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[勉強会メール: 36] 海外のAさんとのやり取り

勉強会にご参加の皆様へ

いつもご参加くださり、有り難うございます。
海外メンバーのAさんとのやり取りが、昨日の動画による祈りの会の内容(由佳先生の言及)ともリンクしており、日々の祈りの生活のなかで、同じような疑問を抱かれている方が皆様の周囲にもおられるかもしれないため、参考までにAさんとのやり取りを個人情報を伏せてお送りいたします。

次回勉強会は、10月4日(土)13時からになります。
その時にこのテーマを取り上げます。

無限なる感謝
080-4118-6509
斉藤雅晴

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過去の開催状況や詳細な内容は、専用ホームページでご確認いただけます。

【勉強会専用のホームページ】
 『神聖で繋がり合う人々』
https://divine-spark.peace51.net/

【ブログ『星々と交流する時代を切り開くために』】
https://ascension21.com/
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Aさんからメール
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親愛なる斉藤さんへ
ここ数日、私はとても心が乱れており、9/20(土)のあなたの勉強会の内容を読んで、この文章を送りたいと思いました。
ご存じのとおり、祈りの会の最初に、私たちが世界平和の祈りを捧げ、祈り言葉を唱えるとき、私は宇宙の神の光が私の神聖なる火花とつながるのを感じます。(それは白い光線で、私の頭頂のチャクラを貫き、すべてのチャクラを巡ります。)
この光は私の肉体・精神・霊的な身体を清め、私はそれを地球上のすべての人々に送っていました。そして、そのつながりを、神聖の光の中で一つに結ばれた何千ものシナプスのように見ていました……人類はその神聖なる火花を目覚めさせています。成就しました。
最近は、特定の人々に意識を向けています(健康を必要としている人、虐待や差別などによる苦しい状況から抜け出す必要のある人など)。また、戦争、飢餓、貧困などで旅立つ人々にも感謝を捧げています。なぜなら、彼らは人類のために旅立ったからです。
けれどもその後、私は自問します。「これで終わり? 状況は変わるの? 祈るだけで十分なの? それが使命なの?」と。
そうした思いが浮かんでくるときには、それらを守護霊様・守護神様に委ね、そしてナザレのイエスを思い出します。イエスはエルサレムの神殿から商人たちを追い出し、批判されたときにこう言いました。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」。
ではなぜ私がこう言うのかというと、自分の国や世界の現状を見るときに、「祈るだけで十分なのか? 本当に心が落ち着くのか?」と自問するからです。答えは「いいえ」です。
私は目覚めていて、現実に起きていることが見えているのだから、何かをしなければならないと感じます。なぜなら、悪しき者たちが人々を眠らせているからです。私の国では、大多数のメディアが御恩を受けた人々に買われており、同様に多くの職も、ほとんどを支配する政党と結びついています。そしてこれは我が国だけでなく、世界中で起きていることです。
人々は従順で、反応しません……それでも私はINを続けます。「人類はその神聖なる火花を目覚めさせている」と。そしてまた自問します。「祈るだけで十分なのか?」と。
愛を込めて
A
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Aさんへの返信
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親愛なるAさんへ
あなたのメールを読み、世界中に同じような悩みを抱えている人がいるかもしれないと思いました。
私はあなたの質問に対して明確な答えを持っています。結論を先に申し上げれば、今人類が何を考え、何を語り、何を行っていようとも、すべての人間が自らの神聖を思い出す日が必ずやって来るということです。
しかし、すべての人がすぐに良くなることを求めるのは間違いです。なぜなら、人類が地球に現れて以来、「地球人類の誤った想念と行為」の糸は複雑に絡み合っており、それを完全に解きほぐすのは容易ではないからです。
宇宙を創造し、その権能を惑星社会に授けた宇宙の神は全知全能です。すでに人間を卒業し、神界へと昇った神霊たちも大いなる力を持っています。同様に、進化した文明の宇宙人たちも、地球人類から見れば神と同等の力を持っています。
そのような高次元の神聖なる存在たちが今、力を合わせて、地球人類の意識の目覚めを祈っています。これを聞くと、あなたは「そんなに強力な存在がいるのなら、直接介入して力ずくで地球人類を目覚めさせればよいではないか」と思うかもしれません。
しかし同時に、宇宙の創造神は、各惑星の人類に自由意志を与えています。これは次のような背景によります。
新しい惑星が開発されるとき、一方では他の進化した星から転籍してきた神霊的人類が降り立ち、もう一方ではその惑星で生まれた原住民族が存在します。歴史の流れのなかで、これらの民族は肉体的にも魂的にも混血していきます。
惑星の発展とは、進化した他の星から来た人々と、その星で生まれた原住民族との魂の融合を通して、長所と短所を混ぜ合わせ、より大きな調和の魂へと成長していくプロセスに対応しています。
同時に、宇宙の大神は、未開発の惑星の人類の魂の内部に守護霊と守護神を配置してくださっています。すべての人間は、意識の内面における進化の過程で、そうした守護の神霊と一体化しなければなりません。人類が自らの神聖を思い出すために、これは必須の学びなのです。
それを成就するには数十万年もの歳月が必要です。惑星の誕生という観点から見れば、宇宙の神々は何十億年という時をかけて新しい星を大調和へと導いているのです。
地球はいまだ進化の過程にあります。その過程のなかで、他の人々に先駆けて神聖を甦らせる人々が必要です。それが私たちです。
私たちは自分たちが神々の一員であることを自覚しています。神の眼で見れば、不完全に見える人類も、生命の奥においては調和した存在なのです。
自分を単なる肉体的存在だと思っていると、その完全性を見たり感じたりすることはできません。しかし、このような時代に生きていても、心の中に神の光を見出し、それが私たちの本質であると完全に認めて生きるとき、この世の出来事に対して、正しい・正しくない、好き・嫌いといった判断を超えた普遍的な愛を心に甦らせることができます。
すべての存在は必要があって存在していることが明らかにわかります。もしプーチンやネタニヤフが必要のない存在なら、神は彼らの存在を消してしまうでしょう。しかし神はそのようなことはなさいません。
なぜでしょうか。それは神が、すべての人を自らの子として見ており、生命の真実を思い出す時期が一人ひとり異なることをよく知っているからです。
大切なのは、神の意識で世界を見ることです。自分を肉体的存在だけだと思い込んでいる限り、そのような神の眼を甦らせることはできません。だからこそ、日々の生活のなかで、落ち着いた呼吸のリズムに乗せて、神聖の言葉・光の言葉・真理の言葉を思い続けることが大切なのです。
私たちが本当に自らの神聖を甦らせなければ、他の人類は救われません。逆に、私たちが神我一体となって生きれば、そのような人が一人でも増えるたびに、地球に輝かしい未来が訪れる時期は早まるのです。
他人を変えられると思うのは傲慢です。変えられるのは自分自身だけです。そして大切なのは、自分が成長すればするほど周囲に良い影響を与え、他の人々を感化できるということです。
ですから、Aさんや私たちのような高級神霊の生まれ変わりは、悩む必要はありません。自らを磨き高めていく過程で、人類に光を放ち、神聖の種を蒔いているのです。
その種を芽吹かせる責任は一人ひとりにあります。その一人ひとりには守護霊と守護神がついています。この世を疑いの目で見ることは、強い言葉でいえば神への冒涜です。
なぜなら神は、すべての星が立派な星となるように計画を立て、それぞれの星の人類に、自らの力で惑星を完成させるための努力をさせつつ、その力を与えてもいるからです。
不足する力は、宇宙の先輩星の人々が補ってくれます。やがて宇宙の人々が物質化して現れるときが来ます。そのとき、人類は混乱しますが、いずれその混乱は収まり、自らの命が神聖であることを認め、私たちが歩んできた道を歩み始めるでしょう。
そのとき、私たちはテレパシーの力を使って、言語の異なる人々に神聖のあり方を示し、伝えていくのです。
時が来ればすべてが明らかになります。そのときが来るまでは、すべての運命を守護霊に委ね、自分にできる最善を尽くして生きていきましょう。
世界を批判し、非難し、判断しても何も変わりません。何かに反対する行動を起こすことは、彼らと同じレベルに降りて対立を生むだけです。
心の平和こそがすべてのすべてです。あなたの真の心(神聖)は、これらの事実をすべて受け入れることができるでしょう。
大丈夫です。取り越し苦労は時間の無駄です。
ただひたすらに、人類の神聖を認めて生きていきましょう。そのためには、自らの神聖を疑わない練習をすることです。心に疑いがなくなれば、神聖への絶対的な信頼が甦ってきます。
そのとき、あなたはどんな人の中にも神聖を認め、すべてを肯定的に受け止め、心穏やかに生きることができるようになるでしょう。
世界人類が平和でありますように
無限なる感謝
斉藤雅晴
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Aさんからの返信
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親愛なる斉藤さん
あなたのご返答を何度も読み返し、私はそのご考察すべてに同意できると申し上げます。そして自分自身にこう言い聞かせます──もし私がガザの子ども(例えば)ではないのは、私がその経験を生きる役割を担っていないからだと。
そして神に感謝します。
私の心に思い浮かぶのは「山上の垂訓」の幸いなるかなの言葉です。
心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る。
平和をつくる人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。
無限なる感謝を込めて、
親愛なる斉藤さんへ
世の中で起こっていることに心が揺さぶられるたび、私はその不安を霊的・神聖な守護者たちに託します。
そうすれば、彼らがその思いを溶かし、代わりに光の想念を私に送ってくださると知っているからです。
本当にあなたの言葉に心から感謝しています。
心からの抱擁をお送りします。