2024年6月29日(土)午後_勉強会
皆様、こんにちは。6月29日、土曜日の勉強会を始めます。本日のテーマは、始まりの画面にも出ておりましたとおり、『行動に繋がる意識と呼吸』というテーマなんですけれども、それに先駆けて一番最初にですね、多分多くの方が聞いたことのある詩だと思うんですけれども、『真理の成就の共磁場を創る祈り』という詩を読みます。
<真理の成就の共磁場を創る祈り>読み上げ
人類よ、あなたが語らないことは、あなたの人生の上に、そして地上に
何も一切あらわれないのである。
人類よ、あなたが見ないことは、あなたの人生の上に、そして地上にも
何も一切あらわれないのである。
人類よ、あなたが聴かないことは、あなたの人生の上に、そして地上にも
何も一切あらわれないのである。
人類よ、あなたが感じないことは、あなたの人生の上に、そして地上にも
何も一切あらわれないのである。
人類よ、あなたが浅い呼吸即ち否定的な思考行為をしなければ、あなたの人生の上に、そして地上にも
何も一切あらわれないのである。
世の中の不幸は、人類一人一人が何を語り、何を見、何を聴き、何を感じ、
何を行為してきたかにかかっている。
さあ、これからは、我々が神性を分離した一切の悪を語らない限り、
我々の人生に、そして地上に何一つ悪はあらわれないのである。
我々が神性を分離した一切の不幸を見ない限り、我々の人生に、
そして地上に何一つ不幸はあらわれないのである。
我々が神性を分離した一切の苦悩を聴かない限り、我々の人生に、
そして地上に何一つ苦悩はあらわれないのである。
我々が神性を分離した一切の悲しみを感じない限り、我々の人生に、
そして地上に何一つ悲しみはあらわれないのである。
我々が神性を分離した一切の浅い呼吸をしない限り、我々の人生に、
そして地上に何一つ病気はあらわれないのである。
ゆえに人類よ
自らに、そして他に光明を語り、光を見、
真理を聴き、神の響きを感じ、
神性の息吹の呼吸をするのだ
はい、途中から入られた方がおられるかも知れないんで、ちょっと説明します。今日のテーマは『行動に繋がる意識と呼吸』というテーマで、一番最初に『真理の成就の共磁場を創る祈り』という詩を読み上げました。
この詩の後半は「こうあったらいい」っていう内容なんですけれども、あまりにも理想すぎて、もしかしたらこの言葉を聞いて自分を責められる方がいらっしゃるかもしれないんで、ちょっと余計なことかもしれないですけど、伝えておきます。
今、病気してるとか、今生活がつらいとか、人間関係が苦しいとかっていうことと、その人の生命が元々神聖であるということには、何の関係もないんですね。健康な人と病気の人、人間関係が良好な人と良好じゃない人とか、いろいろな状況があるんですけれども、一番大切なことは、今自分が、もしくは今誰かがどういう状況にあっても責めない、赦す、愛する気持ちを持ちつづけることが一番大切だということです。
特に、他人云々の以前に、自分を赦す、自分を愛する、自分を抱きしめるっていう…、これが本当の一番の基礎中の基礎だと思います。心にその基本がないと、こういう真理の話を聞いたときに、例えば、今読んだ中で「我々が神聖を分離した一切の浅い呼吸をしない限り、我々の人生に、そして地上に何一つ病気は表われないのである」ってありますけれども、そこを聞いたときに、責める、赦さない、愛さないを自分にやってらっしゃる方は、この言葉だけで心がズキズキするんですね。「ああ、私は呼吸が浅い」「自分は病気だから」っていうふうに思ってしまいます。
そこに書かれていることは、あくまで理想です。現実にそうある方もいらっしゃいますけど、今そうじゃない方もいらっしゃいます。でもこれは、今はそうだからいい、今そうだから駄目だって話ではないんですね。これよく聞くんですけど、「他の誰々はできてるけど、自分はできません」とかおっしゃる方がいます。
でもみんなもうすでに、神聖復活の光のエスカレーターに乗ってるような状態なんですね。例えば、電車に例えたら、東京から大阪に行く新幹線に乗ってるとします。これが神聖復活の駅へ向かって走る電車だとします。そうしましたら、みんな神聖復活のこの電車に乗ってるんです。16車両あるのか、8車両あるのかわかんないですけれども、何車両かが連結した電車に乗ってるんです。
できてる人も、今できてないと思う人も、先頭の方の車両に乗ってるか、一番後ろの方の車両に乗ってるかの違いでしかなくって、みんな神聖復活の電車に乗って、神聖復活っていう駅に向かって今、現在進行形で移動中なんですね。
だから先頭車両に乗ってるからいい、一番後ろの車両に乗ってるから駄目なんだっていうのは、とってもおかしな話だと思うんですね。「今自分はできてない」って思う方もいらっしゃるかもしれないですけど、みんな神聖の花の芽が本当は出てる。もう花も咲きかけてるかもしれない。それを、肉体の意識で気づいていないだけなんですね。
もちろんこの中には、気づいてらっしゃる方もいらっしゃいます。「自分はもう神聖復活、確かにし始めている」って、自覚し始めていらっしゃる。「確かに1年前、2年前、5年前、10年前と自分は変わったな」って思ってる方もこの中にいらっしゃいます。でもそうじゃなくって「いやあ、自分はまだまだです」とか、「なかなか難しいです」とかって思ってしまうのは、神聖復活の電車に乗ってること自体を忘れてしまってるんですね。
みんな同じ電車に乗ってるんです。できてる人、できてない人っていう違いはないんです。ただ、気がつく時期が違うだけ。3年前に気づいた人、目覚めた人もいるかもしれない。今日、目覚める人がいるかもしれない。目覚めるっていうのは、神聖を自覚すること。自分は神聖の存在であってそれ以外の何ものでもなかったんだっていう気づき、ひらめき、直観…。
今日そうなる方がいらっしゃるかもしれないですし、2週間後、1ヶ月後、2ヶ月後、3ヶ月後、半年後、1年後にそうなる方もいらっしゃるかも知れないですけれども、私は少なくとも2025年の終わりまでには、今ここにいらっしゃる方は、皆さん全員が「自分は神聖以外の何ものでもない」っていう自覚を、もう確信を通り越して当たり前っていうところへ行き着くと思っております。
ですから、「今どうだから、こうだから」って思って、自分を低く見るのは、どうかやめてあげてください。最初に読んだ『真理の成就の共磁場を創る祈り』の中で、「あなたが語らないことは表われない。あなたが見ないことは表われない。あなたがきかないことは表われない。あなたが感じないことは表われない。否定的な思考をしなければ悪いものが表われないっていうふうに書かれてますけど、いいものが表われる意識の使い方をすればいいんですね。いいものを常に観る。神聖を観る。これは練習なんです。今日のテーマにも繋がる話です。
「私は何十年祈っても、なかなか変わらないんです」「私は神聖復活の印を一生懸命組んでますけど、なかなか変わらないんです」っていうお話を時々伺うんですけれども、確かにお祈りすることも、この印を組むことも、生命の源の光に繋がって、そこと交流する行ないなんですけれども、それと同じぐらいに大切なことは、祈っていない時間、印を組んでいない時間の意識状態、心の状態がどうあるかです。
例えば、昼下がりにテレビを見て過ごしている、もしくは花壇のお花と交流している。もしくは、お買い物に出かけてるとか、家族で一家団らんの時間を過ごしているとか、当たり前の生活、お仕事に行って仕事関係の方と接してるって方もいらっしゃるかもしれないですけど、当たり前のこの日常の中で、いつも何を想い、何を語り、何を行なっているか、どう動いているかっていうことが、祈りや印と天秤のようになってるんですね。
ネガティブな習慣の質量が重かったら、お祈りや印でいただいている光を自分の人生に活かせないという事態が起こります。だから、お祈りすることも大事だと思いますし、印を組むことも素晴らしいことなんですけれども、それ以上に日常生活の中で、この1秒1秒、1分、10分、1時間、半日、起きている間中、この生活の中で自分が何を思ってるか、どういう意識状態で生きているか、それが一番、神聖を表わすせるか、表わせないかの境目、別れ道になるんだと思うんですね。
この分かれ道、分岐点っていうのは、一瞬一瞬が分岐点であり、分かれ道です。だから今この瞬間に変わろうと思ったら変われるんです。だけどなかなか、潜在意識や記憶ってものがありますから、「昨日もできなかったから今日もできないだろう」っていう習慣の想いで、自分の神聖を表わすことにブレーキをかけるような想いの使い方をすることがあります。
それで、この1年ぐらいの間、ずっとおすすめしてきたのは、光の言(ことば)、真理の言(ことば)、神聖の言(ことば)を唱えつづけることです。これはそういう類の響きであれば、どういう言葉でもいいんですけれども、例えば、「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」って、心の中で唱えながら、周りに人がいなかったら小声で声に出しながら歩くと、他の想いが入り込む隙間がなくなって、それをやってる間はその響きに自分が浸りきりになります。その時間は自分が神聖を表わしている状態になるんです。
1回や2回やっても、なかなか効果は実感できないかもしれないですけど、1週間、2週間、3週間、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月ってつづけていきますと、自分の中にふと出てくる想いが前向きになるとか、明るくなるとか、楽天的になるっていう変化が出てきます。これは必ず出てきます。なぜならば言葉には力が、パワーがあるんですね。
嫌いだとか嫌だとか、やりたくないとか、そういうマイナス方向に働く言葉を常に心の中で思っていると、それもやっぱりまた力なんで、そういう人生を自分でつくってしまうんですけど、「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」でも、「神聖復活、大成就」でも、「守護霊様、ありがとうございます」でも、「世界人類が平和でありますように、世界人類が平和でありますように」でも、「無限なる愛、無限なる赦し、無限なる調和」といった光明の言葉でも、唱えつづけに唱えることによって、自分の想念の習慣が変わってくるんです。
コツはやりつづけることです。やりつづけたら必ず変わります。今ここに出てらっしゃる方の中で、やりつづけてきて、「私、変わってきてます」って方もいらっしゃいます。本当に変わってくるんです。実際にそれを体験している方はいっぱいいらっしゃいます。だから、「なかなか自分は変わらないな」って思うこともあるかも知れませんけれども、諦めないでやりつづけてください。
「すぐにでも美味しい結果だけをいただこう」っていうふうな心持ちでいると、守護霊様のほうから先延ばしにされたりしますんで、無心になって、何も余計なこと考えないで、本当にその言霊の響きに浸りきるように、「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」でもいいですし、「守護霊様、ありがとうございます。守護霊様、ありがとうございます。守護霊様、ありがとうございます。守護霊様、ありがとうございます」でも、やりつづけたなら、必ずその言葉の響きが、自分の想念習慣を塗り替えていきます。
昔、長老導師の村田正雄さん。五井先生の片腕だった村田正雄さんがお元気だった頃に、全国の集会を回って、まだ印のない時代、世界平和の祈りしかなかった時代に、「とにかく世界平和の祈りを徹底的に祈り込んでください」っていうお話を、全国各地の集会でされていました。ある方は、村田さんから「カウンターを持って、1万回やってごらん」って言われた方もいらっしゃいます。
それぐらいの気構えでやると私の経験上1万回やらなくても変わります。私の経験っていうのは、もう皆さんにお話ししてるんでご存知だと思いますけど、2007年の新年の指針の言葉が「業想念が多すぎる。一生をかけて逆転せよ」っていう言葉だったんです。そこで奮起して「よーし、がんばろう」って、私は思えなかったんですね。へこんでしまったんです。3年ぐらい落ち込んでました。
多分私の中では一番つらい3年間だったような気がするんですけど、3年経っても変わろうとしない私を見かねた守護神様が、ちょうど広島にいたとき、広島城の近くを歩いてたときに、心の中から、無声の声、いわゆる人の声じゃない響きの声なんですけど、「すべての人にありがとうございますと言え」、もう1個、「起きている間中の呼吸をゆっくりとしろ」っていうことを言われました。
私はそんな素直じゃなかったというか、ひねくれていたんで、「呼吸は得意だから出来ます。でも、すべての人に「ありがとうございます」というのは、嫌いな誰々さんとか苦手な誰々さんとかに「ありがとうございます」なんて、口が裂けても言えないからできません」って答えたら、怒られたんですね。雷落ちるような感じで「つべこべ言わずにやれ」って怒られて、その後に慰めるような口調で、「心の中で、“なんであんな奴にありがとうございますなんて言わなきゃいけねんだよ”とか、毒づいてても構わないから、顔はにこやかに、声は柔らかく“ありがとうございます”ってやってごらん」って諭されて、そのときはなんか単純だったのか、「それだったらできるな、心の中で思ってることと声に出すことが違ってもいいんだったらできるな」って思ってやり始めました。本当にやり始めました。
だからその頃は、年がら年中、年上の人にも、年下の人にも、同年代の人にも、もうどこ行っても「ありがとうございます」「ありがとうございます」って言うふうに変わりました。3年過ぎて、ある時、ふっと気がついて、あれ、苦手なあの人のことを苦手と思わなくなってる。あの人のこと嫌いって思わなくなってるって気がついたっていう体験がありました。
「一生をかけて逆転せよ」というの、今考えれば発破をかけ、奮起を促す意味合いがあったんだと思います。全員ではないですけれど肉体を持った人間の傾向として、自分をよい方向に変えようというときに、お尻に火がつかないと行動を起こさないという傾向があります。例えば不摂生をしている不規則な生活とか、お酒飲んで歩く生活とか、付き合いだからしょうがないんだよとか何とかって言ってやめられないということがあります。でも、いざ体を壊して、入院なんかしてみると、コロッと変わる場合がありますね。
それはきっと、それをきっかけにその人の心のお尻に火がついたんだと思うんですけれども、だから、病気が必ずしも悪いことだとは言えないんですね。必要な体験として病気をする。それは大怪我するって人もいますし、勤めてた会社が突然倒産したとかっていうこともあるかも知らないですけど、そういう何か運命の転機になるような、ちょっと厳しい状況を経験することは、必ずしも駄目だとは言えない。駄目だっていうのは自分が駄目だって思ったときに駄目になるんですね。
だから、「過去を変えるってどうやって変えるんですか?」って聞かれたことがあったんですけど、過去に起こったことをないことにすることは出来ないですし、結果を変えることは出来ませんが、過去に対して抱いてる気持ちを変えることで、過去の意味合いが変わってきます。
世間の俗っぽい言葉の中に、「黒歴史」、黒い歴史って書いて、「黒歴史」っていう言葉があるんですけれども、それは自分が経験したことを悪いことだ、駄目なことだ、恥ずかしいことだ、隠しておきたいことだって思ったときに、黒歴史っていうことになるんだと思うんですけれども、今の自分が「あのときの体験があったから今の自分があるんだな」っていうふうに、過去を肯定的に見てあげることで、過去が持つ意味合いが反対に変わって、今のご自分を形成するために必要な体験だったっていうふうになります。
そういう状況に入りますと、ご自分の通ってきた道のりとして、体験談として、他の方にお話することが、出来るようになります。そういう失敗を乗り越えた経験とか、挫折を乗り越えた経験とかっていうのは、いろんな方の参考になると思うんですね。だから私はもう、もうここにいらっしゃる皆様が、皆さん、人生経験豊富ですから、その豊富なご自分の人生経験を他の方々の前で語ってくださったら、お互いのためになるんじゃないかしらと思っております。
1時39分ですね。ちょっと休憩を挟みましょう。1時50分から、始めます。1時50分まで最初の画面にしておきますので、50分なったら戻ってきてください。はい。それでは、休憩に入ります。五井平和財団の講演会を見たい方がいらっしゃいましたら、そちらへ行かれても大丈夫です。ご自由ですからね。
<10分の休憩>
今、休憩前に40分お話をしていて、ご病気、もしくは体調不良の方の響きをいろいろ感じましたんで、今夜も使うんですけれども、14分の統一を1回行ないたいと思います。言葉はおまかせしますけれども、例えば、「世界人類が平和でありますように。無限なる健康、大成就。守護霊様、ありがとうございます。守護神様、ありがとうございます」という感じで、14分間、みんなでお互いに癒しの響きを出し合って、ちょっとお祈りをしたいと思います。最初のお祈りの言葉は、いつもと同じ日本語と英語で行いますんでよろしくお願いします。
<世界平和の祈りによる統一>
はい、ありがとうございました。ちょうど今夜のプログラムが統一を中心としたプログラムになります。今の14分の統一は、今夜の3回目に使います。1回目は3分26秒、2回目は8分44秒、3回目が14分1秒で3回行ないます。
今統一をしていて、先ほどお話した村田正雄さんに昔、統一指導を受けたときのことを思い出していました。人がいっぱい並んでて、みんな正座して統一をしてるんですけれども、そこを禅寺で使う警策を持って廻るかのように、ちょっと姿勢が乱れてる坊主がいたら、パシッて肩を叩くようなそんな雰囲気で廻って歩かれたんですね。
この統一をしている間、私はまだ当時20代前半だったんで、ビクビクビクビクしながら統一してたんですけれども、眼をつぶってるから近くに来たとかわかんないんですけれども、何か人が近寄ってきたらこの衣擦れの音とか気配とかで、何となく「なんか近くに来てるな」ってわかるんですね。そうやって目を閉じて統一してると、顎に手を当てられて…、私の顔がこうやって下がってたんです。くいっとこう上げられたんですね。そしてその後にこの肩と背中に手を当てられて姿勢を、正しい姿勢に直していただいたんですね。
そのときにされたお話が、今夜のZoomのネタバレになってしまうんですけれども、それが統一をするときだけじゃなくって、人生全般に役立つ話だなと思って、私は深く覚えてるんですけれども、「統一をするときには、背筋を正し、肩の力を抜いて、顎を軽く引くんだ」って言われたんですね。それって立ってるときも、仕事でデスクに座ってるときも、なんかいつでも使える話だなと思って、もう何十年前ですけど、未だにそれが忘れられないでおります。
また、統一なんかやってると、霊能的な素質のある方は、何か光が見えたとか、何か声が聞こえたとか、そういう経験をされたことのある方もいらっしゃるかもしれないんですけども、私も若いときに20代ぐらいまでですかね、結構そういう経験してたんですけど、忘れるように練習をしました。もちろん気にしないようにしても、出てくる方もいらっしゃいますから、一概にそれがいいとは言えないかも知れないんですけれども、そうすると私の場合は、あまり統一の中で、霊的な経験をすることはなくなりました。
その代わりに全部直感的に来るっていう形に変わってきました。そうですね、六神通の話もあるんですけど、これは今夜のZoomでお話します。漏尽通っていう、一番最高の神通力と言われてる漏尽通、これを開発する一番の近道が、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」だというお話が昔ありましたね。漏尽通とか六神通というのは、仏教の言葉なんですけれども、何か人の心がわかったり、どこでも飛んで行けたり、いろんな霊的な力の中でも、一番最高の通力が漏尽通だといわれています。
これは、何かが見えるとか聞こえるとか何かができるっていう能力じゃなくって、神の心、仏の心を自分の心として生きる力のことですね。神そのもの、仏そのものとして生きることができる状態、これが漏尽通だというふうに言われております。「他の見えたとか、聞こえたとか、空飛べたとか、そういう力は、神々が働きかけなくても、幽界の生物の力を借りてでもできる霊能力だから、そんなことに興味を持ちなさんなよ」っていうお話、皆さんも聞かれていると思いますけれども、そういう話を私も受けていたんで、統一の中で何か見えたとか何とかあったってときに、そこに意識の焦点を合わせないという練習をしました。
意識の焦点を合わせるという言葉が今、出てきたんで俯瞰の視座とか、神聖の立ち位置に立って観るとかっていうお話と絡めてお伝えしたいんですけれども、この肉体の眼、肉眼ですね。これは例えば、手のひらを顔から10センチぐらいの位置に置いて、それをジーっと見るときの焦点の合わせ方のまんま、例えば窓の外の空をこうやって見ようとすると、焦点がぼやけると思います。というか、みんな自然と焦点を合わせてるんですよね。遠くを見るときは遠くを見るなりの眼球の使い方、焦点の合わせ方をしている。近くのものを見るときには、近くのものを見るなりの焦点の合わせ方をしている。
神聖の視座っていうのは、今の肉眼の話で例えると、遠くを見るような心の焦点の合わせ方、より広い範囲が見える心の焦点の合わせ方になります。多分これは、テクニックとか技術的なことではないんじゃないかしらと思っております。把われの想い、こだわりとか想い込みとか決めつけとか執着とかっていう把われの想いが薄まってゆけば薄まってゆくほど、薄れてゆけば薄れてゆくほど、より広い視座が自分のものになる。そういう焦点の合わせ方が自然とできるように変わるんだと思うんです。
今行なった統一の中で、柏手と口笛、霊笛って言いますね、その柏手と霊笛の響きを聞きながら、私たちはお祈りをするんですけれども、この柏手の響きが私たちの心の中の決めつけとか想い込みとか、こだわりとか執着っていうものを、ペロンペロンペロンって剥がしてくださいます。この柏手ですね。また、霊笛の細やかな響きでもって、心のひだにくっついてる根深い把われを丁寧に、丁寧に、丁寧に、丁寧に取り除いてくださいます。
ですから私たちは、統一をすればするほど、把われが薄くなってゆく。想い込み、決め付け、こだわり、執着っていう類の想いの習慣が自分の心からなくなってゆく、どんどん薄くなってゆく状態になって、それを日常生活の中で、いろんな人と接する場面で生かすことができます。
どうして生かせるかというと、統一行で、心の中の把われの想いが薄くなってる状態になっているから、いろいろな人間関係、社会活動の中で会う人と接する中で、「以前の自分だったらここでカチンときてたよな」っていうときに、ちょっと冷静になれる自分、「これが消えてゆく姿なんだな」って気が付ける自分に変わってゆくからです。その意味で私たちは、統一行をすればするほど、把われを手放しやすくなっていきますし、また、消えてゆく姿っていうものを、本当に消してゆける状態になってゆくんだと思っております。
もちろんいつでも五井先生のCDを聞きながらやれるわけじゃないですから、CDを使えない場面では、心の中で、自分一人でやるんですけれども、そのときにも、真理、光、神聖の言(ことば)を、他の想いが入り込む隙間のないぐらいに心の中で唱えつづけることで、柏手や霊笛を聞いて行なう統一に準ずる統一ができると思っております。
もちろんそのときには、呼吸も大切です。「我即神也」で吸って、「成就」で止めて、「人類即神也」で吐くっていう『言霊の唱名』でやってもいいと思うんですけども、そこに集中して取り組むことで、統一のCDがなくっても、統一はできます。例えば電車やバスに乗ってるような、ちょっとした時間の間に、一人で心の中で行なうっていうやり方もまたできると思います。
はい、もう、25分になりますね。ごめんなさいいつも私1人で喋ってしまって申し訳ないなと思うんですけど、何かご質問とかある方いらっしゃいます。もしくはご自分の体験談を語ってくださっても構いません。ないですか。
いつもここに出てらっしゃる方の中で、今病院に入院されてる方もおられます。またそうしたことは、日本の中だけじゃなくって、この間の夜のZoomでも話しましたけど、ウルグアイのマリッサさんが大腿骨か股関節を骨折をされ、今入院をされてます。他にも何か、指の骨を折ってしまいましたとか、腰がどうにも痛いんですとか、いろいろ体のことで、皆さんいろんな経験をされておられます。
もう結構人数が多いんで、今名前言ってくださいって言われても出てこないんですけれども、本当に体が資本ですんで、どうぞお体を大事にして、これから暑くなってまいりますので、体を大事にしてお過ごしください。そして、もしも、もしも病気になったとしても、それでご自分を責めるようなことは決してしないでください。いいふうに捉えてください。今病気を経験されてる方は、皆さん、前向きです。すごいなって、私はいつも思っています。でもくれぐれも体を壊すような行動をしないでください。例えば夜ふかしとか、皆さんしないかもしれないですけど、夜ふかしとか、暴飲暴食とかすると体に響きます。私はお酒は飲まないんですけど、お酒好きな方は適量だったらいいのかもしれないですけど、飲みすぎると体に悪いことになってしまいますんで、適量でお願いします。はい、それじゃあ28分ですね。神聖復活の印を三回組んで終わりにしたいと思います。
<神聖復活の印を三回>
ありがとうございます。はい、これで終わりにしたいと思うんですけれども、よろしゅうございましょうか?オーケー? はい。終わりにしましょう。7月、8月はバタバタしますんで、次回は8月の後半か9月の前半あたりになると思います。もし何かあったら、その間はメールでお知らせをしますんで、よろしくお願いします。皆様のマイクをオンにいたします。ありがとうございました。