になってる、なってないっていうのは、やっぱり時間差があるんですね。
〇それは人によって数ヶ月でそうなる人もいれば、もっと時間がかかって何年もかかる人もいる。3年、5年、10年、20年、30年、40年、50年、60年って時間がかかることもあります。
〇でも何回も言いますけど、神界から見たら、この世の数十年なんて本当に微々たる時間なんです。一瞬なんです。
〇人間にとっての何十年って言ったら、これは長く感じますよね。50年前と言ったら昭和50年ですか。
〇今、この2025年から昭和50年、1975年を思い出すと、もうそんなに経ったんだっていう感じじゃないかなと思うんです。
〇あの神々っていうとやっぱり漠然と感じると思うんで、神とか神霊とかいうときには、守護霊様を思い浮かべていただくと、それが一番わかりやすいんじゃないかなと思うんです。
〇なんでかというと、守護霊様っていうのは、私たちのバックにずっとくっついて一緒にいてくださる神霊なんです。一番身近にいる神なんです。
〇前回も言いましたけど、守護霊って「霊」とつくから神じゃないだろうと思ったら、さにあらずなんですね。神霊なんです。
〇その守護霊の懐に潜り込むっていうことは、例えばおんぶ紐、抱っこ紐で赤ちゃん抱きながら歩いている若いお父さん・お母さんがいますけれども、自分の側に、親の側に赤ちゃんの顔を向けて抱く抱き方と、例えば遊園地なんか行って、子供に前の景色を見せてあげたいっていうときには、赤ちゃんの背中が自分にくっつく形で、赤ちゃんにも前を見せてあげるような抱き方をする抱っこ紐の結び方があると思うんですけれども、私たちが守護霊の懐に潜り込むっていうのは、そういうふうに前を向いて守護霊に抱かれているイメージです。
〇動物で言ったら、カンガルーの赤ちゃんがお母さんのおなかの袋に入ってちょこんと顔を出しているような状態をイメージしていただいたらいいのかなって思うんですけれども、とにかく四六時中、一緒にいる神霊が守護霊なんですね。
〇その四六時中を一緒に過ごしている神であり、神霊である守護霊と意識を合わせて生きる練習をしてゆきますと、前回も申し上げましたけれども、「私が語る言葉は守護霊の言葉であり、私が発する想念は守護霊の想念であり、私が表す行為が守護霊の行為である」ということが、「当たり前だよね」って思える自分になるんです。
〇「守護霊と自分が離れていないっていうことが、安心して生きてゆける一番の秘訣じゃないのかしら」って、私は思っております。
〇それを自覚して一体化してる人と、自覚しないで一体化して生きてる方がいらっしゃるんですけれども、そんなのどっちでもいいよっていう話です。人間ってすぐ批判・非難・評価・差別するんですね。
〇「自覚できてる人はいいな。自分は自覚できない」とかって思うんですけど、大切なことは守護霊と一つになって、一つ心で生きることなんです。
〇それ以外のことは、どうでもいいことなんですね。だから、どうでもいいことに頭を使わないということが大切なことになります。
〇人間が経験する体験というのは、「いい」とか「悪い」とか単純に言えるものじゃないんだ、という話をさっきしましたけれども、何で人間は好きだの嫌いだの、いいだの悪いだのって思慮分別を働かせて、悶々として悩むのでしょう?
〇そのことが自分の心を見つめてハッキリとわかると、そういう繰り返しの人生を卒業することができます。
〇なぜ悩むのか。人間が体験することには、いい体験も悪い体験もないんです。全部、必要・必然・パーフェクトな経験をしているだけなんです。
〇そうでありながら、自分の肉体の頭で「嬉しかった」とか「嫌だった」とか思うんです。なんで人間はそういうふうに思うんでしょう?
〇これを一般論として考えないでください。自分のこととして考えてください。自分を紐解けない人は他人もわからないんです。逆に言えば、自分を紐解ける人は、人のこともよくわかるんです。
〇どうして人間は悩むのか?
〇もちろん悩むって一言で言っても、悩みの程度が濃い人と薄い人がいらっしゃいますけれども、多かれ少なかれ人間は悩みながら生きています。
〇男の人でも女の人でも、若くても歳を取っていても同じです。みんな変わりません。悩んで生きてるんです。程度の違いがあるだけです。
○その悩みによって、自分を病気にする人もいれば、家族を暗い想いにさせる人もいれば、いろんな状況がありますけれども、たとえ自分たちがどういう状況にあったとしても、それは必要な経験をしてるだけなんです。
〇なのに、いいとか悪いとか好きだとか嫌いだとか思ってしまう。このループ(繰り返し)を抜け出せないと、地球人間たちは神聖復活できないんです。
〇神聖復活するためには、みずからを知ることなんです。
〇「人間と真実の生き方」の冒頭では、「人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである」っていう人間本来のあり方が短い言葉で、バーンと打ち出されています。
〇その後に、「この世の中のすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念がその運命と現われて消えてゆくときに起こる姿である」と書いてあります。
〇これを素直に、そうなんだって思えたら悩まないはずなんです。だけど、現実問題としては、「30年祈り続けてきました」「40年祈り続けてきました」「50年祈り続けてきました」「60年祈り続けてきました」という方々の中にも、まだ悩みの中にいらっしゃる方がいっぱいいらっしゃるんです。
〇「人間と真実の生き方」の中に書いてある、あの言葉を自分に落とし込んで、自分の生き方そのものにまで高め上げた、深め上げた方は、今、幸せな精神状態で生きておられると思います。
〇私は現実にそういう方を、たくさん知っています。みんな異口同音に「もうありがたくてしょうがない」とか、「もう幸せで幸せで幸せで」って言うんです。
〇そしてその言葉に嘘がないんです。私、嘘がわかるんです。嘘の言葉って、すごーくうさん臭いにおいがするんです。
〇でも私にそうやって語ってくださる方々は、本当にすべてを卒業して「幸せで幸せでしょうがない」「もう感謝しかない」っていう意識で生きておられます。
〇さっき、「“みずからとおのずからを一つにして生きること”がこの2週間のテーマだった」っていうことを言いましたけれども、この2週間にもう一つテーマがありまして、それは再確認という意味での内容なんです。
○心の中がこの世のような天地だと想像してみてください。実際に心の中に天地があるんです。いわゆる世界が心の中にあるんです。その心の大地を、感謝一念の大地にする。
〇心の大地のどこを掘り起こしてみても、感謝の土しか出てこないっていう自分を育てるということです。
〇そのためには、四六時中「守護霊様ありがとうございます」って言いながら暮らすことはもちろんなんですけど、“どんなことにも感謝する”、“どんな人にも感謝する”っていうことを意識的にやる。本当に命をかけて、最低3週間やり込んだ方は、もうすでに変わっておられると思います。
〇だけど、ある方が私に話してくださったんですけど、「やろうと思うんだけど長続きしないのよね」って言うんですね。「長続きしないから、どうしたもんだろう」と。
○これは、「私は本当に神聖復活したいのだ」というふうに腹をくくるしかないんです。腹をくくっている人は、本当にやります。
○四六時中「ありがとう、ありがとう」で過ごす。「ありがたいな、ありがたいな」って思って過ごす。そのように思いながら過ごす練習ですね。もう練習だと思えばいいんです。
〇私、この勉強会でもう何度も何度も申し上げているんで、2023年から参加してらっしゃる方は、「もう聞き飽きたよ、斉藤くん」って思うかも知らないんですけど、私の2007年の新年の指針が、「業想念が多すぎる。一生をかけて逆転せよ」と書いてあったんです。
○それはまったく図星でたいそうショックを受けて、3年ぐらいウジウジしながら過ごしてたら、守護神様が「辛抱たまらん」っていう状態でお出ましになって、「すべての人にありがとうございますと言え。もう一つ。起きている間中の呼吸をユックリしろ」って言われました。
〇そのとき……、まだ当時2010年頃の私はひねくれてましたんで、口答えをしたんですね。
〇「呼吸をユックリするのは得意だからできます。でも、すべての人にありがとうございますっていうのは、嫌いなあの人とかあの人とか、誰とか誰とか誰とか、苦手な誰とか誰とか誰とか誰とかに“ありがとうございます”だなんて、口が裂けても言えないからできません」って返したんです。
〇そしたら、雷を落とされちゃったんですね。「つべこべ言わずにやれ!」って言われて、その後に優しい言葉で慰められました。
〇「心の中で、“なんでこんなやつにありがとうございますなんて言わなきゃいけねえんだよ”って毒づいていてもいいから、顔はにこやかに、声は柔らかく、“ありがとうございます”ってやってごらんなさい」って言われました。
〇当時の私はひねくれてるわりに、単純だったのか素直だったのか、「心の中で思ってることと、表に表わすことが違ってもいいんだったら、自分にもできるな」って思ってやり始めました。
〇それで、実際に嫌いな人や苦手な人がいなくなったって気がついたのが、2013年でした。3年ぐらい後ですかね。
〇でも、私の魂の学びはそれで終わりじゃなくって、まず2000ゼロ年代ぐらいの記憶で、富士聖地へ行くバスの中で、お姉さま・お母さま会員の方々から、「あなた、昭和の頃からお祈りしていて、どうして講師にならないの?」って結構言われていたんです。
〇そのときに、やっぱり当時の私はとんがってますから「何言ってんですか。講師の人たち、見てくださいよ。ろくな人いないじゃないですか。あんなんだったら、講師なんかならなくていいですよ」みたいなへらず口を叩いていたんですね。
〇まさに自分の頭上に唾を吐いて、その吐いた唾が自分の頭にかかってるような状態です。他人のことを言ってるようで、自分のことを言ってたんですね。
〇そういう状態だったんですけど、2017年かその前年ぐらいかに、ようやっと「もう講師になっていいかな」って思って、2017年に講師養成を受けたんです。
〇2017年の12月10日だったと記憶してるんですけど、講師養成の卒業式のときに昌美先生がいらして、1人1人の頭に手を当ててくださって、光を入れてくださったんですね。
〇でも、口では「皆さんのエネルギーを吸い取らせていただきました」って仰ってたんですけど、でも、実際は光を入れてくださっていたのだと思います。
〇そのときに仰っていたのは、「いいですか、あなた方。よーく覚えておいてください。あなた方は神聖復活した講師の第1号ですよ」っていう話がありました。
〇その後、2018年9月に中澤さんが「Zoom緊急祈りの会」というのをピースレターで告知して始められました。
〇私、その前に中澤さんがスカイプで何かやってたのは知ってたんですけど、全然興味がなくてスルーしてたんですけれども、この「Zoom緊急祈りの会」ってのは、なぜか「これは出なきゃいけない」って思って、そこから何か毎日参加するようになって、中澤さんが毎日同じところでZoomの操作に戸惑ってらっしゃるのを見て、「こういうふうにすればいいのにな」って思って見てたんだけど、何日経っても同じことを繰り返されていたんで、私メールで「これこれこういうふうにやったらいいと思います」って送ったのが、お手伝いが始まるきっかけでした。
〇またその年、中澤さんがヤフーの無料ホームページサービスでホームページ作ってたんですけど、それがヤフーが無料サービスをやめるっていうことになって、「もったいないですね」っていう話で「私、自分でブログやってるからそこにホームページを移しませんか?」って話して、2018年の間は、もう中澤さん天に帰られたんで今はないですけど、「白富士のホームページ」を作ってました。
〇その年2018年、中澤さんから何回も「Zoomで皆さんに斉藤さんのことを紹介したいんだけど」って言われたんだけど、「私は恥ずかしいからいいです」って返していました。
〇でもその2018年の12月から翌年1月にかけて、中澤さんがコンコンコンコンとお咳が止まらない状態になって、私、電話で中澤さんとお話したときに、「どなたか研究員の方で代わりにリーダーやってくださって、中澤さんを休ませてくださる方、いらっしゃらないんですか?」って聞きました。
〇当時は自分が表に出て、代わりにやるなんていう発想がサラサラなかったんですね。自分は表に出る人間じゃない、裏方が性に合ってる人間だって思い込んでいたんです。
〇なので、「研究員の方でいないですか」って聞いたら「じゃあちょっと聞いてみるよ」って言って、その日から怒涛の「断られました」メールが中澤さんから届くようになりました。
〇「断られました」「断られました」「また断られました」「また断られました」っていうメールが続いたんです。
〇私はこれはさすがに何回も続くと、「自分に話が回ってくるかもしれない」と思って覚悟を決めていたら、2019年1月の終わりの27日、私の平日の仕事の昼休みにZoomを使ってテレビ電話みたいにして中澤さんとお話したときに、「もう斉藤さんしかいないから、よろしくお願いします」って言われて覚悟してたんで「はい、わかりました」って間髪入れずに答えたんです。
〇うちの人に「本当に大丈夫なの?」って後から言われましたけれど、私はただ自分が出たいなんていう、表に出たいなんていう気持ちはまったくなくて、ただ「中澤さんに休んでいただきたい」っていう気持ちだけで、2月に入ってからですかね、19年の2月だったと思いますけど、皆さんの前で印のリーダーを初めてやりました。
〇もうこの話も何回したか知らないんですけど、もう初めて人前で印を組むときに、私そんなことやったことないんでものすごく緊張して、もう膝がこれでもかっていうぐらい震えたんですね。
〇もう膝の震えが30分間止まらない状態で立っていたんです。たぶんその当時出てた方は、みんな気が付いて見てたと思うんです。
〇全国のお姉さま・お母様方から励ましの応援メールをいっぱいいただきました。
〇その励ましや応援メールのおかげで、3回目か4回目か忘れましたけど、何回かやったぐらいから、おかげさまで膝が震えなくなって、印のリーダーができるようになりました。
〇でもこれは表面的な話で、中澤さんのお手伝いをするっていうことには、守護霊様同士の交流が事前にあったんです。
〇これは私、後からわかったんですけど、「Zoom緊急祈りの会」が始まる何ヶ月か前に、霊体の私は守護霊・守護神に連れられて、中澤さんの守護霊・守護神のところへ行って、私の守護霊様が中澤さん側の守護霊・守護神様に説明をされました。
〇「うちの子は、“五井先生・昌美先生にだけ繋がってさえいればいい。白光本部の行事にさえ出ていればいい。法友なんていらない。集会に出るなんてもってのほかだ”という偏った考えの持ち主で、これから本当に神聖復活の時代が来るのに、この子はこのままではちっとも役に立たないから、一つあなたのところで鍛えてやってください」っていうことで、守護霊・守護神が頭を下げ、私も頭を下げっていうやり取りがありました。
〇それがこの世では、「中澤さんのお手伝いをしよう」っていう気持ちになって現われたんですね。その後、「鍛えてやってください」の意味がわかりました。いきなり100人以上の人とやり取りが始まったんですね。
〇ひっそりと物陰で過ごしていた人が、何か表通りに引きずり出されたような感覚が最初はあったんですけど、それで、いろんな方との交流がメールなり、電話なり、実際に会うなり、いろいろあったんですけれども、人間関係で揉まれたんですね、また改めて。
〇別に誰かを好きとか嫌いとか思っていないつもりだったのに、「この人嫌だな」って思うような人が現われたりして揉まれました。2020年の春がピークだったと思います。そのときに、一番激しい人間関係の問題が集中しました。
○皆さん、会員なんですよ。「会員さんなのに、どうして……」って思うようなことがあって、私の心の中に批判・非難・評価の嵐が吹き荒れたんです。
〇「どうしたもんだろうな」って思ったときに、ふと20代前半に聞いた五井先生の話を思い出しました。
〇「人のせいなんてありゃしないんだ。それをなんだ!人のせいにばかりして!」っていう、老子さまが前面に現われていたときのお話でした。
〇昭和37年か38年か、厳しいお話を連発されていた時代の話だと思います。私はそのお話のテープに『自分事の真理』っていう名前をつけて、若いときにたいそう気に入ってたんですね。それを思い出したんです。
〇「そうか、そうか。人のせいじゃないんだな。自分に原因があるんだな」と思って、自分の心の中を深―く観てゆきました。奥へ入れば入るほど暗くなってゆくんです。
〇真っ暗なところで目が慣れたら見えてきますよね。そういう状態になって、“自分に赦されてなくって、いじけて座り込んでる自分”を発見したんです。
〇同時に、そのときたぶん、守護霊様が見せてくださったんだと思うんですけど、“自分を赦してない側の自分”も見つけたんです。こういうことって、コツをつかんだら次々と見えてくるんです。
〇自分に愛されてないでいじけている自分と自分を愛していない自分、自分の神聖を認めていない自分と自分に神聖を認められていない自分、被害者と加害者のような関係性の分離した真逆の自分たちを見つけたんです。
〇「こういうのが、他人に対する嫌な感情になって表われてたんだな」って思った瞬間に、その人たちに対する嫌な感情がスーッと消えていったんですね。時間にしたら、たぶん1分もかからなかったと思います。
〇それ以降は、どんな人が何を言ってきても動じなくなりました。だって、人のせいじゃないんですもん。
〇相手に何かを思ったら、全部自分の中に原因があるんですから。それをハッキリとそのときに掴んだおかげで、人のせいにしなくなったんですね。
〇23年の9月からは、「こういう話に興味ある人は少ないかもしれないけれど」って思いましたが、そういう体験を共有するために、ということで勉強会を始めました。
〇今日はホントは、そういう歴史を語るつもりじゃなかったんですけれども、自分語りになってしまいましたね。もう2時59分です。ここまでにしたいと思います。
〇最後にまた、皆さんと神聖復活の印を組んで、宇宙究極の光を降ろして終わりにしたいと思います。言葉は同じです。
〇立っている方は、足の指でおうちの床をギュッと掴んで、地球を掴んでるつもりでギュッと足の指で床を掴んで立ってください。
〇イスに座ったり正座したりしてる方は、お尻が足の裏だと思って、お尻を通して地球と繋がっているってイメージしてください。私たちが印を組むとき、天からの光がもう燦々と降り注いできます。
〇なので、その天からの光を受けつつ、地球からのエネルギーも受けつつ、地球のエネルギーを天に流し、天のエネルギーを地球に流しっていう、自分の体がそのパイプ・導管の働きをしていると思ってください。
〇私たちが組む神聖復活の印の光っていうのは、自分に入ることはもちろんなんですけれども、富士聖地の絵図面を通して地球全体に放射されます。そのつもりでお組みください。
《神聖復活の印を一回》
〇ありがとうございました。それでは、今日の勉強会はこれで終わりにしたいと思います。皆様、お忙しい中、ご参加くださいましてまことにありがとうございました。それでは、皆様のマイクをオンにします。
《Bye-byeタイム》
〇これで本日の祈りの会は終わりにいたします。ありがとうございました。
以上