世界人類が平和でありますように

神聖で繋がり合う人々

2026年8月22日(土) 動画による祈りの会の詳細な内容

260822-動画による祈りの会_由佳先生・真妃先生・里香先生

【由佳先生】

皆さま、こんにちは。8月22日土曜日の『動画による祈りの会』にご参加くださいまして、まことにありがとうございます。

8月も末に近づいてきて、私の子どもたちはもうすぐ学校が始まるので、もう私がワクワクしているという感じなんですけれども。でも真剣なお話をしますと、今年の夏は熊本の地震があって、先週は千葉県の豪雨があって、いまだに多くの方々が被災のあと、この暑い中をお過ごしになられていると思います。

今、世界中でいろいろな状況が起きていて、自然災害も起きる中で、私たちが共に祈るということがすごく大きな力であり、また大難を小難にしていく、そこにどんどん光を、神聖の響きを届けていく。『動画による祈りの会』は、こうやって一堂に、会の皆さまが祈りを一つに送れる貴重な時間だと私は感じておりますので、今日も皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

【真妃先生】

前回の『動画による祈りの会』では、国境線を溶かしていく中で、国境線がなくなっていく世界を皆さま方とイメージしながら、世界各国のお祈りをさせていただきました。その後、私の中でも、境界線とか国境線とか、すごく考える時間をこの2週間いただきました。

溶かしていくということはどういうことなのか。その国境線とか境界線というものが持つ、本当に神聖な役割。意味なく存在しているのではなくて、ただただ分断を強めて、対立を強めて、自分と他とか、国同士の分断・対立を強めるためにあるものだけではないのではないか。私たち自身が、この線というものに対する理解をもっともっと深め、高めていくことで、その線という存在の中にある神聖な役割というものがあるのではないか、ということをすごく考えていました。

私自身の中でも、人との繋がりの中で、その人の思いをすごく大切にしたい、叶えてあげたいという思いで、自分が必ずしもその思いに共感できない状況の中であっても、それを受け止めて形にしていこうという中で、すごく苦しい2週間でもありました。

それを通して感じたのは、境界線があるということ――溶け合って一つになっていくというのは、必ずしも相手の思いを受け止めて、それを叶えて、自分もそこと融合して、自分の思いを変えてまで叶えていこうということではなくて、むしろ自分というものが持っている大切にしている思いと、相手が大切にしている思いを、ある意味、線というものがそこにあることによって、距離があることによって、それを尊重しながら、叶えられないとしても、そこに対して尊敬の念だったり、理解の念だったり、受け止めたいという気持ちを持ち続ける。その線というものの役割が、むしろお互いの神聖が侵されずに、神聖を生かしていく役割をしてくれている可能性もあるのではないかな、というところをこの2週間ですごく感じていました。

この世の中に存在するいろいろなものは、悪いものとかいいものとか、なくしていかなきゃいけないものとか、存在させなきゃいけない、続けなきゃいけないものというものはなくて、その違和感を感じたものに対して、いかに自分の視座を高めていき、自分の理解と体験を繋げていきながら、新鮮な視点で物事を見つめ直すか。

まだ自分の理解がそこに及んでいないので、皆さまにもなかなか私が伝えたいことがお届けできていないと思いますが、私の中のテーマとしては、やっぱり何かに対して悪い・良いとか、なくしたほうがいい・あったほうがいい、ということではない、ということです。

今回の地球世界感謝行もそうですけれども、本当に自然災害はないほうがいいと思いながらも、そこに対して「ないほうがいい、丸」ではなくて、神聖な視座に上げたときに、それによって傷つく人には全力で手を差し伸べ、寄り添っていく、その覚悟を示しつつも、「ないほうがいい、丸」ではなく、それ自体にも――五井先生が今回書いてくださっている文章にもありますが、すべてが人類を神聖に向けて進化させていくプロセスである、という余白を持ちながら、それぞれに対して向かっていく大切さみたいなものを、今、自分の人生の中で大切にしていることかな、ということを感じています。

そういう中での今回の特別プログラムです。また皆さま方とともに、そこへの理解や、自分自身が祈る中で感じる体感みたいなものを共有できたら嬉しいなというふうに思っています。今日もどうぞよろしくお願いいたします。

【里香先生】

今の真妃先生のお話を伺っていて、本当に私も同じように感じているところがあります。消えてゆく姿と世界平和の祈りというのが、まさに人類の進化・創造の道であるのではないかと思うのは、やっぱり神聖だけだと、光のみだと、なかなか新たな創造、人類の進化・創造までいかないんだけれども、ある意味、消えてゆく姿という反作用みたいなものが加わると、そこにある土台みたいなもの――神聖とか、あるいは『世界人類が平和でありますように』という、すべてと溶け合うような精神とか霊性とか、その奥に支えてあるこの祈り言葉が生きてくる、にじみ出てくる。こういうことが、ある意味、人類の進化・創造に、この消えてゆく姿と『世界人類が平和でありますように』というコンビが、とても大きな働きをしているのではないかと思いました。

8月17日に、3人で、五井先生のご命日に富士聖地でお祈りをさせていただいて、三角形を作って、3人で五井先生とまっすぐ繋がったときに、本当に大きな五井先生の光の柱のようなものがフワーッと真ん中に降りてきて。五井先生が残してくださった、繋いでくださっている道や祈り、そしてすべてを――自然とか神とか、今まで分断してきた、自分と隔ててきたものが、この祈り言葉で融合していく。そういう道がもうできていて、私たちは先頭に立って、これを日々、日常生活の中で祈らせていただけている。このお働き、そしてありがたい、生かされた天命に、深々と感謝をいたしました。

なので本日も、この五井先生が、そして昌美先生が引き継いで、神聖復活というところまで持っていってくださった――その流れをしっかりと受け継いで、感謝の気持ちを込めて、自然のさまざまなところで出てきている消えてゆく姿に対しても、深い祈りを届けられたらなと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

【由佳先生】

はい。では皆さま、お祈りから始めていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

<世界平和の祈り>

【里香先生】

メインプログラムに入ってまいりたいと思います。先ほど真妃先生がお話してくださったように、本日は地球世界感謝行を皆さま方と行ってまいりたいと思います。

いつものようにですけれども、朗読を先にさせていただいて、五井先生のお言葉をしっかりと皆さまに受け止めていただいたあとに、地球世界感謝行を。自然に対しての見方であったり、関わり方であったり、そういうものが少しずつ自分の中で変容していったら、祈りもさらに深まるのではないかと思いまして。

今日は『自然—大生命の絵巻1』、五井昌久先生のご著書になりますけれども、この中の36ページの「人類進化のために」という文章をお読みいたしますので、どうぞお聞きください。

<五井先生「人類進化のために」の朗読>

人類進化のために

五井昌久

 梅雨空を眺めながら、庭の木々が風に揺れているのを見ていると、風の心が陰鬱(いんうつ)で哀(かな)しげに感じられてくる。これが夏空の照りつける太陽の下では、さわやかな明るい心になって風の心も生き生きとしてくる。

 人の心が風にうつるのか、風の心が人にうつるのか、人間の生活の中で、風の心の動きはかなりその影響力をもっている。その最もはっきりしているのは、台風である。台風は人間に恐怖を与え、人の生活を破壊する。

 人間の心をより進化させようとする、大自然のみ心の一役を買って、風は働きつづける。しかし、人の生活を破壊するのは、風にとっては悲しいことなのである。

 神のみ心は、常に人類の進化を願って働かれる。進化をつづけぬ限り、人類はいつかその存在価値を失ってしまうのである。人類は今、最大の進化の道を進んでいる。進化が大きければ大きい程その苦しみは甚だしい。進化以前の過去の段階にあった様々な癖や生活様式はすべて消し去り、捨て去らなければならない。その苦悩の中に今人類は立たされている。その消えてゆく姿が人類の表面に現われてきて、心ある人々が心を痛め、眉をしかめねばいられぬような、醜い愚かな事柄が世界中に充ちているのである。

 地震も台風もあらゆる自然の現象は、すべて過去の未進化の人類の悪癖を消滅させ、浄め去るために、神々のみ心によってなされている現象なのである。そうした天災を逃れたいと思うならば、人類はそのような天変地異の起らぬ前に、自己の心を進化の法則に合わせておくべきなのである。

 進化の法則とは、釈尊や老子やキリストがそれぞれの言葉は違えど、説きさとされているように、神のみ心と一つになることである。大宇宙、大自然すべてとの調和の心を、人間の心の第一とすべきである。雨にも、風にも、神々の人類進化のためのみ心が働いているのである。

 雨降らば雨の心になりぬべし風吹かば風に融けて生くべし

 私は世界平和の祈りの中で、すべてとの大調和を願っているのである。

ありがとうございます。では、真妃先生、お願いします。

【真妃先生】

五井先生のお言葉の一言一言に深い叡智があふれています。いまからの時間は、五井先生のお言葉にゆっくりと立ち戻りながら、特別プログラムであります『自然への感謝行』へと入ってまいりたいと思います。

まず、里香先生が朗読してくださった五井先生のお言葉の「人の心が風にうつるのか、風の心が人にうつるのか、人間の生活の中で、風の心の動きはかなりその影響力をもっている」というお言葉に、心を向けてみたいと思います。

なので皆さま、ぜひゆっくりと目をつむっていただき、静かに静かに呼吸をしていただきたいと思います。ゆっくり息を吸って、ゆっくりと息を吐く。静かに呼吸を続けてみてください。

目をつむりながら、呼吸を続けながら、耳を傾けてください。この呼吸というのは、日常の中で誰もが意識を止めないで、当たり前のようにしている、生きるための行為ですね。しかしこの呼吸一つ取ってみても、私たち一人で完結しているものではないのだ、ということを感じながら、ゆっくりと息を吸って、吐いてを続けてみてください。

私たちは、木々(植物)が作ってくれている酸素を空気としていただいています。そしてその木々を支えている水があり、太陽があり、大地があり、雨があります。無数の生命があります。今、こう一呼吸するだけでも、私は今日も、この瞬間も、自然によって生かされている存在だということを思い出すことができます。

そして呼吸だけではなく、私たちの体を作っているものをたどっていけば、そのすべてが自然からいただいているものだということに気づいていくことができます。体の中を流れている水も、体を作っている栄養も、この肉体を動かしているエネルギーも、すべて自然からいただき、自然によってこの瞬間も生かされているのです。

頭で理解するのではなく、体で、生かされているという感覚を感じてみていただきたいと思います。呼吸を通して、その感覚を思い出していただきたいと思います。そして、生かされている存在なんだということに繋がることで湧きあふれてくる、ありがたいなという気持ちと繋がっていただきたいなというふうに思います。

自分が感じている繋がりに意識を向けることであふれてくる「ありがとう」という気持ち。自然の恵み、太陽、水、大地、空気、植物、そしてすべての命、そして自分の命に「ありがとう」という気持ちを向けていただきたいと思います。ありがとうございます。

今、私たちが生かされている存在なんだということを、私たちは感謝の響きの中で、体の中に感じ、また体験をとおして感じました。

次は、五井先生のお言葉の中にある「神のみ心は、常に人類の進化を願って働かれる」、そして「人類は今、最大の進化の道を進んでいる」というお言葉に意識を向けてみたいと思います。

このお言葉を読ませていただいたとき、私が思ったことは、今、地球上で起きているさまざまな自然災害も、人類を破滅させようとしているのではなく、もしかしたら本当に人類を大きな進化へ導こうとしている大自然の働きという視点から見つめることができるかもしれない、ということでした。

私たちは、自然が与えてくれている美しい恵みや、その自然の偉大さに心を奪われて、それに対して感謝を向けることは比較的簡単にできますが、時に自然が私たちに見せる厳しい側面を見たときに、そこに対して感謝を向けるというのは、なかなか難しいのではないかなというふうに思いました。

そしてそのようなときに、無理して感謝の気持ちを向ける必要はないと思っています。

ただ、五井先生がおっしゃるように、事実としては本当に、自然の営みは、たとえそれが美しさであれ厳しさであれ、私たちを進化・創造させようとしている、その背後に大きな意図がある、神聖の力があるということを忘れないようにしたいなと思いました。

長い視野(宇宙の営み)の中で、今まで人類が直面してきたさまざまな自然の働き――例えば火山活動によって新しい大地が生まれたりとか、地殻の動きによって山が生まれたりとか、雨が大地を潤し、川の氾濫というものが土の中のいろんな微生物を豊かにしてくれたりとか。

そういう大きな働きが、瞬間瞬間で見れば破壊に見えたり恐怖に見える出来事も、「大きな大きな営みに想いをいたし、宇宙の意図に想いを馳せると、そこに神聖の芽を芽生えさせようとする働きがあるのだ」ということがわかります。

と申しますのは、今回のお話の最初にお話させていただいた『消えてゆく姿と神聖の働き』というものの積み重ねと、すごく似ているのではないかと思っております。

この人間にとっての良い悪いの尺度では捉えきれない大きな神聖の働き、進化の意図というものがあるのではないか。そこに目を向けたときに初めて、五井先生が今回ご法話の中で書き記してくださった「神のみ心は、常に人類の進化を願って働かれる」「人類は今、最大の進化の道を進んでいる」というお言葉の真意を受け止めることができます。

そんな中でもどうしても大切にしたいことは、この自然の大きな営みがあると分かりながらも、それによって受け取っている苦しさや悲しみ、これに無理して「意味があるのだ」とか、無理して「これも恵みなんだ」というふうに考える必要はない、ということです。

それは、消えてゆく姿が目の前に現れたときに、その消えてゆく姿を通して受け取る悲しみや不安や恐怖を、なかったものにする必要はない、というのと一緒だと思っています。この消えてゆく姿が起きたときに、その中にある不安・恐怖を否定するのではなくて、その消えてゆく姿を感じながらも、それと同時にそこから生まれ出ようとしている神聖な自分、神聖な可能性、無限なる能力があるんだということを、頭の片隅に置けたらいいな、というのと同じだと思います。

自然災害が起きたときには、最大限その恐怖・不安と向き合い、恐怖・不安がある場合は人の寄り添いに感謝したりとか、恐怖を感じている人に最大限寄り添っていく、手を差し伸べていく、祈りを捧げていく。

それは、人間として持っている共感力だったり、寄り添う力だったり、そのような「何とかしたい」という想いは大切にしながらも、その現象を否定することではなくて、その現象の奥にある神聖の働きにできるのであれば、そこにも目を向けるようにする。

どんな消えてゆく姿が起こっていても、その奥にある神聖の流れとか神聖の営みは失われないんだということを確信する、信じる心というものは持ち続けていたいなというふうに思います。

なので、不安だから祈るというのも一つのあり方だと思いますが、不安がありながらも、その不安を脇に置きながら「すべては完璧なんだ」「自分の神聖はどんな状況であっても失われない」「自分の完璧性はどんな状況の中にあっても失われない」「地球の完璧、宇宙の完璧はどんな状況が目の前に繰り広げられても失われないのだ」というその確信を持ちながらも、消えてゆく姿を見つめて祈る。

その祈りこそが、私たちが大切にしている『世界人類が平和でありますように』という祈り言葉なのではないかなというふうに思います。

なので今一度、「神のみ心は、常に人類の進化を願って働かれる」「人類は今、最大の進化の道を進んでいる」という五井先生のお言葉に立ち戻りながら、でも、現れている姿がすべてではないということを思い出して、そして改めて皆さまとともに、消えてゆく姿の奥にある人間の神聖、人類の神聖、混乱の奥にある神聖、悲しみの奥にある神聖、自然の激しい姿を前にしたときにもある――もしかしてその瞬間には理解できないかもしれない――その奥にある大自然の神聖へと心を戻しながら、皆さまと地球世界感謝行をしてまいりたいと思います。スライドをお願いします。

この地球世界感謝行をしながら、何度も繰り返しになりますが、人間の消えてゆく姿として世界平和の祈りの中に繰り返しながら、同時に、その奥にある海の神聖、大地の神聖、山の神聖、水の神聖、植物の神聖、動物の神聖、そして地球そのものの神聖へと心を合わせてゆきながら地球世界感謝行をすることで、本当に大調和の中に、私たち一人一人がこの感謝行を捧げながら戻ってゆく。そして人類がそこと繋がってゆく。そのような想いをもって、皆さまとともに感謝行をさせていただきたいと思います。それでは始めてまいります。

<地球世界感謝行>

少し静かな時間を持ちながら、皆さま方の中で、これら自然に対する深い感謝の気持ちと繋がっていただきたいと思います。

地球世界感謝行をしながら、私たちは自然に感謝する私、自然の神聖を見て繋がる私として感謝を捧げてまいりました。

それでは最後に、五井先生のお言葉「雨降らば雨の心になりぬべし風吹かば風に融けて生くべし」というお言葉のごとく、雨が降っているならば、雨を見ている私ではなく、雨の心になってみる。風が吹いているならば、風を感じている私ではなく、風に融けてみる。このことに少し意識を向ける時間を作ってみたいと思います。

感謝を捧げるだけの私ではなく、「私は自然と一つになっている――そんな気持ちを持ちながら、最初に行った呼吸へと戻ってゆきます。

目をつむり、ゆっくりと呼吸をしてください。ゆっくりと息を吸います。息を吸うとともに、大自然が私の中に入ってきます。そして息を吐きます。息を吐くとともに、私が大自然の中に入っていきます。

吸いながら大自然が私の中に、そして吐きながら私が大自然の中に。呼吸を通して、少しずつ自然と私の境界線が溶けていく。私と自然の境界が静かに静かに溶けていく。溶けていきながら、どこまでが私なのか、どこからが自然なのか。

私の体を流れている水も、元は雨や風や海を巡ってきた水。私が今吸っている空気も、植物や海や無数の命とともに巡ってきた空気。そして私が吐いている空気は、また植物や海や無数の自然と繋がり、また自然を作っていく。呼吸を通して、私は自然から切り離された存在ではない。私は自然の一部であり、そして自然もまた私の一部であり、自然は私の中にあるもの。呼吸を通して静かに、この感覚、自然の中に溶けていく私を感じながら、呼吸を続けてみてください。ありがとうございます。

五井先生はご法話の最後で「私は世界平和の祈りの中で、すべてとの大調和を願っているのである」とお書きくださっていますが、五井先生がおっしゃっておられる「すべてとの大調和」というのが、今、私たちの中で、そして皆さまの中で感じておられる、自然と私との境界が少しずつ溶けて、それらと共に存在している自分の姿、自分の存在、そして目の前の人の存在なのかもしれないと思っています。

それでは最後に、すべてが一つの大生命として存在している、神聖な存在であるということはそういうことだ、ということを感じながら、皆さまとともに神聖復活の印を一回組んで、この特別プログラムを終わりにします。

「自然と自分は分かれてはいない」「私と周りの人間も分かれていない」「神聖という響きの中ですべては繋がり合っている」

神聖に還ってゆくということは、それらと繋がっている自分に戻ってゆくこと。その想いの中で、神聖復活の印を組んでまいりたいと思います。

<神聖復活の印を1回>

【真妃先生】

ありがとうございました。由佳先生と里香先生からも、五井先生のお言葉に感じたことを伺えたらなと思います。由佳先生、いらっしゃいますか?

【由佳先生】

真妃先生のいろいろなお話・ご説明を聞きながら、人間として災害の最中に、それを怖いと思う気持ちもあるけれども、その現象の奥に人類の進化を願っているものがある、その真実をその瞬間につかみ、そこを見られる自分でありたいなという気持ちになりながら聞いていました。

ちょっと話が長くなって申し訳ないんですけれども、今、私は英語版のYouTubeを始めていて、チームと一緒にYouTube動画の作成を行っています。

たまたま昨日、OBである竹内康益さんのインタビューをしていました。日本語のやりとりなんですけれども、「合気道と白光というのは、実は同じ車の両輪なんだ」ということを五井先生がおっしゃられていたということです。

そういうところから、ずっと白光で60年以上働きながら、合気道を50年以上続けている竹内さんのお話を聞いていたら、あっという間に1時間半になってしまったんです。

そのお話は、本当に叡智の宝庫でした。これを英語版YouTubeにどう10分ぐらいの動画にしていくのか、チームのスタッフがこれから頭を悩ませると思います。どういう形で世の中に出てくるか分からないんですけれども、本当に日本の会の皆さまにも見ていただきたいと思うぐらいでした。

そのお話の中で、五井先生と植芝先生がお出会いになられた最初の自己紹介が、「私は宇宙です」だったんです。植芝先生が「私は宇宙です」と言ったら、五井先生が「私も宇宙です」とおっしゃった。それがお二人の自己紹介の出会いだったらしいんです。

なんでこの話をするかっていうと、その両輪だという話から出てきたキーワードが「心生き生きと大調和」だったんです。植芝先生も五井先生もそれをすごく大事にされるがゆえに、白光と合気道は両輪なんだよとおっしゃった。

その話を深めてゆく中で、ずっと合気道をやられているからこその竹内さんのお話として、合気道をやられている方同士で組んだときに、もう何が起きたか分からないという感じで、フッと倒されている瞬間があるんですって。

でも、自分が「負かすぞ」とか、自分が「やるぞ」とか、相手と自分を引き離して組み合うと、そういう状態は絶対に体験できないんだそうです。

それは、体験した人にしか分からないんだけど、その境地を越えた人と組んだり、あるいはお互いがその境地であると、そのぶつかり合う瞬間がなかったかのように、フッと終わっているっていうお話がとても印象的で、「心生き生きと大調和」ともすごく繋がるなと思ったんです。

何が言いたかったかって、自分が「負かすぞ」とか自分が「やるぞ」とかっていうときって、その境地には絶対いけないらしいんですね。

だから災害のときも、自分を守らなきゃ、自分が何とかしなきゃ、自分が、と言っているときは、その奥にある心の生き生きした状態、大調和とはすごく切り離されちゃうんだなと思ったんです。

竹内さんも言っていたんですけど、「自分という想いをどうやって無くすの」と言ったときに、「守護霊さま・守護神さまが常に守ってくださっているんだ」という心境でもって、守護に対する感謝の響きのなかに入り込んで過ごすのがよい。

そうすると、自分が何とかするじゃなく、もう「私はすべてに守られているから大丈夫なんだ」というような神のみ心にお任せする境地になる。それが合気道であれ、災害の中であれ、私にとって守護霊さま・守護神さまの存在こそが橋になるな、ということを感じました。

不安や恐怖の想いというのは、自分で何とかしなきゃと思ったときに生まれます。でも神々さまはすごいんです。神々さまは人間の進化を願っていらっしゃる。「すべては愛なんだよ」とおっしゃる。

今、その境地にいる自分を見たときに、「ここに進化の法則があるんだ」「ここで神のみ心と一つなんだ」と思いました。

守護霊さま・守護神さまが常に守ってくださって、自分が何とかしなきゃとか、乗り越えなきゃとか、自分を守らなきゃではなく、「どのようなことが起こってもすべて大丈夫なんだ」という大調和の心に立ったら、合気道の話と同じ事が私たちにも起こる。

合気道の話の中で、倒された記憶がない間に終わっていたというのと同じように、そこに対立も摩擦もない感じないぐらいあっという間に、「あれ、今何が起きたんだろう」という状態になる。

それを気付かせてくださったお話が忘れられなくて、このようなお話をさせていただきました。大調和の響きの中にさえ入ってしまえば、一瞬の間に大調和で乗り切れるっていうか……。

ちょうど昨日、タイムリーにそういうインタビューをさせていただいたので、そういうお話を絡めて、見える世界の奥には、人類の進化や心の生き生きを願っている働きがあるんだ、というのを忘れずにいるためにも、守護の神霊と繋がっていたいなと思いました。長くなりましたけど、今日も本当にありがとうございました。

【真妃先生】

今のお話を聞いて、改めてやっぱり恐怖や不安って、守護の神霊と自分の意識が離れていることを教えてくれるサインだと思いました。

本来、私たちは守護霊さま・守護神さまとともに生きており、神聖によって生かされ、様々な体験をさせてもらえている。

でも、不安と恐怖が出てきたときに、そことの繋がりを忘れてしまったりとか、切り離されてしまっていて、なんとか、そこと切り離されている自分というものだけに意識が向いているサインなのかなと思いました。

そのお話を伺って、改めて、私たちは本当に守護霊さま・守護神さまに守られているんだというところに立ち戻って、普段からの祈りを深めていくことが大切だと思いました。

いきなり大きな出来事が起こったときに、すぐにその場で「守護霊さま・守護神さまと繋がっていて安心立命」というところに行けなくても自分を責めることなく、日常の小さなところから常に守護霊さま・守護神さまへの感謝の気持ちを向けてゆくことで、本当に大きな何かが起きたときに、大調和で、生き生きと命を生きられるという心境になれる。

私もちょっとだけかじったことがあるけど、合気道の毎日の練習って本当に地道で、練習のプロセスでは、この練習がどうその体験に繋がってゆくのか分からない。

でも、何もないときに一人で練習をし続ける。そうしてゆくと、最終的には大いなるものと繋がっていることを表現できる、

別の人と相対したときに、自分という意識が無くなって大いなるものと繋がって取り組むことができるっていうのは、それぞれが日々の中でそこを高めていったからこそのことなのかなということを、お話を伺って改めて思いました。ありがとうございます。

【里香先生】

素敵でした。本当に由佳先生のお話を伺って、自分で何かを力んで守ろうとか、消そうとか、そういうことではなく、守護の神霊に代わりにやっていただいているという安心感と全託の心で過ごしていることが、すべてをスムーズに循環させて流している。

だから『世界人類が平和でありますように』『守護霊さまありがとうございます』『守護神さまありがとうございます』という祈り言葉の中にすべてが凝縮されている。

私たち、最初は「いい言葉だな」と入るんだけれども、私たちが祈っている世界平和の祈りの言葉の深さは、宇宙神の本当に大浄めであったり、進化・創造であったり、そういう大いなる宇宙の運行の中に入っている。

だから、その「人の心が風にうつるのか、風の心が人にうつるのか」って、どっちがどっちか分からない裏表の働き。時にはそれが「風」といっても「神」だと私は解釈しています。

「人の心が神にうつるのか、神の心が人にうつるのか」の部分は、私たちはそのどちらもであり、両面で私たちは働いているということ。

自然も生物も人類もすべて大宇宙の中に溶け込んでいて、その大元に『世界人類が平和でありますように』という一行の祈りが流れている。

私たちはそのように、完璧な進化・創造の中に生かされているということを今日は実感し、改めて、自分の内の自然と外の自然が交流しているような感覚・イメージを持てたので、よかったなと思いました。ありがとうございます。

【由佳先生】

ありがとうございます。はい、では続いて、お知らせのほうをお伝えさせていただきたいと思います。

<各種のお知らせ>

【里香先生・由佳先生】

ありがとうございます。今日も素敵な時間となりました。

そして皆さま、素敵な一日をお過ごしください。世界人類が平和でありますように。ありがとうございました。

以上